<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
<< 熊本城に登城!〜城主として入城! | main | 熊本城に登城!〜さらばまた会おう! >>

熊本城に登城!〜名前を探せ!

宇土櫓を後にして平左衛門丸の広場から、ようやく天守を仰ぎ見ます。

久々に観光さんが写った瞬間


それでも全然、少ないほうだと思う。あもが登城前チェックで見た
他の人のブログなんかの写真には人がたくさん写ってるのが多かったから。

石垣の部分が多くなる平左衛門丸から見る天守はとても重厚な面構えw
大天守の1階部分は石垣から大きく張り出した構造。長く大きな土台材を敷き、
その上に床板を支える根太と根太を支える横材が渡されているそうだ。
天守台のゆがみを補正すると同時に忍び返しの役割もしているという。

小さいけれど一丁前だった瞬間


小天守には1階と接する石垣から下に向けて鉄の串をめぐらせた忍び返しが。
外観のバランスをよくするため小天守がずれて造られているのもわかる。

飯田丸を思い出した瞬間


小天守は大天守建築後に増築されているため、石垣の積み方にも違いが・・・
時間制限のため泣く泣くあきらめた飯田丸の「二様の石垣」風思いがけずw
個人的には清正時代の勾配が緩やかな穴太積みの石垣の方が好き!

唐破風がお茶目だった瞬間


耕作櫓門跡を抜け闇り御門に向かう途中、振り返って見る大天守。
南面最上階には天守正面にはない小さな唐破風がついていて、
それが男前な顔立ちとは対照的で何となくかわいいなぁと思ったw

道は2つだった瞬間


数寄屋丸から天守のある本丸には行くには耕作櫓門の上を通るか、
この闇り御門を抜けて地下道を通り抜けなければならなかったそうだ。
地下道は闇り通路と呼ばれ、本丸御殿の地下にあたる。

明かりがなければ真っ暗だったろう瞬間


今はちょっとしたテーマパーク風にも見えるこじゃれた照明があるけれど、
明かりがなければ鼻をつままれたって分からない文字通りの闇り(くらがり)。
途中で幾重にも折れ曲がっていて、敵の侵入を困難にしていたらしいが、
そんな地下道が実は御殿への正式な入り口でもあったというから驚きだw
本丸御殿が復元された2年前は通路中にケヤキの香りが漂っていたという。

大イチョウの生命力に驚愕の瞬間


闇り通路を出て天守前広場に着くと、大きな大きなイチョウの木が目に入る。
このイチョウは「清正のお手植え」と伝えられ、熊本城の別名「銀杏城」の由来になった。
清正は亡くなる前、「このイチョウが天守と同じ高さになった時、異変が起きる」と予言。
その言葉どおり1877年(明治10年)に西南戦争が起き、イチョウも戦火で燃えてしまった。
今に見られる大イチョウは燃えた木から出た脇芽が130年かけて成長したものなのだそうだ。

これだけ大きいと銀杏が実ったらどんだけ臭いんだ・・と説明をよく読むと、
この大イチョウは雄株で実はならないとのこと。籠城の備えではなかったようですw

注文の多い観光客だった瞬間


広場の前には鎧武者がウロウロしているけど観光の人も少ないし、
せっかくだから観光化された部分も楽しんじゃおうと思い、
赤だの茶だの中から好みのカラーリングで面皰までつけた武者をチョイスw

〜ちょっとお城をバックに立ってもらえます?
〜ああ、もうちょっと後ろお願いします
〜せっかくだから何かポーズつけてもらったりなんか・・

そうと決めたら、観光さんパワー全開で行くわよw
ポーズの注文したら、そっと刀に手を添えてくれた武者さん。
もっとど派手なポーズつけてくれてもよかったんだけどw

武者さんが動くたび草摺がガチャガチャ鳴るので鎧好きとしては気になり、

〜それ本物くらいの重さなの? →15キロあるんですよ
〜どうやって着るの? →胴は片方が開くようになっていて二枚胴ではないんです
〜袴とか籠手は本物? それっぽく見えるやつ? →本物なんですよ
〜1人で着るの? →着れますけど30分かかります。脱ぐのは10分ですw
〜正直、つけて歩くのしんどい? →相当、体力使います・・・

次から次へと質問攻めに息切れしながら愛想よく教えてくれた武者さん。
曇り空の少し蒸したこの日、それでも10月の蒸し暑さでこれじゃ・・
歩いて話してるだけでこれじゃ・・当時の武将って大変だったのね。
これが当世具足じゃなくって佩楯がついた大鎧だった日にゃ・・Σ(゚Д゚)!

天守前、驚くほど人がいなかった瞬間


フォトショップで苦労せず消し去ることができそうなほどにw
ちょうど団体さんとかがいなかったみたいなのよね。

熊本城の大小天守は西南戦争の時、原因不明の火災で消失したというが、
実は政府軍の自焼が有力とされている。鉄筋コンクリートで復元された天守。
空襲や陸軍による破壊の可能性は残るとしても、もし消失していなければ
現存していたかもしれないと思うと、ただただ惜しいと思うばかり。

しかし復元とはいえ下見板張りの黒と漆喰の白いコントラストは美しい!
瓦が黒ではなく灰色なのも素敵だし、清正は美意識も高いと思う。

国宝に負けるなだった瞬間


彦根城のひこにゃんに比べ、知名度がいまいちのひごまる君。
ぱっと見、ご飯を炊く羽釜みたいでかわいらしいじゃないのΣ(゚Д゚)!
順番待ちも必要なかったので、あもは寄り添って写真を撮りましたw

雰囲気があった瞬間


小天守の入り口を入ろうとして下をのぞくと石垣に囲まれた通路があり、
雰囲気あるわ〜と眺めていると別の武者さんがすーっと寄ってきてガイド開始w

秘密の脱出口だった瞬間


通路の最低部には東竹の丸に抜ける「石門」と呼ばれる抜け穴があり、
石門を抜けた東竹の丸側にはさらに小天守北側の石段に通じる穴があるという。
現在は「石垣が膨れる?」って言ったっけなぁ・・崩落の予兆が見えるらしく
立ち入り禁止になっているけど、黒沢明の映画で使われたこともあるそうだ。

どきどきの瞬間


熊本城の一口城主になると、入城証の提示で入城料が無料になるほか、
小天守の芳名板に名前を記載してもらえる。記載場所は現地でしかわからず、
小天守の検索システムで場所を調べ、自分の名前の載った芳名板を探すのだ。

せっかくナイスガイドさんがいるのだから・・とおもむろに城主証を取り出し、
入り口で抜け穴の説明をしてくれた武者さんをそのまま拉致w
武者さん心よくシステムで名前を探し、ついでに芳名板まで案内してくれた!

あった!瞬間


わーいわーい!!ちゃんと名前が載っていたよーー!!
案内してくれた武者さん「刀で差しましょうかね」とナイスな気働きw

個人情報が心配だからモザイクだらけで見苦しいのは承知の上で
あもの登城記録であるブログには載せたくて必死の加工Σ(゚Д゚)!

城主として来たからこその楽しみまでついてきて満足すぎる登城よw

じっくり見れなかった瞬間


天守の中はさすがに人がいて、おまけに中国人らしき団体さんも
ぞろぞろ歩いているもんだから流れに乗って歩いてしまった・・。
鯱は今天守の上にあるものと同じもので、予備として造られたそうだ。
清正の絵がパネルで飾られていたけれど、朝見た銅像の方が「らしい」感じw

疲れもふっとんだ瞬間


鉄筋コンクリート造りだけど小田原城や名古屋城と違って男らしく階段オンリーΣ(゚Д゚)!
6階分階段上がるのつらいわ〜息切れしながら腿ぷるぷるしながら登ること数分・・
中国人だらけの大天守から人をかき分け眺める宇土櫓の風景にうっとり〜

清正も見たかもしれないね・・いいや、見たに違いない!!

金華山(岐阜城)で信長に、春日山城で謙信に思いを馳せたことは忘れ、
興奮するわ〜ロマンだわ〜この瞬間は完全に一人の世界で清正に妄想リンクw 

大天守からの眺めを堪能した後はガクガクしながら最後の本丸御殿へ向かいます。


寄付で建った本丸御殿編へ続く


*****ランキング参加しています いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング

2010.10.17 Sunday 20:17 | - | - | 九州(熊本県) | 

スポンサーサイト

2020.02.14 Friday 20:17 | - | - | - |