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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

弘前城に登城!

お盆休みは唐突に青森へ行ってきました!

御朱印集めをしているパパンとママンが「青森へ・・」というのを聞きつけ、
運転は頑張れる子だから!とゴリゴリ押して便乗することにしたのです。

というのも弘前城は2015年の8月から石垣修復のため天守が移動するので、
ここで登城しないと青森に行くモチベが上がる時は当分こなそうだったからw

埼玉を22時に出て到着は朝6時前。少し仮眠をしたら外回りを見ておきます。
パパンとママンは車の中でウトウトしているのでソーッとしておくのww
有料ゾーンは9時からなので、時間と体力を無駄にしないで行くわよ!!
後から話ですが、青森の人も驚くくらい暑い夏・・車で廻ってしまいます。

ハッスルしていた瞬間


津軽為信さんの銅像も人がいないうちに見たかったのでまずは東門からスタート!
1610年に建てられたもので重要文化財に指定されています。重厚感ある!!

妄想が始まる瞬間


この東門は弘前城に現存する5つの櫓門のうち、昭和12年に重文指定された
他の4つと違い、東門だけは昭和28年になって指定されたそうです。
この先が三の丸で無料ゾーンで入れるけど先に他の門も見ておくことに。

暑さにやられかけていた瞬間


次は北門の方に向かいます。東門横から水堀が廻っています。
朝からうだるような暑さなので澱んだ水でも爽やかに感じますね。

めがけていった瞬間


北門に行く前に忘れちゃならないのが東門の通り向かいにある津軽さんの銅像。
弘前藩初代藩主だけど岩手の出身ですw 元は大浦姓で南部家に属していましたが、
跡目争いで南部家が衰えると反旗を翻し、津軽地方を中心に勢力を築き上げ、
津軽為信と名乗りました。地味だけど津軽で頑張ってた為信さんですw

熱いまなざしを送った瞬間


立派なひげがあったことから「髭殿」と呼ばれていたらしい為信さん。
西国中心に見る戦国史にバンバン出てくることはありませんけど、
中央の大名と親交を持って秀吉に通じ、所領安堵されていたりとか、
関ヶ原では秀吉の小姓をしていた嫡男を西軍につかせて自身は東軍につき、
どっちが勝っても家名を残す真田と同じ策を取るなかなかのしたたかオヤジ。
津軽弁のなまりがきつくて、田舎大名と揶揄され悔しい思いもしたようですが。

すでに労を惜しんでいる瞬間


東門から堀沿を伝って北門に来ました。もちろん見るだけだから車でww
朝なのに前の通りはバンバン車が通るので、停めとく場所探すの大変だった。

パッと見は同じようだった瞬間


弘前城に残る5つの現存櫓門の中で、特に規模が大きく最古の形式の門だそうです。
元は大光寺城にあった門を移築したもので、築城以来、実践経験がない弘前城で
唯一、実践の跡を残す門なのだとか。大光寺城にあった時は矢傷を受けたみたい。

なんだか煌びやかだった瞬間


そろそろ有料ゾーンの開城時間になるので、追手から登城します。
こちらは杉の大橋。築城当時は壊すも焼き払うも容易な柔らかい杉の木が
用いられたそうですが、文政4年(1821)堀の両側が石垣となるとともに、
ヒノキ材による架け替えが行われ、欄干と擬宝珠が付け加えられました。

気概を感じる瞬間


三の丸を抜けて南内門まで来ました。この先が二の丸になります。
弘前城が築城された関ヶ原後は4万5千石くらいだったというのに、
歩いたり、門構えを見たりすると規模の大きい城郭だと感じます。

弘前プライドだった瞬間


結果、実践を経験することはなかった弘前城ですが気合い入りまくり!
枡形と重厚な門の作りに加え、金物系も防御力ありそうですごいわw

とはいえ汗ダクだった瞬間


二の丸の風景一部・・土塁の向こうは杉の大橋を渡ってきた中堀。
朝から暑くてうだるようだけど、一時の清々しさを感じつつ進みます。

中には入れなかった瞬間


そして辰巳櫓に到着。一般公開されることもあるようですが普段は入れない。
当時、ここから藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列を見たんだって。

規模はなかなかだった瞬間


二の丸と本丸の間にある暑苦しいジャングル状態の内堀を眺めつつ、
いざ弘前城ベスト撮影スポットになっている下乗橋に向かいます。

目的達成の瞬間


じゃーん!天守がまだありましたw ワタクシが登城したのは2015年の盆休み。
この後ほどなくして石垣修復のため天守移動が始まったのでギリギリでした。
弘前はそのうち登城したいと思ってたけど埼玉からマジ遠いからね・・・
でも天守移動したらしばらくは戻らないからと思い、今回決意の登城なのw

天守石垣の修復を行うため、すでに足場が組まれて見栄えは悪いけど、
弘前城と言ったらココ!みたいな風景もしばらく見られないと思えば満足。

工事車両が行きかう瞬間


下乗橋を渡ったところから先、本丸部分が有料ゾーンになるようです。
本来は本丸に入って天守に進むのがコースなんでしょうが今は入れません。
天守小っせーー!!と思いながら、引っ越し前の雰囲気を味わうことに。

居座っていた瞬間


引っ越し準備で天守前が通れないからでしょうね、迂回用お立ち台が設置w
一番乗りなので人いませんけど、ホントはここに鈴なりでかぶりつきなんだと。

なせばなる!瞬間


お立ち台から見た天守・・・建築に疎いワタクシには一体これをどうやって
動かすのか全く予想がつきません。後日ニュースで見たけどマンパワーで
引っ張ってましたっけね。15センチ動かすのに数時間って・・すごいわ。

完全に他人事だった瞬間


現天守のところから、仮置き場まで数百メートル。これを引っ張ってって
動かそうというのだから半ばあきれるw 慎重に少しずつ・・気が遠くなる。

しょぼすぎた瞬間


で、これが仮置き場・・・なんかちゃちいw 引っ張ってった後は
重機なんかで持ちあげて土台に固定するんのかしらね? 
ここに引っ越した後の天守もそれはそれで見たい気がしますねw 

ご苦労様だった瞬間


仮置き場と天守の位置関係はこんな。盆休み中だというのに間もなく始まる
引っ越しに備えてか、工事のオジサンたちが何やら忙しく働いていました。

しばらく寂しくなる瞬間


移動した後の想定図が掲示されていました。あら〜実際見ると超違和感!
やっぱりあるべきところにあるべきものがないって変なのね。

枠だけだった瞬間


本丸井戸跡。本来は天守より65m北側の石垣沿いにあったのを石垣修復に伴い、
本丸の中央辺りに移動させたんだそうです。4枚上の写真で赤い矢印があるやつね。

気になりすぎた瞬間


本丸は広いです!桜の季節に弘前城の桜まつりをニュースで毎年見るけれど、
人だらけすぎて広く思えないだけでしたw 桜は多いけれど若い木が少なく、
そのうち桜のボリュームが減るんじゃないかと、余計な心配をしてみたりww

橋も同じに見える瞬間


本丸から北の郭にかかる鷹丘橋。弘前城には9つの橋があるそうですが、
位置で分かりはするものの、赤くて擬宝珠がついた形は全部同じに見えますw

妄想力で補う瞬間


時間の都合で北の郭には渡りませんけど、鷹丘橋までは降りてきました。
写真左側が本丸石垣。石垣の奥には当時戌亥櫓が睨みを利かせていました。


はぁ〜これで満足。ワタクシの青森の目的はもう半分達成したわw
次は津軽為信さんの廟所へ行ってお墓参りをします。寺ならママンも満足さw


革秀寺にて津軽為信のお墓参り〜に続く



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2015.10.24 Saturday 14:01 | comments(2) | trackbacks(0) | 東北(青森県) | 

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2020.02.14 Friday 14:01 | - | - | - | 
あも (2015/10/25 7:07 PM)
あきおうさん

こんばんわ!
仮設に乗った天守もそうそう見られないから
それはそれで見たいですよね〜
ワタクシも、あきおうさんの行動力見習わねば。。

秋田はワタクシも未踏の地。行こうとは思うけど
まだ先になりそうですね。。

あきおうさんのレポ見たらモチベ上げて計画しようかなw

あきおう (2015/10/24 4:15 PM)
あもさんこんにちは。

おおー、この夏に弘前いかれたんですね。しかも曳家直前!

仮設迂回路の上からレアな角度で見下ろす天守、ってのも、なかなかレアですね。「見下ろす天守」という表現からして、レアですし(笑)

私も去年秋に行きましたが(足場が出来る前)その仮説天守台の上に御三階櫓が載った後か、乗る前か、まだ悩み中ですが、もっかい弘前城には行こうと思っています。目的はそのあとの秋田方面ガッツリ攻城ですけどね&#12316;。

為信公のお墓参りも期待してまーす。