<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 愛宕山片倉家廟所に参拝! | main | 当信寺にて阿梅さんのお墓参り >>

白石城に登城!

愛宕山の片倉家廟所から白石城にやってきました。

盛り上りすぎだった瞬間


駐車場は何ヶ所かあるんだけど、分かりやすく城下前広場駐車場を利用しました。
片倉小十郎の幟旗が数種類ニョキニョキ立ってて、片倉さん愛されてんだな〜と。

一番のり確定の瞬間


駐車場から少し歩いて東門跡のある入り口へ。正式には「二の丸大手二の門」といい、
明治7年(1874)白石城解体の際、専念寺に売却され、その後、当信寺山門として移築。
当信寺には真田幸村の娘、阿梅さんのお墓もあるので後で立ち寄ってみるつもりよ。

貴重だった瞬間


東門跡の先には本丸石垣の一部が残っています。当時の石垣が残ってるのはここだけ。
基底部のみだけど、南側(手前)と北側(奥)で積み方が違っているようです。

適当だった瞬間


手前(南)は野面積み、北側は説明板によると「野面積みより新しい積み方」としか
書かれてないんだけど、切込ハギ布積みという感じかな〜と思って通り過ぎます。

気合いが入っていた瞬間


少し歩くと土塀と天守の頭が見えてきました。ガイドさんによると蔵王から石を運んで、
復元した石垣で、綺麗な白壁も震災後、ヒビを修復して塗り直したんだそうです。

仕方なかった瞬間


白石城は文化財の保護を重視して、発掘調査を行って史実に忠実に復元されました。
まず見えた天守の裏はいい立場がなく、朝は逆光でいい写真が撮れませんでした。

芸が細かかった瞬間


左手には大手一ノ門と大手二ノ門も復元され、土塀には狭間と石落とし。
ここから本丸に入れるけど、ワタクシは裏御門跡の方へ廻ってインしてみます。
手前に見える井戸屋形まで復元。雰囲気出すために端折らないのは大事ですw

当時のままではなさそうだった瞬間


本丸に入らず天守裏から先に回り込んで行くと馬場跡。振り返って撮ったので
右が本丸。縄張図を見るとこの馬場を挟み、反対側が二の丸だったようです。

放置プレイだった瞬間


本丸南側にある裏御門跡に到着!美しく復元された大手側と違って廃れすぎな・・
当時は二階門と枡形があったそう。予算大変だろうけど復元できるといいのに。

目が覚める瞬間


裏御門跡を入るとババーン!破風のないスッキリした美しい復元天守が見えました。
城址碑が裏門入ってすぐ、こっち向いてるのできっと裏から来るのは正解なのよww

明治の破却が残念過ぎた瞬間


本丸の周囲には土塁も残ってます。現在は益岡公園となっているのでベンチも完備w

白石城は戦国期、伊達氏の支配下にありましたが、天正19年(1591)豊臣秀吉は
政宗が臣従するとこの地を没収。会津若松城とともに蒲生氏郷に与えました。
慶長3年(1598)蒲生氏郷の死去により子の秀行が宇都宮に移封されると上杉領と
なりますが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略。
白石は再び伊達領となり片倉景綱が1万3,000石で入城して大改修を行いました。

白石城は元和元年(1615)の一国一城令で取り壊されることなく、
仙台藩第2の城として存続し、明治維新まで片倉氏の居城となりました。

市民の誇りすぎた瞬間


広い本丸のど真ん中には「片倉小十郎景綱公頌徳碑」がドーンと建っています。

片倉景綱は伊達輝宗(政宗の父)に仕え、19歳の時に当時9歳の梵天丸(政宗)
の近侍となり、伊達家の重臣として生涯を政宗に捧げました。

伊達家では「武の伊達成実」と並び「智の片倉景綱」と言われた景綱さんですが、
戦では常に先陣を務めた智勇に優れた武将でした。その智将ぶりから「国家の大器」
とも言われ、秀吉や家康からも高い評価をされていたそうです。

ガイドさんに聞いたら白石の人は伊達より断然、片倉さんラブらしいですよw

白石市に乾杯!の瞬間


大手二の門と天守。下世話な話だけどガイドさん情報によると復元にかかった費用、
大手門が1億、天守は20億 Σ(゚Д゚)! 小十郎万歳!心の中で叫ばずにいられませんw

青空に映える瞬間


ではさっそく工費20億円の貴重な木造復元の天守に入りましょう。
1階は東西9間×南北6間高さは石垣から16.7mで戦後の木造復元天守としては
広さ高さともに最大級なんですって。平成7年(1995)3月に完成したそうです。

貸切だった瞬間


莫大な費用をかけて木造復元した心意気に気持ちよく払う入場料300円。
チケット、パンフレットのついでに資料としてマップも一応もらっておきますw

美しかった瞬間


柱は吉野桧、化粧材は青森桧葉、山陰の松丸太や赤杉なんかを使っているそうです。
釘は床材に使った和釘だけ。伝統建築の粋を集めて建てられた素晴らしい建物ね。

経緯が気になった瞬間


天守内には片倉押しのコーナーも設けられています。鬼小十郎と書いてあるので
初代小十郎景綱さんではなく子の重長さんね。だから縁の深い真田の甲冑も一緒で。

前回のエントリーの田村清顕の墓と真田関わりの説明が少しかぶりますが・・

真田幸村は大阪の陣の前、阿梅、阿菖蒲の2人娘と次男の大八(当時3歳とか)を
片倉景綱に託したそうです。敵方の武将になんで?と経緯はよく分からないけど、
子供たちは白石で大切に育てられ、阿梅は片倉重長の後妻に、阿菖蒲は片倉家臣、
田村定広に嫁ぎ、大八は仙台藩士となって蔵王に移り仙台真田氏として暮らしたそうな。

鬼小十郎まつりでは小十郎と幸村が出てきて道明寺の戦いの再現がされるみたいよ。

ありがたく拝んだ瞬間


木材のことを聞いてきたので、最上階では太い梁に目が行きます。
戦後、木造で復元されたのは掛川城白河小峰城、大洲城とこの白石城だけで、
質のいい桧の大木が希少になっているので木材での復元は今後厳しいらしいです。

妄想力を試される瞬間


今は何もない本丸は広く見えるけど当時は御成御殿、表御殿、奥御殿の3つがあって、
ちょうど芝生のある部分なんかは全部、それらの建物がぎっしり建っていたみたい。

復元力に感動の瞬間


天守から大手一の門と二の門の枡形を見下ろして。奥に見えるデカい建物は
白石城ミュージアム。白石の歴史展示やシアターやお土産屋があるようです。


来てよかったわ〜白石城。片倉さんへの思い入れがヒシヒシと感じられる。
特にラブってなかったワタクシまでうっかり引き込まれそうになったわww


さて次は当信寺に移築された東門と阿梅さんのお墓参りに行くのですが、
ガイドのオジサンに「当信寺って近い?」と聞いたら「あ、阿梅さんのね」
とすぐ名前の方が出てくることにも薄ら感動しつつ、白石城を後にします。


にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング

2015.02.08 Sunday 12:40 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(宮城県) | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 12:40 | - | - | - |