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蓮華寺にて北条仲時のお墓参り

京極家墓所の次は通り道だし、道誉からの南北朝つながりで蓮華寺へ!
六波羅探題北条仲時と家来たちが自刃して果てた地でお墓参りをするのです。

ちょっと興奮する瞬間


通り沿いに目立つ柱碑があって、お寺はここから参道を少し入った先にあります。
この辺は東山道(中山道)「番場宿」として栄えたらしいけど今は静かな街並み。
鎌倉末期のめぐりが久々のせいか「南北朝」の文字がやたら新鮮に見えてますw

雰囲気を味わう瞬間


参道の先に見えるのがこちらの山門。勅使門ということで閉じられてます。
風情ある佇まいだけど、真後ろが名神高速なので静寂って感じじゃないかも。

蓮華寺は聖徳太子によって開かれたと伝えられ、当初は法隆寺と称していました。
歴代天皇の信仰も厚く花園天皇(1308〜18)から菊の紋を下された浄土宗の古刹です。

勅使門のすぐ向こうが本堂なんだけど、境内には左から廻って入ります。

失神しそうになる瞬間


山門横には「血の川」と書かれた立て札。「北条仲時と家来たち432名が
本堂前庭で自刃した鮮血が滴り流れて川の如し」って・・・マジ怖すぎる。

ワタクシは今回、佐々木道誉や北条仲時のお墓参りをするにあたり、
太平記を改めてざーっとナナメ読みしてますから妄想力アップ中なんです。

想像するのも怖かった瞬間


境内に入ってその本堂前がこちら。狭くはないけどすごい広くもない。
当時とは違うでしょうけど、ここで432人一斉なら血の川も大げさじゃなく・・。

元弘3年(1333)、足利高氏ら反北条軍に包囲された六波羅探題北条仲時は
光厳天皇、後伏見・花園の二上皇を奉じて東国へ落ち延びようとしますが、
番場の宿にたどりついたところで佐々木道誉の軍勢に行く手を阻まれます。

仲時はやむなく天皇や上皇を蓮花寺に移して、防戦するものの破れると
蓮花寺の本堂前庭で自刃。一族432人も後を追いことごとく果てました。

波乱だらけだった瞬間


本堂にかかる扁額は後水之尾天皇筆なんだけど、それよりも光厳天皇ですよ!
太平記によると死体の山、血の海って凄まじい有様を見て茫然自失だったって。

余談だけど光巌天皇はこの後、五宮の軍に捕まって京の都に幽閉されて、
復帰した後醍醐天皇から「天皇として即位していないが特例で上皇待遇とする」
とかうまいことやられ、天皇即位の事実自体を無効にされちゃうんです。

で、色々あって尊氏が室町幕府を成立してしばらくは治天の君として北朝で
院政を行うんだけど、今度は尊氏と弟直義の争いに巻き込まれて南朝に拉致され、
幽閉先で出家。45歳で京に戻ることを許されるとひたすら仏道に励み、
高野山などへ巡礼の旅に出た後、余生を常照皇寺で過ごし52歳で崩御という・・。

光巌院の波乱人生もすごい興味深いし、人間くさい感じも親しみ持てて
ワタクシ陵墓とか興味ないけど常照皇寺はそのうち参ろうと思ってるんだ。

知ったかぶらない瞬間


ではお墓参りに行きましょう。本堂の右手に墓所の入り口案内板があります。
横にあるのは(伝)鎌刃城主土肥元頼の墓だそう。誰か分からないけど(*°∀°)=3

気を強くもつ瞬間


入口から少しだけ登るみたいです。木立が茂ってて日当たりイマイチ。
もし無念で漂ってる方がいて連れ帰っちゃうと困るから気張って歩いてく!

シェアされる瞬間


途中には明治時代に建てられたらしい紀念碑もありました。
義に生きるとか忠義の士とか日本人は大好き。仲時さんも人気!

仲時は自害する際、家来たちに「武運が傾いて北条の滅亡が分かっているのに
ついてきてくれたことに感謝。でもそれに報いて何も出来ないのが残念だ。
自分の首を討って手柄とし恩賞を得よ!」と言い終わらぬうち鎧を脱ぎ、
切腹して果てたと言います。享年28歳。コレ武将の最期で一番泣けるやつね。

原文の方が仲時のセリフが泣けるからちょっと載せておく。

「武運漸傾て、当家の滅亡近きに可在と見給ひながら・・・(中略)
早く仲時が首を取て源氏の手に渡し、咎を補て忠に備へ給へ」

静寂の瞬間


紀念碑から少し登った左手が432名の墓所。簡単な説明板もあります。
お寺のすぐ裏手は名神高速が走ってるけど、ここはひっそりしています。

蓮華寺の住職だった同阿上人が仲時らの最期に深く同情し、姓名と年齢を記して
過去帳に残し、墓を建てて供養したそうな。過去帳は国の重文なんですって!

無念を思う瞬間


小さな墓石がずらっと寄り添うようにみっしり並んでいます。

仲時が自刃すると家臣の糟谷三郎宗秋は仲時の腹に刺さった刀を抜いて
「死出のお伴仕る」と言って切腹。そして残る全員が2人の後を追って自刃しました。

調べ不足だった瞬間


ここにたどり着くまでに逃げちゃった輩もたくさんいたらしいけど、
それにしても最期まで従った432人全員が自害ってホント壮絶だよね・・。

で、肝心の仲時さんのお墓、真ん中のデカイのかと思ったけど説明読んだら
なんと享保年間(1716〜36)に街道の西の山に移されたんだって(*°∀°)=3

六波羅山っていうらしいけど・・ワタクシもまぁまぁ無念だわw

北条仲時の自刃から13日後、鎌倉幕府も新田義貞に攻められ滅亡しています。
仲時はじめ北条一門、御家人の悲哀や無念を思って念入りに合掌しました。


そして帰りは超ダッシュ! 次は戦国の義の人。大谷さんところに行きます。


長浜市下多良にて大谷吉継の首塚にお参り〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.08.25 Saturday 13:16 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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