<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 興国寺城に登城! | main | 三国同盟の舞台〜善得寺公園を探訪! >>

医王寺にて山本勘助のお墓参り

興国寺城から移動して、富士宮市の医王寺にやってきました。
以前から気になっていた山本勘助のお墓参りをするのです。

ほほえましすぎた瞬間


医王寺は奈良時代に創建されたといわれる古いお寺で戦国期に真言宗から
浄土宗に改宗。幼稚園も併設された現在は古刹なのにほのぼのした感じです。
山門には柵があって、ちびっこが出ちゃうからちゃんと閉めなきゃいけないのよw

背筋が伸びる瞬間


かわゆい遊具が置かれた園庭先にある本堂。階段上っただけなのに雰囲気変わる。
浄土宗のモダーンタイプなので、ご挨拶だけしてさっさと裏手の墓域に向かいます。

ひと安心の瞬間


本堂の右手裏に進むと「山本勘助供養塔」の案内が。コレ本当に助かるのよ!!
大河ドラマ「風林火山」の時は参拝者が多かったようだけど人は全然いませんw

うろうろせずにすんだ瞬間


案内が一切ないところは超〜大変。案内はあれど1枚きりってのも地味に大変。
ここはドンピシャにあるので迷わなかったw この案内板の真上が勘助の墓。

ワタクシ的には墓も同然だった瞬間


真ん中あたりにある一番小さいのが勘助の墓・・というか供養塔。

山本勘助は富士市山本の吉野氏の三男として生まれたと伝わっていて、
吉野氏の分家である比奈山本氏が江戸時代に医王寺の檀家になったことから、
供養塔が建てられたようです。この反対側は山本氏のお墓が並んでました。

念入りに合掌の瞬間


分かりづらいんだけど供養塔には「鉄巌道一禅定門」と刻まれていました。

吉野氏の三男として生まれた源助は12歳で三河大林氏の養子となりましたが
大林氏に実子ができたため35歳の時に離縁し、名を「勘助」と改め、諸国へ旅に出ます。
今川への仕官を望むも叶わず、52歳で武田信玄に仕え百貫の知行取に出世しました。

お約束だった瞬間


供養塔の並びには大河ドラマ「風林火山」の時に建てられた石碑とミニ勘助像が。
信玄の元で参謀として活躍した勘助でしたが、永禄4年(1561)川中島の戦い
上杉軍に啄木鳥戦法の裏をかかれ、八幡原にて討死。享年69歳。

生き様を思う瞬間


この表情・・イメージと合う合わないは別として、何か雰囲気は伝わる感じ。

諸国をめぐり兵法、剣法、天文学にも通じていたという勘助さん。
隻眼で足が不自由、風貌も冴えなかったといわれますが男は中身が大事!!
逆境をバネに、辛いことも耐え抜いて生きた強くかしこい人だと思います。

ロマンが大事だった瞬間


勘助さん供養塔の向かって左側にあるのは勘助の祖父、貞久の墓なんだって。
勘助は実在したとか否かって話もあるけど、ワタクシは断然実在派(?)ですw

勘助の墓は他に、長野市の討死地近くや、愛知県の長谷寺にもあります。

のどかな風景だった瞬間


医王寺の門前は湧水公園。富士山の伏流水が道の両側を流れていて清々しい場所。
すさまじく綺麗な水の中をデカイ鯉が大量に悠々と泳いで・・ギョエΣ(゚Д゚)!


供養塔ながらやーっと勘助のお墓参りができてワタクシとても満足!
次は甲相駿の三国同盟が結ばれた地にある善得寺公園に向かいます!



三国同盟の舞台〜善徳寺公園を探訪!に続く


*****ランキング参加中〜励みになります!!ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村  人気ブログランキングへ人気ブログランキング城  歴史ブログランキング


2015.06.26 Friday 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 20:32 | - | - | - |