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本宗寺にて石川数正のお墓参り

岡崎方面をうろついたので、今回こそいつも取りこぼしていた本宗寺へ。

ひっそり過ぎた瞬間


住宅街の中に建つ本宗寺。こちらには石川数正のお墓があるのです。
薬医門の佇まいが重々しい浄土真宗本願寺派のお寺です。

蓮如上人が応仁 2年(1468)創建したお寺ですが、永禄 6年(1563)の
三河一向一揆で拠点になったことから、家康に徹底的に破壊された後、
家康の叔母、妙西尼の願いにより、現在の場所に再建されました。
妙西尼は家康の生母於大の方の姉で石川数正の母親。家康の叔母です。

好きじゃないやつだった瞬間


こちら本堂・・モダーン風なだけでなく、どうも違和感のある作りです。
昭和43年に火災により本尊の阿弥陀如来像などとともに焼失し、昭和48年に
鉄筋コンクリートで再建されたものなんだそうです。んーマジなんか変w

好奇心が死んでいた瞬間


樹齢400年の黒松。自由奔放に伸びすぎちゃって支えが無かったらアウト!
境内で目に着くものはこの老松くらい・・さっさと石川さんの墓を探します。

アピールしまくりだった瞬間


本堂の左手にお墓発見!墓域の奥の方じゃなく分かりやすくて助かりました。
墓所に供養塔・・分かりやすいどころか、念入りに碑が立っています。

決めつける瞬間


こちらが石川数正と母の妙西尼のお墓。妙西尼の墓が正面に来てまして、
肝心の数正さんは右。数正さんのは後付けですね。間違いないですw

自分だったら・・と真剣に考える会社員だった瞬間


家康の従弟として子供の頃から小姓として従い、酒井忠次と共に家康を
支えていた数正でしたが、小牧長久手の戦の後、突然家康の元を出奔し、
秀吉に仕えてしまいます。本能寺の変後、秀吉側との交渉を任されてるうち、
秀吉に籠絡されたとか、あえて秀吉側について家康を支えるためだったとか・・
色んな説を聞きますが、理由ははっきり分かってないんですよね。

ワタクシ的には数正さんって三河武士の男らしい気骨はあったと思うけど、
武勇の人というより、教養もあって外交も出来るインテリ武将のイメージ。
山岡荘八の言う、秀吉側について家康を支えたってのもなるほど〜と思い、
でもノリノリだった頃の秀吉だってそんなに甘かないだろ〜とも思い。

数正さんは家康が関東移封された後、松本10万石に封され、息子の康長と共に
松本城や城下町を整備。文禄2年(1593)松本で亡くなりました。享年61歳。
墓所は松本の正行寺にありますが有名武将のお約束。生まれた所にも供養塔ね。

歴史を後から見ているワタクシに数正さんの立場や考えは図れないけど、
一廉の武将が何かしらの信念を持って決断したこと・・ただ静かに合掌。

門徒の大恩人だった瞬間


妙西尼のお墓。三河の一向一揆以来、20年禁止されていた浄土真宗が
この人の嘆願で解禁され、寺まで再建されたから真ん中にあるのかな。


川続きで来たらやっぱり山岡荘八の徳川家康が読みたくなってきた!
実家の押入れにある捨てられない本を入れた段ボールを漁ってこようw



弘前城に登城!〜に続く。


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2015.10.18 Sunday 19:07 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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