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逍遥院にて武田信廉のお墓参り

勝沼氏館の次は甲府に移動して逍遥院にやってきました。

こちらで武田信玄の末弟、信廉のお墓参りをするのです。

危うく通り過ぎそうになった瞬間


生活道路に面してとなりに並ぶ住宅にやたら溶け込んでいる山門。
ナビに到着って言われ「あ!」と思った時には通り過ぎてたいつものやつw

キレイめなお寺だった瞬間


逍遥院は大永4年(1524)創建の曹洞宗のお寺で、開基は武田逍遥軒信綱。
甲府市文化財指定の逍遥軒位牌と逍遥検文書が所蔵されているそうです。

やっぱり手入れが行き届いていた瞬間


お寺の方がいたら位牌を見せてもらえるか聞いちゃおうっかな〜
と思ったけど誰にも会えず・・しょぼんで本堂左奥の墓所に進みます。

迷わなくて助かった瞬間


本堂左に行ってすぐ見つかりました。正確には墓じゃなく祠なんだって。

武田信廉は信玄の末弟で武田二十四将の一人。信玄が武田当主となってから
親族衆として80騎を率い、元亀元年(1570)には高遠城主となりました。

1573年(元亀4年)上洛作戦中に信玄が病死すると、姿が似ていたことから
影武者を務めて、無事、軍の引き上げを成功させたと言われています。

勝頼の代になると飯田城代や大島城代などの重要拠点を任され、
天正3年(1575)には長篠合戦にも参陣。一族の重鎮として支えました。

しかし天正10年(1582)、織田徳川による甲州侵攻が開始されると、
早々に大島城を放棄し甲斐に退却。勝頼が天目山の戦いに敗れて自害した後、
残党狩りの織田軍に捕らえられ、甲斐府中で処刑されました。享年51歳。

残念すぎる人だった瞬間


信廉さんは出家後、武田刑部少輔信廉改め「武田逍遥軒信綱」と号しました。

絵画が得意な人で「絹本著色武田信虎像」や「武田信虎夫人像」など
現存するいくつかは、国重要文化財に指定されてるほどの腕前。
武将としてより、芸術の方に天賦の才があったんでしょうね。

小説やドラマだと「側近も区別がつかないくらい似てた影武者」ことか、
「絵ばっか描いてたへたれ」みたいなのが多いから、少し気の毒になる。


にしても。

川中島長篠も参戦して、それまでは逃げたとかへたれ決定打ってないのに、
最後が残念だったばっかりに後世の評価も実際以下にされちまって・・(泣)
城を捨てて退却したことじゃなく、逃げ切れず処刑されたのがほんとに残念。

念入りに合掌の瞬間


信玄の死後、追放されていた父信虎を引き取って世話したというし、
ヘタレじゃないにしても武人には向かない優しい人だったんだろうな。

色んな武将がいるから面白いね。みんな同じくだったらつまんないもん!


さて次は、濃すぎる兄信玄がグイグイ創建した善光寺に行きます!



甲斐善光寺と小山田信茂の首塚を探訪!〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡




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2017.07.28 Friday 14:30 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2017.08.13 Sunday 14:30 | - | - | - | 
あも (2017/08/03 4:57 PM)
南行さん

そうなんです! 下調べサボってたら空振りしてた可能性特大w
ぼろくてもかすれてても案内があるっていうのはありがたいことですよね!
南行 (2017/08/02 11:51 PM)
おお、よくぞこんなマニアな場所行きましたね(・д・)
ここは墓のところに解説も無く、どれが武田信廉の墓か分からなくて迷った覚えがあります。
せめて案内くらいあれば良いのにね〜。