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東光寺にて諏訪頼重と武田義信のお墓参り

甲斐善光寺の後は東光寺に移動して、武田関連メジャーな二人のお墓参り。
ここで自刃した諏訪頼重と、ここで亡くなった信玄の長男義信を勝手に偲びます。

謎めきの古刹だった瞬間


東光寺は臨済宗妙心寺派の寺で、草創は平安時代末期、甲斐源氏の祖新羅三郎義光
国家鎮護仏法興隆の祈願所として建立し、興国院と名づけたことに始まるそうです。

鎌倉時代の頃には寺号を東光寺に改めたらしいんだけど、歴史に不明な部分が多くて、
室町時代までの歴代住職すら不明なんだとか Σ(゚Д゚)! ドウナッテンノヨー!

武田めぐりのマストだった瞬間


諸堂が整備されて栄えたのは室町時代、武田家の保護をうけるようになってから。
臨済宗に帰依した武田信玄が開いた「甲府五山」の一つに数えられる名刹です。

圧がハンパなかった瞬間


こちらは織田軍侵攻時の兵火を逃れ、さらに空襲の戦火も逃れたという仏殿。
前にスペースがなくて近くで見ることもあって、やたら重々しすぎなんですけどw

様式的に室町時代のものと考えられていて、国指定重要文化財になっています。
ワタクシは入らなかったけど、中の柱に織田軍が乱入した時の刀傷があるのだとか。

禅寺ぽさ全開だった瞬間


東光寺は仏殿の他、開祖大覚禅師によると言われる庭園が有名だそうです。
時間がなくて見れなかったけど、仏殿前のところでもこの行き届きぷり。

勝手に満足する瞬間


コンクリートのクールな本堂じゃ武田菱があってもそんなグッとは来ないけど、
お寺全体に言い知れぬ品というか、佗・寂なのかな・・とても雰囲気があるのです。

無駄にハッスルする瞬間


時間もないのでさっさと本堂裏手の方にあるお墓に前のめっていきます。
下調べはしていたけど、案内が出てると何の不安もなく進めるからホントいい!!

武将の墓あるあるだった瞬間


階段を上ったところに、武田義信、諏訪頼重と二人のお墓が並んでいました。
ここも前にスペースなさ過ぎて、二つ並んで正面からの写真が撮れなかったんだ。

色々と残念だった瞬間


まずは手前にある武田信玄の長男、義信さんのお墓からお参りします。

義信は信玄と正室三条夫人との間に生まれた長男で、重臣飯富虎昌が傅役となり、
武田の跡取りとして養育されました。15歳で今川家から今川義元の娘を嫁にもらい、
信濃攻略戦などの戦で武功も挙げ、跡継ぎとして家臣の期待も高かったといわれます。

しかし桶狭間の戦いで今川義元が討死したことにより、信玄が駿河侵攻を決定。
さらに今川との同盟を破棄し、義元の敵織田信長と結んだことで父子関係は悪化。
義信は傅役の虎昌を説いて父、信玄の追放を画策しますが、実行前にことが露見し、
飯富虎昌は自害させられ、義信は謀反を企んだとして東光寺に幽閉されました。

そして幽閉から2年後の永禄10年(1567)10月、義信死去。享年30歳。
自害したとも、病死とも言われ、死因や真相はわからないのだとか。

自害ならやっぱ信玄に命じられちゃった感じなんでしょうかねぇ・・
そもそも謀反なんて大それた話だったのかなってとこも訝しんでみたり。
でもどうにせよ義信さんも信玄には遠く及ばなかったってことだよね。

やっぱり色々と残念だった瞬間


で、お次はこちら。2つ並んだ奥にあるのが諏訪頼重のお墓。

諏訪頼重は信濃諏訪郡の領主。武田信虎の娘禰々(ねね)を正室に迎えて武田との
関係を強化していましたが、天文11年(1542)、父信虎を追放して方針転換した
晴信(信玄)によって桑原城を囲まれます。頼重は抵抗するものの、開城すれば
兵を引くという和議を受け降伏。甲州に送られ、東光寺で自害させられました。

・・・ってさらっと書いちゃうと超つまんないなw 

そもそも晴信(信玄)は妹の嫁ぎ先をむやみに攻めるのはまずいってことで、
同族ながら反頼重派の高遠頼継をけしかけて、桑原城を囲ませるのよね。
で、いい感じのタイミングに出てって、和議を持ちかけて開城降伏させると、
上手いこと言って頼重さんを禰々たちと一緒に甲府に連れてくわけです。

甲府に来たら、正室の禰々はもちろん、生まれたばかりの男児寅王丸や
娘(のちの諏訪御寮人)とは離されて、東光寺に幽閉されてるんだけど、
頼重さんは義理の兄である晴信が悪く扱うはずないって思ってみたいで、
はめられたことに気づかず、当初は高遠頼継を恨みまくっていたとか・・

頼重さん人も育ちもよすぎ (*°∀°)=3

で、扱いの悪さに気づいて不満に思った頃には信玄に自害を命じられ、
弟頼高とともに切腹。諏訪惣領家は滅亡しました。享年27歳。

この辺のくだりは井沢元彦の野望が面白い!

あまりにも感慨深すぎた瞬間


余談だけど、その後、晴信は寅王丸の後見として諏訪を支配することになり、
諏訪頼重の娘、由布姫(所説あり)を側室として、勝頼を生ませています。

そして寅王丸が元服前に亡くなって、諏訪の血を引く勝頼が諏訪家を継ぎ、
さらに長男義信が廃嫡されたことで武田家の後継者となって・・・・・・(遠い目)

いや〜武田の・・いや信玄の黒歴史2つが並んでるって改めてすごいw

インパクト激よわだった瞬間


東光寺には柳沢吉里の男子二人の墓もあります。柳沢家の墓所なんだとか。
吉里は5代将軍家綱の側用人柳沢吉保の嫡子なんだけど更にその子の墓となると・・・
義信さんと頼重さんの墓所よりさらに一段上に上にあるのがアレ〜な感じでした。




さて。次は信玄の父、信虎さんの眠る大泉寺に向かいます!


大泉寺にて武田信虎のお墓参り〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡



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2017.08.13 Sunday 10:02 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2017.10.23 Monday 10:02 | - | - | - | 
あも (2017/08/15 8:10 PM)
UAさん こんばんわ!

山梨は武田史跡が多くて何度行っても終わらないです。
ワタクシは信長が好きで信玄にはそれほどでもないんだけど、
武田氏ってことで見るとドラマティックで思い入れてしまいます。

岡崎城は武将隊も人気だし、いつ行ってもそれなりに人が多いですよね(^_^;)



UA (2017/08/14 8:20 PM)
こんばんは。信玄は各宗教を手厚く保護していたそうなので山梨には色々寺院がありそうですね。諏訪家滅亡や武田義信の謀反については新田次郎の小説武田信玄を読んで非常に興味を持ちました。諏訪頼重の娘の諏訪御寮人は絶世の美人だったそうですね。そして信玄の最愛の側室であったとか。しかし諏訪御寮人は騙して諏訪家を滅ぼした信玄を恨んでいたとか。でもその間に生まれた勝頼が武田家を滅ぼしてしまったわけですから皮肉な運命ですね。休みを利用して超近場の岡崎城に登場してきました。こんな暑い時期でもそこそこの人出でした。次は岐阜城か名古屋城か掛川城にいきたいです。