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八幡山城に登城!

バサラ道誉様のお墓参りの次は、近江八幡市へ!!

ロックオン全開の瞬間


安土城や観音寺城に登城したり、通りすがりに八幡堀は観光したりしつつ、
時間の都合だなんだで取りこぼしてた八幡山城。今回はコレだけ狙い!!

初志貫徹の瞬間


クラブハリエとか八幡堀散策とか始めるとまた時間がなくなる可能性大なので、
日牟禮八幡宮前に車を停めたら、わき目もふらずロープウェイに乗った!

ちょうど発車する所に乗れたから、乗り場の写真とかないけど(*°∀°)=3
15分間隔で出てたかな? 乗れば山頂まで5分もかからないのでマストです。

お手軽だった瞬間


ロープウェイを降りたら案内板を確認。八幡山城は斜面が急で中腹に何もなく、
遺構は山頂に集中してるので、案内どうり歩けば一通り見られるのがよいよね。

ウキウキする瞬間


歩き出してすぐ現れた石垣に期待が高まる! 八幡山城は総石垣のお城。
本格的な石垣を見るのはすごい久々ってことに急に気づいたワタクシです。

後の祭りだった瞬間


順路で最初に見えるのが「お願い地蔵堂」。どんな願いもかなえてくれるとか。
でもそれを知ったのは降りてからだったから完全にスルーしちゃったけどね・・・

わき目もふらない瞬間


地蔵堂を過ぎるとほどなく、道が二手に分かれます。右に行くと本丸跡。
でもワタクシは時計回りしたいので、迷わず左の西の丸方向に向かいます。

食いつく瞬間


西の丸に向かう右手には、けっこうな高さの本丸石垣がずっと続いてるんだけど、
苔むし具合に加え、ちょいちょい折れまであるもんだから鼻息荒くなっちゃって。

土塁空堀の城跡や、武将のお墓参りでもいつもイミフに興奮してるけど、
総石垣(しかも大好きな廃れ気味)って全然ちがう高揚感だったって思い出した!

ドン引く瞬間


うっとり歩いてたら西の丸に到着! 噂の「LOVE」モニュメントがマジ残念w
城跡は残されてるけど、無理やりな観光化されてるのが惜しいなって思った。

そうそう、西の丸の前に出丸へ行きたかったんだけど、2018年の5月GW時点は、
出丸へ降りていく通路が立ち入り禁止になっていて見れなかったのが残念!

胸がスーッとする瞬間


西の丸からは琵琶湖が見えます。近江の風景ってのびやかで澄んでていいよね!

八幡山城は天正13年(1585)、豊臣秀吉の甥、秀次が築城した城。

本能寺の変後、次第に実権を握った秀吉は近江の支配を強化するべく
紀州攻め、四国征伐で戦功を立てた甥の秀次に近江八幡43万石を与えると、
隣地の安土から城下町や商人を移動させ、八幡山城を築かせました。

天正18年(1590)、秀次が尾張清州城に移封になると京極高次が入城しますが、
文禄4年(1595)、秀次が謀反疑惑で切腹すると八幡山城は廃城となりました。

感心しきりな瞬間


次は北の丸に向かいます。途中の石垣の隅は算木積みになってました。
いつも思うけど、こんな急峻な山の上にこれだけの石を運ぶってホントすごいよね。

大事なことだった瞬間


保存状態が悪そうな部分も多いけど、期待以上に見ごたえがあります。
観光化はほどほどで、石垣の保存もずっと頑張ってってほしいです。

チープな瞬間


北の丸に到着!少し見えづらいけど、奥にはまたもハートのオブジェが(*°∀°)=3
観光化も色々やり方あると思うけど、史跡であえて恋人押しって発想がなんか・・・。

妄想がかけめぐる瞬間


北の丸からは安土城(手前の低い山)、観音寺城(奥の大きな山)が見えます。
観音寺城の隣に築かれた安土城、そしてその近くに築かれた八幡山城。この距離感!

クライマックスな瞬間


北の丸から少し歩くと本丸に到着! 今は瑞龍寺というお寺が建っているけど、
この辺りは八幡山城の頃は本丸虎口だったっていう雰囲気がよく残っています。

御紋がまぶしすぎる瞬間


山門前の石垣がまたいい感じで、城門ありし日のことを思ったりして。
隣に立つ「村雲御所瑞龍寺門跡跡」碑の格式高いオーラがまぶしいw

瑞龍寺は秀次の母(秀吉の姉)が高野山で切腹した秀次の菩提を弔うため、
京都村雲に建立したお寺で、後陽成天皇から寺領と瑞龍寺の寺号を賜り、
紫衣と菊の紋章が許されて以降、幕末まで皇族五摂家の息女が住職を務める
尼門跡寺院として続き、「村雲御所」と呼ばれていました。

勝手に櫓門とか思い浮かべてる瞬間


昭和38年(1961)、京都から秀次ゆかりの八幡山城に移築されたそうです。
今でも日蓮宗で唯一の門跡寺院として、とても格式ある存在なんだって!

防御力高そうな瞬間


山門をくぐった先は桝形になっていて、こじんまりしてる分、
石垣だけでもなかなかの圧迫感。こういう狭い空間キライじゃないw

たぶん右から撮るのが正解だった瞬間


本丸に建つ本堂。正面の距離がなくて映した角度がおかしいけど(*°∀°)=3
拝観料を払えば、中に入って門跡寺院ならではのお部屋など見られるようです。

要塞だった瞬間


お城の推定図がありました。秀次の頃は琵琶湖も麓近くまであっての山頂コレ。
新しい近江拠点だからって、やっぱ色々気合が入ってたんだろうなって思う。

当時は推定図にあるように、三層天守が建ってたとも言われてるんだけど、
天守台石垣は残ってないし、本丸自体も虎口以外はコレって遺構がない模様。

申しわけ程度だった瞬間


本丸を出たらロープウェイに戻りつつ、順路の最後に見える二の丸へ。
展望館や売店が建っていて、跡として見られるのは石垣のある一部だけ。

ついでの瞬間


そして展望館へ。2階には資料などが展示されているらしいので見てきます。
ちなみに前の広場にはまたも恋人モニュメントが…もう無理やり感しかないw

何でもありだった瞬間


お城の歴史とか豊臣秀次の生涯なんかの説明、出土品や八幡瓦の展示に加え、
かわいい女の子系アニメのパネル特集まで展示されていたのであった(*°∀°)=3

高すぎるお立ち台だった瞬間


八幡山城を降りた後は、秀次像を見るため近くにある八幡公園にやってきました。
秀次像は小高い場所から、八幡堀の街並みを見守るように建てられてます。

表情が気になる瞬間


豊臣秀次は秀吉の姉の子で、当初は三好康長の養子となり信吉を名乗っていましたが、
本能寺の変後、秀吉が実権を握ると羽柴姓と秀の字を与えられ、一門として重用されます。

天正19年(1591)、秀吉の実子・鶴松が亡くなると、養子となり関白職を譲られますが、
文禄2年(1593)に次男秀頼が誕生すると、秀吉から次第に疎まれるようになり、
文禄4年、謀反の企てを理由に高野山へ追放、切腹を命じられました。享年28歳。

「残忍な振舞いが多かったので殺生関白と呼ばれた」って話もあるけど、
ワタクシ、あれは秀吉サイドのネガティブキャンペーンだと思ってマス。
そもそも謀反の企てからして言いがかりぽいもんね。ホント気の毒だわ。

秀吉に振り回され、若くして無念な最期を遂げることになった秀次さんだけど、
近江八幡繁栄の基盤を作ったということで地元の人々には慕われているようで、
この銅像も市民の寄付で建てられたんですって。

趣ありすぎな瞬間


そして登城と銅像に満足したワタクシは、秀次の屋敷跡を見忘れ(*°∀°)=3
時代劇でもおなじみ八幡堀をぶらぶら。いつ見ても素敵なところです。

高度成長期の頃には汚染がひどく、一時は埋め立ても検討されたところ、
市民の声で保存が進められたおかげで、見ることのできる貴重な風景。

花より団子の瞬間


風情があるわ〜と散策しながら、実はキョロキョロ目当ての店を探してもい。
ランチのステーキ重に続き、また千成亭で、今度は近江牛の寿司を食っちまったw


さて。「北近江の見逃し処をめぐってきた」シリーズはこれで終了!

次は山形・秋田方面に行ってきます!!


新庄城に登城!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.09.15 Saturday 15:50 | comments(1) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

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2020.02.14 Friday 15:50 | - | - | - | 
- (2018/09/20 2:25 PM)
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