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愛宕山片倉家廟所に参拝!

傑山寺から車で数分、愛宕山の片倉家廟所にやってきました。

分かりづらかった瞬間


番地のない住所だったのでナビでおよその場所だけ地点登録してたどり着き、
すぐ看板を見つけ一安心。車が飛ばして来るウロウロ出来ない場所なのでよかった。
駐車場入り口にあるあたご茶屋を目指せばよかったけど知らなかったのでね。

親切で助かる瞬間


広い駐車場があるので安心!というか、むしろ車じゃないと来づらいのか。
下調べはネットでの確認だけなので、まずは奥にある案内版を見ておきます。

地味にめんどかった瞬間


片倉家廟所、喜多さん、田村さん・・登って下りてをやらなきゃならんのね。
朝っぱらから難儀なことですが、せっかくなんで頑張って行ってみましょう。

軟弱すぎる瞬間


まずは片倉家の廟所の方へ。ワタクシの嫌いな登りと歩幅の合わない階段!
案内版では実際の距離感分からないので、遠かったらブルーだわと思っています。

ホッとしている瞬間


上の写真に見えてる部分を登りきると、案内が出てきてしばらく平坦に。
愛宕山は一般の方の墓地にもなっているようでお墓を抜けていく感じです。

静謐すぎた瞬間


遠かったらどうしよう〜と心身ともに疲れる間もなく、片倉家歴代廟所に到着!
杉の老木に囲まれてひっそりな佇まい。まるで結界が張られているような雰囲気よ。

薄暗かった瞬間


片倉景綱や二代目の重長はさきほどお参りしてきた傑山寺に葬られましたが、
三代景長が白石城の見える愛宕山を選んで廟所とし、分骨して改葬したんだそうです。

わかりやすかった瞬間


初代景綱から10代宗景までの城主が祀られています。伊達吉村公息女というのは
七代村廉の夫人。主家である伊達家の姫様なのでここに一緒に葬られたのだとか。

あれれ?と思っている瞬間


こちらがセンター初代景綱さんのお墓。ここの墓標は阿弥陀如来坐像です。
枯れた杉の葉、ひからびた花・・定期的にお手入れされてるんじゃなさそうな。

整列していた瞬間


景綱さんの左右に並ぶ歴代藩主の墓標・・・阿弥陀如来坐像並びすぎこわいしw
廟内には石畳が敷かれています。周りの玉垣は花崗岩なのだそうですよ。

勝手に納得する瞬間


廟所の横には景綱に仕えて殉死した6名のお墓もありました。改葬した廟所でも
景綱の側にわざわざ殉死者の墓も建ててやるっていう片倉家の気持ちがいいよね。
景綱はあの世に行っても城を見守り、慕う家臣は死してなお傍らに寄り添う・・

心の中で勝手に特大「いいね!」したところで次は喜多さんのお墓に行きます。

近くてよかった瞬間


片倉家廟所を下りて一旦駐車場に戻り、車道に出たらテクテク歩いて入口へ。
疲れなかったから100mくらいかなw 案内版があるので見逃がしようがないわ。

鼻がもげそうだった瞬間


なんか臭いな〜と思ってよく見たら足元がぎんなんだらけでしたΣ(゚Д゚)!
てか普通に思い切り踏んづけてたわ・・車乗る前に靴底なんとかしなくっちゃ。

案外スルーだった瞬間


体力のないワタクシが疲れる間もなく観音堂に到着。ここも近くてよかったわ。
晩年の喜多さんが日々観音を念じたお堂・・そのものか分からないけどそういう態でw

毅然としてそうだった瞬間


観音堂の裏を進むと喜多さんのお墓がありました。薄暗いわね〜。
喜多さんは片倉景綱の異父姉で、伊達政宗の乳母を務めた女性です。
文武に通じた女傑と言われ、景綱や政宗に強い影響を与えたそうな。

喜多さんの父親は鬼庭周防良直。伊達家の猛将ですもん。
気が強く芯もしっかりした女性だっただろうことが想像されます。

寂しい最後だった瞬間


後年、喜多さんは上洛した政宗に従い京屋敷に暮らしていましたが、
政宗の留守中、政宗気に入りの侍女を好色秀吉に乞われて渡したことから
怒った政宗に追放され、白石に戻って庵を結び晩年を過ごしたと言います。

それがさっきの観音堂って感じで喜多さんの墓近くに建っているんですね。

享年72歳。政宗の器が小さいのか、時の権力者に乞われたとはいえ、
主君に断りなく勝手に侍女を渡した喜多さんのミスなのか・・むむむ。

呼び捨てだった瞬間


喜多さんのお墓からさらに奥に進むと田村清顕(きよあき)の墓があります。
喜多の墓ってのは名前だからともかく「田村の墓」ってのはどうなのかねw
田村さんは政宗の正室愛姫の父親。坂上田村麻呂の後裔らしいよ。

そしてなんと、ここには真田幸村のお墓も一緒に建っているんですね〜

こっそりだった瞬間


真ん中のデカいのが田村清顕の、その左隣りの隅のが幸村さんのお墓です。

大阪の陣の前、真田幸村は阿梅、阿菖蒲、大八という3人の子をひそかに
片倉景綱に託したそうで、白石に引き取られ大切に育てられたんですね。

田村氏は三春城の城主でしたが、清顕の養嗣子である宗顕が小田原攻めに
加わらなかったことで秀吉の勘気を蒙り、所領没収されてしまいます。

清顕の孫、定広は伊具郡金山に隠れ住んでいましたが陽徳院(愛姫)に招かれて
片倉重長に仕え幸村の娘、阿菖蒲を娶って片倉姓を名乗り仙台藩士となりました。

その後、阿菖蒲さんの姉、阿梅さんは片倉重長の後妻になっています。
それで片倉家はひそかに幸村の墓碑を建て、無念を慰めたのかもしれないね。


阿梅さんのお墓が白石市内にあるので、白石城の後に立ち寄るつもり。


さーて。朝っぱらから墓参り2連発で、そろそろ白石城も開く時間。
電光石火でさっきの駐車場に戻り、白石城一番乗りをしてやるわ!!


白石城に登城!〜続く




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2015.01.30 Friday 21:25 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 21:25 | - | - | - |