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小松城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

安宅関から鳥越城に向かう途中、小松城天守台跡に寄りました。

とりあえず的だった瞬間


小松高校のグランドの隅に残る本丸跡の一部と天守台。高校の敷地内だから駐車場なんかなく、
裏門らしき前に車を停めてサッと見てくる作戦。向かう途中にある本丸跡の碑がやっつけっぽいw

微妙な空気だった瞬間


グランド沿いに進むとほどなく天守台が見えてきました。縄張を見ると当時は周囲を水堀が
廻っていたようですが、今は住宅街と高校のグランド・・orz  コレ小松市指定文化財です。

青春すぎた瞬間


ゴールデンウィーク中にも関わらず隣のコートではテニス、後ろの校庭では野球の練習中。
体育館からは吹奏楽の演奏が聞こえてきます。なので登城してる感が全く盛り上りませんw

ぴっちり積まれていた瞬間


小松城は戦国時代後期に一向一揆の拠点として築かれたと言われています。
天正7年(1575)織田信長の命を受けた柴田勝家が攻略し、丹羽長重が城主となりますが、
関ヶ原で西軍に味方した長重は改易され、以降、前田家の支城となりました。

元和元年(1615)の一国一城令で小松城はいったん廃城となるものの、寛永16年(1639)
加賀藩3代藩主前田利常が隠居城にすることを願い出て幕府に認められ、改修が行われます。

ロクでもなかった瞬間


利常は本丸を水堀で囲んで二の丸、三の丸、琵琶島、中土居などを配置して天守台も築き、
天守代用の二層三階の数奇屋造りの櫓を建て、万治元年(1658)に死去するまで、
小松城で過ごしました。利常の死後は城番が置かれて存続し明治維新を迎えますが、
明治5年(1872)小松懲役場が三の丸に置かれ、囚人の役務として城は取り壊されました。

ラグジュアリーだった瞬間


さすが江戸期に築かれた石垣! ワタクシがあんま萌えない切込ハギでピシッとしてるわ。
四隅は算木積み。本家の金沢城と同じ戸室石を使って金に糸目をつけない前田イズム全開w

同情する瞬間


文化財保護はいいとしても落石の恐れがあるなら、崩れないようメンテした方が・・
生徒になのか、登城者向けなのか分からないけど、小松高校の校長先生は大変ね。

心からメンテを願った瞬間


天守台の階段は危険ですから登らないでください〜小松高校学校長

いやーーーん登りたい!! と思ったけど校長先生の言うことは守らなきゃいけないw
天守代用だったという数寄屋造りの櫓跡とかきっと残ってるんでしょうけどね。

天守台を1周したけど結構な大きさ。4〜5層の天守くらい軽く築けそうに思えたけど、
さすがの利常さんも幕府に憚りつつ、しかし豪気に天守台だけはデカくしたのかしらねw


小松城三の丸跡にある芦城公園には利常さんの銅像があるというので寄りたかったけど、
ゴールデンウィーク中で駐車場に入れず断念・・空くの待ってる時間はないので次行きます!

次は一向一揆最後の砦、国史跡の鳥越城よ。時間も押してきたので急がなきゃ=3=3


鳥越城に登城!〜に続く。



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2014.08.03 Sunday 15:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(石川県) | 

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2020.02.14 Friday 15:00 | - | - | - |