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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

韮山城に登城!

2015年の初登城はなんと3月に入っての韮山城から(遅っ)。

韮山郷土資料館に車を停め、観光案内のオジサンにお城の案内図をもらい、
ついでに登城口を確認すると、城池のほとりまで案内してくれたのでラッキー!
興国寺城は整備されてるけどこちらはまだ・・と話すオジサン少し寂しげ。

鼻息が荒かった瞬間


城池のほとりから見る韮山城の全景。右手が三の丸で左に二の丸、本丸が。
南北に横長い縄張になっています。もらった縄張図見ると当時は池のところに
出丸もあったみたい。戦闘の城・・ワタクシは北条の気持ちで登城するわよw

自転車が邪魔だった瞬間


城池沿いを進んで権現曲輪に続くスタンダードぽい登城口から入ります。

韮山城は文明年間(1469〜1486)堀越公方足利政知の家臣外山豊前守が
築いたのが始まりで、明応2年(1493)北条早雲が足利政知亡き後の
内紛に乗じて長男「茶々丸」を滅ぼし、本拠として整備しました。

後に北条氏は小田原に本拠を移しますが、韮山城は防衛の最重要拠点として存在し、
秀吉の小田原攻めでは籠城の末に開城。慶長6年(1601)廃城となりました。

興奮気味な瞬間


まずは堀切を通って権現曲輪跡の方に行ってみます。攻めのぼってくる敵は
権現曲輪と三の丸から狙いうちされちゃう感じです。整備具合は分からないけど、
遺構がよく残っているというので、久々に「北条イズム」が感じられそうです。

残ってるだけましだった瞬間


登りきるとテニスコートと若者たちの声が・・三の丸の部分だと思うんだけど、
こちらは現在、青少年育成のために健全な施設として使われているようです。

囲まれ感が居心地良かった瞬間


土塁に囲まれたテニスコート2、3面あったかな・・閉塞感あって集中できそうよw
土塁の向こう下には堀跡があるようなんだけど見えないので後で降りたら見ることに。

嫌いじゃなかった瞬間


北条早雲を偲んでのものと思われる黒松の植樹がありました。

早雲さんは伊勢新九郎盛時と名乗っていて、出家後は伊勢早雲庵宗瑞。
北条となったのは跡を継いだ氏綱さんからだと言われています。

出自などははっきりわかってないらしいけど、機を逃さず下剋上を成し遂げ、
後北条の祖となったすごいオヤジよw 東海道を見渡せる伊豆の要衝だった
韮山を押さえて城を築いた早雲さんは、関東進出のため本拠地を小田原に
移した後も韮山城を居城とし、永正16年(1519)ここで没しています。

体力温存は大事だった瞬間


二の丸、本丸へ行くので権現曲輪の方に進みます。テニスコート沿いに進んで
左の小路を入ります。まっすぐ行くと高校の校庭に降りてっちゃうから注意!

想像力大事だった瞬間


権現曲輪へ入る道には石が積んであるけどコレは遺構じゃないよね、きっと。
中世の城なので木の柵なんかがニョキニョキめぐらしてある様を想像してこ!

貸切でご機嫌の瞬間


権現曲輪に入ったところから振り返ったところ。丸見え防止がしてありますw
この辺に入ってくるとテニスコートの若者の声は聞こえず、とっても静か。

鼻の穴をおっぴらく瞬間


正面のこんもりが二の丸。右の方に遊歩道が見えるのでワタクシにも安心。
森林プラス苔でココ相当に空気がよいです。ストレスが少し軽減されるわw

勝手に想像する瞬間


権現曲輪ど真ん中。今は熊野権現社の境内になってます。お社がある高台の向こうは、
さっき登ってきた堀切の真上になるところ。昔は物見台とかあったのかもしれないね。

ディフェンス重視の瞬間


二の丸へ上る遊歩道のない方・・城池に降りていく方の堀切もついでに見ておく。
と言っても下までは降りないけどw ギューンと曲がった虎口でこちらも安心設計。

今は用なしだった瞬間


二の丸へ上ります。登らない方行くと城山を降りて蛭ヶ小島の方に行ってしまうよ。
頼朝と政子の銅像があるので、城を降りたら後で行くことにして今はとにかく上へ。

影も形もなかった瞬間


右手の方を見下ろすと韮山高校が見えます。あの場所は早雲さんが住んでいた
御座敷跡になるみたい。富士山が見えて空気もよく住環境良好だったと思われますw
攻められた時、こちら側には福島正則や蜂須賀家政なんかが布陣したみたい。

結構な高さだった瞬間


二の丸に到着!あんまり広くはない曲輪です。右側は城池がある方。
木が切ってあるので見やすいね。それなりに整備されてる感じです。

尾根感たっぷりだった瞬間


二の丸を出て本丸に向かいます。左の高いのが本丸。細長い城のため片側が急斜面の
へりを伝って歩くのがビビりのワタクシにはちょと怖い。見通しはバツグンだけど。

自分を盛り上げる瞬間


本丸に入ります。まっすぐ行っても結局入れるけど最高所を見ておかないとね。
要害堅固な城に鼻息荒く立てこもる北条の気持ちを盛り上げて、いざインw

案外狭かった瞬間


低いとはいえ山の上なので、本丸もそんなに広い感じはしないけど、
最高所だけあって周囲がバッチリ見渡せます。土塁もよく残ってました。

頑張っていた瞬間


曲輪ごとにはないけど、本丸にはちゃんと城の説明を書いた案内板があった!
いい城跡なのにモロ放置プレイみたいなところに比べれば頑張ってる方よw

勇将に思いを馳せる瞬間


城池の向こうに見えるのは天ヶ岳のきれっぱしw 韮山城は尾根続きなんだってさ。

小田原城の有力支城だった韮山城は天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの際、
織田信雄、蒲生氏郷、福島正則、細川忠興ら4万の軍勢に囲まれました。
北条氏規(四代氏政の弟)は要害堅固な城を頼りに4千足らずの兵で籠城し、
3ヶ月も抵抗しますが、関東の諸城が次々と落城すると家康の説得により開城。
小田原後北条氏は滅びますが、和平派だった氏規は切腹を免れ高野山に入った後、
秀吉に許され、河内狭山藩1万石を与えられ明治維新まで存続しました。

城池の左の方には織田信包、蒲生氏郷、稲葉貞通が布陣していたようです。
氏規さんもこうして本丸から押し寄せる秀吉軍を見下ろしてたかもしれないね。

北条は氏政、氏直はまぁいいとして氏照氏邦、氏規さんは素敵w

さらに頑張っていた瞬間


本丸の奥の方は先細くなっています。ここも木が切ってあって見やすいね。
人様のブログを見ると前は木があったみたいなんだよね。伊豆の国市エライ!!

1人で盛り上がる瞬間


一番奥へ行くと看板ないから分からないけど、塩蔵ってのはこれじゃないかと
思われる場所が。確証ないけど北条イズムを勝手に感じて喜びますw

1人でニヤつく瞬間


本丸の先っちょの方、行き止まりだからと思って見逃すともったいない。
北条さんの城っぽいパーツがちょいちょい残ってて思わずにんまりしちゃうね。

ワタクシが城を降りる時、家族連れが続けて2組登ってきました。
韮山城〜人気なんじゃんw 草刈りや案内板の設置で整備頑張ってほしいわ。

登城完了の瞬間


最初に登った登城口の右手の方に廻り、三の丸沿いに残る堀を見に来て満足。
こちらの方は織田信雄が布陣していたようです。って信雄情報はどうでもいいかw


前から気になっていた韮山城やっと登城完了!新緑前でナイスタイミングね。
韮山資料館の案内所でもらったA3両面印刷の縄張図も分かりやすくてよかった!


この後は興国寺城に行く前に、せっかくなので近くにある蛭ヶ小島と
超ついでに北条時政(大嫌い)の墓がある願成就院に立ち寄ります。


蛭ヶ小島と願成就院の北条時政の墓〜に続く




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2015.05.12 Tuesday 16:19 | comments(2) | trackbacks(0) | 中部(静岡県) | 

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2020.02.14 Friday 16:19 | - | - | - | 
あも (2015/05/17 7:27 PM)
あきおうさん
こんばんは~!ずっと気になってた韮山、興国寺やっといけました!
長浜はいけなかったけど、国史跡かなんかですよね?
静岡はまだまだ何度もいかねばw

あきおうさん八王子他、2泊弾丸ツアーぜひ頑張って!
あきおう (2015/05/15 11:51 PM)
あもさん、ついに北条氏攻めですか!
先日、といっても数ヶ月前ですが、武州八王子城跡に行きまして、北条氏ゆかりのお城めぐり(2泊3日とかでガッツリ)したーい、と思ってたところです。旗揚げの興国寺城とか水軍基地の長浜城とかこれから行かれるんでしょうか。楽しみにしてまーす(^^)