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2020.02.14 Friday  | - | - | - | 

入明寺にて武田信親のお墓参り

遠光寺の次は信玄の次男信親のお墓参り!

うっかり通り過ぎそうになる瞬間


前の道を流れに乗って走ってたら、危うく通り過ぎるところだったw

入明寺は長享元年(1487)、村上天皇の子孫である六条有成が浄閑と名乗り、
武田氏庇護のもと開山した寺で、長元寺から三代栄閑の時、入明寺に改めたそうな。

かたくるし目だった瞬間


おお。コレコレ「武田龍寳終焉之處」・・変換めんどくさいから竜宝って書くね。
竜宝さんは武田信玄の次男、信親さんのことで、こちらにはお墓があるんです。

味気なかった瞬間


入ってすぐ右手にある本堂はこじんまり。奥にある会館?の方が大きかった。
右の方にお寺の由来や信親のことが書いてあるので漏れなく読んでおきます。

ワタクシ史上最短かもだった瞬間


信親さんのお墓は入ってすぐ左側で、調べてなくても迷いようがないw
案内板だけじゃなく説明もちゃんとあって、しっかり管理されています。

少しグッとくる瞬間


信親は武田信玄正室三条夫人の間に生まれた次男。兄は太郎義信
信親は生れつき(幼少の病による説もあり)盲目でしたが、信玄は海野城主にして、
海野次郎信親と名乗らせます。その後、信親は出家して竜宝と号し、半僧半俗の
暮らしをしました。温厚な人柄で武田家臣からの信頼がとても厚かったと言います。

気高いオーラ風な瞬間


スッキリしてる上、しっかりお手入れが行き届いている信親さんのお墓。
いさぎよい最期のことがあるせいか、何となく清らかに見える不思議www

信親は織田信長の侵攻により武田方が不利になると、入明寺4代栄順に迎えられ、
子の信道とともに匿まわれます。しかし天正10年(1582)3月11日、武田滅亡を聞くと、
信親は信道を逃がして境内で自害しました。「長元院殿釈離潭竜宝大居士」享年42才。

もしも〜な瞬間


半僧半俗とはいえ出家の身だし、盲目で戦に出てないみたいだけど、
潔い最期を聞くと、やっぱり武田の血が流れる武将だったんだなぁって。

信親さんが盲目でなければ、武田を継いだのは勝頼じゃなかった可能性も。
家臣に慕われてた信親さんだと武田はどうだったのかな〜と思いながら合掌。

軽い驚きの瞬間


横には法号の刻まれた碑も。ちなみに子の信道は残党狩りを免れて家康に保護され、
色々あったみたいだけど、直系の子孫が現在までずっと続いているんですって!!



よしよし。やっぱりここも来てよかった! この調子で次に行こう!!


信立寺にて武田信虎のお墓参り〜に続く




Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.02.16 Friday 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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