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平泉〜中尊寺にて奥州藤原三昧!

9月のシルバーウィークは未攻略だった岩手に出陣!

と言っても城だけじゃなく、平泉を一度は見ておきたいな〜
ついでに久々のご当地牛、前沢牛も食べて来るかな〜と思ってww

恒例の早朝到着だった瞬間


シルバーウィークの平泉なんて激混みだろうと思い万全の態勢で7時過ぎ到着!
コンビニで朝ごはん食べてから、中尊寺が開くまで無量光院跡を見に来た次第。

藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院で、当時は平等院を上回る
煌びやかな寺院でしたが火災で焼失し、今は土塁や礎石が残るのみ。
それでも奥州藤原氏の栄華を伝えるからでしょうね、国の特別史跡です。

妄想難易度が高かった瞬間


今となっては相当な妄想力がないと見えませんけど、池の向こうの中島に
平等院鳳凰堂みたいに豪華絢爛な建物がドーンと建っていたんですよね〜

当時、金がバンバン出て豊かだったので平泉は繁栄、栄華を極めました。
本なんか読んでると、財力があったため、東国との境になる白河の関を超えたら
断然、道筋も整っていたとか、人の暮らしも豊かだったと書かれてたりします。

鞍馬寺を抜け出した義経ちゃんは藤原氏を頼ってこの地にたどり着き、
兄頼朝に追放されるとここに落ちのびて最期を迎えたのよねぇ・・・・・・・

あっΣ(゚Д゚)! いかん、長考してると中尊寺出遅れてしまう!!

なんとかセーフだった瞬間


ちゃんと駐車場が開く時間に間に合ったのに、もうこの入りようΣ(゚ロ゚;)
ちょいと遅れていたら、もう30分待ちくらいになってたね。危ない危ない。

世界遺産パワーだった瞬間


拝観時間開始なのに月見坂を次から次へとゾロゾロ人が登って行きます。
人が映らないタイミングとか待ってもムダなので今回はそのまま撮ります。
月見坂ダラダラと地味に長く登っていくので運動不足のワタクシにはきついw

見て見ぬふりをした瞬間


まずは弁慶堂に立ち寄り。本堂や金色堂に続く月見坂の途中には地蔵堂だの、
薬師堂だのお堂が立ち並んでいて、好きな人はそれぞれ寄っていくみたい。

浮かばれそうになかった瞬間


他のお堂をじっくり見たわけじゃないけど、弁慶堂は立派に思えたよ。

説明書きによると文政9年(1826)再建で、藤原時代五方鎮守のため火伏の神として
本尊勝軍地蔵菩薩を祀り、義経公と弁慶の木像を安置したようです。
弁慶像は文治5年(1189)4月、高館落城時、最期まで奮戦した立往生悲憤の姿で、
更に宝物を陳列、安宅の関勧進帳に主従が背負った笈がある代表的鎌倉彫である・・

エッΣ(゚Д゚)! いやいや・・鎌倉彫じゃ何となく成仏できなそうな気がするよ。

妄想しかける瞬間


お堂の中には190センチ近い?と言われる等身大の弁慶像と義経さんがいます。
七つ道具を背負って薙刀握りしめた姿・・立往生ですか? 泣きそうになるわ。

記念撮影スポットだった瞬間


途中にあるいくつかのお堂はチラッと見つつ、本堂までたどり着きました。

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の慈覚大師円仁によって開かれました。
12世紀初め、奥州藤原氏初代清衡公が造営に着手。戦乱で亡くなった霊を
敵味方なく慰め、戦いのない世の中を造ろうという目的を持つ建立でした。

奥州藤原氏は初代清衡から2代基衡、3代秀衡、4代泰衡まで約100年間、
平泉で繁栄を極めます。清衡の平和を願う想いは「浄土思想」として代々に
受け継がれ、毛越寺や浄土庭園、無量光院の建立とともに普及しました。

マッハで終了した瞬間


中尊寺は天台宗のお寺なのね。比叡山の。東北大本山になっているそうです。
ワタクシは正直、金色堂が見たいだけで本堂とかはあんまり興味なかったりw

簡単にお参りを済ませ、少しでも混む前にさっさと金色堂に向かいます。
案内図を見ると金色堂まで、またいくつかのお堂の並ぶ参道を通るようです。

勝手にお導かれた瞬間


大日堂だけ何となく引かれた気がして寄りました。本尊は大日如来ですかね。
豪華な弁慶堂とは違い、こじんまりしてシンプルなかわいいお堂です。

気が小さかった瞬間


やっぱり大日如来サマでした。こんなに間近に御本尊を直接拝んでしまうと、
念入りにお参りしないといけない気になる。本堂よりちゃんとお参りしたわw

グイグイ行く瞬間


宝物館もあったけど大仏とかは時間もないしこの際スルーということで、
金色堂まっしぐら!! 入場料は800円くらい? まぁいい値段取るよね。
で、撮影はNGなため、ここまでくどくど書いたわりに見せどころはなしという(´Д`)

金色堂ってのは小さな阿弥陀堂のことなんだけど、これが建物丸ごと外も中も
金箔が貼り巡らされてゴールデンだから金色堂。ピッカピカで本当にまばゆい!

黄金のきらめきが「まばゆい」と表現されるって知ってるだけだったことが、
実際に見てみて初めて実感を伴うという。そして覆堂が出来るまでこのピッカピカ、
雨風にさらされるむき出し状態で存在してたことにさらに驚愕!

建物なんだから当たり前なんだけど、庶民の感覚から行ったら盗られちゃうとか
劣化したら勿体ないとか・・。鎌倉幕府だって「こりゃいかん!」ってことで
覆堂作ったわけでしょ。藤原さんの途方もない財力と金銭感覚に唖然とするね。

ちなみに金色堂建立は天治元年(1124)。鎌倉幕府が覆ったのが弘安10年(1287)。
露天期間なんと160年以上!! 豊かな上に浄土思想でみんな鷹揚だったのかも。

ある意味コレもすごかった瞬間


金色堂の近くには旧覆堂があります。弘安10年(1287)鎌倉幕府が創ったもの。
なんとコレ、昭和37年(1962)金色堂の解体修理するまで現役だったらしいよ。

さっき見て来た新しい覆堂は空調や密閉性やら完璧な上、適度な照明もあるけど、
この覆堂はそんなものない。雨ざらしにならないよう覆ってんだから窓も少ない。
中に入ってみたけど薄暗くて・・金色堂のまばゆさ今と違って見えただろうね。

勝手に納得する瞬間


当時を見た松尾芭蕉さんが旧覆堂の横に、奥の細道スタイルで立ってます。
平泉を訪れ、金色堂を見た芭蕉さんの一句「五月雨の降り残してや光堂」。
芭蕉さんはきらめきの中に見える廃れや枯れた感に感動したんじゃない?
今の覆堂とピッカピカを見てもこの句は詠めなかっただろうと思われますw


よーーし、これで中尊寺ワタクシ的にはコンプリート! 
次は弁慶墓碑と義経が祀られる高館義経堂にすっ飛んで行きます!!


平泉〜弁慶墓碑と高館義経堂にお参り〜に続く



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2015.11.29 Sunday 12:20 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

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2020.02.14 Friday 12:20 | - | - | - | 
あも (2015/12/04 12:49 PM)
矢田@医療職兼業トレーダーさん

こんにちわ!コメントありがとうございます!
初めて行きましたがよいところでした。
応援ありがとうございます(*^^*)
小学校で行った以来です。
歴史の重みを感じますね

応援しておきました。ポチッ