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豊国神社にて豊太閤と清正公に参拝!

脇坂安治の出生地を見た後は、近江牛を食べるべく長浜駅前へ!

まずは前回、長浜城登城した時、時間がなくて見逃した豊国神社へ参拝します。

こじんまりしていた瞬間


鳥居の立つ入口が2ヶ所あったから、表参道ぽい方から入ってみました。
長浜駅から数分の街中にあるせいか、思ってた以上にコンパクトだった。

ウキウキしている瞬間


鳥居をくぐってすぐ左側には加藤清正像。うふふ〜来た目的のひとつはコレw
大好物の清正さん銅像は妙行寺名古屋城でお目にかかって以来、実に3年ぶり。

豊国神社に加藤清正も祀られてるからなのかな。銅像は戦前に奉納されたものが
戦争中の金属供出で台座だけになり、昭和55年になって再建されたんだって。

お立ち台が高すぎな瞬間


清正銅像としては佇まいや迫力が物足りない気がするけど、でもいい!
それにしても雨が止んだものの、天気が悪くて全く映えないのが残念すぎた。

かわゆいやつだった瞬間


「秀吉公遺愛の虎石」もありました。こちらは秀吉が長浜城主になった時、
清正が寄進した庭石で、秀吉は「虎石」と呼んで気に入っていたんだって。

江戸時代に大通寺の庭に移したところ「いのう(帰ろう)いのう」と泣くので
長浜城の元の場所に戻され、後年、秀吉が祀られたこちらに移されたのだとか。

鼻息が荒い瞬間


ささ。お参りしましょう。まずは豊国神社の手前にある出世稲荷神社へ。
出世・金運・健康・・これにご利益のある所へのお参りは欠かせません!!

図々しかった瞬間


御祭神は宇賀乃御魂命と稲玉命。秀吉も稲荷信仰してましたからね。
鳥居を奉納する財力はないけど、少しでもあやかれますように(*°∀°)=3

前のめる瞬間


そして本命の豊国神社へ!! 出世稲荷の隣なのでズンズン迫りますw

こちらの豊国神社は慶長3年(1598)に秀吉が亡くなった後、
長浜の人々が京の豊国廟にならって建立したものなんだって。

愛されていた瞬間


大阪の陣で豊臣家が滅んだ後、徳川幕府によって神社は取り壊されるんだけど、
町民が商売の神様「恵比須宮」を祀りたいって彦根藩に頼んで一社を建立。
奥にこっそり秀吉の像を隠してお参りしてきたんだって・・・泣ける!!

今の社殿は明治31年(1898)、秀吉300回忌に造営されたものなのだとか。

えびす様には申し訳なかった瞬間


御祭神はもちろん豊臣秀吉。そして配祀神として加藤清正木村重成も祀られます。
秀吉亡き後も秀頼を支え、最後まで豊臣を守ろうとした忠臣二人の名前、いい眺めw

欲深い瞬間


秀吉は一番奥として、左右はどっちが誰かな〜全く分からなかったけど(*°∀°)=3
出世稲荷に続き、こちらはもっともっともーっと念入りにお参りしておいた。

すっかり気がすんだ瞬間


帰りは豊国神社側にある鳥居からアウト。やっとお参りできてとても満足!
お昼まで少し時間があるから、線路をくぐって長浜城に再登城しに行こう。


長浜城に再登城!〜に続く




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2018.08.03 Friday 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将ゆかりの寺社仏閣 | 

小谷丁野町にて脇坂安治の出生地探訪!

今回からしばらく「北近江の見逃し処をめぐってきた」シリーズをば。

まずは脇坂安治の出生地からスタート! 姉川古戦場小谷城を横目に見ながら
華麗にスルーして初志貫徹。いきなり脇坂さんから行くワタクシ、なんて潔いww

よどみすぎていた瞬間


小谷城跡前を通り過ぎ、国道をしばらく北上すると、ほどなく目印の看板を発見!
でもこの日は朝から雨・・・傘うっとうしいわ、写真映えないわで萎えています。

スーパーバックを覚悟する瞬間


車で行けるはずだけど、実際に来ると本当に大丈夫か不安なるような小道。
地味に距離もあるので、途中にも入口みたいに案内を置いたらいいのにな。

ホッとする瞬間


ぽっかり開けた空間に無事到着。車も停めれるし案内もあって人心地つくw
でも小谷山の麓なので、奥の方を見ると木が鬱蒼として薄暗くちょっと怖い。

イケイケだった瞬間


こちらでは脇坂さんが生まれた屋敷跡と産湯の池を見ることができます。

脇坂安治は天文23年(1554)、浅井氏家臣脇坂安明の子としてこの地に生まれ、
浅井久政・長政親子に仕えますが、浅井氏滅亡後は明智光秀の配下となります。

丹波黒井城攻めで降伏の使者として城内に乗り込んで城主赤井直正と対峙。
堂々とした振舞いを気に入られ、貂の皮で作られた槍の鞘を贈られたと伝わります。

その後、自ら頼みこんで羽柴秀吉の配下になると中国攻略や山崎の戦いに従軍し、
秀吉と勝家が戦った賤ヶ岳の合戦では「賤ヶ岳七本槍」に数えられる活躍をしました。

大事なことだった瞬間


ちゃーんと「七本槍ズ」の説明もありました。しっかりアピらないと、
清正や正則のインパクトが強すぎて、どうも影が薄くなりがちだから大事ねw

その後、安治は小牧長久手の戦いでも功を挙げ、洲本城3万石の城主になると、
淡路水軍を指揮して九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役に出陣し手柄を挙げます。

秀吉の死後はひそかに家康に接近し、関ヶ原の合戦では西軍として出陣するも、
小早川秀秋が東軍に寝返ると、大谷吉継隊に攻めかかり東軍の勝利に貢献しました。

フロンティアスピリッツだった瞬間


こちらが安治さんが生まれたという屋敷跡の碑が立っている一角。
案内板には安治さんの生涯がダイジェストで説明されています。

合戦後は当初から家康に通じていたとして所領を安堵され、
後に伊予大洲5万5千石に加増。幕府に忠義を尽くしました。
しかし秀吉への恩から大阪の陣には参戦せず、子の安元に家督を譲ると
隠居して京で余生を過ごし、寛永3年(1626)、73歳で亡くなりました。

雑すぎた瞬間


ただポツーンと「脇坂甚内安治屋敷跡」と書かれた碑があります。
立地から浅井家臣だったことに納得するくらいで他はピンと来ませんw

そういえば脇坂さんって良くも悪くも気になる「何か」がないかも・・
真っ先に思い浮かぶのは関ヶ原だけど、とはいえ好きも嫌いも別になく・・・
親しみ込めてディスってるゴンベはやっぱ気になってるんだな(*°∀°)=3

イメージわかない瞬間


そしてこちらが産湯の池。当時はキレイな水が湧いてたんでしょうねぇ。
案内板によると、付近の住民から聖地として存続されてきたものだそうです。

激しすぎた瞬間


脇坂屋敷はこの立地・・・いやぁ福寿丸まで行くのも超〜難儀じゃないコレ!?
攻めづらいのは納得安心だけど、山の上まで出仕するとかだとマジつらい・・・。

急に怖くなる瞬間


ほら。熊だった出るそうですし・・って普通に出そうな雰囲気だもんね。
よし。特に妄想して二やつくこともないので、ここは早々に退散! 


近江牛を食べるため長浜市内に移動して、ぶらぶら開店時間を待ちますw


豊国神社にて豊太閤と清正公に参拝!〜に続く



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2018.07.28 Saturday 08:47 | comments(2) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

長府毛利邸と毛利秀元の銅像を拝見!

壇ノ浦串崎城を高速で見ての〜最後は長府毛利邸へ!

遠い目になる瞬間


城下町の風情ただよう美しい街並みを 車で爆走 マッハで抜けて到着!
時間があって天気が良ければ、長府の城下町散策とかきっと素敵なんだろうなぁ…

格式高すぎた瞬間


毛利邸は明治36年(1903)、長府毛利家14代当主毛利元敏によって建てられた邸宅。
明治天皇が熊本で陸軍大演習を視察された時は行在所としても使われたんですって。

束帯姿だった瞬間


表門をくぐると長門長府藩の初代藩主、毛利秀元の銅像がありました。
晩年なんだろうね。ワタクシの中では武将の印象が強いので少し残念ですw
しかし義経さんだけじゃなく、秀元さんまで見れるとは・・カメラないのが泣ける。

スマホ×雨天コラボは最悪だった瞬間


毛利元就の四男元清の次男として生まれ、従兄である輝元の養子となった秀元は
後継者としての期待を裏切らない、武勇と知略に優れた人物だったといわれます。
14歳で輝元名代として朝鮮に渡り、秀吉の期待に応えて総大将の務めを果たすと、
長門一国他17万石を与えられて独立大名となり、秀吉の養女を正室に迎えました。

輝元に実子の秀就が生まれると、秀元は宗家後継者の地位を譲りますが、
関ケ原の戦いでは毛利一万二千の総大将として出陣。東軍と対峙するものの、
戦わぬまま敗戦を迎え、毛利家が防長2州に大減封された後に6万石を分知され、
初代長府藩主となりました。

秀元は本家を継いだ秀就の後見人を務めながら、幕府との関係修復も図り、
晩年は三代将軍徳川家光の御伽衆として江戸に暮らし、72歳で亡くなりました。

時間もなかった瞬間


武家屋敷造りの重厚な建物に四季折々の花が楽しめる日本庭園ということなんですが、
雨も降ってるし、梅雨時期は緑が美しいばかりなのでさっさと中へ…入場料大人200円。

超高速だった瞬間


質実剛健なお部屋を見て回り、純日本家屋も素敵だわ〜とか思いながら、
じっくり立ち止まるでもなく、あっという間に床の間のある書院へw

こじんまりしていた瞬間


そしてこちらが明治天皇ご宿泊の間。熊本への行き帰りで3泊されたそう。
8畳ほどだったかな。明治に思い入れはないけど少しだけ往時を偲んでみたり。

毛利邸を高速見学した後は、近くだから功山寺も見てくださいと連れられて。
でもすぐ着いちゃった上、着くまでの間、仕事の話を少ししたもんだから・・

すごい困惑していた瞬間


駐車場に車回して待ってるからどうぞ見てきてくださいと総門の前で降ろされる(*°∀°)=3
観光地まるでノーマークのワタクシ、前フリなしの放置プレイにすごい戸惑ったww

元応2年(1320)に創建され、足利尊氏や大内氏の帰依を受けて隆盛を誇った寺で、
元は長福寺といい、毛利秀元が修復し菩提寺とした際、功山寺と改めたのだとか。
この総門は創建当初の室町時代に建てられたものだそう(ぜんぶ後から情報)。

巻き戻したい瞬間


総門をくぐって数十m。雨のそぼ降る中、ワケもわからまま山門を目指します。
豪壮な山門だな〜と見上げながら(案内板にも気づかず)さっさと境内にイン・・

もったいなさすぎた瞬間


年季の入った立派な仏殿を見て、さすがにこれは見どころと気づいて近寄るも、
「すごい超〜古い!」で終了…後から鎌倉時代創建の国宝と聞いておののきましたね。

スマホじゃダメだった瞬間


境内には高杉晋作の銅像も! カメラなしが本当に悔やまれすぎてならない。
華奢すぎて武者ぶりはイマイチだけど頭よさそうで、何となく雰囲気あるのでは。
功山寺は高杉晋作が挙兵した地なので、幕末ファンが多く訪れるんだそう。

古そうな仏殿と高杉晋作ゆかりの地だったか〜と勝手に納得したワタクシは
雨だしお客さんは待たせているしで、他にはわき目もふらず退散したんだけど、
後から、毛利元就に追われた大内義長が自刃した場所でお墓があることや、
長府毛利家墓所まであったと聞いて大ショック! ホントもったいないことした。

大満足だった瞬間


市内に戻って最後は、天気は悪いけどせっかくだから一望できる雰囲気だけでもと
海峡ゆめタワーへ案内され、高さ140mの展望台へ。天気がよければパノラマだけど、
雨だからしょうがない。でも関門海峡の雰囲気や九州との距離がよくわかったし、
巌流島(写真中央)を見たのも感動だったな。お客さんの気持ちも嬉しかったしね!

活気あふれる瞬間


午後から仕事に戻るので、お昼にドドっと市場に案内してもらい、
寿司をちょい食いしながら、実家にトラフグを送るまでやってのけた(*°∀°)=3


いや〜とんでもない超高速観光だったから半日でももりだくさんだったw
天気もカメラがないのも残念だったけど、楽しかったしとてもいい思い出!

下関へ出張に行ったら思いがけず観光できちゃった件はこれで終了!

下関は史跡の宝庫な上、街のそばに海峡と大きな港のある風景も珍しいし、
解放的な雰囲気だけど落ち着いた風情もあったりしてとってもいい! 
念入りに無駄のない計画を立てて、いつかまた絶対に再訪したいな。


長浜市小谷丁野町にて脇坂安治の出生地を探訪!〜に続く


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2018.07.18 Wednesday 13:34 | comments(0) | trackbacks(0) | 中国(山口県) | 

串崎城に登城!

壇ノ浦の次は「お城が好きなんですよね!」と気づいたら駐車場に到着してた串崎城。

クシザキジョウ?・・・ドコソレ (*°∀°)=3 でもせっかくだし!
とはいえ、雨風もかなり強くなってきて。そこへスーツにパンプスのワタクシですw

色々ブルーだった瞬間


傘さして足元気にしながら未舗装の遊歩道を丘の上まで一心不乱に登った結果、
気づいたら、本丸跡にある天守台前の案内板のところに到着しちゃってたYo!

億劫がっていた瞬間


雨風よけながら傘さして、撮り慣れないスマホ撮影するのが正直めんどくて。
せっかく来たのでロケーションと雰囲気だけ感じておくことにしましたw

なかなか適当だった瞬間


城跡は関見台公園として整備され、本丸跡や天守台が復元されています。

串崎城は元は大内氏の家臣、内藤隆春の居城として使用されていました。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いに敗れ、防長2州に減封となった毛利輝元が
萩に本城を構えると、毛利秀元が長府に入り、支藩の城として改修しますが、
元和元年(1615)、一国一城令によって廃城となり取り壊されました。

どんよりしすぎだった瞬間


せっかく来たから、風景に全く期待できないけど天守跡には行っておく。
眼下に関門海峡が見える絶好のロケーションなんだけどなぁ・・惜しすぎる!

残念すぎて言葉もない瞬間


どよ〜ん・・・海峡と空の境目がかろうじて分かるくらいの残念な風景・・・
天気が良ければ、関門海峡とその向こうにある門司まで丸見えなハズなのに。

でもやっぱり実際に来て、距離や空気を自分で感じられたのは良かった!
雨の中、面倒がりもせず案内してくれる優しいお客さんに感謝だな(´∀`)

ちなみにイヤでも目に行くクジラの尾っぽは、今は閉館した下関水族館の
ものなんだって。やってないなら撤去した方が景観が良くなっていいんじゃ・・

急いでいた瞬間


案内板にもあるけど、張り出した半島の高台に築かれてるのは見たまんま!
幕末には関見台台場として、攘夷に備えて2つの砲台が置かれてようだけど、
ココなら確かに監視していざとなったらぶっ放すには絶好のポジだと納得。

帰りがけ、アレ・・そういや城址碑ないのかな?と探したけど見つからず。
後で調べたら、高台の下に石垣の一部が残ってて碑はそこにあったみたいね・・


「さ、さ、次行きましょう!」時短観光ならまだ他も回れるそうですw
長府の城下町がこの辺ですよ〜と通りすがりに案内されながら次へダッシュ!



長府毛利邸で毛利秀元の銅像を拝見!〜に続く


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2018.07.11 Wednesday 17:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 中国(山口県) | 

壇ノ浦古戦場跡に出陣!

今回は「下関へ出張に行ったら思いがけず観光できちゃった件」を番外編として。

仕事で下関に行って1泊2日でやること山盛りの弾丸出張だったんだけど、
うまいこと数時間の空きが出来た瞬間、お客さんが「チャンス!行こう!」って。

下関ジモティのお客さんはワタクシ長いお付き合いをさせてもらってて、
せっかく来たなら少しでも巡らせたいって思ってくれてたんだって。泣ける。

行きたいとこ聞かれたけど、どう目論んでも時間がない予定だったから、
全くノーマークじゃない? 一瞬、舞い上がってアワアワなったけど


「だ、だ、壇ノ浦でーっ!!」


ココだけは外せないと思って、超食い気味に叫んだよね(*°∀°)=3

頭に血が上っている瞬間


ということでやってきましたぁぁ 関門海峡@壇ノ浦!! みもすそ川公園。
源平史跡もちょこちょこ巡ってて、いつか見たいと思ってたから鼻息が超荒くなるw

あ、ちなみにこの時、当然だけど装備が何もないので撮影はスマホだった上、
天気も悪くて傘マスト。せっかくの写真がイマイチなことだけが残念の極み。

躍動感あふれる瞬間


平家の大将「平知盛」碇を担ぎ中と源氏の大将「源義経」八艘飛び中。

壇ノ浦の合戦は寿永4年(1185)3月24日に行われた源平最後の戦い。
当初は平家が優勢だったものの、潮目が変わり追潮になったのを機に形成は逆転。
源氏が勢いを盛り返すと、平家は次第に追い詰められて奮戦むなしく敗北となります。
平清盛の妻二位の尼は8歳の安徳天皇を抱いて入水。主だった武将も入水の最期を遂げ、
知盛も後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡となりました。

知盛さんはだいぶ華奢な人だったらしいけど、碇を投げつけて頑張ったんだね!
平家って貴族ぽくてナヨっちい印象だけど、壇ノ浦で戦った武将はなかなか武闘派で。

激しょぼすぎた瞬間


なんてこったい!「八艘跳びの瞬間」の義経さんも全く良さが伝わらないわ。
平教経の攻撃を八艘の船を飛び移ってかわしていく超いいシーンなのに(号泣)

脳内デモ中の瞬間


関門橋の向こうは福岡の門司港。合戦の舞台になった狭い海峡を超ガン見!
これまで本で読んだシーンなんかがリアルに妄想出来て感慨ひとしおよ。

吾妻鏡によると平氏の船が500、源氏が840艘とかなり戦力差があったようだから、
海戦が得意な平氏とはいえ流れが変わったら無理だよね・・潮目ってマジ大事だわ。

キョロキョロしていた瞬間


公園には長州砲レプリカもあって「維新の風だ!」って雰囲気を味わうものの、
攘夷戦争とか詳しくないから「へぇそうなんだ!」ですぐ終わっちゃうの。

不運極まりなかった瞬間


壇ノ浦の次は「安徳天皇が祀られてます」と赤間神宮に連れて来てもらいました。
が、ここ来て雨ザーザー(怒)。せっかくだから超ダッシュでお参りだけすることに。
お客さんに悪いので、ひとっ走り行ってくるから待ってておくんなせぇとか言ってw

大事な時にはキョロキョロしてない瞬間


アジア観光客がすごい多かった。雨が強いから傘かぶって人の流れで本殿到着。
ここに安徳天皇がね・・って思いながらチャチャッとお参りして傘を握りしめ戻る・・

後から聞いたら赤間神宮には壇ノ浦で亡くなった「平家一門の墓」があって、
怪談「耳なし芳一」の舞台なんだって。あの地味に怖い世界観を味わいたかったな。

順路に案内もあったみたいで、傘がなければきっと気づいてたはず・・遠い目


下調べなしってつらいね。大雨ってつらいね。カメラがないってつらいね・・
思いがけない下関観光は続きます・・続くほどつらさ染みるけど(*°∀°)=3


串崎城に登城!〜に続く


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2018.07.01 Sunday 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) | 古戦場に出陣 | 

信綱寺にて真田信綱・昌輝のお墓参り

長谷寺で真田幸隆・昌幸 with 幸村のお墓参りをした後は信綱寺へ!

存在感がすごい瞬間


ナビに連れられ到着すると、何もないところにドーンとそびえたつ山門。
周りに何もないし雰囲気も少し変わっているから、ちょっと浮いてる感ありw

どうかしてた瞬間


山門の手前に車を停めたら、上にあるお寺まで長めの階段を登って行きます。
ホントはここで「墓前の桜」を眺めるべきところ、ワタクシ完全に見逃し・・

ほら、右側にニュッと斜めに伸びている木があるでしょ。これが桜の老木で、
長篠で討死した真田信綱の首級を、家臣が自分の陣羽織に包んで持ち帰り、
この樹の下に埋めたと言われてるのに、その根元を見てないって・・ちょw

さらに残念な人だった瞬間


六文銭が輝く本堂。曹洞宗のお寺です。元は打越寺とされていましたが、
真田昌幸が長兄信綱の牌所として寺堂を改築、信綱寺と改めたんだそう。

で、このお寺、予約すれば信綱の首級が包まれていたという血染の陣羽織や、
信綱着用の黒漆塗仏二枚胴。昌幸書状など貴重な品も見せてもらえたんだって・・

ワタクシは予約できるってこと、行くまで気づいてなかったけど(*°∀°)=3

ハズさない瞬間


信綱さんのお墓は本堂の裏。門の外に出て急な裏山を上って行く必要があるのです。
場所を念入りにチェックしすぎて、他の大事なことがきっと漏れちゃったんだねw

ゼエゼエしながらだった瞬間


なかなか急な斜面を登ってたどり着きました・・・ひ、ヒザが痛い!!
享保2年(1717)にお寺が改修された際、お墓はこの裏山に移されたんだそう。

痛恨のミステイクだった瞬間


石段を上がった正面にあるのが、真田信綱夫妻と真田昌輝さんのお墓。
そして右の石灯籠の後ろにある2つの墓石が、信綱さんの首級を持ち帰った家臣、
白川兄弟の墓。ワタクシ、うっかり写真を撮り忘れてこれしか映ってなかったw
白川兄弟は首級を届けた後、信綱さんを追って殉死したんだってさ・・泣ける。

手っ取り早く真田三代を妄想する瞬間


中央の宝篋印塔が信綱さん、で、左が信綱夫人、右が昌輝さんと並んでます。

信綱は真田幸隆の嫡男。武勇に優れた信綱は信玄からの期待や信頼も高く、
第4次川中島合戦三方ヶ原の戦いなどに参戦し、武田二十四将の一人に数えられました。
信玄の死後は勝頼に仕え、天正2年(1574)に病に倒れた父幸隆に代わり真田家を継ぎますが、
翌天正3年長篠の戦いで弟昌輝とともに壮絶な討死を遂げました。享年39歳。(昌輝は享年33歳)

信綱さんは馬防柵をなぎ倒しながら敵陣に突撃する中、銃弾に斃れたんだそうな・・
小説でこのシーン読むと、なんかもう胸がグッとしめつけらちゃう感じがするよね。

真剣に合掌の瞬間


昌輝さんのお墓は近年(お墓が移された後)建立されたものと説明されていました。
いつもは気安くなんか語りかけてるんだけど、今回は何となく神妙にお参りして。

真夏の炎天下だった瞬間


信綱寺の前には、六文銭の旗を模したモニュメントがずらっと立ち並んでいます。
奥から長篠、関ヶ原、大阪の陣と真田の重要な戦を表現しているんだってさ。

看板だけ見て終わらす瞬間


歴史の丘っていうんだね。上田市が気合入れて作った真田に捧げる公園です。
一番手前が大阪の陣だけに、先頭の丸い部分は「真田丸」を象徴したものなんだそう。

上田市の気合を感じる瞬間


モニュメントのところには信繁(幸村)の他、昌幸、信之、信尹、信綱、
そして信玄や勝頼、秀吉に秀頼、家康の花押も配置された。凝ってるな!



長野攻略はこれで終了! 次は「超〜弾丸!下関番外編」に続きます。


壇ノ浦古戦場跡に出陣!〜に続く



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2018.06.18 Monday 14:04 | comments(1) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 

長谷寺にて真田幸隆・昌幸父子のお墓参り

真田氏本城の後は、長谷寺にやってきました。

真田太平記と真田三代を再読して来てますから、めっちゃ鼻息荒めwww

にんまりする瞬間


長谷寺は天文16年(1547)、真田幸隆が真田家菩提寺として建立したお寺。
元は種月庵があったので「真田山種月院長谷寺」と呼ばれるようになりました。

後に真田昌幸の子、真田信幸が松代に移封になった時、菩提寺として長国寺を建立。
こちらの長谷寺はその末寺なんだそうです。松代の長国寺もいつか行かねば・・。

お参りを済ませたら人が来ないうち、本堂右手の方からさっさと墓所に向かいます。

好印象だった瞬間


こじんまりとした庭園を見ながら、順路にそって更に奥へ進んで行きます。
案内も行き届いてお寺の方も感じよく、参拝客を大事にしてくれるお寺でした。

一目でわかる瞬間


本堂裏の墓域に入ると、杉木立の正面にオーラ漂うお墓が見えますw
真田丸の時はすごい人だったらしいけど今は静か。そしてワタクシ貸し切り!!

キレイで読みやすかった瞬間


お墓の前には幸隆・昌幸父子についてザックリ書かれた説明板もあります。
これによるとお墓には父子だけでなく、幸隆夫人も一緒に眠ってるようです。

羨望のまなざしだった瞬間


中央が真田幸隆、向かって左が幸隆夫人、右が真田昌幸の墓なんですって。

昌幸の父であり、信之・幸村にとって祖父である幸隆は信濃の滋野三家のひとつ、
海野氏の一族に生まれ、小県郡真田郷を本拠としたため真田を称したと言われます。

海野氏が武田軍との戦いに敗れて滅亡すると、幸隆は郎党を連れて上州に亡命しますが、
後に武田家に仕えると謀略を駆使して砥石城攻略を果たし、信濃に旧領を回復します。
幸隆は信玄に重用されて川中島他の戦いに参戦し、吾妻郡の支配を任されました。
晩年、幸隆は病気を理由に、家督を嫡男の信綱に譲って隠居しますが、
天正2年(1574)5月19日、居城である砥石城で亡くなりました。享年62歳。

吹けば飛ぶような小豪族、そして亡命からの再浮上→ノンストップ大躍進! 
最終は武田二十四将の一人に数えられたんだから、幸隆さん恐るべしです。

その息子たちが信綱、昌輝、昌幸、信尹でそれぞれの生き様がまたこれぐっと来る(*°∀°)=3

念入りに拝む瞬間


少しでも智謀のかけらが宿るようワタクシ念入りにお参りしているところですw

真田昌幸は幸隆の三男。幼少時に武田家への人質に出されて信玄の近習となり、
後に武田ゆかりの武藤姓を与えられ、武藤喜兵衛と名乗っていました。
しかし天正3年(1575)長篠の戦いで信綱・昌輝2人の兄が討死したため真田家を相続。
勝頼に仕えて沼田城名胡桃城を攻略し、北上州を勢力下におくようになりました。

武田滅亡後は織田信長の配下となりますが、本能寺の変により信濃で争奪戦が起きると、
生き残りをかけて北条、徳川、上杉と臣属を替えながら、次第に勢力を拡大。
小県を統一して上田城を築城すると、信繁(幸村)を人質として秀吉に臣従します。

慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは次男信繁とともに西軍に属し
上田城に立てこもって徳川秀忠軍の西上を阻止するも、西軍は敗北。
昌幸は九度山に蟄居を命じられ、慶長16年(1611)6月4日65歳で病没しました。

秀吉に「表裏比興の者」と称された昌幸さん。とんだくわせ者でしょうけど、
「一所懸命」の生き様が激アツすぎて、憎めないどころか超〜魅力的だわ!

ロックオンの瞬間


幸隆・昌幸父子に念入りにお参りしたら、お墓の向こう側にも注目!
「みんな大好き★幸村」の供養塔があるので、もれなくお参りです。

合掌の瞬間


新しめの綺麗な供養塔は平成25年に建立されたものなんだそう。
幸村終焉の地である大阪安居神社の土が納められているんだって。

分かったぶる瞬間


幸隆じいちゃん、昌幸パパを差し置いて、供養塔だけど幸村一番人気!
お賽銭の六文銭置きも、気持ちと一緒であふれ出ちゃってる感じだなw



幸隆さんと昌幸さんのお参りが出来てワタクシ超〜満足!
次は真田昌幸の2人の兄上たちのお参りに向かいます!


信綱寺にて真田信綱・昌輝のお墓参り〜に続く



Writen by あも Love城! Go!名所旧跡


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2018.06.08 Friday 17:18 | comments(0) | trackbacks(0) | 武将の墓所と出生地 | 
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