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金沢柵に登城!

平安の風わたる公園から金沢柵にまっしぐら!怒涛の勢いで押し寄せました。
近くにある「後三年の役資料館」は、時間がないから見なかったことにして(*°∀°)=3

押し寄せる瞬間


通りに出てた案内にそって一気に柵前に到着! 駐車スペースもあって安心!
後三年の役資料館から歩きだと、小山を登るしまぁまぁ大変じゃないかと思う。

縄張図の載った案内を見ると「柵」じゃなく「金沢城跡史跡案内」と書かれてた。
今ある遺構は戦国期の山城で、実は金沢柵は場所の特定がされてないんだって。

だいたいこの辺ではあるけど、発掘調査しても後三年の役の頃のブツが出ない。
だから特定できない、ここだと断定できないってことなんだと思うけど、
ワタクシは後三年の頭で来てるから、細かいことは気にしないで行く(*°∀°)=3

だから今回の記事のタイトルも「金沢柵に登城!」で行くことにした次第。
(後三年の役が起きてから金沢柵の攻防に至るまでのことは前回の記事を見てね)

備えあれば憂いなしの瞬間


パンフレットとかは置いてないので、印刷してきた縄張図を見ながら登城開始!
下から登りだとツライけど、ここからなら階段を登るだけだから足取りは軽やかw

金沢柵は平安時代に清原氏によって築かれたもので、後三年の役では
清原家衡、武衡が籠城するも、源義家・清原清衡の兵糧攻めにより落城します。

長禄2年(1458)には南部氏の家臣、金沢右京亮が入って居館とし、
その後、小野寺氏に支配が移ると家臣の金沢権十郎の居城となりました。

関ヶ原後の慶長7年(1602)、佐竹氏が秋田に入ると本城候補にあがるものの、
久保田城が本拠になると、元和8年(1622)一国一城令により破却されました。

すぐ到着で安心な瞬間


階段を登って整備された通路を進むと「兜杉」と「兜八幡神社」が見えてきます。

兜杉は源義家が凱旋の時、愛用の兜を埋めて上に石を置き、そばに記念のため、
藤原清衛が植えたと言われるもので根回り7.45m、樹齢900年の立派な杉でしたが・・・

妄想かけめぐる瞬間


昭和58年に失火により焼失して、今は切り株(の形の表皮)だけ残ってる状態。
真ん中が兜を埋めた上に置いたっていう兜石。ホントかは別としてちょっとロマンw
そして兜八幡神社は、八幡太郎義家と弟の新羅三郎義光を祭ったものなんだって。
義光は苦戦する兄を助けるため、官職をなげうって参戦したと言われてます。

厳かだった瞬間


兜杉から少し進めば二の丸跡。ここには金沢八幡宮が建立されています。
中央でしかも一番高い位置にあるから、本丸ぽく思えるけど二の丸だって。

こちらは後三年の役が終わった寛治7年(1093)、源義家が出羽鎮護のため、
藤原清衡に命じて京の石清水八幡宮の神霊を勧請して創建したものなのだとか。

重みを感じる瞬間


新羅三郎の末裔である佐竹氏の尊崇が特に篤く、佐竹氏が秋田藩主になった後、
慶長9年(1604)以降には、数回にわたって修改築されてるそうですよ。

鳥肌たちまくりの瞬間


拝殿の左側の方から堀底に降りて、向こうに見える北の丸に行ってみるよ!
ヤブ蚊の他に、羽音のする変な虫も飛んでるのが超イヤだけど頑張ります。

鼻の穴を広げる瞬間


右が北の丸側の土塁。二の丸の方が3倍くらい?だいぶ高い感じかな。
山城で堀底を歩くのも久々な気がするけど、囲まれるって落ち着くねw

ものぐさする瞬間


北の丸はまぁまぁ広め。写真だと分かりづらいけど低い土塁に囲まれてます。
近く行って見てないんだけど、屋根のあるところは土俵になってるのだとか。

深く考えてなかった瞬間


北の丸の次は兵糧倉跡へ。ここの土中からは今でも焼米が出てくるんだって。
案内板には「後三年の役の兵火にかかり消失した糧食」とも書いてあった。

清原家衡は兵糧攻めで食料が尽きたから、火を放って逃げたと思ってたけど、
そうか、無くなる寸前にサッサと逃げ出したパターンもあるんだなぁと思いかけ、
あ、でも金沢柵の場所は特定されてないんだっけって思い出し、少しだけ悩んだw

といいつつ、すぐ「まーいいか!」って後三年モードに戻ったけど(*°∀°)=3

早足になる瞬間


兵糧倉跡を奥に進んで本丸に向かいます。左側が本丸。二の丸くらい高そう。
まーしかし、蜂とも虻とも違う感じの変な虫がいっぱい飛んでて気持ち悪いです。

金沢柵での兵糧攻めは日本史上、初めて行われたと言われてるんだけど、
投降させない方が兵糧が早く減るっていう吉彦秀武の進言を受けた源義家は
投降しようとする女子供を容赦なく斬ったんですってよ!! こわいわぁ…

八幡太郎義家って武士たち憧れの英雄って印象が強いからうっかりするけど、
戦いの場面はキレイごとばっかじゃないんだってことも忘れちゃいけないね。

エキサイティングな瞬間


本丸はかなり広い! 発掘調査で12世紀頃の焼き物だったか?・・が出てるんだって。
後三年の役よりは後だけど、でもその頃から何かしらはあったってことなんだ!!

勝手に納得する瞬間


本丸を見たら一旦駐車場に戻って、道の向かい側にある西の丸を見に行きます。
駐車場になってるところも、当時は郭の一部とかだったのかもしれないね。

虫もいなくて快適だった瞬間


西の丸は長細い! どういう役割の郭なのかは説明がなくて分からなかった。
金沢柵って木立が多いせいか、通路の草が少な目で歩きやすくてとてもいい!

ショッキングな瞬間


だけど長細を進んでいった奥にある肝心な堀切の所だけ、このありさま(*°∀°)=3
草ボーボーでよく分からないけど、幅4〜5m、深さも2mくらいあったのかなぁ。

あきらめが早い瞬間


道路を右奥に進めば、本丸側の尾根筋にある5連続堀切近くまで行けるぽいけど、
西の丸の堀切があのヤブヤブだったから、厳しいだろうなと思ってやめておいた。


余談だけど、車に戻って帽子を取ったら尺取り虫がついててギョッとなり、
何気なく肩先みたらTシャツにも張り付いてたから、ちょっと気が遠くなった。
お尻で踏みつぶしたりしてないか、慌てて車を降りて確認しちゃったわよん。

やっぱ本丸周辺だわ。変な虫とか糸みたいなピラピラにマジ注意!!



さーて、これで後三年の役クリア! 次はもっと時代をさかのぼる!


払田柵へ登城!〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.12.14 Friday 15:04 | comments(0) | trackbacks(0) | 東北(秋田県) | 

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