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誓願寺にて片桐且元のお墓参り

藤枝にある長慶寺の雪斎サマのお墓から、丸子にすっ飛んでまいりました。

ニュータイプだった瞬間


丸子と言えば400年の歴史がある「丁子屋のとろろ汁」。せっかく来たから食べたいけど、
飯なんか食ってる場合じゃないわ!! ここ来て急に日没プレッシャーがすごいんでね('A‘)

ということで店の前を通りながらも誘惑に負けず、丸子登城口にある誓願寺に到着。
車はここの駐車場に停めておけます。で、まずは片桐且元のお墓まいりをするのです。

凛としていた瞬間


山門をくぐると長い参道が続き、山を背に立つ本堂はちょっと日本昔話風の佇まい。
駐車場も参道もどこもかしこも綺麗に手入れされ、静かで気持ちのよい境内です。

実はすごかった瞬間


まだ3時くらいなのに晩秋の夕暮れはマジ早すぎる! 気が急いてワサワサするわ。

お寺の創建は古く、建久年間(1190〜1199)に源頼朝の両親追善のために建てられて、
天文年間に丸子城の戦火で類焼したのを惜しんだ武田信玄が再建したんだそうですよ。

安心の瞬間


本堂の左手の方に進むと「片桐且元公の墓」と書かれた案内があります。
この後、本来の目的である丸子城跡に登らなきゃいけないのでさっさと行きましょう。
誓願寺さんは案内版の配置がとても親切。探してさまよわなくていいのはホント助かる。

発見の瞬間


墓域の奥まったあたりの、さらに奥まった場所に片桐且元夫妻のお墓がありました。
子孫の片桐石見守貞昌という人が建てたものなんだそうですよ。案内板によると。

ひっそりすぎた瞬間


水平じゃなくてね、灯籠も石段も五輪塔も年季が入った感じになってます。
お花がないだけじゃなく、あまりお手入れされていないようでなんだかさみしげ。

切なかった瞬間


豊臣家寄進の方広寺梵鐘に彫られた「国家安康」の文字が家康の名を二つに分断したもの、
「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を願ったものだ、けしからん!と徳川方が難癖をつけたあの事件。

片桐さんは大阪の陣のきっかけになったこの「国家安康」の文字について、
徳川家康に申し開きするため駿府を訪れ、1月近くこの誓願寺に滞在したそうです。

しかし家康には会わせてもらえず、そうこうしているうちに大阪から淀君の使者として
大蔵卿がやってきます。家康は大蔵卿とは面会し、安心するよう言って帰すんですね。
で結局、片桐さんは「臣下の礼」「大阪城退去」「秀頼か淀を江戸に人質」と徳川側から
無茶難題を出されて大阪に帰るのですが、大蔵卿の話と真逆の話すぎて裏切り者扱いされ、
大阪城から追放されてしまうんです・・・豊臣のために頑張ったのに気の毒すぎます。

報われない人だった瞬間


海千山千の金地院崇伝や本多正純相手にすっごい頑張ったんだと思うよね。
考えるだけで恐ろしいじゃない。こいつら相手に一人で交渉しなきゃだなんて。

片桐さんが追放された翌年の大坂夏の陣で豊臣家は滅びてしまいました。
そして大阪落城から20日後、後を追うように片桐さんも病死したそうな。

タイミング的に自害だったりするんじゃないの?とも少々思わなくもないけど、
そんなにがっちり食いつくところじゃないからまぁいいかw

気弱になっていた瞬間


誓願寺からは丸子城が見えます・・・分かっちゃいるけど普通に山だな Σ(゚Д゚)!
でも丸子城はいい城跡だから頑張ってくるか。日暮れタイムリミットもあるしね。


丸子城に登城!に続く





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2014.02.21 Friday 19:52 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 19:52 | - | - | - |