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皆川城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

犬伏で真田親子の別れを勝手に堪能した後は栃木市に移動して皆川城に登城!

盛り上る瞬間


皆川城は別名「法螺貝城」とも呼ばれるお城です。本当に遠くから見るとまきまき!
思わず、車を停めてまきまきをじっくり見なければと思ってしまいました。

分かりづらかった瞬間


皆川城はワタクシのナビでは出ず、公民館を目指すもののそれも登録がなくて出せず・・
ゴルフ場目指して現地をうろうろした挙句、やっと入り口にたどり着いた次第。

立派過ぎた瞬間


なんと! こんな立派な公民館ならナビで出してくれよ!!とひそかに思いましたしw
駐車場は広くてほとんど車も止まってないから、お城の貸切はほぼ確定!! ほくそ笑みます。

のっぺりすぎた瞬間


公民館裏の山が皆川城跡。登り口には案内板があるのですが、まきまきの遠望を先に見ると、
どうも平面の縄張図はピンときません。とりあえず左っぽい方向目指して登って行きます。

納得の瞬間


と、思ったら復元模型図の絵もありました。これなら納得! だけど登るの地味に大変そう。
体力もなく足腰も老人並みに弱いワタクシ。おまけに今日はひどい強風だから難儀しそうだわ。

実感しづらかった瞬間


登っていくとまず土塁が見えてきます。主要な曲輪に行く前に見えてくる土塁。
実際に城域にはいってみると高い土塁に阻まれてまきまきの感じは体感できません。

地味になえた瞬間


本丸まで525m・・普通の体力のある人にはたいしたことない距離でしょうね・・・
でも著しく体力、足腰ともに弱いワタクシには甚だうんざりするものがあります(´Д`)

気合いが入っていた瞬間


本丸に向かう前に、西の丸方面に向かいつつ、途中にある竪堀を拝見します。
幅9m、深さ4〜5mの竪堀は復元らしいんだけど、気合い入ってんな〜と思いました。

おどおどしていた瞬間


本当ーーーに強風なの。マジで立ってるのもやっとというくらいの凄まじい風。
竪堀に沿って西の丸>本丸へ行きたいんだけど、横風にあおられ恐怖で足が震えてきます。

恐怖を感じていた瞬間


横に落とされてもヤバいでしょ。下に落とされたらもっとヤバいでしょ・・(´Д`)
でも本当に立っているのもやっとくらいの強風で、本当に本当に怖かったわ。
復元にしても実際の現場に立っていると、それくらい奥行や深さ感があるんですね。

巻き具合に納得の瞬間


誰もいないからかっこつける必要もないので、へっぴり腰の低重心で登りきると、
まきまきの真骨頂、本丸が間近に見えてきました。ホントにまきまきに見えるわ。

分かりづらかった瞬間


ヨロヨロしながら二の丸に到着〜!!奥に見えるこんもりがどうも西の丸みたい。
登ってみたけど特段何もなく。二の丸は通称お花畑と呼ばれていたそうです。

勇者じゃなかった瞬間


二の丸の奥から本丸に進む途中、西の虎口という案内板がありました。
が、コレ下っていったら駐車場のある公民館と真反対に出てしまうじゃないの!!

心が折れた瞬間


でも一応、距離感測ってみるぶってのぞいてみちゃったりし・・結果見なかったことにΣ(゚Д゚)!
どこまで下りると虎口なのか分からないけど、行ってまで見るべきとは到底思えないわよ。

巻きを感じる瞬間


ここは最初に見てきた復元模型の写真でいうところの最後の「くるん」にあたる部分よ。

皆川城は標高147mの山に作られたお城で、その形状から別名・法螺貝城とも呼ばれます。
1230年頃、小山宗政の孫にあたる長沼宗員が下野国都賀郡皆川荘に居館を構えて皆川氏を名乗り、
この地を支配しますが、鎌倉の執権北条高時に背いたことにより、一時断絶してしまいました。

しかし室町期になると奥州に移っていた長沼秀宗が下野に戻り、その子、氏秀の頃には
皆川庄を本拠と定め、再び皆川氏を称します。第二次皆川氏と呼ばれ、皆川城を築いて
七代が居城し関東の勢力争いの中、ずぶとくしたたかに戦国時代を生き抜きました。

いぶかしんでいた瞬間


本丸に到着〜! たいして広くもない山頂の本丸に展望台がドーンと建っています。
基礎工事もやったろうし舗装なんかもされてるから、遺構は破壊されてんでしょうねぇ・・

気が利かなかった瞬間


山頂に来てさらに風が強くなってきて、冗談じゃなく本当に飛ばされそうな勢いの中、
変な向きの城址碑を見ます。文字入ってる正面にスペースなさすぎなのよね・・なんで?

あわや!だった瞬間


気が利かない城址碑は裏側だと何の面白みもないと文句を言いつつ、一緒に撮るのはお約束w
すごい強風に帽子を吹き飛ばされそうになったわ。反射神経悪かったら多分失くしてた(ノД‘;)

タイムスリップな瞬間


山頂の本丸からこれから行く皆川氏の菩提寺、金剛寺を見て距離感を味わいつつ、
城主皆川広照の気分になって、北条軍が押し寄せてきた感を勝手に妄想しますw

皆川広照さんは信長の野望で何度か見かけますよね・・・たしか浪人でΣ(゚Д゚)!

歴史上のリアル広照さんは世渡り上手で先の目鼻が利くなかなか出来る人みたいなので、
ゲームの顔も能力もなんかパッとしない印象とか、浪人で登場ってのも気の毒すぎだわ。

したたかだった瞬間


皆川氏は宇都宮氏や佐竹氏と争いながら何とか勢力を保っていたものの、
天正12年(1548)北関東に進出してきた北条氏1万8千に攻められると3ヶ月に渡る戦いの末、
和議を結んで傘下に入りました。天正28年(1590)小田原の役で広照は小田原城に参陣、
籠城します。主のいない皆川城は上杉景勝、浅野長政の軍勢に攻められ落城するものの、
小田原開城寸前、広照がひそかに城を出て家康を通じて秀吉に投降、皆川は安堵されました。

広照は栃木城を築いて移りますが、慶長8年(1603)家康の子、松平忠輝の信州移封に伴い
附家老として7万石で信州飯山に入ります。しかし忠輝の不行跡を幕府に訴えたことで
逆に勘気を蒙り領地は没収。大阪の陣の後に許されて常陸府中1万石の藩主となりました。

ごつカワだった瞬間


色んな意味で整備が行き届いてて、通路の両サイドはあっちもこっちも水仙の花道なのよ。
巻いてるだけに帯曲輪だらけ、でも意外にもどこも狭すぎって印象はないのが不思議です。

勝手に思い入れる瞬間


帯曲輪から巻いた1段下に降りるところもちょいとひねりを利かしてありました。
西に比べて地味な印象の関東だけど、やっぱり戦乱の渦中にあった戦国の城だったんだね〜

漂いすぎていた瞬間


本丸に行く手前にはあちこちに梅の花が咲いていて、梅香風情あふれる登城でした。
登城以外あまり外出もせず、車通勤で季節の移ろいに疎いワタクシにとっては、
春の気配を感じる貴重な出陣になったような。桜は人ごみ苦手なのでまぁ無理だしw


次はさっきロックオンした金剛寺へ皆川一族のお墓参りに向かいます。
信長様をチェックしていながらとんだ大誤算にあった広照さんの悲運を思いにねw


金剛寺にて皆川広照のお墓参り〜に続く



2014.04.29 Tuesday 19:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 関東(栃木県) | 

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2020.02.14 Friday 19:30 | - | - | - |