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延命寺にて里見氏三代のお墓参り

[武将] ブログ村キーワード

久留里城の後は今日の千葉攻略のラスト南房総にやってきました。
あんまりアガらない舘山城に行く前に、里見氏三代のお墓参りをするのです。

いかにも名刹の雰囲気だった瞬間


延命寺は永正7年(1510年)、里見家4代の里美実尭が開基した里見家の菩提寺。
曹洞宗の有名な古刹で、多くの雲水僧が修行した禅寺なんだそうです。

古典は苦手だった瞬間


里見といえば滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」が有名。江戸時代のベストセラー。
しかしワタクシ本を読んだことありません。でもダイジェストで話は知ってます一応。

ロックオンの瞬間


なのでワタクシは普通に「戦国武将の里見さんだわ〜」と思って墓を探してうろつきます。
実はお墓の場所を調べず来てしまったので、まずは野生の勘で裏の山を目指す感じΣ(゚Д゚)!

冴えていた瞬間


と思ったら本堂横に「此奥に里見氏の御墓あり」の石碑が! ほーらやっぱ裏山だよ。
里見氏の書状や地獄極楽絵図などのお宝は見れないので、墓所に向かってあもまっしぐらw

まぶしすぎた瞬間


本堂の後ろにある裏山を登って行くと・・・ありました。里見三代のお墓が。
冬の午後3時頃だったので、日差しの按配が悪くイケてない写真になりました(ノД`;)

隠れた名将だった瞬間


後期里見氏の家祖とされた里見実堯(4代)、里見の全盛期を築いた義堯(6代)
そして義弘(7代)三人の墓所です。しかし光の加減が最悪で見づらい写真だわ。

里見氏は源氏の流れをくむ新田氏の庶流。里見氏は何代もいるけれど、
侵攻してきた北条氏と何度もやりあった挙句、撃退した義堯さんが印象強いです。

この6代義堯さんは戦上手で武将としての器量がとても高い人だったそうで、
北条氏を撤退させたこの頃に里見氏は領地拡大して全盛期を迎えます。
義堯さんは晩年は出家し、本拠地としていた久留里城で68歳で亡くなりました。

残念すぎた瞬間


義堯さんの死後、里見氏は北条討伐への遅参や私闘を禁ずる惣無事令違反により
上総下総を没収されてしまうものの、関ヶ原では東軍について加増され、
一時は関東最大の外様大名となりました。しかし10代忠義は大久保忠隣の改易事件に
関与したとして伯耆に改易、そして最後にはその地も取り上げられてしまいます。
忠義さんが29才で病死すると嗣子がなかったとされて里見家は断絶しました。

忠義さんが死去した際、8人の家臣が殉死し「八遣臣」と呼ばれています。
里見八犬伝の八犬士のモデルと言われるそうな。館山城でお墓参りをする予定。

雰囲気ありすぎだった瞬間


三代の奥には里見氏累代のお墓もありました。荒れかけた一角にひっそりと・・


延命寺は南房総に点在する里見八犬伝の地めぐりのコースになっているようで、
ワタクシが本堂前に戻ってきた時には、パラパラと人が入ってきました。
ワタクシはお墓まっしぐらだったけど、色々見どころのあるお寺みたいです。


さぁ早くしないと日が暮れる〜帰りの高速に向かいがてら館山城にダッシュ!!


館山城に登城! に続く



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2014.04.09 Wednesday 19:24 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 19:24 | - | - | - |