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川中島古戦場へ出陣!

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砥石城上田城荒砥城と登城して、ついに決戦の地、川中島古戦場へ!!
春日山城に続いて謙信を妄想するため、まずは妻女山に登ります。

案外、ひっそりとしていた瞬間


妻女山は第4次川中島の合戦(八幡原の戦い)で謙信が陣を張った山。

1万3千の兵を率いて春日山城を出た謙信は、善光寺近くの横山城に兵糧隊2千を置き、
高坂昌信の守る海津城の背後の河候峠を越え、妻女山に布陣しました。
謙信出陣の知らせを受けた信玄は1万の兵とともに甲府から出陣。
味方を加えながら川中島方面へと進むと、謙信の退路を断つ茶臼山に布陣します。
ここからおよそ20日間、両軍が対峙し、激戦「八幡原の戦い」へと突入しました。

2007年の大河「風林火山」の頃には、ここも観光客が多かったと聞いていたけど、
「さぁここが謙信公が布陣した妻女山ですよ〜見てくださ〜い」的な風もなく、
予想以上にひっそりとした佇まい。車はあるけど人だって誰もいやしない。

永禄4年を妄想した瞬間


川中島方面を眺め、武田軍と対峙中の謙信を真剣に妄想。
千曲川の流れが当時とは違うけれど、それはあまり気にしないw

こう着状態が続き、春日山城へ攻めこまれることを恐れる家臣に、
「信玄が越後を攻めるなら、こちらは甲州を攻めるまで」と動じることなく
剛毅な男っぷりを見せた謙信。さすが軍神。その潔さかっこよすぎる!

丸見えだったことにした瞬間


今度は海津城のある右手を眺めます。


|д゚) ・・・・・ジーーーッ


海津城どころか、木が邪魔すぎて街並みすらよく見えませんがヽ(`Д´)ノ!
いや、しかし。たとえ木がなかったとしても海津城はわからないと見た・・。

茶臼山に布陣した信玄は6日後、これ以上の対陣は無益として
まずは信玄自身が海津城に移動。続いて謙信に隙をつかれぬよう
海津城から遠い順に部隊を動かし、全軍を海津城に入城させました。

海津城から妻女山は見えないけど、妻女山にいる謙信から海津城は丸見え!
のはずなんだけど・・城以外、これといった建物がない時代はともかく、
市街化された町の中にある海津城(松代城)はワタクシには分からない。

でも謙信も同じ方向の同じものを見ていたのだと思って、ここはよしとする。

あんまりピンと来なかった瞬間


信玄が海津城に入って10日後、城から上がる炊煙がいつもより多いのに気付いた謙信は
武田軍の夜襲を察知。妻女山に100余の兵を残して紙旗を立て篝火をたき、
謙信は武田軍の裏をかくべく、深夜のうちに雨宮の渡しを越えて移動開始。

甘粕隊1000を備えとして東福寺に置き、およそ9000の兵で八幡原に布陣。
陣形を整えつつ静かに信玄を待ち受けます。

・・ということでワタクシも妻女山を下り、雨宮の渡しに移動開始!

真っ暗な山中を松明も持たずに下り、人馬とも物音一つさせず・・・

しかし千曲川の流れが変わっていることもあり、当時、雨宮の渡しだった場所、
今はがっつり住宅街の中・・渡るどころじゃなくて、ここは妄想断念Σ(゚Д゚)!

ま、でもいいのいいの。時を超えてフィールドワークしてんのは確かなんだから。

ようやく、いざ決戦の地だった瞬間


武田軍は上杉軍を挟撃すべく啄木鳥戦法の別働隊1万2千が妻女山へ、
信玄は8000の兵とともに八幡原方面に向けて海津城を出発。

信玄が八幡原に到着し布陣を始めた早朝、川中島一帯に霧が発生します。
信玄を待ち構えていた上杉軍は車懸りの戦法で近づき攻撃を開始。
妻女山に向かった別働隊が謙信のいないことに気づいたのも同じ頃のこと。
霧の中、突如として現れた上杉軍に逆に裏をかかれた形に動揺した上、
別働隊が来るまで寡兵で戦うことになった武田軍は死にもの狂いの攻防。

謙信だって今度ばかりは決戦のつもりでやってるから手加減なしよ。
ワタクシは今回、上杉軍のつもりで妄想参戦してるけど、この場面ばかりは
武田軍の側から霧の向こうに現れる上杉軍を見てみたかったわw

大激戦が繰り広げられた瞬間


あわてて妻女山を下りた別働隊は雨宮の渡しより手前の十二ヶ瀬から
千曲川の渡河をを試みるものの、甘粕隊に阻まれ苦戦中。
本隊では信玄の弟、信繁が、続いて山本勘助が、,諸角豊後守が討死。

武田軍が劣勢になったかと思われた頃、別の渡河点から千曲川を渡った
別働隊が続々と八幡原に到着。武田本隊に攻めかかる上杉軍の背後に迫ります。

そして・・・「あとは総がかりにせよ」と言い残し、謙信は武田軍本陣へ。

野暮は言いっこなしだった瞬間


キタ━━━━ (*゚∀) (∀゚*)━━━━━━!!!!!!!!!!!!

謙信と信玄の一騎討ち。ワタクシは学者じゃないからロマン支持よw

紺糸縅の鎧に萌黄緞子の胴肩衣、金の星兜に立烏帽子白妙の練絹で行人包、
長光の太刀を抜いて、名馬放生の上から斬りつける謙信・・・気迫が伝わるわぁ。

諏訪法性の兜、黒糸縅の鎧の上に緋の法衣、軍配で受ける床几上の信玄・・・濃いわぁw

妄想大炸裂だった瞬間


謙信は3度切りつけたと言われているんだよね(脳内再現中)


「いやぁーーっ!」
「ぬ!」
「いやぁーーっ!」
「ぬっ!」
「いやぁーー!」
「ぬぅーっ!」


「信玄覚悟〜!」とか「おのれ謙信!」言ってたらちょっとやだし。

一騎討ちの後、背後に迫る別働隊に加え、海津城から2千の兵を連れて
加わった高坂隊の攻撃を受けた上杉軍は総崩れとなり退却した。

耳ダンボだった瞬間


ほとんど人はいなかったんだけど、一騎討ちの妄想を終えた頃、
中高年グループが来てボランティアガイドさんの説明を聞き始めたので、
何食わぬ顔で横に立ち、さりげなく拝聴。よどみなく抑揚のついた説明は、
案内板と内容は同じでも面白い。わざわざ頼めないから得した気分w

三太刀七太刀之跡
三度切りつけられて軍配を調べたら七ケ所傷があったことから、
一騎討ちの場所は「三太刀七太刀之跡」と呼ばれています。

首塚
高坂昌信が合戦後、敵味方の区別なく死体を集めて手厚く葬ったのがこの首塚で、
これに感激した謙信は後に、武田方に塩を送って報いたと言われています。

逆槐(さかさえんじゅ)
ここに陣を構える時、信玄が土塁の土どめに槐を根を上に向け、
杭として打ち込んだものが芽を出し、大木になったと言われています。

厳かで神秘的な感じだった瞬間


観光客とかがいても、ちょっと異空間な感じが漂う社殿。

誉田別尊(ほんだわけのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)が
祀られた八幡社の社殿。古くからあり、八幡平の名の由来となったそうな。

謙信大ピンチだった瞬間


武田軍の中間頭、原大隅が信玄の長柄を取り、馬上の謙信をめがけてひと槍。
しかし槍は鎧の肩の上にそれ、返す槍で謙信の鎧の肩を打とうとするが、
馬の三途(後脚の上部の骨)を打ったため、驚いた馬は跳ね上り、
謙信を乗せたまま狂奔し、その場から去ってしまったという。

謙信を取り逃がした原大隅は悔しさのあまり、傍にあった石を槍で突き通したといわれ、
その時の穴が残っているこの石は、執念の石と呼ばれるようになったのだとか。

いぶかる瞬間


うろついた結果、ようやく案内を見つけてたどりつけました。
土曜の午後なのにすんなり車も停められ、人もいなくてガラガラ。

典厩寺は川中島の合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁と、
同合戦で亡くなった両軍6000人を弔い供養したお寺。元は鶴巣寺と号し、
合戦から60年後の元和8年、武田典厩の名を取って寺号を改めたのだという。

典厩信繁の首を洗い清めた井戸やお墓、貴重なお宝が見られるお寺です。

まず日本最大の閻魔様だった瞬間


ワタクシの目的は典厩信繁のお墓や貴重なお宝だったんだけど、
入ってすぐ受付の隣だったから、とりあえず見てみることにw

閻魔様、意外と中華風だった瞬間


あれ・・絵本とかアニメで見た閻魔様って赤かったっけな?
とかちょっと思ったけど、まぁまぁ興味なくて(*°∀°)=3

色んな意味で衝撃的だった瞬間


境内にある川中島合戦記念館には貴重なお宝がいっぱい!
お宝の貴重さとインパクトと保存状態のすごさは比類なき感じよw

典厩の兜とか、典厩の鎧の下着とか典厩の刀とか。
甲陽軍鑑数冊山積みに謙信公の鉄扇とか原大隈の槍のさやとか。
鎧とか武具なんかも置いてあるんだけど保存状態がよくない・・。

腰板の入ったサッシ窓の中に、しかも床に近い下の方に置いてあった兜。
ガラスから覗き込まないと見えない位置で湿気とか非常に心配。
刀の説明は厚紙に手書きのアットホームすぎる展示Σ(゚Д゚)!

博物館とかによくある湿度計とか調整するやつとか何もなく・・。
心配した博物館とか買い取りに来ないものなのかしら?

一騎討ちの銅像の元に遭遇だった瞬間


武田上杉両雄合戦之碑。川中島古戦場にあった一騎討ちの銅像は
この絵を元に造られたのだそうだ・・え? わかりづらい?

わかりやすくしてみた瞬間


手前に武田菱の陣幕、そして信玄と馬上の謙信が描かれているの。

じっくり見比べた瞬間


こうして並べて見ると何だかわからないけど興奮するね(*°∀°)=3
どっちも見た目も文言もかっこよくて甲乙つけがたしって素敵さ。

神妙にお墓参りの瞬間


兄の信玄を守って37歳で討死した典厩信繁は信玄をよく支え、
かしこく強く、人望もあった。真田昌幸は典厩を理想の武将として、
次男に信繁の名をつけたと言われています(幸村)。

討死のその後を考えた瞬間


典厩信繁公の首きよめの井戸。かなり小さいけど。
奪い返してきた典厩の首をここで清めたのだという。
敵にとっての大将首を命がけで奪い返すだなんてすごいよ。


川中島合戦を十分堪能し満足満足w

と思いつつ、ここまで来たらせっかくだし・・と
さりげなく海津城(松代城)にナビを合わせるワタクシなのであった。



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2010.10.09 Saturday 19:00 | - | - | 古戦場に出陣 | 

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