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平泉〜弁慶墓碑と高館義経堂にお参り

中尊寺を出たら車は駐車場に置いて、歩きで高館義経堂へ向かいます。
その前に中尊寺のすぐ前にある武蔵坊弁慶の墓碑を見ていきます。

ボーっとしてたらダメな瞬間


中尊寺入り口の通り沿いにあるプチ公園のようなこの一角。
植え込みだと思ってうっかりスルーしてはいけませんw

図体通りの墓碑だった瞬間


ドーン!仁王立ちの風情すら漂う立派な墓碑は松に負けない存在感!

弁慶さんは「牛若丸」の絵本を読んだから、幼稚園の頃から知ってるw

怪力無双の荒法師で、五条大橋で笛を吹いていた牛若丸(義経)に
戦いを挑んで返り討ちに合い、以来、家来となって活躍します。

・・って超ざっくりw 作り話でも主従の出会いとしてロマンあるな。

意外と真剣に考えた瞬間


京を追放され、平泉に落ちのびた義経に従ってきた武蔵坊弁慶は
藤原泰衡の裏切りにより高館が焼き討ちされると義経を守るため
薙刀をふるって奮戦し、雨の様な矢を受けて衣川で立往生しました。
義経が自刃する時を稼ぐため、一歩も引かない決意だったんでしょう。

限界超えても力の限り頑張り、命尽きても一歩も引かない不屈の死に様・・
弁慶しかり、三国志の典韋しかり・・何が彼らを立往生までさせるの?
理解できない、自分にはできない、でもその生き様にグッと来るんだよなぁ。

合掌の瞬間


弁慶って義経がらみの要所要所での活躍(安宅の関や立往生)がありながら、
素性や詳しい働きなんかについては確かな記録が少ないみたいよね。
司馬遼太郎の義経でも弁慶の存在感薄くて、伊勢三郎のが覚えてるくらいw

とか想いながら墓碑に手を合わせ、徒歩10分の高館義経堂に向かいます。

後悔先に立たずな瞬間


高館義経堂に到着!・・てか駐車場あったのね。車でも来れました。
一丁前にと言っちゃ失礼かもしれないけど、入場料200円ですw

心が熱くなる瞬間


入り口の階段を登ると北上川と東稲荷山のそびえる風景が広がります。
左手の方で弁慶が立往生した衣川につながります。落人となった義経は
この風景をどんな思いで眺め、ここで迎えた最期に何を思ったんだろう・・・
あ、ちなみに同じ風景見た芭蕉さんに対しては特に思うところないですw

勝手に納得していた瞬間


松尾芭蕉は門人の曽良を伴って平泉を訪れた際、この高館にも立ち、
奥州藤原氏の栄華と滅亡や義経の最期を思い、あの有名な句を詠みました。

「夏草や 兵共が 夢の跡」

俳句なんてよく分かりませんが、奥州藤原氏や義経の最期を知った上で
実際この地に立ってみると、五七五の中にどんな思いが込められてるか、
自分なりに浮かんで来て、何とも分かった気になるから不思議ですww

こじんまりしすぎだった瞬間


北上川を眺めながら少し登って義経堂へ・・・って小さっ! 地味!!

中尊寺の弁慶堂の方がはるかに立派でこしらえも豪華じゃないですか・・ 

平治の乱で父、源義朝が敗死、助命され鞍馬寺に預けられた義経は、
打倒平氏の思いを抱いて15才で寺を逃げ出し、平泉の藤原氏を頼りました。
藤原氏三代秀衡は源氏の御曹司として義経を保護。そして6年後、兄頼朝
挙兵を聞いた義経は頼朝の元に駆けつけ、兄弟の対面を果たします。

義経は頼朝の命を受け平氏討伐に参戦。一の谷、屋島、壇ノ浦の合戦
ついに平氏を滅亡せしめます。しかし凱旋した京で後白河法皇から無断で
任官を受けたことで、武家社会を創ろうとする頼朝の不興を買うこととなり、
兄弟は決裂。頼朝の圧力により朝廷が義経の官位剥奪、討伐令を出したことから
義経は京を逃れて決死の逃避行の末、奥州平泉に落ちのびました。

義経は藤原秀衡の庇護を受け高館を与えられますが秀衡は翌年、亡くなります。
秀衡は三人の息子に義経を守るよう遺言しますが、四代泰衡は頼朝の圧力に屈し、
義経の居館を急襲。多勢に無勢の義経は自刃して果てました。享年31歳。
義経の首は酒を満たした漆器に入れられ、鎌倉に運ばれました。

ちなみに藤原泰衡はその後、頼朝に攻めこまれることとなり、
助命嘆願ならず逃亡する途中、家臣に殺害されています。
100年に渡り栄華と繁栄を極めた奥州藤原氏はここで滅亡しました。

奥州7万騎とも言われる戦力あったんだからビビッてないで頑張れよ!

この残念な人にワタクシが言いたいのはそれだけですw
でも泰衡は父秀衡に愛された義経がきっと嫌いだったんだろうなぁ。

勝手すぎた瞬間


義経堂は天和3年(1683)仙台藩主4代伊達綱村が義経を偲んで建てたもので、
中に本尊として木像の義経像が祀られています。堂と同じ頃に作られたとか。

ワタクシ子供の頃の絵本の印象がよほど強いのか、義経ってどうやっても
牛若丸と呼ばれた綺麗な顔をした身軽な少年をイメージしてしまうので、
この木像しかり、何かに載ってる肖像しかり・・なんかイヤなんですけどw

ひっそりでよさそうだった瞬間


お堂の横には源義経主従供養塔もありました。秀衡、義経、弁慶の
800年の御遠忌を期して昭和61年に建立されたんだそうです。

この時代にはなかった騎馬戦法や奇襲攻撃などを実践に取り入れ、
戦闘戦術については天才的だったと言われる若き英雄、義経さん。

父の敵の平氏を討ちたい、兄の頼朝に頼りにされたい・・・

でも戦のひらめき以外、空気も読めないし政治感覚もないんだもの。
そしてそれを愛を持って教えて導いてくれる人もいなかった。

報われることのなかった悲しく儚い生き様、悲運な最期を迎えた義経には
豪華な廟より、静かな高館にひっそり祀られてる方がよいのかもしれないね。


たまに深入りすると源平の頃もやっぱ面白くって妄想がはためくw
遠出できない時、またたまには鎌倉武士ゆかりの地めぐりしようかな〜

と思いながら中尊寺へ戻り、次は車で毛越寺に移動しちゃいます!


平泉〜毛越寺でも奥州藤原三昧!〜に続く




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2015.12.13 Sunday 08:40 | comments(4) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

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2020.02.14 Friday 08:40 | - | - | - | 
あも (2015/12/25 8:55 PM)
Minoruさん

こんばんわ!コメントありがとうございます!
レス遅くなってごめんなさい。

ブログ拝見しました。お城もかなり行かれてますね!
ワタクシは埼玉県民で都内近いくせに、
江戸城及び皇居は一度チラッと行っただけなんです。

遠出出来ない時こそと思いながら後回しに
なっているので、そろそろ頑張ってもようかなw
Minoru (2015/12/21 8:18 PM)
 初めまして。私もお城大好きです。 義経、最期の地、興味深く読ませていただきました。
 今、皇居のブログ書いてます。
あも (2015/12/13 1:32 PM)
大河原さん

こんにちわ!
ワタクシは平泉初めてでしたが、思った以上に良くて、
戦国じゃなくても行って良かったと思いました。
大河原さんも3度目の際は是非、高館行ってみてください!
上手くは言えないけど金色堂より毛越寺より感動しました!
大川原英智 (2015/12/13 11:21 AM)
こんにちは。

あっ、ここ行かなくちゃ、と思いました。

僕は平泉に2度も行っているのですが、高館はまだ未訪問です。

団体旅行と幼児を連れた家族旅行だったからですね。

次回は義経と弁慶、芭蕉、泰衡に会いにいきます。

貴重な情報を公開していただき、ありがとうございました。