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松代町柴にて山本勘助のお墓参り

大鋒寺の次は車をそのまま置かせてもらい、歩きで山本勘助の墓へ。
歩いて数分の近い距離なんだけど、道が激せまで車じゃ厳しいんだよね。

喜んでいる瞬間


念入りに下調べしといて、グーグルマップ見ながらたどり着けたところ。
看板に沿って、ここから車が止まっている方向に降りて行きます。

挨拶は大事だった瞬間


お墓に向かう途中、畑仕事をしているおじさんがいたので、元気に挨拶!
「お墓参りですか」と聞かれたので「そうです!」と胸を張って答えたら、
パンフレットがあるから持っていきなさいと小屋まで案内してくれました。

早起きも大事だった瞬間


聞けばこの方、勘助のお墓や信州柴阿弥陀堂の管理をされている吉池さんという方。
「朝早くからご苦労様!」とか言ってくれ、色々な話が聞けるなんて超ラッキー!

信州柴阿弥陀堂は文明年間(1469〜1486)、親鸞上人真筆の十字名号を本尊として、
吉池氏の先祖が開基した浄土宗のお寺。永禄4年(1561)、第四次川中島合戦の後、
信玄は陣小屋を寄進改築して「善光寺如来御分身仏」を奉安、両軍の戦死者を祀り、
それを聞いた謙信は家臣を遣わせて礼拝したといいます。

以降、歴代松代藩主に庇護され、多くの人々が参詣に訪れ親しまれました。

昭和のはじめに千曲川河川改修のため、吉池さんの宅地内に移築され、
現在はここに「信州柴阿弥陀堂跡」の碑が建っています。

すがすがしかった瞬間


少し進むとキレイにお手入れされている山本勘助の立派なお墓が。

元は千曲川の陣ヶ瀬の勘助塚にあったものを、元文4年(1739)荒廃するのを憂いた
松代藩家老鎌原重栄・原正盛が遺骨を信州柴阿弥陀堂境内に移し、墓碑を建立。
文化6年(1809)勘助の没後250年に合わせ、鎌原重賢が末長く墓が守られるようにと、
中台を設けて土台を高く石積みして、現在のお墓となったんだそうです。

風林火山で勘助を演じた内野さんも何度もお参りに訪れているんだって。

勝手に萌えている瞬間


墓石には「山本道鬼居士墓」と刻まれています。

山本勘助は晴幸または道鬼斎とも称し、諸国行脚の末、44才で武田信玄に仕えます。
信玄の元で軍師として活躍しましたが、第4次川中島の戦いで「きつつきの戦法」を
謙信に見破られて武田軍が窮地に陥ると、勘助は本陣を守るため奮戦し、討死しました。

永禄4年(1561)9月10日没。享年62歳。

勘助のお墓は他に静岡県の医王寺や、愛知県の長谷寺にもあって、
長谷寺は行ってないのにアレだけど、お墓が建立された経緯や雰囲気に加え、
合戦地も討死した場所も近くってことで、いつもより合掌にも念が入るなw


ワタクシは現地でたまたま吉池さんにお会いして話しを伺えましたが、
事前に連絡してガイドのお願いもできるそうです。こういうのはマジおすすめ!

吉池さんのホームページ 「山本勘助墓所と信州柴阿弥陀堂」

余韻も大事だった瞬間


せっかくなので次に向かう途中、オリンピックスタジアムのある運動公園に寄って
あらためて勘助宮も訪ねておいた。勘助が討死したのがこの辺りと言われてるのね。

お墓参りで思いをはせた気持ちのまま、討死の地でまた妄想・・濃くね濃くw



さて。次は勘助とともに川中島で討死した諸角さんのとこに行ってきます。


川中島周辺にて諸角豊後守のお墓参り〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.03.23 Friday 18:44 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 18:44 | - | - | - |