<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 玄江院で大井氏のお墓参り | main | 伴野城に登城! >>

岩尾城に登城!

小諸城玄江院と耳取城跡のある小諸市から、佐久市に移動してきました。
依田信蕃さんが(ほぼ)討死した岩尾城に妄想力アゲで登城しちゃうわよ!!

地獄で仏だった瞬間


間違いなく近くに来たのに城跡の入口が見つからず、諦めて近くのコンビニへ。
缶コーヒーを買って岩尾城の場所を聞いたら、やっぱり近くの小山がそうだった!
ついでに入口を聞くと、車じゃ無理だから置いて歩いていったら?と優しいオジサン。
満面の笑みでお礼を言い、イソイソとオジサンに教わった建物脇の入口を目指します。

ある意味、ハードル高かった瞬間


普通のアパートの横を過ぎたら突然こんなのどかな風景に。正面が岩尾城跡よ。
こりゃ車じゃ入口見つからないし、駐車場ないとは聞いてたけどそもそも車は無理。

世界に浸りはじめた瞬間


信蕃さんはこの岩尾城攻略中に銃撃を受け、その傷が元で亡くなったのよ。

信蕃さんは本能寺の変後に起きた北条VS徳川の争いで東信濃ゲリラ戦を展開し、
北条の補給線を寸断。徳川圧倒的有利で講和が成立→信蕃さん佐久に入るのですが、
北条方だった当時の城主大井行吉は従わず、岩尾城に立てこもります。
すぐ落とすつもりの信蕃さんでしたが予想外の抵抗を受け、討死してしまうのね・・

狭すぎだった瞬間


畑仕事の軽トラがやってきたので、妄想中のワタクシは急いで土留めに登りました。
よけなきゃ足の先を挽かれそうな狭さだし、完全に農道だから謙虚にいかないとねw

妄想が激しい瞬間


登城口手前には三日月堀跡の標柱があるけど、畑と農道で何だかよく分かりません。
武田配下の時代があるので三日月堀と、奥の畑の辺りには馬出しもあったんでしょう。

でもそんなことよりも。ワタクシ的には信蕃さんが撃たれた場所じゃないかと
思われる辺りから城方向を眺め、うろついていることの方が重大な事柄ですw

鼻息荒かった瞬間


今は伊豆箱根三島神社になっている岩尾城跡。鳥居をくぐるとまずは三の丸。
銃弾に倒れた信蕃さんの代わりに、進めるとこまでズカズカ侵入してやりますw

おったまげた瞬間


入口わかりづらい&農道&駐車場ない・・だけど県指定史跡だなんて!!
大井氏が約100年、5代にわたり居城した城跡で貴重だ的なことが書いてあります。

眉間にしわがよった瞬間


案内版は何だか充実。縄張り図を見ながら説明を読み進めた最後で・・・ちっ!

天正11年(1583)2月、依田信蕃と徳川軍監柴田康忠は岩尾城攻略にかかります。
軍艦柴田は堅城であることから長期戦で兵を温存することを主張をしますが、
信蕃は短期決戦を決め、総攻撃をかけます。しかし城の守りは予想外に固く、
死傷者は増える一方、兵を引き上げざろう得ない状況に追い込まれてしまいます。

城を落とせないことについて軍艦柴田の詰問を受けた信蕃は攻城3日目、
弟の信幸とともに自ら先頭に立って攻め込んだところ敵の銃弾に斃れました。
弟の信幸は即死、重傷を負った信蕃も翌日、息を引き取りました。享年36歳。

岩尾城主大井行由はその後、徳川軍艦柴田の説得を受けて開城。
徳川に恨みはないけど依田に従うのがイヤだった的なこと言ったらしいよ。

妄想が激しい瞬間


焦った信蕃さんは三日月堀からこの辺にまで攻め込んでいたかもしれないね〜
と隣りあう丸馬出し跡と思われる畑を見ながらフラフラと三の丸跡を歩きます。

長篠の合戦後、武田の将として半年も二俣城を守り、業を煮やした家康に
全員助命するから明け渡せと言わしめ、クールに高天神城に退去した信蕃さん。
武田滅亡の前には田中城を守って再び家康と戦い、再三の説得を受けながらも
勝頼の安否が分かるまでは、と開城や召し抱えに一切応じなかった信蕃さん。
本能寺の変後は家康に従い、旧武田家臣の取り込みや対北条戦で大活躍!!

信蕃さん、このあたりで調子に乗りすぎちゃったんだろうかね・・
武勇も知略も忠義もそれなりの品も備えたスマート風武将だったはずなのに、
家康に評価され出世して行く中で、驕りが出過ぎちゃったのかもしれない。
人の意見を聞かず強硬総攻撃をして、これからって時に散ってしまった・・

実は軍艦柴田が総攻撃を鬼プッシュして結果死んだ信蕃さんのせいに・・いや、ないかww

でもワタクシは信蕃さん好きだ。武田家臣の時が特に爽やかでいい。
最期のタイミングや無茶が原因みたいな死に様は残念な感じにも取れちゃうけど
堂々たる武人だったから、旧武田家臣の取り込みも相当集まったんだと思うよ。

県指定史跡の風格?だった瞬間


三の丸跡から石段を上ると今は三島神社境内になっている二の丸跡に到着。
失礼ながらボロいのを想像してたので、思ったより立派な社殿でびっくりですw

謎だった瞬間


社殿の背後の一番高いとこから先が本丸。軽く二段になってるのも遺構なのかは不明。
でも三の丸、二の丸、そして最高所の本丸へと高くなっていく感じはよく分かります。

怪しすぎた瞬間


本丸にあがったところ。石積みもチラホラ見えるけど当時のものじゃなさそうな。
小さい祠やら石塔やらがあちこちに立っているんだけど、何なのかしらね。

保身を優先した瞬間


石積みの向こうはヤブだらけの本丸奥。ちょっと足を踏み入れてはみたけど
9月なのにしぶとい飛ぶ虫とツル草のため撤退。搦め手側は見れなかったわ。

後悔先に立たずだった瞬間


次の目的地に向かう途中、岩尾城遠望を見ておきました。本当は千曲川ごと見られる
場所を探したかったんだけどトロトロ走れる道じゃなく・・調べとけばよかった。

大井さんはどうでもよかった瞬間


岩尾城の近くには大井氏の菩提寺、桃源院があります。大井一族の墓があるらしく
ちょっと探してみたんだけど墓域のどれか結局分からず、別にまぁいいかとw 
それよりもワタクシ的には依田信蕃が本陣を置いた寺だという方が感慨あります。

思い込みが激しかった瞬間


こちらはその桃源院の門前。こちらのお寺は「トイレの神様」なども祀っています。

ワタクシは何がどうだろうと信蕃さんびいきなので大井行吉・・チッ!て感じだけど、
もし岩尾城を攻略していたとしても、驕り満々なら信蕃さんますます調子乗って、
どの道きっといい後生にはならなかったろうと・・輝きはやっぱ武田時代だったろうね。

ワタクシは「何か」に惹かれてしまったら、イマイチな所も含めて愛せますww
武将はつきあったり、嫁になるわけじゃないし・・だからそれでも信蕃さん好きです!

信蕃さんの独善的な決断による討死は残念だけど、それもまた武将の生き様。
ようやく討死の地を訪れることが出来て、ワタクシ的にとりあえず大満足。
あとはお墓参りをすれば信蕃メモリアルツアーはいったん終了出来るでしょう。


依田信蕃さんのお墓参りをする前に、通り道にある伴野城跡に立ち寄ります。


伴野城跡に登城!〜に続く




*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング


2014.12.13 Saturday 21:02 | comments(4) | trackbacks(0) | 中部(長野県) | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 21:02 | - | - | - | 
あも (2014/12/25 9:32 PM)
tetsuさん こんばんわ!

わざわざありがとうございます!
ワタクシもあの辺というのは調べてたんですが、 
三日月堀の側ばっかみてたんですよね・・・
まさか反対側とは。。。どうりでないはずだ(-_-;)
看板復活した方がいいですね。
というより、そもそもの整備してほしいですね。

コンビニ閉店してしまったのですね。
行くのが遅かったら岩尾城聞くこともできなかったわ。。

わざわざホントに情報ありがとうございます!
tetsu (2014/12/25 12:45 PM)
あもさん、こんにちは!
気になったんで、岩尾城跡に行ってきました。
最初に書いてあったコンビニはすでに「ご愛顧ありがとうございました」の張り紙とともに閉店していました。
で、芦田兄弟の供養塔ですが、現在も有りました。「妄想が激しい瞬間」写真の左側の空堀底に、小さな五輪塔が。
ここまでは芦田兄弟が攻め込んだことになります。
昔はちゃんと看板が立っていたのですよ。
あも (2014/12/14 9:33 AM)
サムライ銅像研究会サマ

おはようございます!
最期が残念すぎて、それまでちょいちょい
いい仕事してたのがかすみますね。。
今回の信蕃ざんまいしたから気が済みましたw

冬枯れの城跡は何もかもまるみえでいいです!
凍結とかの心配がなさそうな近場にまた行ってきます!
サムライ銅像研究会 (2014/12/14 1:48 AM)
こんばんわ。
ソレガシは依田信蕃は、無理攻めして銃殺、という印象しかないので、アモ殿の思い入れが驚きでした。歴史好きでも男女の違いはありますね。
城跡は楽しそうですね。晩秋なら草木も枯れて丁度よさそう。今はもう雪景色ですかね