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大龍寺にて小笠原長時のお墓参り

蒲生忠郷の次は、小笠原長時のお墓参りをしに大龍寺へ。

大河を見ないワタクシ。八重の桜の山本家の墓と言われてもピンと来ないけど、
小笠原長時の墓なら寄らないわけにいかないじゃないですか!って鼻息よw

セミだらけだった瞬間


入口が狭くて少々難儀しましたが、山門下の駐車場に車を停められました。
お盆でリアル墓参りに来てる人は、境内に直接乗りいれてるみたいでした。

人がたくさんいるように見えなかった瞬間


元は天正11年(1583)、小笠原長時の菩提寺として創建された曹洞宗の寺でしたが、
一時無住となります。寛永20年(1643)、保科正之に従って会津に来た機外禅師が
この地を拝領し、臨済宗妙心寺派として開山して大龍寺としたんだそうですよ。

喪服の人もたくさんだった瞬間


山門をくぐるとすぐ本堂。車が停まってるのもあるけどこじんまりした境内です。
法要をやっていたのでウロウロせず、本堂左手の小笠原さんのお墓を見つけます。

小笠原にロックオンだった瞬間


あった!・・石柱とか石碑じゃない上、傾いちゃってるんだけど(*°∀°)=3
本来は小笠原さんの菩提寺なのに、山本家の方がフォーカスされすぎてますw

そこはかとない寂しさが漂う瞬間


室町時代から続く小笠原流弓馬術礼法のお家柄で信濃守護。超名門の人。
だけど信玄に破れて放浪の身となり、会津の地で家臣に殺害されてしまう・・
信玄の話にはもれなく登場するけど、何か残念でかわいそうな感じもしたり。
井沢元彦 信濃戦雲録第一部 野望に出てくる長時さん、なぜか思い浮かんできましたしw

こういうの嫌いじゃなかった瞬間


本堂前にも法要の人がたくさんいたし、墓域にもお参りの人がいたけど、
杉の木立に囲まれた長時さんのお墓の周りだけはちょっと厳かな感じで。

小笠原長時は信濃守護として反武田勢力をまとめ、侵攻してくる武田に対抗。
上田原の戦いを始め、何度も戦いを繰り返しますが、天文17年(1548)、
塩尻峠の戦いで家臣の裏切りによって大敗すると次第に力を失っていきます。
そして居城であった深志城を包囲されると武田に降ることを良しとせず、
城を出て放浪の身となり、流浪の末、会津葦名氏の食客に落ち着きました。

名門でもナヨナヨしてたわけじゃなく、武闘派でガッツはあったんだよね。
でもグイグイ領土広げようって信玄みたいなハングリーさが足りなかった。
格上すぎの小笠原が今さら武田に従えるか!!ってプライドは超高かったw

とにかく何か残念だった瞬間


右が長時さん、左が側室と娘のお墓。元の寺が廃されて大龍寺になったから、
墓石はもちろん、場所だって菩提寺になった当時とは全然違うんだと思います。

葦名家の食客となった長時さんは弓矢の師範なんかをしてたみたいだけど、
酒宴の席で葦名家臣の妻にちょっかい出し(たとかで)、激怒したその家臣に
側室や娘ともども斬られるという最期・・そんなのあり?っていう享年70歳。

色々な思いで合掌の瞬間


天正11年(1583)2月に亡くなった長時さん。戒名「長時院殿麒翁正麟大居士」。
信濃から遠い会津で亡くなったけど、翌年には三男貞慶が松本城主に返り咲き!
貞慶は父の放浪にはついていかず、信長からの家康に仕えて頑張ったらしいよ。

没落して何か残念だったけど次世代に浮かぶ瀬があってよかったよね。本当に!

気安く語りかけて満足したところで、次の目的地に向かってさっさと出発!!
会津から福島の東へ移動していきながら、まずは摺上原古戦場へ向かいます!


摺上原古戦場へ出陣!〜に続く



writen by あも Love城!Go名所旧跡!


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2017.01.11 Wednesday 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 17:42 | - | - | - |