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富山城に登城!

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やっと今年のゴールデンウィークの出陣のエントリーに追いついたよ〜Σ(゚Д゚)!
この連休は北陸攻略・・パート? 何度か出陣してるけど今回は富山城スタートです。

レッドブル炸裂中だった瞬間


出陣の前日、またこれその日に限って仕事の帰りが遅くって一睡もせずに富山へゴー!
レッドブル飲んで変な覚醒してたので、朝イチからポーズなんか取っておりますw
城址公園の地下にある駐車場に車を停め、回り込んであえて大手側から登城です。

ひそかに感心の瞬間


模擬天守なんで食いつきは悪いケド、水をたたえた内堀沿いから見る佇まいは美しめ。
トキメキや興奮はなくても、日本らしい「城のある風景」として見れば素敵なものよ。
ずいぶん昔に見た写真では若干こぎたなかったけど、白亜になった天守は水堀に映えます。

朝イチ登城に最適だった瞬間


内堀にかかる土橋を渡ってさっそく城址公園にイン! 郷土博物館になってる模擬天守は
開館時間があるけど、公園自体の出入り自由なのがケチくさくなくていいですねw

ガン見の瞬間


土橋を渡って枡形虎口を振り返ります。石垣はだいぶ修復されてるみたいだけど当時のもの。
模擬天守の建ってる石垣は鉄門跡ものなんだそうですよ。デカい鏡石が何個もはまっていました。

威圧しすぎだった瞬間


鏡石というのは虎口の石垣なんかに使われる巨石のことで、侵入者への威圧のためとか、
築城者の財力を誇示するために用いられたと言われています。6〜7くらいあったかな。

想像にはげむ瞬間


模擬天守の反対側にある現存の櫓台。残念ながら立ち入り禁止で登れませんでした。
模擬天守の石垣もこちらの櫓台石垣も多聞櫓がドーンと建っていたんでしょうね。

イマイチだった瞬間


公園の中に入って望楼型の三層天守を眺めます・・金網がうざったいですねw
余計な建物なんかも見えちゃうので、やっぱり外からみる佇まいの方がよいです。
白砂利のところに転がってる石は石垣に使っていたもの。あちこちに置かれてます。

決断が大事だった瞬間


時刻は8時過ぎ。9時開館の郷土博物館を眺めつつ1時間は待てないわ〜と思ってるとこw
今回も予定目白押しなのでロスは最小限が鉄則。9時前には高岡城跡に向かう予定よ。

何かと裏目っていた瞬間


何事も かはりはてたる 世の中に 知らでや雲の白く降るらん

信長の頃、富山城主だった佐々成政の句が書かれた碑が立っていました。

佐々さんは信長の譜代家臣。柴田勝家の与力として北陸攻略のため越中富山に入って
上杉家と戦い魚津城を攻略します。しかしそこで本能寺の変が勃発。秀吉に反発した佐々さんは
勝家側につくものの上杉の反撃で動けないまま、賤ヶ岳の合戦は秀吉の勝利で終わります。

その後、小牧長久手の戦いが始まると家康・信雄側に呼応して秀吉方の前田利家と対峙。
しかし末森城攻めに苦戦しているうち秀吉と家康は和睦。進退窮まった佐々さんは
雪中の立山沙羅峠を越え、家康に再挙を促すべく浜松城を訪ねますが拒否されてしまいます。

この振る舞いに怒った秀吉は自ら越中に乗り出し10万の大軍で富山城を包囲。
孤立した佐々さんは剃髪して降伏、所領没収を没収されお伽衆として秀吉に仕えます。
数年後、九州征伐に従って功を立て、肥後一国の大名に返り咲くのですが、
秀吉の命に背いて検地を強行して大規模な一揆を誘発し、これを鎮圧できなかったため
責任を問われ、再び所領を没収され天正16年(1588)5月14日、尼崎で自刃。享年50歳。

歌碑に書かれた句は、佐々さんが剃髪した時に詠んだものらしいです。
ろくな道具も雪山歩く装備もないあの時代、豪雪をかき分け館山を越えたさらさら越え・・
色々なことが変わっていく世の中だけど、雪は白い・・・無念な思いが伝わりますね。

ちなみに・・信長が亡き後、空回りしまくりだった佐々さん辞世の句がこれ。

この頃の厄妄想を入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり

イヤなこと入れた袋をついにブチ破る! っていうんだからすごいわ。
破るってのは死にゆくってことでしょうね・・残念な人でも気の毒な人でもあります。

石が自慢だった瞬間


刻印や墨書きのある石も展示されています。ほぞ穴のある櫓の礎石などもありました。
肉眼では刻印は分かるんだけど、写真だと分かりづらいものばっかなので全体写真だけでw

前田一色だった瞬間


佐々さんの後、一度は廃城になった富山城ですが越中一国が前田家に与えられると
利長が改修して隠居城とし、後に前田家三代目の利常が次男利次に10万石を分与して、
富山藩としたため、富山はすっかり前田の城。梅鉢紋がふんだんにちりばめられてます。

セレブ門だった瞬間


公園の別の出入り口には現存の千歳御門が移築されています。富山城10代藩主前田利保が
隠居所として造営した千歳御殿の正門だったそうで嘉永2年(1849)建築されたものだとか。

貴重だった瞬間


総欅造りの三間薬医門、屋根は切妻造本瓦葺で、東大の赤門(旧加賀屋敷御主殿門)と
同じ建築様式の貴重な城門なんだそうですよ。隠居所でこれだから百万石はリッチですw

前田アピール全開だった瞬間


軒丸瓦には梅鉢がずらり!金ぴかの梅鉢も見えます。建材にも意匠にもこだわってますね。
明治時代に赤祖父家に移されたものが市に寄付されて移築、今は市の指定文化財です。

味があった瞬間


千歳御門の石垣も積まれた時代とかはよく分からないけど現存のもの。
奥に見えてる一見、櫓チックな感じのところは城風建築の美術館ですw

反応は薄かった瞬間


公園内には富山藩2代藩主前田正甫の像がありました。この方、富山売薬の基礎を築いた人なんだって。
反魂丹という薬を常備していた正甫さんは江戸城に登城した際、腹痛に苦しむ大名に薬をあげました。
するとたちどころに腹痛が治ったため、それを見ていた諸大名が自領内での販売を求めるように。
そこで正甫さんは諸国に行商させ、これが「富山の薬売り」の始まりになったんだってさ。

ビルが生えていた瞬間


公園内では庭園の工事をやっていました。模擬天守も塗り替えて白亜にしたし、
千歳御門も移築するし・・なかなか気合い入れて整備してるみたいですね。


富山城はこれにて終了! うん、やっぱ9時の博物館開館は待ってられないわ。
ボヤボヤしないで破竹の勢いで高岡城瑞龍寺<、そして七尾城<に行かなきゃよ!


高岡城に登城!〜に続く。



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2014.05.28 Wednesday 19:27 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(富山県) | 

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2020.02.14 Friday 19:27 | - | - | - |