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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

丸岡城に登城!

長谷堂古戦場の次は、月山近く山の中を抜けて鶴岡市に移動!

何はともあれ立ち寄る瞬間


丸岡城址公園に到着したら敷地内にある案内所に立ち寄ります。
管理されてる方のお宅の一部のですが入口は解放されてるので遠慮なく。

充実の冊子だった瞬間


協力金(任意)100円を箱に入れてパンフレットをいただきました。
ひとまずザッと読んだら、小さな公園なので目の前からズンズン行きます。

良い復元の景色だった瞬間


水堀が復元されてます。なんかいい写真撮れてなかったんだけど(*°∀°)=3
当時は四方を水堀が囲んでたのだとか。右手の方に案内所や日向住宅があります。

ヒョロっとしてた瞬間


細い城址碑と公園の案内がある大手門跡のところから中に入ります。
発掘調査の末、平成23年に城址公園として復元整備されたそうです。

風光明媚そうだった瞬間


これは水路跡。公園全体が綺麗に整備され、草刈りなどメンテも行き届いてます。

丸岡城は戦国時代初期、大宝寺城の支城として武藤氏が築いたのが始まりで、
上杉氏最上氏と領主が変わり、元和元年(1615)一国一城令により取り壊されます。
その後、最上氏が改易され、元和8年(1622)信州松代から酒井忠勝が入りました。

言われた通りに廻ってる瞬間


こちらは御城稲荷。鳥居が白くかっさかさに色あせてるのが少し悲しいw

寛永9年(1633)、肥後54万石加藤忠廣が突如、幕府により改易を命じられ、
1万石の捨扶持で庄内藩預けになると、酒井氏は城跡に居館を建てて迎えます。
忠廣は生母正応院とともに出羽に入り、病没するまでこの地で過ごしました。

のびのび出来そうだった瞬間


こちらは御書院跡の表面展示。他に御居間跡とか石敷道路なんかもある。
城跡の広さは約2h。庭園跡もあったし、案外のんびり暮らせただろうね。

盛り上がってくる瞬間


来ましたよ〜大事なとこが! 忠廣が両親を一時密葬したという石です。
実際ここに暮らした息子さんより、存在感だけでも清正のが萌えるわww

こちらの「太夫石・巫女石」は忠廣さんが両親を一時密葬したもので、
大夫石は清正の骨壷、巫女石には生母正応院が土葬されたそうな。

共感する瞬間


忠廣さんは出羽に来る時、父清正の遺骨を公儀に内緒で持ってきて、
バレるとまずいから仮埋葬して大石を置いてひとまず隠したんだって。

たらちねの 父のかたかま 身にそへて ふたたび名をも おぼえける武者

忠廣公詠歌として刻まれていました。健気で泣けるわ。ワタクシも思い偲ぼう。

地味な人気スポットそうだった瞬間


城跡横には江戸末期の武者住宅を移築復元したという日向住宅もあります。
城跡には誰もいないのに、ここは見学者ちらほら・・スルーしたけど有名だった?


さて次は隣の天澤寺へ。清正のお参りでワタクシの本命はこっちw


天澤寺にて加藤清正のお墓参り〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡




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2017.10.27 Friday 13:55 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(山形県) | 

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2020.02.14 Friday 13:55 | - | - | - |