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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

天澤寺にて飯富虎昌と山県昌景のお墓参り

あいかわらず遅れてるけど、2017年初夏の山梨攻略シーズン? (*°∀°)=3

攻略リストにありながら、コース取りとかの都合で後回しにしてたトコ。
今回は根こそぎかっさらって、山梨攻略は一旦区切りにしようという鼻息w

のっけから鼻息荒めの瞬間


まずは天澤寺から。飯富虎昌と山県昌景のお墓参りにずっと来たかったの。

天澤寺は文明4年(1472)、武田家重臣としてこの地を支配していた
飯富兵部少輔虎昌が鷹岳宗俊和尚を招いて開山した曹洞宗のお寺です。

虎昌の死後、弟の山県三郎兵衛昌景が中興して武田家の庇護を受け、
武田家滅亡後は甲斐を有した徳川家康により寺領を安堵されました。

圧がじわじわ来る瞬間


参道を歩いて実際に見上げると、写真よりもっと重厚で古びた感じがするんだよ。

建築年代は不明だけど、山門建立の寄付金に関する宝暦3年(1753)の史料が残ってたり、
山門の形式からも江戸時代後期初めの建築と考えられるという説明がありました。

味わいを通りすぎていた瞬間


山門の向かって左には愛染明王サマ。山門が出来た後に安置されたもの。
ヒノキの寄木造で、当時は分厚く胡粉地(白い顔料)で覆われた上に、
唐草などの模様で彩色されてたらしいけど、今は地が見えて苔もはえて・・。

カッサカサだった瞬間


向かって右の摩利支天サマ。褪せまくりだけど彩色の名残は少しあるね。
まぁまぁ傷んでるけど、でも2体とも守ってる感はあってかっこよさめだったな。

きょろきょろする瞬間


山門をくぐるとすぐ本堂。コンパクトな境内だけどお手入れが行き届いてキレイ!
屋根には飯富虎昌の死後、寺を中興した山県昌景の桔梗紋が。山門にもついてた!

ファインプレーの瞬間


と思って何気なく山門を振りむいて見上げたら・・あらヤダ奥さん武田菱よ!
山門の裏側だけ武田の紋になっているようです。どうでもいいけどナイス気づきw

キョロりまくる瞬間


墓所へは本堂の左手から一度、境内を出て田んぼの中を通って行くんだけど、
一瞬、「え・・墓ドコ?? 何これ見つけられんの??」と心配になる風景。

ひと安心の瞬間


でも、とにかく田んぼの中の1本道を進んだら、ありましたよ案内板が!
こういう綺麗の案内がある所は、お墓そのものもすぐ見つかるパティーン。

かけよる瞬間


墓域入ってほどなく。めっちゃキレイで雰囲気が違うからすぐわかるやつw
ピカピカの顕彰碑は大河ドラマで武田信玄やった時に建立されたそうです。

胸が熱くなる瞬間


顕彰碑の隣には2人のことが刻まれた「飯富山形両将顕彰の記」もあります。

飯富虎昌は武田譜代の家臣として信虎信玄に仕えた二十四将のひとり。
武具の全てを赤に染めた「赤備え」として騎馬軍を率いる勇猛な武将でした。

宿老として信玄からの信頼も厚く、嫡男義信が生まれると傅役となりますが、
義信が信玄の追放を画策し事が露見すると、全ての責任を負って自害しました。享年62歳。

虎昌の跡は弟の昌景が継ぐことを許されますが、飯富の名を嫌って、
信虎の代に途絶えていた甲斐の名族「山県」の名跡を名乗りました。

山県昌景は兄虎昌の赤備えを引継いで信玄、勝頼の二代に仕え、
軍事、外交、内政と様々な面で活躍し、武田家最高職である「職」を務めます。

信玄の死後は重鎮筆頭として勝頼を補佐しますが、天正3 年(1575)長篠合戦で討死
全身に銃弾を浴びてなお織田軍に突撃した壮絶な最期を遂げたと伝わっています。

念入りに拝む瞬間


左の五輪塔が山県さん、右が虎昌さん、真ん中は飯富道悦・・え、誰ソレ??
と思って調べたら信虎に仕えた飯富兄弟の父親なのかな? ま、どうでもいいけどw

山県さんは140cmとか??すっごい小柄で見た目もイマイチだったと言われるけど、
超イケイケの勇将で率いた赤備えは強すぎて戦国最強!そして外交内政もデキる!

三方ヶ原でエライ目にあった家康は馬場さんより山県さんのが怖かったらしいよね。

みんなの憧れ赤備え☆ そのボス山県さんは見てくれとかどうでもよく、
ワタクシは気合の入った生き様や存在に憧憬の念を抱いてるのです。ナ〜ム〜!!


やっぱ武田は家臣が素敵だわw

よし。この調子で次は土屋さんのお参りに行っちゃうおう!



長盛院にて土屋昌恒のお墓参り〜に続く




Writen by あも Love城! Go!名所旧跡



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2017.12.29 Friday 22:00 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 22:00 | - | - | - | 
あも (2018/10/18 9:14 AM)
ねこたろう様

コメントありがとうございます。

武将の名前が刻まれた墓碑があると、いつもじっくり名前を眺めてその武将の色んな事を思い浮かべているのですが、この時はねこたろうさんのお祖父様が書かれたものだったんですね。

文字を書かれた書道家の方の存在に改めて気づかせていただきました。ありがとうございました(^^)






ねこたろう (2018/10/16 11:44 PM)
実は、こちらのお三方の墓標は祖父が書いたものです。祖父は終戦以来、亡き戦友たちのことを思い、書道師範となり写経を綴り続けておりました。
残念ながら、医療過誤で亡くなってしまいましたが、こうして皆様の注目を集められることは、本当に光栄であると思います。