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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

勝願寺にて小松姫と仙石秀久のお墓参り

[戦国] ブログ村キーワード

イマイチ〜な加須市の騎西城から鴻巣市の勝願寺にやってきました。
ここでラブ小松姫や少々微妙な武将、仙石秀久のお墓参りをするのです。

堂々たる佇まいだった瞬間


ドーンとかまえる立派な仁王門。屋根には葵の御紋が並んでいます。
山門以外は明治の火災で焼失し、大正時代に建てられたものだそうです。

チャーミーだった瞬間


仁王像・・せっかくなんで向かって右の阿形さんの方を。仁王門が再建された時、
秩父の三峰神社から寄贈されたものらしいですよ。迫力のリアル系仁王じゃないですw

焼失が惜しまれた瞬間


勝願寺は天正年間(1573〜1592)に建立された浄土宗の関東十八檀林の古刹。
このお寺に徳川家康は鷹狩りの際、何度も訪れていて、文禄2年(1593)には
不残上人の学識に感銘を受けて帰依。以来、徳川家の厚い庇護を受けました。

家康が感銘を受けたという2世住職の円誉不残上人は学僧の誉れ高く、
慶長11年(1606)に後陽成天皇から、僧として最高位の紫衣を与えられたそうです。
家康はよほど入れ込んだらしく、宝物や結城城の御殿や櫓なんか寄進したのだとか。

お金がかかっていた瞬間


庇護だけじゃなく、葵の御紋の使用を許されたほど由緒あるお寺だから
本堂も再建だけどものすごく立派。瓦の鬼部?が半分欠けてるのが残念ですw

使いすぎだった瞬間


本堂の中も葵の御紋満載!襖は全部、葵紋がちりばめられておりましたw
御紋の使用を許されるってことがどれだけ名誉なことだったのか分かる気がしますね。

こだわりが見て取れた瞬間


天井に近い部分の壁も・・これがズラーッと。再建されたのは大正時代。
でも「だらけ」にするほど徳川家とのつながりにプライド持ってるんでしょうね。

わかりやすかった瞬間


小松姫たちのお墓は本堂の左側にありました。一番左の小さいのから仙石秀久、
真田信重の室、真田信重(信之・小松姫の三男)、そして小松姫と並んでいます。

微妙な人だった瞬間


仙石秀久は秀吉の最古参の家臣の一人で、もっとも早く大名になった人物で、
淡路洲本5万石、そして2年後には讃岐高松10万石と加増され出世していきました。
しかし四国平定後の九州攻めの際、秀吉から本隊到着を待てと命を受けたにも関わらず、
長宗我部親子や十河存保の反対を押し切って先発隊だけでの出撃を決めてしまいます。

結果、戸次川の戦いで長宗我部信親、十河存保は討死、総崩れとなって島津に大敗。
この時、秀久はさっさと、しかも勝手に撤退して四国に逃げ帰ってしまったため、
行状に怒った秀吉により所領没収の上、高野山に追放されてしまいました。

が、天正18年(1590)小田原征伐が始まると浪人を集め家康の後押しを受け陣借り参戦。
山中城攻めでは先陣を務め、小田原城攻めでは早川口の虎口攻略の功により大名に復活。
信州小諸5万石を賜り、江戸時代には藩主として小諸城や城下町、街道を整備しました。

慶長19年(1614)江戸から小諸への帰路、ここ鴻巣で病没し、
遺名により長野県上田市の本廟から勝願寺に分骨されたそうです。

関ヶ原の時は秀忠に従って上田城攻めに加わり、真田親子に翻弄される秀忠に
秀久さん「自分を人質に送って進軍してほしい。死んでも東軍が勝利すれば満足だ」
と男気を見せたらしく、川の世になって後に秀忠に信頼されていたようです。

でもね・・・実力が伴わないタイミングでの出世ってのは結局、悲劇ね。
高野山追放からまさかの大名復活はミラクルだけどゴンベ・・微妙っす。

ちなみにゴンベ仙石さんのお墓は小諸の西念寺にもあります。

合掌の瞬間


で、こちら真田信重(左)と小松姫のお墓(右)。信重の墓の左にチラと見える
デカい墓石は信重の室のもの・・嫁の方がデカいってどういうことでしょうかw

信重さんは真田信之・小松姫夫妻の三男。慶安元年(1648)に鴻巣で病没し、
母の小松姫の縁で勝願寺に埋葬されたそうな。松代にも夫妻の霊屋があるそうです。

小松姫は言わずとしれた真田お兄ちゃんの正室で本多忠勝の娘。
ワタクシは気丈でしっかりした女性が好きなので大大大ファンです。

小松姫は元和6(1620)年、病いの療養のため江戸から草津に向かう途中、
鴻巣で亡くなりました。享年48歳。遺骸は火葬され上田市の芳泉寺に葬られましたが、
生前に家康同様、円誉不残上人に深く帰依していた縁でここ願勝寺に分骨されました。
小松姫のお墓は沼田市の正覚寺に分骨されています。芳泉寺も近いうち行くつもりよ。

小松姫にあやかりたい・・とさもしい心を抱きつつ、丁寧にお参りしておきました。

ズレズレだった瞬間


善導寺から始まる栃木攻略に行ったのは3月末のことよ・・タイムリーじゃなさすぎだわ。
さっさと書かないと行った時の感動とか薄まっちゃうから巻きでいかなきゃね。

ということで、次回からやっとゴールデンウィークの北陸攻略編に突入します!!


富山城に登城!〜に続く



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2014.05.21 Wednesday 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 21:10 | - | - | - |