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光明寺にて支倉常長のお墓参り

瑞鳳殿の後は雨で早足になるせいか、少し時間が少々浮いたので光明寺へ。
覚範寺と同じ北山五山のひとつに数えられる伊達家ゆかりのお寺なのでね。

分かりづらかった瞬間


ナビに任せてきたので本当は違うのかもしれないけど入り口が分からず難儀。
結局、裏手の駐車場に着いてしまったので山門側に回り込んでスタートです。
どうでもいいけどわざわざ脇戸から入るようにしてるのはなんでなの??

ひっそりしていた瞬間


光明寺は臨済宗のお寺。元は福島に弘安6年(1283)伊達氏始祖朝宗の夫人の
菩提寺として創建され、伊達家の仙台移封とともにこの地に移ってきたのだとか。
こちらには仙台城で銅像を見た支倉常長さんのお墓があるのでやってきた次第。

迷わず安心の瞬間


本堂左手の方の墓域に入ると親切な案内板が。ホント墓はこれあると助かるの。
たまに案内あっても結局どれですか?って時もあるけどないよりは断然まし。

ホッとした瞬間


幸い支倉さんのお墓はすぐに分かりました。いくつかお墓があるそうですが、
こちら光明寺のものがリアル墓なんだそうです。ソテロの記念碑もあるみたい。

寂しげだった瞬間


正面の木々の間にあるこじんまりとしたのが支倉さんのお墓のようです。

支倉さんは伊達家臣でスペインとの直接貿易を望んだ政宗に命じられ、
慶長18年(1613)石巻から出航し90日もかかってスペインに渡ったツワモノ。

イスパニア国王フェリペ3世に、ローマでは教皇パウロ5世に謁見し、
ローマ市民権をもらって貴族に列せられるなどかなり歓迎されたそうですが、
貿易や通商についての目的は果たせないまま7年後に帰国しました。

洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。

主君の命を受け、7年も異国で頑張ったものの期待した成果は得られず、
やっと帰国すればキリスト教弾圧の逆風が吹き荒れる完全アウェー状態。
ドン支倉は帰国から2年後、失意のうちに病死したと言われています。

やっぱり地味すごだった瞬間


ドン支倉は文禄・慶長の役に鉄砲隊を率いて従軍し活躍したようです。
スペイン語堪能とか超重臣だったわけじゃなさそうなのに遣欧使節の正使に
政宗が抜擢したのは何でなんだろうね。もうこの時点でキリストアウト!風に
なりつつあったみたいだし、政宗さんにはひそかな野望もあったようだから、
任務はこなせて度胸あるほどよいポジの有能な人ってことで選ばれたのかな。
政宗は「自分は日本の実力者だ」くらいのこと書状に書いてたらしいしね。

当時の船で90日もかけてスペインに渡り、7年も異文化交流してきたドン支倉。
素直にすごいと思うわ。ワタクシは飛行機で行くとしても7年も外国なんて無理w

気の毒すぎた瞬間


ドン支倉のお墓のそばにはフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロの記念碑が。

フィリピンで日本語を学んだソテロは1603年、フィリピン総督の書簡を携えて
徳川家康と面会し日本で布教活動を行いました。禁教令後、捕らえられたところ
政宗の助命により救われ、支倉常長と共に福使としてヨーロッパに渡りました。
7年後、ソテロはドン支倉と帰国しますが長崎で密入国しようとして捕らえられ、
政宗が助命嘆願したもののこの時は許されず火刑により殉教しました。

宣教師に思い入れはないけど、キリシタン狩り的なのはひどくてイヤだね。


さて、まだ雨は降ってるけどこの後は帰りがけの駄賃で亘理に立ち寄り、
政宗の片腕と言われた剛の者、伊達成実さんのお墓参りに行きます。


大雄寺にて伊達成実のお墓参り〜に続く



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2015.04.18 Saturday 19:20 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

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