<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 良玄寺にて本多忠勝のお墓参り | main | 真里谷城に登城! >>

大多喜城に登城!

[本多忠勝] ブログ村キーワード

本多忠勝の眠る良玄寺から、今度は大多喜城に向かいます。

いきなり盛り上がる瞬間


大多喜城に向かう途中にある四ツ門公園は、城内から数えて4番目の門があった場所。
今は何があるってわけじゃないんだけど、道路の奥の方に大多喜城が見えるでしょ?
ついに忠勝ゆかりの大多喜にも来たぞーーー!! て気持ちを盛り上げるわけです。
交差点のど真ん中に立って公園の写真(!)撮るの、少々恥ずかしかったけどねw

影は薄かった瞬間


四ツ門公園は平成14年に整備設置されたそうです。シンボリックなミニチュア櫓が目立つけど、
一応、案内版の横に「上総大多喜城 四ツ門跡」と書かれた碑も建ってました。

存在が微妙だった瞬間


大多喜城を目指して四ツ門通りから大多喜駅の方に向かうと「大手門」というのが出現Σ(゚Д゚)!
当時の大手門はここから北西約150mの所にあって、慶長年間には吊り橋がかかって人工的に
持ち上げるようになっていた・・のだとか。今あるこの門は昭和57年に建設されたもので、
町民に名称募集して「大手門(歓迎門)」と名付けられたんだって。正直あってもなくても

遠慮しちゃいけない瞬間


線路を渡って「メキシコ通り」と名付けられた道を登っていくと右手に大多喜高校があります。
二の丸跡に建つ高校の敷地内には大井戸と薬医門があるので、ためらわず校門からイン!

大井戸は本多忠勝が入城した時に掘られた井戸で、周囲17メートル、深さ20メートル。
日本で最も大きな井戸のひとつにあげられ、当時は「底知らずの井戸」と呼ばれたのだとか。
柵から乗り出して中をのぞくと水は入っているようだったけど、写真は上手く撮れなかったわね。

唯一だった瞬間


薬医門は大多喜城内建造物唯一つの遺構で、千葉県の有形文化財に指定されています。
天保13年の火災後に建築された二の丸御殿の門で、明治維新後に民間に払い下げられ、
大正期にその曾孫さんによって出身校の大多喜高校の校門として寄贈をされたんだそうです。
その後、一旦は解体保存をされたものが、昭和に入ってから復元をされて今に至ります。

トモダチ作戦の瞬間


メキシコ通りを通ってお城の入口までやってきました。駐車場から少し歩きます。
車いすの方などは模擬天守のそばの駐車場に停められるみたいだから安心ですね。

ちなみにメキシコ通りですが、昭和53年にメキシコ大統領が大多喜町を公式訪問した記念に、
三の丸から大多喜城までの道路を「メキシコ通り」という名称にしたんだそうです。

慶長14年(1609)スペイン領のフィリピンの総督ドン・ロドリゴの一行が台風により
上総国夷隅郡岩和田村の沖合で遭難した時、村民が300余名の命を救いました。
外国人に厳しい処分がされていた時代、当時の大多喜城主、本多忠朝は一行を手厚くもてなし、
徳川家康に届けます。家康も彼らを受けいれ全員を本国に送還・・・これをきっかけに
日本はメキシコ、スペインと通商が始まりました。大統領が来たのはそのためですね。

幸先よくスタートの瞬間


ワタクシが登城したのは1月3日。2014年の登城一発目は本多忠勝!と決めていたのでw
模擬天守なので正直、お城自体はどうでもよかったんだけど、資料が見れるのは嬉しい。
正月そうそう資料館を開けている大多喜城すごし!! ルンルンで進んでいきます。

ひそかにガン見の瞬間


本丸跡に向かう途中の右手には空堀跡が見られます。
大多喜城は、西側の守りに空堀が多く作られているんだそうです。

痛いほど分かる瞬間


大多喜は本多押しだから、街灯も本多家家紋の「丸に立葵」。実際は本多氏は3代だけで、
9代続いて明治維新を迎えたのは松平氏なんですけど・・でも本多押しなんですよ!!

分かりづらかった瞬間


途中に二の丸公園というのがあったので、上まで登ってみることにしました。
さっき見てきた大多喜高校は二の丸跡。この場所も二の丸だったの?と思うけど、
昔の絵図を見ると二の丸なかなか広いから、地形も多少変わってそんなものかとw

引き続き分かりづらかった瞬間


奥の階段を登っていくと、雰囲気のある切り通しのようなところがありました・・何?

大多喜城は古くは小多喜と言われ、16世紀に武田信清が築いたのが始まりとされます。
その後は里見氏重臣の正木氏が入ると4代に渡り居城としますが、天正18年(1590)
秀吉の小田原攻めにより攻め落とされると、江戸に入った家康は安房の里見氏の押さえとして、
10万石で本多忠勝を入城させました。

忠勝は城や城下町の整備を行って堅固な城郭を築きますが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の後、
桑名転封となり、忠勝の次男忠朝が5万石で大多喜城主となりました。元和元年(1615)
大坂夏の陣で忠朝が討死すると、本多政朝が跡を継ぎますが、播州龍野に転封になると、
以降は阿部・青山・稲垣氏へと城主が変わり、元禄16年(1703)松平(大河内)氏が
2万石で入ると9代続いて明治維新を迎えました。

結果どうでもよかった瞬間


二の丸公園の上には鐘楼がありました。無縁仏の供養のために建てたとかなんとか?
城とは関係なさそうだし、ここ自体もどういう場所かイマイチ分かりませんね・・。

すぐ忘れる瞬間


本丸跡に建つ模擬天守の県立博物館入口に着きました。掃除中のオジサンが「おめでとう!」
と挨拶してくれ「そうだ挨拶はおめでとうだわ」と正月であることを思い出す始末Σ(゚Д゚)!

チャンスは薄そうだった瞬間


県立博物館の入口の逆側は本丸跡を囲む土塁がずーっと続いています。
本多押しで「大河ドラマへの野望」旗がひらめく様は、何やらいじらしく思えます。
良玄寺にも、四ツ門公園前にも、メキシコ通りにも・・旗はそこらにニョキニョキ。

ワタクシは大河を見ないんですけど、本多忠勝は大好きなので応援してあげたい。
たとえ大河になっても、大多喜の出番はそんなにないだろうと薄々は気づきつつ。

ハッキリしなかった瞬間


県立博物館分館になっている模擬天守。この建物自体は昭和50年に天保13年模写の絵図を元に、
一般的な天守を参考に建築されたもの。天守が書かれた絵図あり、天守はなかったという説あり・・

張り切っていた瞬間


模擬にしろ復興にしろ今回、天守様建物はどうでもいいので展示を見に行きましょう!
資料館じゃなく「博物館」ってのは分館でも期待できます。入場料は大人200円。

勢いが大事だった瞬間


ワタクシが行った時は、来場した子供にもれなくバッチプレゼントを行う正月期間。
入場券売り場のカゴには色んな種類の缶バッチがたくさん・・・何気なく見てキラーン★

忠勝さんと目があいましたw 恥も外聞もなくダメ元で聞いてみるワタクシ。

「こ、子供しかバッチはいただけないですか!! 本多忠勝が大好きなんです!!」
「あ、あ、あ・・・じゃ、じゃあ・・・特別に1つだけどうぞ」

鼻息荒く食いつきそうな勢いで、相手のド肝を抜いたのが勝因と見ておりますw
サッと忠勝バッチを握って満面の笑みでお礼・・受付のおばさんびっくりさせてごめんね。

元は取った瞬間


博物館なので撮影禁止。これは最上階の展望ルーム。窓は開いていませんでした。
展示自体は甲冑や槍などの武具の展示も多く、良玄寺でガラス越しの遠目で見えた
本多忠勝の肖像「紙本著色本多忠勝像」なんかもあったりして楽しめましたよ。

気がきかなすぎた瞬間


博物館を出て本丸跡の土塁を見ながら裏に回り込むと、二の丸跡の大多喜高校が見えました。
大井戸を見下ろす絶好のポジなんだけど、どこに立っても枯れ木が邪魔ったらありゃしない。

雰囲気は味わえた瞬間


井戸はイマイチ見えませんが、本丸からは城が高台にあったことが体感できます。

メキシコ通りのところで出てきたドン・ロドリゴは大多喜城を訪れた時の印象を、
「城は高台にあって濠に囲まれ城門は大きく、全て鉄でできており厳重に警戒されている。
また城の内部は金や銀の配色で美しく、武器庫もあった」と日本見聞録に書いたそうな。


ワタクシが登城を終えた頃、熟年夫婦や家族連れがパラパラやってきました。
正月3日だっていうのにけっこう人が来るものね。早く来てよかったわw


正月3日の朝っぱらから忠勝さん三昧。バッチもゲットして新年早々こりゃついてる!
さっそくバッチをかばんにつけて、ホクホクしながら次なる真里谷城跡へ向かいます。


真里谷城に登城!に続く


*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2014.03.15 Saturday 17:24 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(千葉県) | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 17:24 | - | - | - |