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花見ヶ森にて葦名家廟所に参拝!

2016年の夏は休みが長く取れなかったので近めで福島へ出陣。
1泊だから念入りに下調べして、チャキチャキ飛んでまわったんだ!!

初日は会津若松市内から。日の出を待って6時過ぎから行動開始よ。
まずは会津市内から少し離れた葦名家の廟所へ向かいます。

あやうく見逃すとこだった瞬間


花見ヶ森というところにある葦名家廟所。目立つ案内なども出てないし、
住宅街の中を走る生活道路沿いにそっとありすぎて通過しかけてしまったわ。

すでに厳かだった瞬間


住宅の間の細い通路を進んでいくと、ひっそりとした空間が出現。
真夏の朝なんで日差しがすでに暑いけど、別世界のひんやり感です。

やっと感じが出て来た瞬間


敷地に配流と正面にやっと葦名家の廟所ってちゃんと分かる標柱が。
こちらには葦名家16代盛氏、17代盛興、18代盛隆のお墓があります。

ちなみに「蘆名氏」と書く場合もあり、本来はこれだったとも聞くけど、
今回は「葦名家廟所」の表記のまま、葦名氏として書いていきます。

やたらかゆくなってた瞬間


まず正面の標柱に向かって左手にある五輪塔が17代盛興のお墓。
柵で囲まれた墳墓の上に五輪塔が立ってるので見づらいのだけども。

てか・・日陰で湿り気味だからヤブ蚊がたかってくるんですけど(*°∀°)=3

残念な人だった瞬間


17代の盛興は15歳で父、盛氏の跡を継ぎ、伊達輝宗の妹とも婚姻して
葦名家の全盛期を支えるものの、子がないまま29歳で病死しました。
酒の飲みすぎで酒毒を患ってたとか言われているみたいです。

衰退と没落の悲しみだった瞬間


正面の標柱に向かって右手には16代盛氏、18代盛隆のお墓が並んでいます。

葦名家は会津最初の領主で、天正17年(1589)20代義広が摺上原の戦い
伊達政宗に敗れて会津を去るまで400年支配した的なことが説明されてます。

武闘派だった瞬間


手前は16代盛氏さんのお墓。盛氏さんは猪苗代氏や二階堂氏や田村氏に勝利し、
武田や北条と同盟を結ぶなど、外交も駆使して伊達と並ぶ勢力を築きます。

41歳で子の盛興に家督を譲った後、止々斎と名乗って一時は隠居しましたが、
盛興が早逝すると人質として預かっていた二階堂盛隆を盛興の未亡人と結婚させて
18代とし、後見人として再び、権力をふるいます。その後も積極攻勢を続け、
上杉謙信の死後に起きた「御館の乱」に乗じて越後に出兵するなどしますが、
天正8年(1580)6月17日死去。享年60歳。

自分の代で全盛期を築くほど先の見える名将だった盛氏さんだから、
とにかく一族の行く末を案じながらの臨終だったかもしれないね。

盛隆を盛興の未亡人と結婚させることで伊達氏の援助を期待したのに、
盛氏さんの死後、葦名家は衰退して伊達政宗にトドメ刺されるという・・。

残念な人再びだった瞬間


人質から一転、18代当主となった盛隆さんのお墓は盛氏さんの奥に。

盛隆は須賀川城主二階堂盛義の長男。父が葦名氏に降伏したため人質となりますが、
17代盛興に子がなかったことから盛氏の養子となり18代当主の座につきました。

しかし人質から当主となった盛隆に対する譜代家臣の反発は強く、
一時は反乱により、黒川城が占拠される事態となります。
盛隆は鎮圧しますがその4ヶ月後、近習に斬られて死亡。享年24歳。

その後、生後1ヶ月の亀若丸が19代として跡を継ぐも3歳で病死すると
跡継ぎを巡って家臣が対立。伊達政宗の弟竺丸か、佐竹義重の二男義広かで
分裂した結果、13歳の佐竹義広が葦名家の20代当主となりました。

濃すぎる人生だった瞬間


義広が当主になると、今度は義広についてきた旧佐竹家臣と葦名重臣との
対立が深刻化し、好機と見た伊達政宗の切り崩しも加わり離反が相次ぎます。
そして天正17年(1589)6月5日、北から侵攻した伊達政宗と摺上原で激突。
葦名側には佐竹氏の加勢もあり、一時は善戦しますが結果、敗北となり、
義広は実家のある常陸に逃走、葦名氏は滅亡しました。

義広はその後、秀吉から常陸江戸崎4万5千石を与えられるものの、
関ヶ原で西軍に組した兄佐竹義宣の連座で領地を没収されます。
義広は義勝と名を改めて父兄とともに国替えとなった秋田へ移り、
角館で1万6千石を領し、寛永8年(1631)6月死去。享年57歳。

義広さん13歳で当主になり、17歳で家の滅亡と決死の逃亡を経験だからね。
どういう星の下に生まれるとそうなるの? 濃すぎ!! (*°∀°)=3



運悪く跡継ぎの早逝が続いたりして血筋の正当性がなくなっていくと、
どんな名家でも混乱や争いが起きて衰退・・最悪滅亡しちゃうんだね。

盛氏さん以下、色々な残念無念を思いつつ、静かな廟所を後にします。

よーし、いい感じに第一ミッション完了! ちゃっちゃと次行きます!!


弘真院にて蒲生秀行廟所に参拝〜に続く 


writen by あも Love城!Go名所旧跡!

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2016.11.04 Friday 11:30 | comments(3) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 11:30 | - | - | - | 
南行 (2016/11/07 10:48 PM)
会津若松は戊辰も戦国も両方見所あるから一度に見るにはちとボリューム多いかなって感じですものね。

こちらも城&墓攻めてますが、無理しすぎて疲れ気味です(*_*)
あも (2016/11/07 12:44 PM)
南行さん こんにちわ(´∀`)

朝早く行ったんですけど、生活道路で意外と車通るし、
道も広くないのでだいぶ行き過ぎて戻ってきましたw

小田山城入口の前を通ったんですけど、登り?・・
戊辰戦争は今回はいいかなってことに(*°∀°)=3

南行さんは相変わらずアグレッシブな旅ですね!
ワタクシもそろそろ紅葉は見に行きたいと思います!
南行 (2016/11/06 1:42 PM)
あもさん、こんにちは(^-^)

葦名の花見ヶ森廟行ったんですね!
確かにここは目立たないし、駐車場も無いので僕も通り過ぎてしまいました。

すぐ近くの小田山城には行きましたか?