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海津(松代)城に登城アゲイン!

最後に日本100名城26番松代城に登城!
今年の5月に登城したけど、せっかくだからまた来ちゃったΣ(゚Д゚)!

今回は断固、海津城だった瞬間


川中島をたどる壮大な旅?のしめくくりですものw
近くに来たらまた寄ってみたいと思う城だったこともあり・・
しかし今回は前回とは反対に北不明門側から登城することに。

季節が変わり、空の色も変わると雰囲気が変わり、また違って見えるわね!

歴史ロマン全開だった瞬間


八幡原の戦いと言われる第4次川中島合戦時には高坂昌信が守り、
信玄が入城した武田家の北信濃における最重要拠点だった海津城。

普段は登城したお城単品の攻防やエピソードを切り取った妄想が多いけど、
ひとつの合戦の背景も入れた広い視野から勉強して触れてみるのも
また違った面白さがあるのだと改めて知り、歴史ロマーンにますます熱w

でかい櫓を妄想した瞬間


復元されているのは真田10万石時代のお城。海津じゃなく松代城ね・・。
江戸時代には天守を作ることが禁止されたから松代城にも当然なく、
この櫓台跡には天守に相当した戌亥櫓があったのだという。
天守相当と言われる櫓ってどこのお城のもそこそこ立派なのものが多い。
櫓台の規模から考えて見栄えのする立派な櫓を妄想してみたり。

妻女山見切れていた瞬間


戌亥櫓跡から土塁の方角に見える稜線の右方に妻女山が見える。

今は松代城だけど気分は川中島当時の海津城のつもりで
謙信が布陣した妻女山方面を撮ってはみたものの、
帰ってきて写真をよく確認したらギリ写ってなかったΣ(゚Д゚)!

写真右側・・ちょうど妻女山になる手前で切れちゃってるのよ。。

復元はやっぱり見事だった瞬間


北不明門の枡形虎口。昔は千曲川にもっと近かったそうな。
親しまれた城主がいた地元の人に愛されてるお城って
復元整備されても無料が多くて、そこにすごくプライドを感じる。

最後の最後までよく歩いた瞬間


今日は足がダルダルなはずだけど、なんでこんなに歩こうと思えるの?
北不明門から登城して、東不明門からいったん本丸を出ます。
堀にかかる橋を渡って二の丸に出て、石場門も見に行ってみる。

気持ちまですっきりする瞬間


広い二の丸。案内板には長屋のような建物が並んで描かれていました。
立派できれいな土塁にうっとり。そして軽快なステップw

復元はここまでだった瞬間


案内板を見ると当時、二の丸の外側は外堀があって、
石場門の前が丸馬出しになっていたという。
門はきれいに復元整備されているけど後ろは普通の空き地風。
この日は消防車が来ていて何か点検していましたΣ(゚Д゚)!

観光さん待ち無用だった瞬間


こんなお天気のいい土曜日だっつうのに松代城ガラガラなんで?
今回は写真撮るのに観光さん待ちしなくていいから本当にラッキー!!
撮りたい放題なので前回とは逆の角度から念入りにパチリw

癒しの空間だった瞬間


ワタクシはもともと遠くに見える山々のある風景が好き。
名の知れた魅力的な山に囲まれた信州にあるお城って
お城を含めた風景全部が絵になるから素敵だなと思う。

今度こそ名残りを惜しんだ瞬間


二の丸南門から本丸太鼓門と前橋を見る「The 松代城」な風景。
いくらなんでも当分、もう松代城に来ることはないだろうから
雰囲気と佇まいの好きなこのお城をじっくり目に焼き付けて。。。
好きなお城って再登城しても楽しいね!(砥石城はもうこりごりよw)


朝っぱらの砥石城から始まり、歩きに歩いた川中島をたどる旅。
帰りの車で何度も足が攣り、調子に乗ったことをちょっぴり後悔w
戦ありきでお城を廻っていつもとまた違う楽しい1日でした。


ところで・・熊本城登城してきましたぁぁぁ!! 
城主として喜びの初登城の模様は近日中にアップ予定ですw



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2010.10.10 Sunday 20:31 | - | - | 中部(長野県) | 

荒砥城に登城!

千曲市上山田温泉にある城山史跡公園 荒戸城に登城!


荒砥城は中世の史実に基づいて復元された戦国期の山城。
2007年にはここでNHK大河ドラマ「風林火山」のロケが行われ、
武田晴信(信玄)の初陣、海の口城攻防戦が撮影された。

当時はかなり話題で観光バスが乗りつけるほどだったようだけど・・
本当にありがとうございます! 貸切状態で登城することが出来ましたw

荒砥城は300円入場料が必要だけど入場券とパンフレットもらえるからいいよ。

頑張るまでもないと思えた瞬間


管理棟から坂道を登っていくとほどなく、路面に道標をみつけた。

すでに砥石城登山を経験してきたわたくしにとっては
舗装された坂道130mなんて隣近所に回覧板届けに行くも同然ですわ!

なぜか足取りが軽快だった瞬間


上田城でも駅まで歩いたし、足が痛いのに慣れちゃったみたいΣ(゚Д゚)!
すたすた歩いてあっと言う間に三の郭へ。柵が見えて雰囲気出てきましたよ。
このすぐ上が二の郭で積まれた石垣を見上げると櫓も見えちゃうわけ。

二の郭入り口の矢倉門に到着の瞬間


ここから入った二の郭(にのかく)と本郭(ほんか)が戦国妄想ゾーンとなりますw
同じ戦国期の城を復元した逆井城は焦げ茶で統一された渋さがかっこよかったけど、
塗りのない乾ききった質感の木も無骨で荒々しい感じがしていいわね。
平積みの石垣は立派だけどもちろん復元。でも雰囲気は十分、戦国。

きょろきょろした瞬間


二の郭まで登ってきて矢倉門をくぐると、今度は逆方向を向くことになる。
バカ面して正攻法で攻めようとすると二の郭柵向こうの内側頭上から、正面から、
そして門の上の矢倉と門の向こう側からも凄まじい攻撃を受けちゃうね。

毎度毎度一応は躊躇する瞬間


貸切のあもは横矢をお見舞いされることなく井楼櫓に無事到着。
逆井城に続き、荒戸城の井楼櫓も上まで登ることが出来るようです。
高さは逆井城よりは低めで6mくらい? しかしお約束のスケルトン仕様Σ(゚Д゚)!

逆井城のやつに登れたんだからこのくらい平気でしょ?
登らないと二の郭や本郭の全景が撮れないじゃない?
砥石城の後ろ向き降下に比べたら階段あるだけましじゃない?

今回も一応、一人脳内会議で念入りに確認し・・・

元気があれば何でもできる!だった瞬間


撮ったどぉぉぉぉぉーー!!(スケルトンな下は見ないように)
遠くを見てる分にはこのくらいの高さなら平気だわ!
同じ二の郭にある兵舎と本郭の城主の館が丸見えよ!! 柵もかっこいい。
近世城郭と違って実物にしろ写真にしろリアルを見てないけど、
戦国のお城って、山城って、砦も含めてこんな感じなんだろうと納得。

かなり調子に乗った瞬間


思い切って後ろなんかも振り返っちゃったりw
千曲川の向こうに村上義清の本城だった葛尾城の山が見える〜(にの文字の下あたり)
村上義清が救援にかけつけて信玄を撃退した砥石城に登城した後、
その本城である葛尾城が見られるのって贅沢で何だか面白い!!
まぁ登城するのは当分先・・いや、行かないかもだけどΣ(゚Д゚)!

※砥石城で相当懲りたため警戒心強いw

兵舎は2間に分かれていた瞬間


荒砥城は村上一族の山田氏が築城し、葛尾城の詰め城として機能していました。
この地を治める村上義清は信濃に侵攻してきた武田軍と戦い、上田原の合戦や
砥石崩れなどで勝利し領土を死守します。しかし砥石城が真田幸隆の調略で落城すると、
その後、攻勢に転じた武田軍によって荒砥城が奪われ、葛尾城も落城。
義清は城を捨てて越後の謙信を頼り、以降、荒砥城は武田家が滅亡するまで
上杉軍と激しい争奪戦の舞台となりました。山田城、砥沢城とも呼ばれています。

映像室の映像はあんまりイケてなかった瞬間


兵舎は映像室と展示室の2間に分かれていて映像室ではお約束の
当時の様子や城の構造なんかが説明されたアニメが見られるんだけど、
備中松山城とか鉢形城で見たのに比べると若干、物足りなさも・・。

ゆる〜い感じが地味に気に入った瞬間


1、平時は農民の暮らしで いざっ に備えも
2、いざっ で兵士に早変わり 館や山城に駆けつける
3、続々と山城にも駆けつける農兵たち
4、平時の館と戦時の山城をめぐって運命をかけた激しい争奪戦が行われる

言いたいことはわかるんだけど、ゆるーい感じでにっこりしちゃう。

念入りな防御だった瞬間


二の郭と本郭をつなぐ通路にはまずは冠木門が。
ここを突破されたらアウトだからちゃんと足止めするのは大事ね。
狭い通路を通っていくと櫓門があって二重防御で安心!
本郭の柵向こうからは通路を通利抜ける敵も攻撃できるしw

ほぼ同じだった瞬間


二の郭虎口にあった櫓門とほぼ同じ門が本郭にも。
道は狭いし門は破れないしで敵がもたもたしてたらごっそり討てるw

再びきょろきょろした瞬間


本郭櫓門の中の通路も狭いし、あえて直線にはしないのね。
こんなところ上から死にもの狂いで攻撃されたら・・((((;゚;Д;゚;))))
近世城郭も戦国の城も、やっぱりだてに「城」ではないんだと実感。

妄想の世界に浸った瞬間


史実に基づいて復元といってもどの程度なのは分からないし、
観光っぽい感じの方が強いのかもしれないけど、雰囲気は伝わるし
不自然さとかないから、それはそれで素敵だわと思う。
高いビルとかないから千曲川や葛尾城が見える風景はほぼ同じはず。
兵舎から炊飯の煙が立って、櫓や門のあたりを足軽がウロウロして・・

地味地味しいにもほどがあった瞬間


本郭内の兵舎(右)と本郭の城主の館(左)・・Σ(゚ロ゚;)ジーザス!
館といっても掘っ立て小屋よ。ふんぞりかえっていばれる感じじゃないわw
戦国の、しかも山城の館となるとこのレベルが普通なんだろうね。
しかしこの簡素さじゃ、いよいよって時は切腹する時間稼ぐのも大変だ。
本郭に入れないよう手前で必死に防がなきゃならないのもわかる気がするw

地味を通り越して殺風景すぎた瞬間


もし本当にこんな感じだったのなら申し訳程度に1段くらい
高くしてくれなくていいから、もう少し何とかしてよと思っちゃう。
陣中じゃなく一応は城なんだから。掘っ立て小屋でも城主の館なんだから。

内装は案外、新し目だった瞬間


本郭の兵舎の中はわらじをかけて「らしさ」を演出してありますw
外観は艶消しの渋い木材使っているのに建物全部内装はきれいな仕上げ。

ターゲットロックオンの瞬間


本郭の奥からは千曲川と更埴市街が一望できます。
川中島〜さぁこれから行くわよ=3=3(鼻息超荒っ)

忘れても問題なかった瞬間


入場券を買った管理棟のすぐ裏が四の郭、見るの忘れてたと思い、
帰りに寄ってみたけど・・・特にこれというものはなくww

ちなみに荒砥城って史跡公園になる前は四の郭に観音様が、
三の郭に植物園と動物園が、本郭には観覧車があったんだってΣ(゚Д゚)!
相当いじって整備したのね。色んな意味でちょっとびっくり!!


砥石城〜上田城〜荒砥城と合戦までの流れをダイジェストしたところで
次はいよいよ城じゃないけど決戦の地、川中島古戦場に行きますw



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2010.10.07 Thursday 21:15 | - | - | 中部(長野県) | 

上田城にリベンジ登城!

日本100名城27番 上田城にリベンジ登城!

昨年の今頃、下調べなく登城したら真田出陣祭りの真っ最中Σ(゚Д゚)!
どこを向いても人!人!人!で櫓見学どころか大手門すらゆっくり見れなかった。
登城した日が悪すぎたと早々に退散し、リベンジを誓って以来、早1年。

にんまりご満悦の瞬間


ワタクシは願ったことや決めたことは必ず成し遂げる執念深い女よw
砥石城から奇跡の生還(?)をしたその足で朝っぱら登城して大正解。
隅っこの方で太極拳やってる地元のおっさん以外、誰もいないブラボー!
今年の出陣は終わったのか真田十勇士の赤い幟旗もぴらぴらしてないしw

リベンジ成就の喜びをかみしめながらの登城


二の丸堀跡のけやき並木も前回は見通すこともできず、
強烈な人ごみの中をとぼとぼ、ただ歩いたものだったもんなぁ・・
延長は約646間(1.163m)。距離感はないけどずっと続いてるのが見える!

二の丸橋ものんびり通れた瞬間


去年のあの混雑ぶりはいったい何だったのだろう・・。
ワタクシあれ以来、上田城人気すぎていつもアレだと思ってたw

走っている人すらいなかった瞬間


二の丸水堀跡も今回は落ち着いて規模を眺められます。
関ヶ原の後、埋められたのを仙石氏がまた掘ったものだそうです。

リベンジ登城した甲斐を感じる瞬間


どーんと構える櫓門を正面からちゃんと見たかったのよ!

上田城は天正10年、幸村の父、昌幸によって築城され、2度に渡って
徳川の大軍を退けたことから、天下にその名を知られるようになりました。

天正13年には徳川8千の大軍を真田軍わずか2千余で迎え撃ち、
奇襲作戦で徳川勢1300人を討ち取り、慶長5年には関ヶ原に向かう
秀忠軍3万8千をたった2千500余の城兵で数日間、足止めします。

関ヶ原の後、上田城は徳川の手によって徹底的に破壊されますが、
真田氏の後に入った仙石氏によって真田時代に近い形で再建されました。

この櫓門は平成6年の復元、両脇の南櫓と北櫓は移築復元されたもの。

遊郭だったなんて信じられなーいだった瞬間


この南櫓と反対側の北櫓は明治の廃城で民間に払い下げられ、
遊郭の妓楼になった後、民家に転用。昭和になってから買い戻され、
この場所に移築復元されたものなんだとか。櫓って・・色気のない妓楼だのw

何に使うつもりだったのか謎だった瞬間


真田昌幸が上田築城の際、太郎山から掘り出して「真田石」と名付けたこの石。
長男信之は移封先の松代に持っていこうとしたが動かせなかったという伝説が残る。

・・・お兄ちゃん。持って行って何する気だったのかw

念願の櫓見学かなった瞬間


南櫓から登って東虎口櫓、北櫓と中を見学することが出来るけど、
前回は門前に負けず、ここもものすごい行列で断念したところ。
しかし今日は家族連れが1組いるだけ。お父さんが小学校低学年と思われる
子供2人と奥さんに一生懸命うんちくを語っているのが微笑ましいw

真田父子も微笑ましかった瞬間


北櫓では真田父子のちょっぴり謎な小芝居風演出も見られます。
右から幸村、昌幸、そして幸村の嫡男、大介ちゃんの新父子3代。
大介ちゃんは九度山で生まれたはずだから上田城で見ると不思議!
信之お兄ちゃんを入れて真田三代でよかったんじゃないのかな??

お約束だった瞬間


梁は見ちゃうよね。建築とか詳しくないけど目が行きます。
古木も年代は色々あるけど密度高そうなどっしりさが落ち着きますね。

あれこれ詳しーく教えてもらった瞬間


石落としを覗きこんでいると人がいなくて暇だったのか、
南櫓の受付から愛想のいい係りのおじさんが出てきて説明してくれました。

高さは6mあるんだよ。この櫓の屋根と同じくらいだね。
そういうところを敵が登ってくるから寸前まで来たら石落とすのよ。
ガラーッと落としてやっつけるんだよね。でもって何人かまとめて来たら、
今度は丸太ン棒をどーんと投げてやってさ、石も丸太もなくなったら
後ろにぐらぐらお湯煮えたぎらせといて上からぶっかけてやると、
甲冑の間にお湯が入ってこりゃもうたまらない、登るどこじゃないよ…

あとさ、その甲冑は20キロあるの。刀差したら25キロだな。
重くってさ、とっても走ったりなんか出来ないんだよね。
刀も切りつけるより振り下ろした重さで切れる方が多いのよ。
あ、それからこの兜はね獅子落としっていうの。
ここほら獅子がついてるでしょ?(と前立てを指す)

おじさんとっても愛想がよくにこにこしながら身振り手振りを交えて
あんまり懇切丁寧に教えてくれるので「へぇ」とか「はぁ」などと合いの手を入れ
思わず、石落としの仕組みを初めて聞くような顔をしてありがたく拝聴w

やはり残念ポイントに遭遇した瞬間


ここまでせっかくワンダフォーな感じだったのに真田神社は改修中Σ(゚Д゚)!
前回はここも参拝客でごったがえし、ワタクシ行列の横をスルーして西櫓から退城。
でも全景が見れなかっただけでスルーする時、横から拝殿はちらちら見たから
これはもう運がなかったとあきらめる。神社のためにリベンジはしませんよ。

前からあったのか分からなかった瞬間


前回は何しろ大行列だったから参道の左側なんて人で一切見えなかった・・
真田魂が宿る真田杉の切株を幸村公がかぶった赤兜でお守りしていますと書かれている。
朱色で六文銭に鹿角の兜。これは大きすぎてイケてないけど、
義と打倒徳川に燃える幸村の赤備えはかっこよかったのだろうなと思う。

ちゃんと見れた瞬間


今回は本丸跡もちゃんと見れました。櫓や神社と違ってひっそりとした佇まい。
仙石時代に積まれた石垣も残っているみたいだけど、
立派な土塁の高さと迫力を感じつつ水堀へ向かいます。

写真がいけてなかった瞬間


いつものことながら実際よりも全然高さが出ないわねぇ。
本丸土塁の上から本丸跡を撮ったんだけど・・思い出の中に記憶ねw

無理だと思われた瞬間


主郭をコの字型に囲む水堀。土塁も高いし幅も結構広い。
平城だからこうしたところの防御にはきっと力を入れたのね。

当時のままだった瞬間


移築されることもなく上田城に現存している西櫓。
本丸の西虎口を固める重要な櫓だったけれど戦の途絶えた江戸時代には、
倉庫として使われていたそうだ。建てられたのは仙石氏時代のこと。

しみじみだった瞬間


崖の上に築かれた上田城。こういう部分は昔のままなんだろうし、
この先に続く尼ヶ淵跡から見る南櫓の石垣も当時のものが修復されたもの。
真田家もなぜか心惹かれる魅力があるし、上田城もいいお城だなと思う。

あたしは違う!と叫んだ瞬間


砥石城に登って足疲れてたけど、せっかくだからと思い
物好きに10分歩いて幸村の銅像があるという上田駅前へ。

六文銭があちこちあるのは当然として、戦国BASARAビジュアル系幸村の垂れ幕が
これ見よがしにどどーんと駅出口正面にかかっているのはどうなのよ?

と思いつつ幸村の銅像前に着くと携帯片手に写メ撮りまくる歴女さんが2名。
撮った写真を見せ合い、また撮り、何だか知らないけど超フィーバー中Σ(゚Д゚)!
あたしはBASARAや無双の武将なんて思い描いてないわ!と自己確認しつつ、
とても終わりそうにないので声をかけ、瞬撮して退散してきましたw



念願の上田城リベンジも終わったところでいよいよ川中島!
と行きたいところだけど一人じらしプレイ・・じゃなくって
川中島で時間食いそうな予感がするので次は荒戸城に向かいます。


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2010.10.05 Tuesday 20:16 | - | - | 中部(長野県) | 

砥石城に登城!

砥石城に登った城めぐらーAさん(仮名)は語る。

きついとは聞いていましたが、まさかあそこまでとは・・・
どうして登ってしまったのか、後悔の念でいっぱいでした・・・


張り切って登山口に立った瞬間


今週半ばには熊本登城・・いや出張が控えているというのに、
ずっと雨続きだったところ「週末だけ晴れ」の予報を聞いてむずむず・・。
さすがに遠出は疲れるから200キロ圏内と決めて迷った挙句、
先日の春日山城登城以来、謙信の余韻が残っていたので川中島へ行くことに。

それなら上田城リベンジもしたい、この際だから荒砥城も見ておきたい・・
いや、ちょっとまて。合戦のきっかけになった砥石城もすぐそこじゃないの!

というわけで体力のある朝1番に砥石城に登ってみた。

朝顔が余計じゃないかと思った瞬間


朝7時登山開始。登山口を上がると朝顔の絡まった門が出現。
なーんだ、相当整備されてるんじゃないと思ったワタクシは甘かった。
この門をくぐったが最後、「リアル天国の階段」が待ち受けているの。

まだ余裕ぶっこいてた瞬間


前日に見たサイトで激しい場所の写真を見たけど部分的だと思っていたし、
きついと書いてあったけど大げさぽくなかったからそこそこと思ってた。
で、登り始めがこれだから、全然大丈夫そうだわと激しく過信Σ(゚Д゚)!

様子がおかしくなってきた瞬間


ほどなく「砥石・米山城に至る」という案内が出てきたよ。

砥石城は「米山城」「枡形城」「本城」からなる複合城郭。
どこかが攻められても他の郭から敵を撃退に行ける構造になっています。
Yの字のように左先が米山城、右が砥石城から本城、枡形城へと続く。

この辺りから道は急に人がすれ違える程度の細さになってきた。

急斜面が気になった瞬間


ここで山から下りてきた地元の人らしき軽装のおっさんに遭遇。
挨拶をしてすれ違ったけど、ちょっとぶつかったりしてバランスを崩したら、
運が悪いと左側の斜面を転がり落ちるなと思ってゾゾー((((;゚;Д;゚;))))

迷わず米山城だった瞬間


ここまで全然楽勝だったし、10分なんてすぐそこじゃない。
米山城行ってから砥石城に行こう!と颯爽と左側を向いた途端・・・

いきなり驚愕の瞬間


道 な い し ー Σ(゚Д゚)!

なになに・・もしやこれを乗り越えて行けっつうこと?
ちょっと不安になりながら恐る恐る近づいてみる。

さらに驚愕の瞬間


・・エッΣ(゚ロ゚;) やっぱ越えるんかい!!

岩場の向こうにロープを張った激しい坂道が見えた。
はは〜ん、なるほど。ここが写真で見た難所ってやつか。
ここでおもむろにリュックに常備していた軍手を初装着w

フライフィッシングの時は片手にロッド持って崖登りしたことあるわ〜
トレッキングシューズも買っておいてよかったわ〜もう元取ったわ〜

なんて思ったから、今思えばそれでもまだ余裕があったのね。

急な斜面や崖を歩く時は常に足2本と腕の3点で支えるのが基本。
おひとり様は何かあってからじゃ遅いし、こんな足場の悪いところ、
運が悪けりゃあの世行も十分あり得る。ヨロヨロしている場合じゃない。
慎重に岩場を登り、ロープを伝って足を踏ん張りながら急斜面を登る。

戻りが不安になった瞬間


ロープをつかんで上を見ながら一心不乱に上ったはいいけれど、
登り切ったところで何気なく斜面を振り返ってびっくり仰天!!
ロープあっても降りる時の方がもっとおっかねぇぇぇぇ!!!

息を切らしつつ米山城登城の瞬間


|д゚) ・・・・・ジーーーッ(ぜえぜえしながら)

ここが曲輪だったという以外、めぼしい遺構はないのね・・。
石塁があると聞いたけれど、曲輪の中には見つけられなかった。

兵どもが夢の跡だった瞬間


信玄を2度破った男、村上義清の立派な碑が目立ちます。

砥石城は奥信濃を支配する村上氏の最重要拠点であったため、
信濃攻略を始めた信玄に2度に渡って攻めこまれました。
2度目の戦いでは砥石城の堅牢さに攻略をあきらめ退却を始めた武田軍に
凄まじい追撃をしかけ、村上軍は千余の兵を討ち取る大勝利を得ました。
信玄に「当家の凶事なり」と言わしめたこの戦いは「砥石崩れ」と呼ばれます。

ここまで登ってきた感じだと信玄が手も足も出なかったのは
見れば納得の堅牢さだし、村上義清も桁外れの強さだったのね。

思った以上に高いところだった瞬間


難所だけれど距離はそんなに歩いてないからうっかりするけど、
車で相当登ってきてたのね。この高さであの道よ・・無理無理w

信玄にとって村上氏との戦いは人生で後にも先にもない唯一の負け戦。
初戦となる上田原の合戦でも板垣氏や甘利氏など重臣を討ち取られた挙句、
信玄自身も傷を負ったと言うのにリベンジだなんて懲りない人なのねw

ちなみに砥石城には城を囲む武田軍に水がたっぷりあることを見せるため、
白米で馬を洗ったという話も残っているのだけれど、カモシカ達みたいなひづめ、
馬にはないから本当だったとしてももっと山の下の方での話なんだろうね・・。

いや〜な予感がした瞬間


米山城から恐る恐るロープを伝って始めの分岐点に戻り、次は砥石城へ。
分岐からほどなく、またまた様子のおかしな斜面が見えてきました。

はぁ・・こっちもロープあったんですか!!

よく考えると米山城って分岐から近いし、ひとつだけ独立した感じ。
砥石城の奥には本城、枡形城と曲輪が続くからこっちのが守り固め・・

その予感、大正解だった瞬間


先 見 え な い し ー !

ロープ伝って登ったと思ったら先の見えないリアル天国の階段がΣ(゚Д゚)!
渋々登り始めるも、行けども行けども階段なの。長いの、とっても。

昔はこんな階段もちろんないわけよね〜ありえないわよね〜
攻略しようと思う方もおかしいけど、築く方もどうかと思うわ〜

ぶつくさ言いながらあもはこの階段地獄を4回休憩した末ようやく登った。
「帰るなら今だよ、もうあきらめちゃいなよ」悪魔の囁きと戦いながらw

やっと到着と思ったら大間違いだった瞬間


ロープ斜面と長ーい階段を登り、ここを超えれば終わり風になったから、
うっかり気を抜いたら、まださらに目を疑うような風景がΣ(゚Д゚)!

軽く死亡だった瞬間


殺 す 気 か ー !

攻め手だったら勝手に死んでくれればいいんだろうけど、
曲輪間の連絡とか何かで身内だって普通に通るでしょうよ・・。
糸電話とか通してもらわないとちょっとした用で呼ばれちゃ困るわよね。
ていうか用事があるって伝えて来いと言いつけられるのもっと嫌だけど。
ひとつの曲輪が攻められたら他の曲輪から攻撃するっていっても、
わさわさ降りたら戦闘場所に着く前に命運つきちゃう感じじゃない?

口に出すと息が余計に乱れるから心の中で悪態をつきつつよじ登る。

ついに砥石城登城の瞬間!


やったよママン・・やっと着いたよ。今度こそ砥石城到着よ!
まだひとつもないけど、2度と来たくない城ベスト5に入れとくわ。
来る時通ってきた高速道路にかかるローマン橋が見え達成感に酔いしれる。

己の限界を知った瞬間


ぜえぜえしながら一応、本城、枡形城へと続く道を見に行く。

・・・無理!! 

一瞬、見ただけで迷わず即決。ベンチに腰かけて水をごくごく。

あたしは登った。あの道を根性振り絞って悪魔の囁きに負けず登った・・・

達成感が登城ではなく単なる山登りに変わってしまっていたようだ。
帰宅後、肝心な砥石城曲輪の写真が1枚もないことに気づくも後の祭り(´Д`)

身も心もガクガクだった瞬間


曲輪の写真を撮り忘れていることなんてこの時はまだ気づいてないから、
水を飲んで長ーい休憩をした後、気になるのは急斜面の帰り道ばかり。
斜面はロープがあるからいいとして、長い階段は急なのにロープがないので、
高所恐怖症が顔を出し高さは怖いわ、足は疲れてパンパン棒のようだわ・・
色んな意味で本当に震えながら年寄りのごときスローさで降りたわよぅ。

なんだかんだで所要時間1時間半。時刻は午前8時30分。
これで上田城には開門直後に登城できる計算通り!

信玄が2度攻めて落とせなかった城は真田幸隆が計略を以て1日で攻略Σ(゚Д゚)!
真田家はこの功により信玄からの厚い信頼を得て上田周辺の旧領を回復。
知らせを聞いた信玄は思わず「1000貫やる」と口走ってしまったそうなw

川中島のきっかけになった砥石城から真田本拠地の上田城へ。
疲れは予想を遥かに超えてるけどリベンジにいざ参る=3=3


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2010.10.03 Sunday 23:06 | - | - | 中部(長野県) | 

諏訪高島に登城!

諏訪高島城に登城!


元々は戦国時代からある城で、当時は諏訪湖のほとりにありました、
葛飾北斎が書いた絵を見ると、本当に湖岸ぎりぎりに建っていて、
水の中に浮いているように見えることから「浮城」と呼ばれたそうな。
この角度で写真を撮ると当時の風情があるようだけど、実は湖遠い('A`)

ど真ん中だった瞬間


天守には「現存」「復興」「模造」とあり、
復興はそこそこ、史料に基いて建てられたということ。
どうせ建てるなら湖のほとりにすりゃいいのに…と思う。
住宅街のど真ん中に突然現れる天守。もったいない。

高島城門


城を見る時、門は結構すきだったりする。城門をくぐる瞬間は
たとえどんなにしょっぱい城でもやっぱりわくわくしてしまう。

お手入れが行き届く瞬間


城門をくぐって中に入ると少し庭園チックな公園になっています。
結構、家族連れがいたりして市民憩いの場になっているみたい。
桜の名所でもあるし、雪化粧した風景も写真で見たけどすごいよかった。

かけのぼる瞬間


初回だし諏訪も見たいので天守に登ります。大人は300円だったか?
中は1Fの郷土の企画展示と2F高島城の資料室。3Fが展望室です。

元は取れてた瞬間w


2Fの資料室には藩士の武具や古文書なんかが展示されていました。

元々この地は諏訪氏によって支配されており、戦国時代には諏訪頼重が
武田信虎の娘を正室に迎えて武田氏との関係を強化していましたが、
晴信(信玄)は父信虎を追放すると、まもなく諏訪に侵攻。

諏訪頼重は抵抗するものの降伏し、甲府に送られ自害させられました

諏訪は武田領になりますが、天正10年(1582)織田信長の侵攻により
武田氏が滅んで織田領になるも、ほどなく本能寺の変が起こります。

それを受けて頼重の叔父の子で諏訪大社の大祝を務めていた諏訪頼忠が蜂起。
諏訪の旧臣を集めて諏訪家を再興し、諏訪の地を取り戻しました。

その後、諏訪頼忠は徳川に帰属し、領地を安堵されますが、
家康の国替えに伴い武蔵国に移ると、秀吉の家臣日根野高吉が入封。
諏訪の浮城と呼ばれる城を7年をかけて築きました。

関ヶ原の後は東軍に組した諏訪頼水(頼忠の子)が旧領諏訪に戻り、
以後、10代忠礼まで270年間続いて、明治維新を迎えますが、
廃藩置県により城は破却され、本丸跡が高島公園となりました。

復興された天守は昭和45年(1970)に建てられたもの。

遠すぎた瞬間


本当はあのほとりに建っていたのよ。本当にすぐ湖だったのよ。
湖の向こうにうっすら見えるのは天目山。武田勝頼が自刀したところ。

妄想力は大事だった瞬間


湖畔にあった当時の風情を妄想力で補う・・・ん〜ダメか(*°∀°)=3
復興天守なんだけど絵になるというか、ちょっとした味はありますよねw


よい登城でした。




2009.09.23 Wednesday 16:17 | - | - | 中部(長野県) | 
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