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長楽寺にて本庄繁長のお墓参り

伊達晴宗に続き、次はすぐ近くの長楽寺で本庄繁長のお墓参りをします。

法要の人が多かった瞬間


長楽寺は曹洞宗のお寺。元は上杉氏重臣本庄氏の菩提寺として越後に創建され、
慶長5年(1600)、本庄繁長が福島城主(城代)になって時この地に移りました。

黒づくめしか思い浮かばなかった瞬間


山門を入った右手には浅草屋宇一郎と仙台藩烏天狗組の碑がありました。
烏天狗組は戊辰戦争に関わって新政府軍にゲリラ戦をしかけた武闘派集団。

完全に興味がない瞬間


こちらが本堂。幕末にはここに仙台軍事局が置かれていたんだって。
法要をしていて周りに人も多かったので遠目に見つつ左の墓域へ行こ!

迷いようもなかった瞬間


目指すのは墓域にあるお堂・・と思ったら八幡神社って書いてある(*°∀°)=3
後で調べたら「武人八幡」っていう神号を主君上杉景勝に贈られたみたいです。
中には本庄繁長の木造が安置されてて、供養祭の時だけ公開されるのだとか。

面白すぎる人だった瞬間


空いてる隙間が狭すぎてレンズが突っ込めず全然迫れなかったわww

本庄繁長は上杉家に仕えた武将。川中島ほか数々の合戦で武功を挙げますが、
恩賞が少ないことを不満に思って武田信玄に内通。謙信に叛旗を翻しました。
しかし味方が集まらず孤軍奮闘する羽目になり、嫡男の顕長を人質にして降伏。
帰参を許されるものの、後には織田信長の誘いに乗って再び謙信に背きます。
が、謙信に敗れて再度帰参を許されると、以降はよく仕えました。

そして謙信の死後に起きた後継者争いではいち早く景勝の味方につき、
景勝が家督を継いだ後には新発田征伐などで貢献して重臣となりました。

慶長3年(1598)上杉家が会津移封になると繁長は福島城の城代を任じられ、
関ヶ原の際は伊達政宗の進軍を防ぐ活躍をし、戦後は景勝の命で講和に奔走。
上杉家が存続を許された後も福島城代を務め、重臣とし再建にあたりました。
慶長18年(1613)12月20日没。享年75歳。「憲徳院殿傑伝長勝大居士」。


だいぶ端折って書いてるからここじゃ全然伝わらないと思うけど、
小説とか読むと繁長さんホント色んなことやらかして面白すぎです。
やったりやられたり色々あるけど、しなやかに淡々と図太くていいのw

全部に合掌しておく瞬間


えーっと・・・どれが繁長さんの墓だろうね(汗)繁長さんの墓の他、
養子に出して大宝寺義勝を名乗らせた次男、充長さんの墓もあるそうです。


さて。気になってた繁長さんの墓まいりも出来て満足満足!
次は少し移動して伊達市の方へ。チョロっとつまんでから埼玉に戻ります。


梁川城に登城!〜に続く




Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2017.05.12 Friday 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 20:14 | - | - | - |