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明徳寺にて高坂昌信のお墓参り

典厩寺の次も武田の重臣、高坂昌信のお墓参りにやってきました。

前のめり気味な瞬間


明徳寺は明徳元年(1390)、僧妙徳によって開山され、戦国時代に武田の重臣、
高坂昌信が諸堂を修理して、重興開基となった曹洞宗のお寺です。

高坂さんは「春日虎綱」とも呼ばれて、そっちの方が断然かっこいいんだけど、
お寺や案内もそうだし、小説も多くはそれなので今回は「高坂さん」にしてます。

もったいつける瞬間


右の駐車場からカットイン出来るんだけど、遠回りして入口から歩いてw
緩やかな坂を歩いていくと古刹の風格漂う立派な山門が見えてきます。

目的はただひとつ!だった瞬間


高坂さんのお墓以外にも、硫黄島の戦いで戦死した栗林大将のお墓や、
夜な夜な小僧に化けて酒を買いに行ったという弥勒菩薩「酒飲み弥勒」、
ヒキガエルの産卵場所になる「蛙合戦の池」とか色々あるようです。

まっしぐらだった瞬間


山門をくぐると新しめな赤屋根の本堂が・・扉しまってたけど(*°∀°)=3
何はともあれ、本堂左手にある高坂さんのお墓へすっ飛んでいきましょう。

にんまりする瞬間


本堂左手に植え込みに囲まれて一段高くなったところが墓所。
少しカサついてるけど、案内板があるのですぐ分かります!

高坂さんは山形昌景馬場信春、内藤昌豊とともに武田四天王の一人とされ、
信玄勝頼と2代に仕えた超イケメン 智勇に優れて冷静沈着な武将 (*´∀`*)

じらしプレイな瞬間


こちらが高坂弾正忠昌信のお墓。高坂さんについて書かれた案内板もあります。
「川中島の戦いゆかりの地整備保存会」という所が建ててくれたようです。

高坂昌信は大永7年(1527)甲斐国石和の豪農・春日大隅の子として生まれ、
16歳の時、武田晴信(信玄)に認められ、奥近習に大抜擢されました。
使番を経て、26歳で騎馬150騎を預かる侍大将になると弾正忠と名乗り、
上杉謙信への備えとして川中島の前線拠点である海津城将を務めました。

永禄4年(1561)の第4次川中島の戦いでは妻女山別働隊を指揮して
一時は窮地に陥った武田本隊を守る働きをし、合戦後は敵味方の区別なく
戦死者を丁重に葬り、武具や遺品まで揃えて敵である上杉方に引渡しました。

武田が塩不足になった時、上杉謙信が敵ながらに塩を送ったのは、
この時の高坂さんの恩義に報いたものだと伝わってるんだって。

「我、信玄と戦うも、それは弓矢であり魚塩にあらず」by 謙信 

筋の通ったイケてる武将同士の「男」の見せ合い・・かっこよすぎかw 

うっとりしている瞬間


高坂さんは軍師 山本勘助から兵法や築城の教えをうけたといわれ、
勘助の活躍や信玄・勝頼の事績を口述記録したものが後に甲州流軍学の書、
「甲陽軍鑑」となり、今に伝わる武田の歴史やイメージの元になっています。

物に動じず冷静な判断が出来て、強引な戦をしない慎重さもありながら、
戦いになれば武勇武略に優れた昌信は信玄から絶大な信頼を受けました。
しかし信玄の死後、跡を継いだ勝頼には疎まれて、次第に遠ざけられます。

天正3年(1573)長篠の戦いの時には、海津城代を務めていましたが、
武田大敗の報を聞くと、新しい武具を持たせた兵を連れて逃げてくる勝頼を出迎え、
敗戦の見苦しさを与えないよう身なりを整え、甲府まで送ったと言われています。

その後、重臣の大半を失った家臣団の再編成や、北条・上杉との同盟を勝頼に進言。
上杉との交渉を行いますが、その最中、海津城で病死しました。享年52歳。
遺言により、自ら再興したここ明徳寺に葬られました。「保雲椿公禅定門」。

勝手に寄り添いまくる瞬間


高坂さんが亡くなったのは天正6年5月・・・武田滅亡の4年前でした。

共に信玄に仕えて四天王と呼ばれた馬場さん、山県さん、内藤さんが長篠で討死し、
勝頼に疎まれながら武田家のために奔走した高坂さんの気持ちはいかばかりか・・

勝頼は嫌いじゃないけど、要所で高坂さんはじめ先の見える重臣たちの意見に
聞く耳を持たなかったのがホントにホントに惜しかったんだなぁっって・・・

やっぱ超〜思っちゃうよね? と心の中で気安く語りかけつつ丁寧に合掌。



すぐ近くなんだし海津城(松代城)にも再再登城したかったけど時間がない・・
次は上田に移動して武田信玄の願文を見たら、サッと真田に切り替えますw


生島足島神社と安楽寺に参拝!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.04.26 Thursday 16:26 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2018.09.23 Sunday 16:26 | - | - | - | 
あも (2018/05/09 4:33 PM)
UAさん

こんにちわ!お疲れ様でした。レポありがとうございます!
やっぱり登山ですよね・・ワタクシも詳しく調べたことはないけど、車で登れないとか行きづらいみたいな印象だけ残ってたので、すごい気になっていたんですよね。

ってことは、もし行くなら日の出と同時!くらいの勢いですね。勝竜寺城や明智藪がせっかくなのに見れないともったいないから、登山にかかる時間をたーぷりとって綿密なプランを練らないとダメそうですねぇ。。とても参考になりました!

ワタクシは近江八幡城と再安土城他、こまかい史跡を取りこぼしも含めて廻ってきました。今は写真の整理をしながら来月の予定を考え、お盆休みの遠征先も迷っているところですw
 
UA (2018/05/05 2:21 PM)
こんにちは。穏やかなGWですね。山崎合戦場行ってきましたよ。早朝3時に自宅の愛知県東部から高速は使わず下道で京都府乙訓郡大山崎をめざしました。予定より1時間遅れて11時に大山崎駅に到着したもののなんと駐車場がない。近辺に3〜4ヶ所あるコインパークもどこも満車。山崎駅は田舎の小さな駅という印象でしたが昔から交通の要所でまたGWで天王山登山する人も多くそれなりの人出です。1時間強粘ってようやくコインパークで1台分のスペース確保できました。天王山は秀吉が陣をしいた場所で戦いは天王山の麓で行われたようですね。自分は天王山を登山し山崎中学の横の合戦場の碑をみて散策をやめ次へと移動しました。勝竜寺城や明智藪も行きたかったんですが京都はまだ他にも見所あるので又の機会にと。ちょっとロスした時間が響きました。山崎に行くときやっぱりネックは駐車場ですかね。数百メートル遠方にイオンが見えたのでそこに駐車しててくてく歩くのもありかも。でもその後の天王山登山はちょっとこたえるかも。