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岩崎城に登城!

長久手古戦場から岩崎城に移動してきました。
ナビ見て走ってきたけど、入口を見逃し、軽くさまよった挙句の到着w

人気スポットかもだった瞬間


駐車場が少なくて停められないかと思った! 入口の案内マップを見て
とりあえず左方向に坂を上っていくことにします。

岩崎城は享禄年間に信長の父、織田信秀が築城、後に松平方に奪われ、
天文4年に丹羽重清が入って以降、丹羽氏4代の居城となりました。

小牧長久手の戦いでは徳川方として、岡崎を目指す秀吉軍(池田恒興)を阻止。
この岩崎城の戦いで城主丹羽氏重以下300名が討死、落城しますが、
丹羽氏らの奮戦が徳川方を勝利に導いたと伝えられています(案内板抜粋)

今日も体力なさすぎだった瞬間


息切れしてたら坂の写真撮るのを忘れ、いきなり登り切った土橋からw
二の丸と本丸をつなぐ唯一の土橋の向こう奥には櫓があったようです。

がっちりしていた瞬間


二の丸から本丸跡方面。土橋は幅も広くコンクリートになってますが、
当時は人一人がやっと通れるくらいの狭さだったと考えられているそうです。

堀りまくった瞬間


土橋からの空堀はなかなかの規模! 左は本丸側の櫓台跡になるので、
堀底から見上げた場合は結構な高さかと。監視厳重なエリアです。

庭園は違和感だった瞬間


土橋の手前にある二の丸庭園跡。名古屋城三の丸を参考に作られたとか・・
説明には馬出と考えられているとも書かれていました。周囲には土塁も見えます。

地元のシンボルだった瞬間


土橋を渡って本丸側へ。模擬天守の手前には歴史記念館もありますが割愛w

関ヶ原後、丹羽氏が1万石の大名ととして三河国伊保(現豊田市内)に移ると
岩崎城は廃城となりました。城跡は雑林に覆われたまま現代に残って整備され、
昭和62年5月、地元住民の寄付で展望塔岩崎城が建てられたそうです。
チグハグ感は漂ってますけど地元愛の結晶w 碑かなんかと思えばいいのよw

割り切っていた瞬間


展示自体は1階に丹羽氏時代の古絵図や生活品の展示があるくらい。
2階は100名城の写真展示、3階は展望スペース。まぁ無料なのでw

妄想力が必要だった瞬間


展望階からの眺めは・・・日進市内はなかなか見えると思いますw
当時は展望塔ないにしろ、平山城なので行軍してくる敵がよく見えますね。

雰囲気はなかった瞬間


直径2.4mの素掘りの井戸。覆屋のものらしい柱穴も残っています。
岩崎村古城絵図に描かれていることから江戸期に埋没したと考えられるそうです。

しっかりしていた瞬間


発掘調査後、埋め戻された復元展示の隅櫓跡。築城初期の遺構で城内で唯一、
礎石を有した建物だったそうです。貝塚や柵跡なども周囲から確認されました。

お城あるあるだった瞬間


こちらは古城碑。立石は元からあったようですが、明治39年頃この辺りで
火の玉が目撃され、岩崎城で討死した兵が成仏していないのだと噂になったため
妙仙寺の隆城和尚が立石に文字を刻み、供養したそうな。今でも落城した4月9日は
慰霊祭が行われているとのこと。荒れ地で火の玉は確かに怖いわね・・・

表しちゃった瞬間


櫓台跡には明治43年地元の人の有志で建てられた表忠義碑がありました。
表忠義の題字は徳川慶喜の書。徳川方で頑張ったってこと表現してんだね。
裏には戦いで亡くなった兵士や足軽、城下の人々の名前が刻まれてます。

包まれ感に癒される瞬間


櫓台上からの空堀底・・写真だとやっぱり高さがあんまり出ませんね。。
櫓台を降りたワタクシはしばし堀底ウォーキングをして車に戻りました。


刈谷城に登城!〜に続く



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2015.09.05 Saturday 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(愛知県) | 

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2020.02.14 Friday 10:32 | - | - | - |