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大雄寺にて伊達成実のお墓参り

仙台市内から埼玉に戻りがてら、亘理町に立ち寄りました。
伊達の双璧と呼ばれた「智の片倉景綱」「武の伊達成実」。
その成実さんのお墓参りと居城だった亘理城跡を見てから帰ろうと思って。

時短を決意した瞬間


晩秋の東北・・雨だと寒い!! くしゃみしながら渋々車をおります。

大雄寺(だいおうじ)は曹洞宗のお寺で亘理伊達家の菩提寺です。
山門は文政年間に建てられたもので、亘理町の指定文化財なんだとか。
仁王さんもいる八脚門の立派なもの。寒いのでチラ見で進みます。

どっしりしていた瞬間


ひっそりした本堂は明治に建てられたものみたい。モダーン風とは違うわねw

慶長7年(1602)亘理に入った伊達成実が福島にあった陽林寺を亘理城下へ移し
雄山寺としたのが始まりなのだとか。1646年に79歳で成実が亡くなるとここに葬られ、
以降、亘理伊達家代々の菩提寺となり、大雄寺に改名されたそうです。

鼻が利いた瞬間


成実さんの霊屋や亘理伊達家の墓所は本堂の左手駐車場の奥にありました。
武将の墓オーラをかぎつけて一般の墓所が並んだ中を抜けていきますw

執念深かった瞬間


墓石と違って霊屋の場合はやっぱり近くには寄れないわね。
また柵にかぶりついてガン見、手を突っ込んで写真を撮るのね。

イケイケだった瞬間


こじんまりした空間。柵に丸かぶりの正面にあるのが成実さんの霊屋です。

伊達成実さんは伊達政宗の従弟。幼名を時宗丸といい、政宗の父輝宗が
烏帽子親になって12歳の時に元服。藤五郎成実と名乗りました。

武勇の誉れ高く、政宗の父輝宗が二本松城主畠山義継に殺されたことに
端を発した人取橋の戦いでも成実はひとり踏みとどまって政宗が逃げるのを助け、
摺上原の戦いでも敵の側面を急襲して劣勢の味方を救うなどの武功を上げました。

そんなイケイケの成美さんの兜の前立ては百足。「決して後ろに退かない」
という百足の習性にあやかったものなんだってさ。さすが根性すわってる!

魅力的には違いなかった瞬間


柵から手を突っ込んで写真を撮ってみたけれど・・いい角度で手が入らないw
成実さんの霊屋は県指定重要文化財で、中には位牌と木像が安置されてるそうな。

秀吉に小田原への参陣を求められた時、成実さんは「今から行っても遅いから、
行って辱めを受けるより残って天下の優劣を争った方がいい、恐れることがあるか」
くらいのことを言って片倉景綱と対立したと言われます。結果、政宗は景綱の意見を
聞き入れて小田原に参陣、成実さんは黒川城の留守居・・大局を見る目は智の景綱
の方が上なんだろうけど、自分が正しいと思ったことはハッキリ言うってのは、
後戻りはしないという生き様の成実さんらしいのかな〜なんて勝手に思います。

興味がしょぼむ瞬間


こちらの廟所には亘理伊達家十三代の城主と夫人、殉死した家臣が眠っています。
正直、成実さんとオヤジさんの実元以外、1ミリも知らないんですけど・・

塩反応だった瞬間


こちら右が成実パパ実元さん、左にあるのが4代実氏さんの霊屋。
実氏さんは亘理伊達家中興の祖と言われた名君だったそうですよ。

嫌いじゃなかった瞬間


こちらが霊屋の隣にあるその他城主と奥方たちの墓所。怖いほどひっそり〜
歴代廟所とかっていうのはどこに行っても独特の空気感があります。


さぁ次はいよいよ晩秋の宮城攻略ファイナル。成実さんの亘理城跡に向かいます!


亘理城に登城!〜に続く。



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2015.04.28 Tuesday 18:39 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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