<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 瑞龍寺で前田利長のお墓参り | main | 金沢城に登城! >>

七尾城に登城!

[日本百名城] ブログ村キーワード

高岡城から下道をぶっとばして七尾城を目指してきました!!

先が長そうだった瞬間


七尾城に向かう登山口がここ。下調べの時は地図を見てもピンと来なかったんだけど納得。
まぁ歩いて登るわけじゃないからいいわw 登城前に近くの七尾城史資料館に寄ります。

混み混みだった瞬間


七尾城の100名城スタンプの設置場所がこちら。駐車場は数台分だけなので競争率高い!
空いてないので路駐しといて速攻スタンプゲット! 展示はあきらめつく感じなのでスルー。

安心だった瞬間


スタンプもらったら、さっきの登城口から車で一気に本丸直近の駐車場に向かいます。
山道は合ってるか心配な時があるけど、道は険しくともナビに出るだけマシというもの。

大人気だった瞬間


クネクネ進んで本丸直近駐車場に到着してびっくり! すっごい車が停まってます!!
苗木城と同じ感じなのかもね、国史跡で山城だけど大場所まで車でオッケ!的な感じが。

調整が大事だった瞬間


人にあまり追いつかないよう、戻ってくる人は上手くやり過ごすようにして進みます。
国史跡は整備されているので登山靴も必要なく、ちゃんとルートがあるので楽ですw

先が見えなかった瞬間


まずは調度丸へ向かいます。遊歩道右手の崖側を見るとメガ竪堀が(空堀も)ありました。
今は尾根も空堀も無視して我が道をゆく遊歩道が通ってるけど、当時だったらいきなり難儀。

自然体で粘る瞬間


ほどなく調度丸に到着! 七尾城一番の大場所「桜馬場の石垣」が見えて瞳孔が開きます。
見惚れていたら次々と人が下りてくるので、こうなれば意地でもいなくなるのを待とうと、
苔むした野面をさらにうっとり眺めました。するとついに誰も通らなくなりましたwww

そろばんをはじく瞬間


上がって桜馬場へ行きます。石は小粒だけど五段もあるとなかなか迫力があります。
城の規模といい防御施設といい、畠山氏あなどれないわ〜と感心してしまいました。

にんまりだった瞬間


待った甲斐あって人が全然こなくなったので、いい気になって足取り軽く登っています。

七尾城は能登守護であった畠山満慶が正長年間(1428〜1429)に築いたと言われ、
代々のうちに拡張や修復を重ねながら7代目義総の時に完成したと考えられています。
畠山氏はこの地を150年近く支配しますが、天正4年(1576)上杉謙信が能登に侵攻。
七尾城は兵糧攻めで包囲されるものの1年を持ちこたえ、一時は謙信を撤退させました。

しかしその翌年、七尾城下で流行病が発生し幼少の当主、畠山春王丸が急死すると
後見として実権を握っていた長続連と、不服に思う遊佐続光、温井景隆らの重臣が対立。
遊佐、温井は上杉軍に内応して長一族を暗殺し、天正5年(1577)9月七尾城は陥落しました。

その後、しばらくは上杉による支配が続きますが、能登一国が前田家の所領になると
拠点は小丸山城に移され、天正17年(1589)七尾城は廃城となりました。

鼻息が荒かった瞬間


桜の馬場に到着〜虎口になってるんでしょうけど、ワタクシにはイマイチ分からず・・
この場所は東西45m、南北25m。軍馬の調練を行った馬場だったようです。
ここから左へ行くと本丸、右へ行けば二の丸や九尺石方面。なのでまずは本丸へ!

重臣ポジだった瞬間


桜馬場のすぐ先には遊佐屋敷跡の案内版が。「本丸のすぐ西側に位置することから、
城主に次ぐ守護代の地位にあった遊佐氏の屋敷跡と伝えられています」だそうです。

瞳孔が開く瞬間


遊佐屋敷跡を抜けていざ本丸へ!! 石垣に囲まれた急こう配なので威圧感があります。
歩道自体は整備されてるんでしょうけど、なかなか雰囲気があるので足が止まります。

畠山氏の財力を思う瞬間


本丸の高く積まれた石垣・・・門などの建物があったことを妄想で付け足せば、
謙信が攻め落とせなかった五大山城、七尾城の堅固さが実感できる気がします。
内応がなければ柴田勝家も救援に向かっていたことだし、何とかなったかもしれないね。

まったくの余談ですが、七尾城救援に向かっていた柴田勝家は手取川を渡ったところで
七尾城陥落を知って撤退を開始するのですが、謙信による電光石火の追撃を受け、
意図せず背水の陣を敷くことになり大敗しています。謙信はこの勝利により
織田軍は大したことはないと豪語し、信長はより謙信を恐れたと言われます。

織田軍が七尾城救援に向かったのは遊佐・温井に暗殺された長続連の子、
長連龍が一足早く城を抜け出し、信長に救援を要請したため。
長連龍は後に前田家に仕えて重臣となり、関ヶ原、大阪の陣に従っています。

思ってより広かった瞬間


本丸に到着しました。東西50m、南北40mなかなか広め。城址碑と社が建っています。
連郭式の七尾城は本丸の下が断崖絶壁。まずは謙信が酔いしれた風景を眺めましょう。

月夜がよかった瞬間


本丸からは七尾市内と能登湾が丸見え!謙信もこの風景には感動したとか何とか・・・

霜は軍営に満ち 秋気清し 数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能後の景さもあらば 任他家郷の遠征を念ふ

謙信が七尾城を落城させた後、詠んだという「九月十三夜」の詩。
武勇のみならず、「四十九年 一睡夢・・」の辞世の句なんかもそうだけど、
言葉に対してのセンスもものすごくあった人なんだだなと思いますね。

ガスってて少々残念だけど、詩を詠んだ謙信の気持ちになって風景を眺め、
能登の先端まで足を延ばした甲斐があったと勝手に盛り上がりましょうw

念入りだった瞬間


本丸には土塁も残っていました。畠山さん本当にやる気マンマンでしたw

妄想中の瞬間


ではここでおもむろに久々の「七尾城に登城〜!」宣言w ワタクシは信長サマの次に
謙信が好きなので、畠山さんの財力や権力は気にしつつ謙信に思いを馳せてしまいますw

下世話だった瞬間


本丸から桜馬場に戻り、今度は二の丸方面に向かいます。遊佐さんとともに内応した温井さんの
屋敷跡や出現するプチ石垣を眺めながら、またまた畠山さんのすごさをそろばんにはじきますw

要に違いなかった瞬間


温井屋敷跡を抜けると九尺石が見られます。七尾城鎮護のかなめ石だったそうです。
桜馬場や本丸の石垣は小さ目の石だったけど、九尺ってだけに遠目で見てもデカそうな。

首をかしげた瞬間


石の大きさは九尺・・およそ300兪宛紂E時はちゃんと積まれてたんでしょうね。
それにしてもどっからこんなデカい石を持ってきたんだ!! そっちが気になります。

うっとりする瞬間


温井屋敷から二の丸に向かいます。こちらも二段の石垣が積まれて念入りな構え。
苔むして古びた石垣の廃れかけの美しさ・・・何とも言えない佇まいです。

やる気がうかがえた瞬間


二の丸は尾根の分岐点に築かれ、周囲に他の曲輪が配置されており独立して戦える構造。

本丸に隣接した遊佐屋敷、そして桜馬場を挟んだ反対側に二の丸と接する温井屋敷・・
縄張りを考えると内応した重臣2人の畠山家でのポジがどれほどだったのか察せられます。

壮大だった瞬間


山麓の大手口から登城するといよいよ主郭チックになってくる場所だからなのかしらん?
二の丸には懇切丁寧な案内版がありました。図を見ると改めて規模の大きさを感じます。
やっぱ山城は壮大なのが素敵よね〜とは思いつつ、二の丸から先は山を下りながら三の丸、
沓掛場、安寧寺、そして大手道に続くので、また車に戻ってくること考えると意気消沈・・・

前日から一睡もせず朝駆けし、すでに体力ゼロのワタクシは勇気ある撤退しましたΣ(゚Д゚)!

観音寺城月山富田城小谷城春日山城に七尾城で一応の五大山城クリア!
とはいえ、全域を回っての「攻略完了」じゃないので何年かたったら二回戦はアリだね。


北陸攻略1日目はこれで終了〜七尾から金沢に移動して明日の前田三昧に備えますw


金沢城登城!〜続く



*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2014.06.20 Friday 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(新潟県) | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 20:00 | - | - | - |