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大善寺にて武田勝頼主従を追慕!

雲峰寺ショックを乗り越え、勝沼にやってきました!
天目山で自刃する前、勝頼一行が泊まったという大善寺にお参りするのです。

感じがよかった瞬間


拝観の多いお寺で宿坊もやっているからか、受付の人が丁寧で感じいい!
500円の拝観料を払ってパンフをもらったら、さっそく山門へ向かいます。

山門は元禄17年(1704)に土屋惣蔵の子孫によって建立されたものが焼失し、
寛政10年(1798)再建されたそうな。・・土屋惣蔵ってもちろんあの人よね?

いきなり盛り上がる瞬間


土屋惣蔵は勝頼に最後まで従って奮戦の末、討死した忠臣の中の忠臣。
片手でつたを握りしめ、片手で織田勢相手を斬りまくったことから、
片手千人切りの逸話が残ってます。3日も川が赤く染まったとか・・。

詳しい説明はないけど、勝頼主従が最期を迎える直前に投宿していることから、
土屋さんの子孫はきっと供養のつもりで山門を建立したってことなんだろうね。

主従の追慕で来てるんだけど、こんな出だしからグイグイ来るとはw

反応薄なインフォメーションだった瞬間


この山門前の柏尾坂では新撰組の近藤勇が官軍と戦ったそうです・・・
・・・ワタクシは佐幕派だけど、なぜか新撰組にピンとこない人w

気持ちは分かった瞬間


お寺には川所縁の寺宝があったので被害に巻き込まないように
近藤さんは山門で指揮をとったんだって。負けちゃったけど(*°∀°)=3

何もかもが弱すぎた瞬間


山門の次は楽屋堂を目指して階段を登るんだけど・・・地味に長い!
息が上がってヨタヨタしてたら、後から来た中年夫婦にぬかされたwww

ハアハアしている瞬間


やっと楽屋堂まで来たと思ったら、地味にまだ登るのかーい!っていう。
でも勝頼主従も歩いただろうし、薬師堂も見えてるから頑張りましょう。

どうやらお祭り用らしい瞬間


階段を上がって振り向くと、くぐってきた楽屋堂と稚児堂が見えます。
古くないし文化財指定もないので建て替えたりした建物なんだろうね。

大善寺は養老2年(718)行基が薬師如来像を刻んで安置したのが始まりで、
奈良時代、聖武天皇の頃には鎮護国家の勅願と寺号を賜るほどの隆盛を極めたとか。

妄想に入る瞬間


楽屋堂に入るとたくさん階段登った分、いい感じに甲府盆地が見下ろせます。

この寺に辿り着いた時には数日後に最期の日が来るなんて夢にも思わず、
ただ再起を願い、小山田信茂の待つ岩殿城を目指していたはずの勝頼。
こうして甲府盆地を見下ろしていたとしたら、どんな思いで見ただろう?

天正10年、織田軍に攻めこまれた武田勝頼は新府城を落ち、
再起を図るべく、家臣小山田信茂の岩殿城を目指します。

一行は信玄の従妹理慶尼が住んでいた大善寺に泊まって戦勝を祈願しますが、
小山田の裏切りにあい、8日後の3月11日、勝頼が自刃。武田家は滅亡しました。

とにかく感慨深すぎてた瞬間


さて、ではいよいよ前を向いて国宝の薬師堂を拝見します!
弘安9年(1286年)建立・・って元寇のちょい後ってことでしょ?

それを考えても何だかとにかくすごいなーって圧倒されちゃうし、
勝頼が北条夫人、子の信勝と死の直前に宿泊したと思えば妄想さらに広がる。
寺にたどり着いた日に理慶尼にもてなされ、ココで共に過ごしたんだって。

思いがけない感動の瞬間


本堂の中には入ることが出来て、係りの方から説明もしていただけます。
ワタクシは勝頼主従追慕で訪れたので、中とか完全ノーマークだったけど、
せっかくだからと見て回ったら素人目にも十二神将立像が素晴らしすぎて。
芝居がかってないというのかな。自然な佇まい過ぎて逆に重みがあったよね。

撮影NGで見せられないのがホントに残念。お寺のHPで見られます。

本尊の薬師如来は平安時代の作で、5年に一度しか拝めないんだって。
だから写真が飾ってあったけど・・まぁ正直、ありがたさ全然ないよねw

死亡フラグの勝頼主従に思いを寄せ、風景や空気感を味わえばよし!
以前、すでに訪れている天目山景徳院との距離感や至る経緯を思いだせば、
ホント来てよかった!来る価値あったな!と自己満足に浸る次第。

絶対に見逃せなかった瞬間


薬師堂の横手の方には理慶尼のお墓もあります。

理慶尼は信玄の父信虎の弟信友の娘で信玄の従弟にあたる女性で俗名は松葉。
永禄3年(1560)兄信元が謀反を企て信玄に誅された際、嫁ぎ先から離縁されると
大善寺の慶紹を頼って尼となり、理慶尼と名乗って庵を結び住したそうな。

真偽はともあれ悲しすぎる話に違いない瞬間


理慶尼は勝頼主従の自決までの一部始終を記した「理慶尼記(武田滅亡記)」
という記録を残しているそうで、大善寺に保存されているんですって。

後に誰かが理慶尼に託したものだとか、真偽は怪しいらしいんだけど、
誰が書こうが悲しい話に違いないしちょっと盛ってたとしてもいいでしょw

心からお祈りする瞬間


理慶尼は82歳まで生き、慶長16年(1611)大善寺で亡くなったそうです。
戦国あるあるで嫁ぎ先を離縁されて尼になり、一族の滅亡も見届けてね・・
戦国時代の女性ってのは、身分に限らずなんだか本当に切なくてつらい。

素晴らしいお寺だった瞬間


最後に受付に戻って江戸初期の手法で作られたという庭園も鑑賞します。
特徴や詳しいテクは分かりませんが、品があっていいお庭だと思います。

お庭は受付から入った広い座敷に面してて、こちらは解放されいるらしく、
ポットにお茶も用意され、持参したお弁当を食べたりも出来るようでした。

薬師堂の係りの方の説明も分かりやすくて丁寧だし、受付の人の感じもいいし、
庭園が見られる座敷は解放されてるし、お寺なのにホスピタリティがすごい!

ここは武田関連史跡としてはもちろん、由緒あるお寺としてもおススメ!!


とても満足したので次はその理慶尼の実家。勝沼氏の館跡に行ってみます!


勝沼氏館跡に登城!〜に続く




Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2017.07.06 Thursday 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

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