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春日山城に登城〜その2

鼻血が出そうになるほど本丸を堪能した後は井戸曲輪に向かいます。
地図はわかりやすいし案内板も充実だしワタクシでも安心w

ちょっとした珍百景を目撃した瞬間
春日山城天守台

本丸と同じく「お天上」と呼ばれた天守台跡。
案内板やガイドマップには「天守台」とあり「天守閣は持たず」のはずが、
建てられた碑にはなぜか「天守閣跡」の文字がくっきりΣ(゚Д゚)!
びっくりするわ〜汗かくわ〜眺めは本丸同様最高だったけれどw

サイフォンの原理はわからなかった瞬間
井戸曲輪

コーヒー党の父はサイフォンを愛用。子供の頃からそれを見ていながら、
結局、サイフォンの原理はろくろく知らず・・物理?とか苦手なのよぅ。
山の上だから平地と違い、掘れば水脈にあたって湧くんじゃなく、
サイフォンの原理が働いてるから山の上に豊かな水が湧いている・・・ふうん。

サイフォンの原理という井戸の確信には触れず勝手に納得することにw

とても飲めそうになかった瞬間
大井戸

だいぶ前に行った井戸さらいでは柄杓とかが見つかったらしいけど
今は濁って落ち葉が浮いて当時の「水の手」とはだいぶ様子が違いそう。
でも今もたっぷりと水が入っていそうなことだけはわかったけれど。

念には念を入れてあった瞬間
油流し

大井戸の横・・本丸の西側は油流しと呼ばれる急斜面になっている。
あまりの急斜面で滑ってしまうことから「油流し」と呼ばれるのだそうだ。
写真の腕前が悪いから大した斜面に見えないけれど見上げると相当急だったよ。
段々曲輪が連なった山頂にある本丸裏まで攻めようもないだろうけど、
万一に備えた防御の積み重ねが難攻不落の城になる要素なのだなと思う。

単に間違えただけだった瞬間
橋台

井戸曲輪から恐ろしく狭い道を降りた正面にあった小さな土階段。
景勝屋敷跡にしてはずいぶんしょっぱい・・と思ったら鐘楼台跡だったΣ(゚Д゚)!
こじんまりした小さなスペース。前は開けているのだけれど木々の間には
何を捕獲するつもりなのか巨大蜘蛛たちが巣を張りまくり視界激悪で撮影不可。

気を取り直して景勝屋敷だった瞬間
景勝屋敷跡

うなぎの寝床風? 奥行はそこそこあるけど広大な印象はない景勝屋敷跡。
当時はどうだったのか分からないけれど、直江屋敷跡や井戸曲輪よりも
木々に囲まれうっそうとしていて、日当たりもいまいちよくなさそうな・・。

景勝は御舘の乱は知っているけど、ワタクシにとっては会津・米沢の印象が強い。
ワタクシはお父さんたち世代に強い思い入れがあるせいか、第2世代となると、
小説などでどんなによく出てきてよく知っていても思いがそこまで及ばない。

天地人も見てなかったしね・・本丸の時よりかなり冷静なのであったw

普段は相当不便だったと思われる瞬間
景勝屋敷跡と橋台の分かれ道

画面手前が景勝屋敷跡側。奥の斜面は鐘楼台のもので道はそこに続く。
右手の道は御成街道に続くんだけど、この周辺は特に道が狭いの。
大きな荷物とか2人がかりで運んだりしたら、狭くてそりゃもう大変よ。

住人だとしても夜道は歩けなかったと思う瞬間
景勝屋敷跡と橋台の通路

左が鐘楼台、右が景勝屋敷跡。この間を通って正面の御成街道に出る。
防衛上、昔は草木や木々なんかは刈られていたのでしょうか?
たいして広くもない上、こんなボーボーじゃ月夜でも真っ暗よ。

斜面だらけだった瞬間
左は景勝屋敷

御成街道を後回しにして、柿崎和泉守屋敷跡に向かいます。
左側の斜面の上は景勝屋敷跡。シャガの咲いている写真を見かけますが、
夏の終わりのこの時期、花どころか名も知らぬ雑草がボーボーですΣ(゚Д゚)!

写真右手の方を見ると草だらけの小山の上に建つ番所跡の碑が見えました。

意外にも柿崎さんが一番セレブだった瞬間
柿崎屋敷跡

あれまぁ、ずいぶん広いじゃないの!!
春日山城においては「広大」って言葉がぴったりよw
左奥方向が景勝屋敷などの見てきた曲輪がある方向。

春日山城では最も大きな曲輪の一つで、池もしくは水堀があったと
考えられています。池だったとすれば春日山城で唯一、
庭園を併せ持った郭の景観が想像されます。(現地案内板より抜粋)

今日はなぜか全然ヨロヨロしないあも。元気あるからやっぱり大手道も・・
なんて思ったけれど、そうすると二の丸方面を見て駐車場に戻るのに
また恐ろしい距離をひーひー言いながら歩かなくてはならなくなってしまう。

こんな元気なら最初から大手道コースにしときゃよかった・・後の祭り。

毛が抜けそうなほど後ろ髪ひかれていた瞬間
御成街道

御成街道に戻ってきても、まだ大手道がかなり心残りでw

御成街道は時の関白、近衛前久が通ったことから呼ばれるようになった。
武闘派とはいえ、京都育ちの雅なお公家さんがこの斜面だらけの春日山城に
しばらく逗留したというから驚きだ。牛車も通れまいに・・何してだんだろ?

得意の足軽妄想で本丸を見上げた瞬間
二の丸跡

本丸や毘沙門堂周辺の実城を囲むよう帯状に造られた郭が二の丸。
警護の要だった場所ながら、古地図には「御二階」「台所」とも書かれており、
当時の生活を知る手がかりなのだとか。笹井戸と呼ばれる井戸も残っています。

春日山城もいよいよ終盤にさしかかった瞬間
米蔵跡

米蔵に到着しました。アドレナリン出てのかしら〜今日はほんとヨロヨロしないわw
米蔵やここから続く三郎景虎屋敷跡を含めて三の丸と呼ばれるのだとか。

春日山城で最も良好に残る土塁。当時は各郭にこのような土塁が築かれ、
城の守備を一層強固にしていたと想像されます。(現地案内板より抜粋)

土塁の向こうは深い竪堀。誰もいなかったのでいい年した女がひとり、
土塁によじ登り、防御する気分でちょっぴり竪堀を覗いてみたり…
高いとこ嫌いだけど、竪堀はやぶやぶ過ぎてリアルな高さがわからないから平気w


三の丸跡

米蔵の隣が三郎景虎屋敷跡。中間に三の丸碑が建っています。
2つ合わせても三の丸もやっぱりあんまり広くはないのね。

景勝屋敷の方が広かったと思う瞬間
景虎屋敷跡

日当たりの悪さはどっこいどっこいだったとしてw

上杉謙信の死後、跡目を争った御舘の乱で敗れた悲劇の武将三郎景虎。
北条氏康の子で人質として春日山城に来ました。謙信から景虎の名を
与えられたことから養子としては破格の待遇だったことがわかります。
また美男として伝えられています。最後には自害して一生を終えました。
小説「炎の蜃気楼」で現代によみがえった景虎が美しい男性として描かれ
人気を博しています。近年、最も賑わいを見せている郭のひとつです。(現地案内板より抜粋)

・・・って全然、賑わってませんけどΣ(゚ロ゚;) 

ワタクシは景勝派。三郎景虎には他の道もあったのではないかと思ってしまう。
それにしても真面目な史跡の案内板に「炎の蜃気楼」って普通に書くか?
と思ってしまったのはあもだけなのでしょうか。なんか違うでしょ。。

やぶやぶ過ぎてわからなかった瞬間
竪堀

米蔵の隣にある竪堀。現地に立って草木をさっぴいて妄想して、
ようやっと深さや迫力がじわじわわかってくる程度だから
写真じゃもうどうにも上手く写しようがない・・・(´Д`)

生えてる木から察するに相当深そうなのだけれど。
当時は草木なんか刈っちゃってただろうしとても登れないね。
ここまで整備されてるなら竪堀くらい除草してくれるといいのに。

でも石垣がなくてもやっぱ戦国の城って迫力あるなって思う。

見ただけで戦意喪失だった瞬間
虎口から米蔵方面を見る

1周して直江屋敷の入り口に戻ってきました。
帯郭から米蔵方面を振り返ると急斜面が飛び込んできました。

・・・・・無理だわw

名残りを惜しんだ瞬間
謙信銅像

戦国山城の縄張や構造が分かって廻ると楽しさ倍増。

帰り際、いつものように未練たらしく謙信の銅像を見ながら、
春日山城には違う季節にまた来てみようと思った。

登城を終えて8時半。せっかく4時間もかけてきたのだから、
この後は林泉寺にも寄って、もっと謙信を堪能することにします。

林泉寺にて謙信の墓参りに続く




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2010.09.26 Sunday 21:33 | - | - | 中部(新潟県) | 

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