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会津若松城に登城!

二本松城から磐越道をかっ飛ばすこと1時間少々。

会津若松城に登城!の瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

苔むした・・じゃなくつる草に覆われた高石垣。
夏の登城の敵は暑さだけでなく、ヤブ蚊とやりたい放題の
雑草であることを会津若松城にても改めて認識ヽ(`Д´)ノラー!

あらためて残念さ炸裂だった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

本当なら天守がチラ見えし、モチベアップするはずの廊下橋と廊下橋門跡。
会津若松城(別名:鶴ヶ城)は平成23年春まで瓦の張替工事の真っ最中。
無機質なシートに覆われて天守が見えないことは重々承知の登城だったけど、
実際、廊下橋に立ってシートを目の当たりにすると残念感が倍増する。

ごまかされませんよ!だった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

会津若松城は1591年に蒲生氏郷が7層の天守閣を築き、
名もそれまでの黒川城から鶴ヶ城と改められた。
蒲生氏郷が建てた7層天守は漆黒の城だったという。

その後、地震で傾いた天守を加藤嘉明が現在の5層に作り替え、
ここで戊辰戦争時の激しい籠城戦が繰り広げられたのだ。
戊辰戦争時の瓦は赤かったことが分かり、今はその葺き替え最中。

シートにこんな小細工したってごまかされませんからね!!
実物大完成予想図的なものを見せられて無念さが余計に募る。

鐘つき堂で戊辰戦争を妄想した瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

幕府軍として戦う会津藩は戊辰戦争で維新軍から激しい攻撃を受けた。
時の鐘を鳴らそうと鐘つき堂に会津藩士が上がると外から狙撃される。
しかし1人が倒れても鐘を鳴らそうと会津藩士が次々と鐘つき堂に上がる。
途切れることのなく聞こえる鐘の音は会津藩士を非常に勇気づけ、
また敵方の維新軍も驚嘆させた・・というエピソードのある鐘つき堂。

義によって戦う勇敢な会津藩士・・いじらくして涙出ちゃうよ。
その先にたとえ滅びや廃れがあったとしても信念や信義のために、
命を投げ出して戦う・・・あもはそういうのに非常に弱い。

天守の見えない今、貴重な見どころだった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)武者走り

有名な武者走り。シンメトリーが美しいしとっても素晴らしい。
大手門に続く櫓に素早く登れるように作られたもの。
城の本にも会津若松城の紹介では必ず載っている見どころ。

近くで見れていいのか、やっぱ違うのか迷った瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)しゃちほこ

瓦の葺き替え工事中、しゃちほこは降ろされ特別展示されている。

ガラスケースの中にちんまり展示されたしゃちほこを前に
普段間近に見れないものが見れることを喜ぶべきか、
天守とともにあるべき姿で見られないことを悲しむべきか、
ちゃっかり写真は撮りつつ、しかし一寸、本気で悩んだw

鉄板アングルも拝めなかった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

天守から続く南走長屋と干飯櫓。鉄門は残念ながら見れず。

うう・・石垣と門跡ごしに見える天守も見えなけりゃ、
鉄門と天守がセットになった超〜鉄板アングルも拝むことならず・・

修築中の登城って分かっていてもやっぱりつらいものね。

スタンプは無事ゲットしたけど、園内に数多く植えられた桜の木を見て、
遅い春、桜色に染まった新しい天守を見にまた登城したいと思った。

未練たらしいにもほどがあった瞬間
会津若松城(鶴ヶ城)

何度、振り返ってもシートで見えないのは分かってんだけどw
あるべきものが見えないのは本当に本当に寂しい限り。

腹が減っては戦ができなかった瞬間
輪箱飯 田季野

あもの場合、遠征登城の楽しみはご当地グルメにもある。
今回はるるぶを見て一発で目が行った輪箱飯をいただくことに。

よくばりすぎた瞬間
田季野 よくばり輪箱飯

いくらとか鮭とか五目とか輪箱がいろいろある中から
あもはあえて「よくばり輪箱」と書かれたメニューを選んだw
ほかに味噌汁と漬物、揚げまんじゅうと昆布煮物がつく。
炊き上げる釜めしとはまた違い、蒸す輪箱飯もとてもおいしい!

会津においては城とセットで忘れてはならなかった瞬間
飯盛山

会津若松城を見たからには、飯盛山や白虎隊も外すわけにはいかぬ=3
と張り切って飯盛山まで来たものの、階段を見て若干、萎え萎えΣ(゚Д゚)!
覚悟を決めて歩きだしたらすぐ、エスカレーターの存在を知り、こりゃラッキーw

楽して来たけど墓参りは真剣だった瞬間
白虎隊のお墓

白虎隊自刃19士の眠るお墓。会津若松城の天守内で
隊士の写真と紹介文をそれぞれ見てきているので、
お墓を目の前にするとエピソードのリアリティもひとしお。

「えらかったね・・頑張ったね・・」思わず涙が出そうに。

50円でお線香を買って墓前に供え、しばし合掌。

墓のある広場には白虎隊を称え、ローマ市民が贈った石柱や
ドイツ大使館の武官が贈った碑なども建てられている。

しばし白虎隊の少年たちにリンクの瞬間
白虎隊自刃の地

城の安否を確かめようと飯盛山に登った少年たちは
ここから市中火災を城が燃えているのだと思いこんでしまう。
悲観した少年たち20名全員がこの場所で自刃。
年齢を偽って参加し、死に切れず一命を取り留めた
飯沼貞吉ほかの19名がこの場所で亡くなった。

涙が出そうアゲインな瞬間
白虎隊自刃の地

藩のために戦いたいと年齢を偽って参加した少年たち。
決して生き恥さらすまいと潔く自刃した少年たち。

戦にしろ戦争にしろ、美談や綺麗事では済まされない
悲しい現実がもっと山のようにあるのだと改めて思う。

二本松少年隊といい会津の鐘つき堂といい白虎隊といい・・
そろそろ涙腺の我慢も限界なので次なる見どころへ移動。

これも見なけりゃ!だった瞬間
さざえ堂

飯盛山といったら白虎隊の墓のほか、さざえ堂も見逃せない。
見た目、なんつーことないボロい3階建ての木造の建物だけど、
中は二重らせんの階段になっていて上がる人と下りる人、
建物の中では絶対に出会わない。そのかわり天井低いΣ(゚Д゚)!

雨が降り始めたせいなのか、さざえ堂の中は独特の匂いが。

城見たらば屋敷までだった瞬間
会津武家屋敷

飯盛山から近いのでついでに会津武家屋敷にも寄ってみた。
せっかく会津若松城を見て白虎隊の墓参りもしたんだから、
どうせなら会津藩家老の屋敷も見ておこうという魂胆だw

ドラマのシーンは想像できなかった瞬間
西郷頼母の屋敷

武家屋敷は入場料が微妙に高いけど基本、見学は建物外から。
戊辰戦争時の会津藩家老、西郷頼母の屋敷が再現されている。
1700石取りの家老屋敷は庶民のあもにはピンと来ない2400坪Σ(゚Д゚)!
広大な敷地の中に書院の間だ、控えの間だ、武具の間だと公開され、
上流階級のかたくるしそうな武家の生活がよーっく分かる仕組み。

ちなみにこの書院の間、何かの映画の撮影で使われたそうな。
あもは邦画にうといので説明と写真見たのに名前忘れちゃったけど、
マネキン武士がいるのといないのとでは全然違う雰囲気なのがおかしいw
(小姓連れてるのが松平容保。家老屋敷に来たという設定のようだ)

あもにはとても住めないと思った瞬間
西郷頼母の屋敷

出かけようと式台まで行って「おっと忘れ物」と思っても
ぐるーっと回廊を廻って部屋まで取りに行くなんてめんどくさい!
忘れ物ぐらいは家来が取りに行ってくれるかもしれないけど、
お手洗いとかお腹壊して何度も行きたい時とか大変だよね・・。

見応えある武家屋敷の他、展示資料室では戊辰戦争時、
西郷頼母の妻子が赤熊をつけた維新軍に立ち会われ
自害した場面の再現などもあり、マネキンなのだけれど
じっと見ていると妙にリアルな感じもあって切なくなった。

会津藩では老人と少年までが戦力として出陣したが、
女子供は足手まといにならないようにと自害したという。

涙腺の我慢を超えた瞬間
野口英世記念館

会津、磐梯山、猪苗代湖ときたら野口英世も気になる。
福島の残り1城、白河小峰城に向かうついでに寄り道して、
この際だから野口英世記念館にも足を運んでみた。

今回のあもはかなりアグレッシブえらいw

ついでに・・なんて軽い気持ちで寄ったものの、
移築された英世の生家でやけどを負った囲炉裏を見たり、
英世のすさまじい努力の跡や情熱的な生き方を詳しく知ったり、
英世の母「シカ」の苦労や英世への思いを深く知るにつれ、
何だかたまらなくなって目がうるんでしまった。

英世にそっと謝罪した瞬間
野口英世記念館 ドクター野口

自筆の手紙、着ていた服や靴、研究用具、写真などの展示も多くて、
下手な伝記を読むよりも、この記念館を見た方がいいと思うくらい。

ついでに・・くらいの軽い気持ちで寄ってごめんなさい。
ついでに・・諭吉の方が好きとか言ってごめんなさいw

英世に謝罪してスッキリしたところで会津若松城から
ずっと緩みっぱなしのだらしない涙腺もリセット。

次は福島ラストの白河小峰城に向かいます。



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2010.08.02 Monday 20:22 | - | - | 東北(福島県) | 

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2020.02.14 Friday 20:22 | - | - | - |