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正覚寺にて新羅三郎義光のお墓参り

微妙すぎた若神子城の次は、この日の韮崎・北杜武田めぐりの締めとして、
甲斐源氏の始祖、あの新羅三郎義光サマのお墓参りをします。

凛とした佇まいだった瞬間


若神子城のある小山を降り、ほどなく走ったところにある正覚寺。
大通り沿いにあっても雑踏とは一線を画したキリッとした雰囲気です。
前がないので見上げる写真ながら、階段の下でも燦然と輝く武田菱w

ひっそりしていた瞬間


階段上ると広い境内。本堂はモダーン風で残念ながら古刹の感じはないです。

正覚寺は大治2年(1127)、甲斐源氏始祖新羅三郎義光公の菩提を弔うため
義光の子、逸見冠者刑部三郎義清が建立したお寺。
当初は天台宗で高根町村山北割朝日山にありましたが、永享2年(1430)、
源氏の館跡であったこの地に移転して、曹洞宗になったそうです。

まっしぐらだった瞬間


新羅三郎義光サマと義清さんのお墓は本堂左手裏の高台にあります。
案内板とかは出てないけど、階段を上ってお堂を目指していきましょう。

わかりやすかった瞬間


お堂自体は特に案内板もないし、何って感じもないからスルーで。
お二方のお墓はお堂の右奥にあります。夏場はヤブ蚊がやばそうw

かなりの武闘派だった瞬間


どれが誰とか分からないけど、お二方の供養塔およびお墓がこちら。
そんなにすごい古いわけじゃないけど細かいことは気にしないw

新羅三郎義光は「前九年の役」を平定した源頼義の三男で、
元服した新羅善神堂という神社の名を取って新羅三郎と名乗りました。

名前を呼ぶのは呪いにつながるとのことから通り名や役職で呼ぶ時代。
長男八幡太郎義家、次男加茂次郎義綱、そして新羅三郎義光の三兄弟。

なんか仲良しっぽかった感じに思えるけど、いうほど兄弟愛はなさそうで、
官職なげうって兄義家を助けに行った美談はあるものの、源氏の棟梁目指して
野心に燃えた義光さんは最終、兄義家の遺児、義忠を暗殺してその罪を
次兄義綱になすりつけ、まんまと次兄一族を討ち取らせてしまいます。
しかし真相が発覚し、やむなく自身の勢力の強い常陸国に逃亡しました。

その後、義光の子、義清が罪を犯して子の清光とともに甲斐国に配流され逸見に土着
清光の子、信義が武田を名乗り、甲斐武田氏の祖となりました。
同じ新羅三郎の系統のお名門には佐竹氏南部氏小笠原氏もいます。

ちなみに源頼朝は八幡太郎義家の系統。後に甲斐武田を粛清したのは
新羅三郎の血筋ってことや、そのダーティさも影響してんでしょうね。

武田に乾杯の瞬間


甲斐国(逸見)に最初に土着したって意味では逸見冠者義清さんが
甲斐源氏の祖っぽく思うけどノン。祖はあくまでも新羅三郎義光です。

武田めぐりしてる今日はどこ行ってもずっーーと思ってるけど、
平安の終わりから400年も代々支配してきたってマジですごいよ。


今回の韮崎・北杜の武田めぐりの旅はこれにて終了!
山梨県内の武田めぐりはまだまだ残ってるので続きはまた後日。

・・武田ってやっぱ何かと濃いwww


次回からは夏の福島出陣のエントリーをお送りします。



花見ヶ森にて葦名家廟所に参拝!〜に続く




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2016.10.21 Friday 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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