<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 金沢城に登城!その2 | main | 安宅関で勧進帳の一幕を拝見! >>

野田山墓地にて前田利家のお墓参り

[武将の墓] ブログ村キーワード

前田一族墓参りのため、金沢城からほど近い野田山墓地にやってきました。

迷いまくりだった瞬間


野田山墓地はでかいんです。入り口がいっぱいあるんです。
戦没者墓苑とか軍人の墓とか一般ピープルの墓とかあって分かりづらいったらヽ(`Д´)ノ
ココだと思って行ったところが戦没者墓苑でビビりました。写真も撮り忘れるくらい・・
で周辺を散々徘徊した挙句、やっと入り口が分かった時は達成感に浸ったワタクシですw

心細すぎた瞬間


人気が全くない上、一帯が墓所って雰囲気にのまれて久々におっかなびっくりΣ(゚Д゚)!
武将の墓参りと称してあちこちズカズカ参上しているワタクシですが、ここはどうも違う。
霊感とかないと思うんだけど何か落ち着かないというか、長居無用って気がしてなりません。

ソワソワしていた瞬間


落ち着かない雰囲気のまま前田一族の墓所前に到着。のんびりしたくない雰囲気なので、
ここは念入りにチェックして大場所だけ見てさっさと退散しようという寸法w

モゾモゾしていた瞬間


なので入り口近くを幸い。利家と彼の奥さん、おまつこと芳春院のお墓にいきなりロックオン!!
お骨が入っているかどうかもよく分かりませんが、とにかくお参りしておこうという作戦。

力関係が分かる瞬間


前田一族の墓所入って正面ドーンが芳春院のお墓、旦那と倅はその両サイドという布陣。
嫁もしくは母上を下にも置かなかったのね、きっと。おまつさんは百万石の功労者なんですもの。

肝っ玉母ちゃんだった瞬間


おまつこと芳春院さんのお墓がこちら。関ヶ原合戦の後(利家が亡くなった翌年)、
加賀藩存続のため進んで人質となって江戸に行った女傑ですよ。おまつさんは。
15年も江戸で加賀藩のために心を砕き、元和3年(1617)金沢で没。享年71才。

あやかりたかった瞬間


ワタクシの生きる現代は「お家のために」なんて概念は一部除いて全くないけれど、
決断力、腹の座り具合、忍耐力には是非あやかりたいものだと思いつつ合掌です。

嫁には頭が上がらなかった瞬間


で、こちらが芳春院さんの横っちょにあった前田利家さんのお墓。
14歳で信長に仕え、生涯40数回の戦で功績をあげ「槍の又佐」の異名を取った
加賀百万石の藩祖。時節がら黒田軍師官兵衛にスポット当たってますが、
秀吉が天下取れたのは、利家の存在も大きなものだったと思います。

せがれの墓をガン見ポジだった瞬間


利家は慶長4年(1599)大阪城で死去。享年62才。関ヶ原の合戦が起きる前年のことでした。
利家の死をきっかけに家康はなりふり構わず天下取りへの道を突き進みます。
家康の腹を察していた利家は「自分の死後、三年は上方を離れるな」と嫡男利長に遺言します。
しかし利長は家康の口車に乗せられてわずか3ヶ月で金沢に帰ってしまったため
家康に交戦の口実を与えることとなり、母の芳春院を人質に出すハメになったのでした。

結果オーライだった瞬間


その利長さんの墓所がこちら。奥方または母上を挟んで父と倅が対峙するポジですw
利家さんはどう思っているか分かりませんが、案外、利長が凡庸でよかったのかも?
利家さんの遺言どおり、利長さんが大阪に3年居座ってても結局は家康に貫禄負けして、
結果はそんな変わらないどころか、百万石はなかったような気がしないでも・・www


しっかし野田山墓地どうも落ち着かないわ〜前田一族が眠ってるので十三代まではもちろん、
豪姫のお墓なんかもあるんだけど、練り歩いてお参り出来る気分じゃなくこれで退散。


お次は金沢市を出て少々移動、次は小松市の安宅関と小松城に向かいます。


安宅関で勧進帳の一幕を拝見!〜に続く



*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング


2014.07.20 Sunday 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 20:35 | - | - | - |