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信綱寺にて真田信綱・昌輝のお墓参り

長谷寺で真田幸隆・昌幸 with 幸村のお墓参りをした後は信綱寺へ!

存在感がすごい瞬間


ナビに連れられ到着すると、何もないところにドーンとそびえたつ山門。
周りに何もないし雰囲気も少し変わっているから、ちょっと浮いてる感ありw

どうかしてた瞬間


山門の手前に車を停めたら、上にあるお寺まで長めの階段を登って行きます。
ホントはここで「墓前の桜」を眺めるべきところ、ワタクシ完全に見逃し・・

ほら、右側にニュッと斜めに伸びている木があるでしょ。これが桜の老木で、
長篠で討死した真田信綱の首級を、家臣が自分の陣羽織に包んで持ち帰り、
この樹の下に埋めたと言われてるのに、その根元を見てないって・・ちょw

さらに残念な人だった瞬間


六文銭が輝く本堂。曹洞宗のお寺です。元は打越寺とされていましたが、
真田昌幸が長兄信綱の牌所として寺堂を改築、信綱寺と改めたんだそう。

で、このお寺、予約すれば信綱の首級が包まれていたという血染の陣羽織や、
信綱着用の黒漆塗仏二枚胴。昌幸書状など貴重な品も見せてもらえたんだって・・

ワタクシは予約できるってこと、行くまで気づいてなかったけど(*°∀°)=3

ハズさない瞬間


信綱さんのお墓は本堂の裏。門の外に出て急な裏山を上って行く必要があるのです。
場所を念入りにチェックしすぎて、他の大事なことがきっと漏れちゃったんだねw

ゼエゼエしながらだった瞬間


なかなか急な斜面を登ってたどり着きました・・・ひ、ヒザが痛い!!
享保2年(1717)にお寺が改修された際、お墓はこの裏山に移されたんだそう。

痛恨のミステイクだった瞬間


石段を上がった正面にあるのが、真田信綱夫妻と真田昌輝さんのお墓。
そして右の石灯籠の後ろにある2つの墓石が、信綱さんの首級を持ち帰った家臣、
白川兄弟の墓。ワタクシ、うっかり写真を撮り忘れてこれしか映ってなかったw
白川兄弟は首級を届けた後、信綱さんを追って殉死したんだってさ・・泣ける。

手っ取り早く真田三代を妄想する瞬間


中央の宝篋印塔が信綱さん、で、左が信綱夫人、右が昌輝さんと並んでます。

信綱は真田幸隆の嫡男。武勇に優れた信綱は信玄からの期待や信頼も高く、
第4次川中島合戦三方ヶ原の戦いなどに参戦し、武田二十四将の一人に数えられました。
信玄の死後は勝頼に仕え、天正2年(1574)に病に倒れた父幸隆に代わり真田家を継ぎますが、
翌天正3年長篠の戦いで弟昌輝とともに壮絶な討死を遂げました。享年39歳。(昌輝は享年33歳)

信綱さんは馬防柵をなぎ倒しながら敵陣に突撃する中、銃弾に斃れたんだそうな・・
小説でこのシーン読むと、なんかもう胸がグッとしめつけらちゃう感じがするよね。

真剣に合掌の瞬間


昌輝さんのお墓は近年(お墓が移された後)建立されたものと説明されていました。
いつもは気安くなんか語りかけてるんだけど、今回は何となく神妙にお参りして。

真夏の炎天下だった瞬間


信綱寺の前には、六文銭の旗を模したモニュメントがずらっと立ち並んでいます。
奥から長篠、関ヶ原、大阪の陣と真田の重要な戦を表現しているんだってさ。

看板だけ見て終わらす瞬間


歴史の丘っていうんだね。上田市が気合入れて作った真田に捧げる公園です。
一番手前が大阪の陣だけに、先頭の丸い部分は「真田丸」を象徴したものなんだそう。

上田市の気合を感じる瞬間


モニュメントのところには信繁(幸村)の他、昌幸、信之、信尹、信綱、
そして信玄や勝頼、秀吉に秀頼、家康の花押も配置された。凝ってるな!



長野攻略はこれで終了! 次は「超〜弾丸!下関番外編」に続きます。


壇ノ浦古戦場跡に出陣!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.06.18 Monday 14:04 | comments(1) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2018.11.16 Friday 14:04 | - | - | - | 
UA (2018/07/01 12:18 PM)
こんにちは。真田家は武田の家臣だったので武田巡りの延長のような感じもありますね。長篠の戦いの地にも真田信綱、昌輝の墓がありました。(戦死の碑かのしれません)馬防柵から離れた設楽が原資料館の裏山の麓にありました。もしこの場で戦死したのならば勝頼を逃がすために自ら盾となって敵を防いだのかもしれませんね。(一説には本陣にいる弟の昌幸に我ら兄弟が敵を支えている間に勝頼公を守ってこの地を逃れよと伝言したともいわれていますね。)