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館山城に登城!

[戦国] ブログ村キーワード

里見氏三代のお墓参り済ませて、なんとか日暮れ前に舘山城に到着!
なんたって正月3日だから日没はともかく、写真撮るリミットが厳しいわ。

驚きの大混雑だった瞬間


今は観光用のお城になっている館山城は大型駐車場が完備されてるんだけど、
夕暮れのこの時間で空き数台Σ(゚Д゚)! 昼間来てたら完全に駐車待ちでしたな。

足場に萎え萎えの瞬間


駐車場から完全に舗装された道を通って小山を登っていきます。隣接の公園には親子連れ、
天守に向かう舗装路も老若男女人だらけ。よく考えたら館山周辺って普通に観光地だもんね。
立派な模擬天守もあるし、山から海も見渡せるので大人気観光コースのひとつなんだわ。

何かとテンション上がらなかった瞬間


舗装されたコースではあまり曲輪っぽいところが感じられないまま何となく本丸に到着。
太平洋戦争時には高射砲台が置かれ、かなりの部分が破却されてしまったそうだから仕方ない。
模擬天守自体に興味もてなくても、あればあったで城のある風景として写真映えはするから運悪い。
最近は城跡が多くて忘れてたけど、そういやワタクシ工事の遭遇率がすごい高いんだったわw

癒された瞬間


正月三日、房総半島にて海を見渡す・・・海なし埼玉県民の上、近頃は山ばっか行ってるから
海を見るのは超おひさ。正直、館山城は未攻略で残すのがイヤで寄ったって感じがあるけど、
この風景を見て何となく気持ちがすーーーっとしたから、まぁ来てよかったわとw

残念すぎた瞬間


左に見える木は桜。綺麗すぎる白亜の模擬天守があって桜が咲いてたら見栄えがするだろうね。

舘山城は里見氏8代義頼が築城を始め、病没後に子の義康が引き継いで天正18年(1590)完成。
本拠地を館山城に移しますが、その年の北条征伐での遅参や私闘を禁ずる惣無事令違反を咎められ、
支配していた上総下総は没収、安房9万石の舘山城に押し込められる形になってしまいます。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで東軍についた里見氏は3万石加増されて12万石となり、
一時は関東最大の外様大名となります。しかし10代忠義の時、孫娘を娶っていたことから
大久保忠隣の改易事件への関与を疑われ伯耆に改易され、その後さらにその地も召し上げられ、
忠義が29才で病死すると嗣子がなかったことから里見氏は断絶しました。

舘山城は里見氏が伯耆改易の際、廃城となり破却されてしまいます。江戸期に館山に入った
稲葉氏は城を再建せず山麓に陣屋が置いて政庁としました。太平洋戦争時にはこの地に駐屯した
高射砲台部隊により城跡が改変され昭和57年、博物館分館としてこの模擬天守が建てられました。

栄枯盛衰だった瞬間


舘山城は里見氏最後の地。本丸の片隅に碑があるので里見氏を偲んでみたいと思います。

勝ったり負けたり頑張ってぶんどった上総下総を秀吉に取り上げられちゃって・・・
関ヶ原で復活したと思いきや、力のある外様は邪魔だと今度は家康に目の敵にされて・・・
挙句の果てには配流されてお家断絶・・・気の毒すぎるわ。サルとタヌキ恐るべし。

首をかしげていた瞬間


碑には「里見城跡」と書いてあるけど、里見城っていうのは未攻略だけど群馬にもあるのよ。

里見氏というのは新田の流れを持つ家系で新田義重の三男、義俊という人が今の群馬県・・・
上野国碓氷郡里見郷に居を構えて里見氏を名乗り、それから何たらかんたらあって安房移住。
安房里見氏の祖は義実とされるけど、元をたどれば源氏の新田さんだから名門のお家柄です。
そういえば川も新田義重の四男義季がルーツらしいから、色々複雑だわ〜と思いつつ、
群馬県高崎市には義俊の頃の里見城跡ってのが残ってるので、そうなの〜とも考えたり。

微妙にヤラシかった瞬間


そう思いながらシゲシゲと碑を見ていたら、なんと!よく見れば小さい「ノ」が入っとるやん。
そうだよね〜舘山城だもんね。里見城じゃないわよね・・・てか紛らわしいからダメでしょw

のんびりしすぎた瞬間


おっと〜碑の前で里見氏を偲ぶのが長すぎて、いよいよ日が暮れてきました。
ワタクシが館山城に寄ったのは、八遺臣のお墓参りをしたかったのが大きな理由。
観光さんは元きた道を引き返しますが、ワタクシは裏手を進み尾根を降りるのです。

雰囲気が出てきた瞬間


舘山城は八遺臣のお墓の場所は確認しただけで縄張図とか何も持ってないんだけど、
観光化されてない裏側の尾根筋は小さい曲輪みたいなところや堀切らしきものも少々。

里見氏ワイルドだった瞬間


ズンズン進んで行くとほら、こんなところも。どう考えてもコレ削ってるでしょ。
寒くなってきた薄暗い木立の中で、里見氏がいた頃の戦国の山城の雰囲気を勝手に感じます。

ヨロついていた瞬間


案内図とかはないから合ってるのか心配だったけど、尾根筋を降りてやっとお墓に到着! 
しまいにゃこんなところを降りて・・八遺臣のお墓は狭い窪地のような場所にひっそりと。

おもむろに合掌の瞬間


伯耆倉吉に配流された里見氏10代忠義は、29歳の若さで失意のうちに病没します。
家臣8人が殉死し、戒名に共通して「賢」の字が入ることから八賢士と称されました。
忠義は殉死した八賢士とともに伯耆倉吉(鳥取県)の大岳院に手厚く葬られ、
その後、里見氏の遺臣が分骨して持ち帰り、ひそかに舘山城の南麓に埋めたのが
このお墓ということで。ドラマや舞台の出演者なんかはお参りするそうですよ。

気が利かなかった瞬間


場所は他にもあるんだから何も卒塔婆の後ろに立てなくてもいいのに・・読みづらい!

伯耆倉吉3万石に転封された忠義でしたが、実際に与えられたのは4千石ほどで城もなく、
大岳院の門前の屋敷で暮らしていたのだとか。これだけでも気の毒極まりないのに、
後には国替えで来た鳥取藩主の池田光仲に4千石すら取り上げられ、まさかの100人扶持に!

名門の大名から一転、困窮し辛酸なめ尽くす暮らしへ・・そんな忠義に寄り添って仕え、
最後には後を追って殉死だもん。日本人のハートわしづかみ。讃えられないはずがないです。

すごい想像力だった瞬間


安房里見氏の祖、里見義実の時代を元に滝沢馬琴が書いたのが南総里見八犬伝。

館山城主安西景連に攻められた義実は景連を討ち取れば娘の伏姫を与えるとし、
これを果たした愛犬八房が伏姫を連れ、富山の洞窟に籠ってしまいます。
伏姫の許嫁だった金碗大輔が姫を取り戻そうと洞窟に向かい八房を殺害しますが、
八房の気を感じて懐妊していた伏姫は純潔を証明するため自害。
この時、伏姫が身に着けていた数珠から「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が
浮かびあがった八つの玉が飛び去って行き、法師となった金碗大輔が玉を求めて旅に出ます。

で、かくかくしかじかありながら、犬で始まる苗字と八の文字が浮かぶ玉を持った
八人を見つけて義実の元へ帰り、家臣として里見の危難を救った八犬士はそれぞれ
義実の孫娘をもらって後に子に家督を譲ると、富山に姿を隠して仙人になりましたとさ・・

滝沢馬琴はこのフィクションをリアル里見八賢士にヒントを得て書いたと言われています。
江戸時代のベストセラー南総里見八犬伝。馬琴さんは線香の一つもあげたんでしょうか。

なぜか反省している瞬間


戦国時代というとついつい西に注目しちゃうけど、里見氏も安房で170年くらい続いた
ゴリゴリの戦国大名。今回は真里谷城久留里城、そしてこの舘山城に登城したことで、
上っ面だけにしても真里谷氏や里見氏を多少なりとも知れたいい機会になったわ。

いつでも行ける近場は後回しとか、関東は地味だからとかってのはダメだね。
色んなことがどこか必ずつながって・・・やっぱ戦国時代はおもしろいです。


千葉攻略はこれにて終了〜

次回からは遠攻近スルー反省の気持ちが薄れぬうちに出陣した栃木攻略ですw


善導寺にて榊原康政の墓参り〜に続く。




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2014.04.12 Saturday 21:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(千葉県) | 

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