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徳源院にて京極家墓所に参拝!

長浜城の次は徳源院へ! 近江の見逃し処をこまごまめぐっていくわよ〜!

静まり返っていた瞬間


弘安9年(1286)、京極氏初代、氏信が建立したという徳源院清滝寺。
天台宗の古刹で観光バスもやって来る有名なお寺だけど、この時は貸し切り。

季節を間違えた瞬間


境内に入ったところに道誉桜と呼ばれる樹齢300年の桜の木がありました。
京極氏5代の佐々木高氏…道誉が植えたと伝わるしだれ桜で2代目らしいです。

段取りも間違えた瞬間


徳源院には小堀遠州作という池泉回遊式庭園もあるので見たかったけど、
受付は閉まってて、拝観は事前に予約って張り紙が貼ってあった(*°∀°)=3

風情漂う瞬間


でもワタクシの目当て第一は京極家のお墓参り。気を取り直していこ!
県指定文化財の立派な三重塔を眺めながら、本堂左奥に向かいます。

焼き付ける瞬間


こちらが国指定史跡の京極家墓所。始祖氏信さんから25代高中さんまで?
歴代当主と丸亀藩など分家の当主5名が合わせて祀られています。

京極氏は宇多天皇に連なる近江源氏、佐々木氏から興った家系。
鎌倉初期の近江守護、佐々木信綱が4人の息子に近江を分けて継がせたうち、
三男康綱が近江南部を与えられて佐々木氏嫡流を継いで六角氏となり、
信綱の死後、近江北部を受け継いだ四男氏信が京極氏を名乗ったのが始まりです。

ちなみに長男は大原氏、次男は高島氏ですが、ワタクシはよく知りません。

ロックオンの瞬間


戦国で行くなら京極家中興の祖、高次というとこなんだろうけど、
ワタクシは道誉さん狙い! 上段VIPフロアを目指せばいいのね!

京極家墓所は寛文12年(1672)、22代高豊が播磨の所領2村とこの地を交換して
菩提寺だった清滝寺を復興し、近隣に散在していた歴代当主の墓碑を集めたもの。
丸亀藩初代の父21代高和の院号に基づいて、徳源院と改められました。

残念極まりない瞬間


と勇んで墓所内に入った途端、目に入った残念なお知らせナニコレ(*°∀°)=3
危ないなら仕方ないけど、目の前に行って道誉さんのお参りしたかったな・・・

佐々木道誉は京極氏5代。南北朝時代、武芸だけじゃなく風流にも通じ、
派手な服装を好んで自由な振舞いをしたことから「婆沙羅大名」と呼ばれた人。
太平記にも出てくるし、教科書にも載ってる超有名なバサラの元祖!

ワタクシは尊氏が好きじゃないので、正直その辺はアレレなんだけども、
独自の美意識や感覚、破天荒な生き方は興味深い人だなって思うの。

個性はなかった瞬間


写真があるので雰囲気だけでも。手前から4つ目・・・ノン婆沙羅ノン個性w
上段VIPフロアはこんな感じで初代から18墓の宝篋印塔が並んでるのねぇ(遠い目)

京極氏は道誉が早くから足利尊氏と通じ、功績を挙げたことから
幕府内での地位を得るものの、勢力は佐々木嫡流の六角氏には及ばず、
戦国期になると跡継ぎ騒動の隙に国人領主浅井氏に乗っ取られてしまいます。

その後、浅井氏の庇護を受け、名目上の北近江守護としてかろうじて続き、
浅井氏が滅亡すると織田家に仕え、高次が再興を目指すこととなりました。

角度が難しい瞬間


じゃ気を取り直して19代高次さん以降の方々のお墓参りをしとこっか。
手前から19代高次、24代高矩、25代高中、22代高豊の墓が見えてます。

特別扱いだった瞬間


さすが中興の祖! 高次さんだけ石廟の中に納められている別格仕様です。

京極高次は幼少期を人質として織田家で過ごして浅井滅亡後に家臣となり、
本能寺の変後は秀吉に仕えると、九州征伐の功により1万石に加増されて
大名に返り咲き、さらに小田原攻めの功で近江八幡山城2万8,000石となります。

そして豊臣秀次が関白になると従五位下侍従に叙せられ、大津6万石に加増。
羽柴姓の苗字公称を許され、豊臣姓も下賜され、従三位参議に任じられました。

関ヶ原では成り行きから西軍につくものの、東軍に寝返り大津城に籠城。
開戦前に落城するものの、西軍別動隊の足止めをした功績により、
若狭小浜8万5千石を与えられました。以降、京極家は松江龍野を経て、
丸亀5万石の藩主として幕末まで続き、明治維新を迎えています。

ひそかにあやかろうとする瞬間


石廟の中は扉の隙間から撮ったので宝篋印塔の一部しか撮れなかったわ。
滅亡寸前から大出世した高次さんは慶長14年(1609年)47才で亡くなりました。

本能寺の変では光秀側につくミステイクをして秀吉の長浜城を攻めたのに
秀吉の側室となった妹の竜子(松の丸殿)の嘆願により許されてラッキー。
そして正室に浅井氏の娘、初を迎えたことで初の姉、淀君の覚えもめでたく、
さらに初の妹、江が嫁いだ徳川秀忠は後の2代将軍・・なんてついてる!

だから「妹や嫁の七光りで出世した」とやっかまれ、影で「蛍大名」と
言われることもあったのだとか・・・言ったの誰や。品がないよね。
閨閥で出世した部分はあるにしろ、そういう運があるのも実力のうち。

再興を目指して戦う気概や根性も多少は見せたからいいじゃんね(*°∀°)=3

とか気安く語りかけながら合掌してお参りは完了! 運上がらないかなw

考えたらすごかった瞬間


墓所内には分家の多度津藩を合わせて、5つの京極家のお墓もありました。
六角氏は信長に滅ぼされてるもんね。滅亡寸前からのこの繁栄はすごい!!

未練たらしい瞬間


高次さんもいいけど、やっぱり上の18基を見たかったよな〜と思い、
遠目でいいからどうにかならんかウロついたけどちょっと無理だったw


でも道誉さんのお墓はなんと、もう1ヶ所あるからレッツゴーおかわり!
その前に道誉と戦って敗れた北条仲時と仲間たちのお墓参りに向かいます。



蓮華寺にて北条仲時のお墓参り〜に続く


Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.08.18 Saturday 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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