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大泉寺にて武田信虎のお墓参り

東光寺の次は信玄の父信虎が眠る大泉寺にやってきました!

個性的だった瞬間


変わった雰囲気の総門。享保9年(1724)2代藩主柳沢吉里が大和郡山へ転封の際、
柳沢家の菩提寺である永慶寺から移築されたものなんだとか。

大泉寺は大永元年(1521)、信虎が天桂禅師を招いて開山した曹洞宗のお寺で、
法号「大泉寺殿泰雲存康大庵主」に因んで大泉寺とし菩提寺としました。

超ダイジェスト版だった瞬間


大泉寺には武田三代の霊廟があるけど、総門横の標柱は信虎の墓の件。
説明板には信虎の生まれから最期までの人生が十数行で書かれてますw

子の信廉(逍遥軒)が書き残した信虎の肖像画(国重要文化財)も
こちらで保管されているそう。「絹本著色武田信虎像」見たら「ああ!」って。

なかなか広い境内とお見受けした瞬間


総門からずっと続く参道を進みます。緑に囲まれて雰囲気よかったな!


信虎は武田信縄の子として明応3年(1494)石和館に生まれました。
永正4年(1507)、14歳で武田氏18代の家督を継いで国主となると、
武力をもって甲斐を統一。隣国にも進出し、領土を広げます。

しかし嫡子晴信(信玄)と対立。天文10年(1541)駿河に追放されると、
信虎は娘が嫁ぐ今川家に身を寄せて僧形となり、<義元の死後は京へ移って、
一度も帰国することなく、幕府に関わる活動をしたと言います。

コンパクトだった瞬間


境内は広そうだけど、本堂前はスペースがなくて遠目からの写真で。
空襲で消失後、昭和40年になって再建されたもの。武田菱はもれなく!

ちょっと厳かな瞬間


信虎のお墓や武田三代の霊廟は本堂左手。案内があるので安心なタイプw
ただ雰囲気は本堂前までと違って、この辺りからちょっと寂しい感じだな。

ホッとする瞬間


武田三代の御霊廟。孫子の旗が武田ゆかりの地って感じを盛り上げてます。

他の人のブログを見ると閉まっていて入れなかったみたいなのもあって、
いつも見れるのか分からないけど、ワタクシとりあえずホッとしてます。

濃すぎた瞬間


追放した息子と家を滅ぼした孫と三代として並ぶ信虎の心はいかに?
でも何にせよ、戦国○○三代の中では1,2を争うインパクトかとw

まっしぐらすぎた瞬間


ワタクシちょっとミステイク。墓は裏、墓は裏・・・と思ってたら、
うっかり御霊殿の中を覗いてくるのを忘れてしまいました。

角度がむずかった瞬間


御霊殿を囲む塀がきっつきつなので、建物によりそうように墓が。
真ん中が信虎のお墓で、右が信玄、左が勝頼の五輪塔なんだそうです。

ご長寿さんだった瞬間


48歳で追放された後、一度も国に戻ることのなかった信虎でしたが信玄の死後、
天正2年(1574)には子逍遥軒(信廉)が城代を務めていた高遠城に身を寄せ、
孫の勝頼と対面するも、同年3月5日に病没しました。享年82歳。

葬儀はこの大泉寺で行われ、信虎の肖像画もこの時、納められたんですって。


次男の典厩信繁を溺愛し信玄(信晴)を廃嫡しようとしたとか、
暴君でみんなが世代交代を望んでいたとか・・追放の理由は色々。
でも信虎が圧倒的に悪かったみたいな感じはちょっと気の毒な気も。

ま・・・色々しょうがないよね。ドンマーイ!(合掌中) 



さて。信虎さんを励ました後は、以前に見逃した川尻塚に立ち寄ります。



川尻塚にて川尻秀隆の首塚にお参り〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡



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2017.08.25 Friday 14:28 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 14:28 | - | - | - |