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正源寺にて鮭延秀綱のお墓参り

戸沢家墓所の次は秋田の方へ向かいつつ、真室川にある正源寺へ!
ここでは最上家のイケ武将 鮭延秀綱さんのお墓参りをするのです。

まぶしすぎた瞬間


県道から少し入った所にある狭い山門を抜けられれば駐車場に行ける(*°∀°)=3
通りから奥まっている上、さらに線路まで越えた先にあるちょっと珍しいお寺です。

異色のコラボだった瞬間


線路を越えるどころか、なんなら荘厳すぎる立派な総門が踏切の真ん前!
昭和36年に出羽三山の湯殿山大日坊から移築された町指定の文化財なんだって。

お参りしづらいタイプの本堂だった瞬間


正源寺は天文5年(1536)小野寺氏家臣の鮭延城主、佐々木典膳貞綱が菩提寺として
鮭延山総国寺を建立したのが始まりで、子の鮭延秀綱の時代に現在の場所に移され、
三弘山正源寺と改められました。当時からか分からないけど曹洞宗のお寺です。

鮭延氏はお名門「近江源氏の佐々木氏」の一族で、出羽に下って小野寺氏に仕え、
鮭延の地に入ったことから、地名を取った鮭延を名乗るようになりました。

自信マンマンの瞬間


鮭延さんのお墓は境内ではなく、いったん総門を出た左手の墓域奥にあります。
境内にも途中にも墓所への案内は一切なかったから、調べてきてよかった!

かけよる瞬間


ずっとまっすぐ進んで、木立の中にこんな感じのが見えてきたら到着!
真ん中が鮭延さんのお墓なんで、アレを目がけてつっこんでいきます。

ありがたがる瞬間


道順や案内はないけど、お墓の前にちゃんとした標柱があるのが嬉しい。
鮭延さんのお墓は茨城県古河市の鮭延寺にもあって、そちらに比べるとココは
建立の経緯がわからないんだけど、そんな古くはなさそうな雰囲気だよね。

思い込みが激しい瞬間


こちらが鮭延さんのお墓。シュッとして佇まいが美しい五輪塔です。
でも生一本っていうか、人柄が清らかな印象にすごい合ってる気がする!

鮭延秀綱は横手城主小野寺氏に仕えた佐々木貞綱の子として生まれましたが、
庄内大宝寺氏の侵攻を受けた際に捕らえられ、幼少期は小姓として仕えたといいます。

その後、秀綱は大宝寺から解放されると、家督を継いで鮭延城主となりますが、
天正9年(1580)、出羽を平定した最上義光の侵攻を受けると激しく抵抗するものの、
調略による内部切り崩しを受けて降伏。本領を安堵されて最上氏に仕えると、
最上領北方の要として、旧主小野寺氏攻略など交渉や戦の両面で活躍しました。

想像をはためかせる瞬間


しっとりした石には「正源寺殿前越州大守松雲宗長大居士」と刻まれてます。
武勇に秀でつつ温柔敦厚というステキ武将ですから、念入りに合掌しますとも!

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに呼応して起きた慶長出羽合戦では、
直江兼続率いる上杉軍2万に包囲された長谷堂城へ救援に駆けつけると、
城将志村光安を助け、獅子奮迅の働きで上杉軍の本陣に迫る活躍をします。

その戦いぶりは直江兼続に「さても今日、鮭延が武勇、信玄、謙信にも覚えなし」
と言わしめたほど!少ない手勢で何百も首を取ったというからマジ驚きじゃない?

そして関ヶ原の後、この戦功により最上義光が57万石の大大名になると、
秀綱も真室城1万1500石を与えられ、重臣として最上家を支えていきます。

しかし元和3年(1617)、義光の跡を継いだ家規が36歳で亡くなると家督をめぐり家中は対立。
家規の子、13歳の義俊派と、義光の四男、山野辺義忠派の争いがお家騒動に発展すると、
元和8年(1622)最上家は改易され、秀綱も老中、土井利勝の預かりとなりました。

ちなみに鮭延さんは家規の弟、山野辺推しだった人。権力がどうこうってより、
山野辺さんの方が器量人だったらしいから、最上家によかれと思ったんだろうね。
義俊は若いし、義俊派の人たちも残念なメンツがそろっていたみたいだし(*°∀°)=3

泣きそうになる瞬間


墓石の横には欠けてる所が気になるけど、「正保3年6月古河卒去」の文字が。
鮭延さんが亡くなったのは茨城県古河市。この晩年がまたグッと来るのよ。

土井利勝の預かりとなった鮭延さんの元には「乞食をしてでも殿を養いたい!」って
激アツな家臣が20人もついてきて、無禄でずっと鮭延さんを支え続けるんだよね。

実際、土井家預かりじゃなくなった後しばらく、鮭延さんwith家臣たちは
肩寄せ合って、その日暮らしみたいな生活をしてたみたいなんだよね。
でもすさんだりすることもなく、貧しくても清く正しくちゃんと生きた。

その後、鮭延さんは土井利勝に迎えられ、5000石!を与えられるんだけど、
激アツ家臣に分け与え、自分は家臣の家を1日置きに転々として暮らしたって…。

そして寛永10(1644)、土井家の領地替えに伴い、佐倉から古河に移った2年後、
正保3年(1646)6月死去。鮭延さんの死を大いに悲しんだ家臣たちが菩提を弔うため
建てたお堂が、もう1つのお墓がある古河市の鮭延寺(けいえんじ)なんですね。

鮭延さんって生年がハッキリしないから微妙なんだけど、享年は80代のハズ。
還暦の頃に主家が取り潰されながら、全て失っても慕ってくれる家臣に囲まれ、
最後まで自分の信念に従って生きたって意味では穏やかな晩年だったのかな。

にしても、にしてもですよ!

「乞食をしてでも殿を養いたい!」って家臣の気持ちがマジ震える!!

故郷も親兄弟も捨てて、ただただ鮭延さんのことだけ思って山形を出て、
ホントにずっと尽くすんだもんね。主従どちらもハートがありすぎてw

こりゃやっぱ古河市の鮭延寺にもお参りいかなくちゃね。

地味に嬉しい瞬間


帰る時、偶然、奥羽本線が通ったのが少し嬉しかったw


お寺の近くには鮭延城もある・・てかもう本堂の後ろに見えてる山がソレだけど、
時間もないし、まーとにかく自然のまんま的な感じらしくて真夏の今は無理と!


てことで、次はいよいよ秋田入り! 久々に怒涛の進軍するわよw


稲庭城に登城!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.10.08 Monday 12:40 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

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2020.02.14 Friday 12:40 | - | - | - |