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小谷城へ登城!〜黒金門から本丸・大堀切

[城跡] ブログ村キーワード

長政自刃の跡を見た後は、ラスト黒鉄門跡から本丸・大堀切をご紹介します。

立派に違いなかった瞬間


大広間の入り口となるこの場所には当時、扉に鉄を打ちつけた門が建っていました。
長政は最後の攻撃の時、この門から討って出たと言われています。織田軍の攻撃を受けて
本丸に戻れなくなった長政は、やむなく赤尾屋敷に入り、そこで自刃しました。
今ここに黒金門はなくても、残された石段や石垣から頑丈で立派な門があったことが想像されます。

兵どもが夢の後だった瞬間


黒金門跡の近くには苔むした大きな石も。当時はどこかに積まれていたものなんでしょうね。
破壊されたものなのか分からないけど、崩れた石が無造作に置かれて風化している様にも、
小谷落城の物悲しさが演出されているよう。それでも徹底的に破壊されなくてよかったですよ。

最大だった瞬間


黒金門のあった虎口を抜けると大広間。千畳敷とも呼ばれ約3000屬らいあるんですって!
この付近からは土師器皿がたくさん出土していて、山の上に浅井家の人々の暮らしがあったこと、
そして政治的に主要な施設があったとも考えられているそうです。木はさっぴいて考えないとねw

暮らしを感じる瞬間


とにかく広いです。今はまさに「大広間」さながらだけど、当時はここにいくつかの建物が建っていて
酒宴が開かれたり、時には重臣が集まって軍議なんかも開かれたりしてたんでしょうかね。

キョロキョロしていた瞬間


礎石があちこちに残っています。この大広間、下を見て歩いていると礎石と同じくらいの大きさの石も
ゴロゴロしているのですが、ガイドさんが「完全に埋まっているのが礎石ですよ」と言っていました。
それでも礎石らしきものはかなり多く、御殿のような大きな建物もあったんだろうなと思いました。

尾根筋を体感した瞬間


黒鉄門から入って大広間の正面には石垣が積まれて一段高くなった本郭が見えます。
本郭の左手に降りると御局屋敷跡、大堀切そして京極丸や山王丸に向かうルートになります。

水不足が心配だった瞬間


本郭の右前には井戸跡も残っていました。大きなものではありませんが山城では貴重な水源。
馬洗池と同じように石で囲いがしてあります。掘り抜きではなく貯め井戸だったんでしょうね。
今は単なるくぼみのようになっているのでガイドさんに言われなきゃ気づかないところですけどw

戦国の城らしかった瞬間


小さな石を積み上げた本郭の石垣。ところどころ崩れかけているところに長い年月の経過を感じます。
本郭は鐘ヶ丸と呼ばれ、構造については不明だけれど、何層かの櫓はあったのだそうです。

想像しきれなかった瞬間


ガイドさんにくっついて本郭の上に上がってきました。大広間を背に奥へ長い郭のようです。
ものすごい広いというわけではありませんが、上下2段の作りになっていました。
三棟以上の建物の礎石が見つかっていて、御殿があったと考えられているそうです。

本郭にあった天守が彦根城の西の丸三重櫓として移築されたと言われていたそうですが、
昭和30年代に行われた解体修理でそうした痕跡は確認されず、今は否定されているようです。

復元絵図プリーズ!の瞬間


本郭から大広間を見下ろしてみました。当時ここから見下ろす風景はこんなだだっ広い空間ではなく
いくつもの建物が建って家臣が行き来していたんですよね・・なかなか想像しづらいんだけど。

分かりづらかった瞬間


本郭から御局屋敷跡がある方を覗いてみました・・・高低差を表現するってやっぱムズイね(´Д`)
撮ってすぐ液晶で確認するけど、都度ため息が出ます。目で見ている高低差はもっとあるのに、と。

実際見るのが一番だった瞬間


それでも懲りずに小谷城最大の防御施設である大堀切を本郭の上から狙ってみます。
空堀の向こうに見えるのが中の丸・・・ごめんなさい。ワタクシの腕前では表現できません。
深くて広くて迫力なのですがお届けできないのが残念。当時は橋が架かっていたようです。

キリがなかった瞬間


大広間を眺めて当時の想像を試みたり、上から撮る大堀切に納得いかず悶々としているうち、
ツアーのみんなは本郭をさっさと降りてしまったので、ワタクシもあわてて追いかけます。
が、今度は石垣に近寄ってジロジロ・・頑張って積んだ感と風化した石の感じがうっとりw

ワタクシは空気が乾燥した5月の晴れた日の登城だったけど、これもっと湿気の多い梅雨とか、
それも晴れ間じゃなく雨上がりの薄曇りなんかだと、水気を帯びた苔と石垣がまた違った味を
醸し出して、遺跡のような雰囲気倍増で訴えかけてくる感じはまた違うんだろうなぁ・・
いや、しかし。梅雨以降の山城は草ボーボー虫大量でイヤだから困っちゃうわよね・・・

確信した瞬間


・・・いかんいかん。やっぱワタクシ、この手のガイドツアーには向かないみたいね。
やっぱ登城は基本マイペースが一番。とはいえ、みんな大堀切に行っちゃうから急がなければ!!

御局屋敷跡から大広間方面を振り返った感じです。左手にあるのが本郭。

残念すぎた瞬間


やっとみんなに追いつきました。ここが小谷城最大の防御施設と呼ばれる大堀切です。
左が中の丸、右が本郭・・下から撮ったら今度は見切れて高さがわかりませんね(´Д`)
小谷城は尾根沿いに郭が縦に並んだ構造なんで、この位置も後ろに下がるに限度があるの。
あんまり下の方に降りていくと自分も怖いし、ガイドさんも心配しちゃうからね・・

秀吉にこの左側の中の丸の先にある京極丸を落とされ、長政は小丸にいた父 久政と分断されました。

尾根の上に建つ郭を落とすには、急な斜面を上からの攻撃に耐えながらひたすら登ることになります。
小説やドラマだとそこの長い描写はないから、秀吉軍が小丸に侵入してどうの・・となってますが、
実際に来て見てみると、堀切や竪堀のある尾根の上に建つこの山城に侵入して郭を1つ落とすだけでも
並大抵のことじゃないことが分かります。ガイドさんは「内通者がいたんでしょうね」と言っていた。

城の目の前に陣取る虎御前山の信長軍団のプレッシャー。朝倉の援軍は期待できない。
難攻不落の堅固な城は落ちないというひそかな慢心が重臣の中にはあったかもしれないし、
そういう雰囲気がビビりの家臣の恐怖に火をつけて保身の内通に走らせたのかもしれない。

ものすごい攻めにくい守りの堅い城ということを、実際に行って見て納得すると同時に、
アフォやビビりがいて、何かタイミングが合ってしまうとすべて台無しなんだなと改めて思う。
勝ち負けって武力や防御力だけじゃなく、それ以前に人の心の動きや雰囲気、時の運が大きく
関わっているんだとわかります。士気が大切という知識がリアルに結びつきますね。

未練たらしかった瞬間


ガイドツアーはこの大堀切までで終了です。写真には中の丸方面に向かう勇者の後ろ姿が映ってますが、
この先からは相当ハードになるそうです。中の丸、京極丸、小丸、山王丸、六坊、大嶽城、福寿丸、山崎丸・・
名残り惜しく手元の案内図を見るとごっつ山上行きますし、郭間が離れているところも多い!
本当は京極丸や山王丸は見たかったんですけどね・・ツアーだしツアーじゃなくても時間体力ないし、
というわけで、もうすでに大広間の方に移動しているみんなに追いついてワタクシも小谷城を後にします。
降りている最中にガイドツアーの御一行様が次々と、加えてどこかの山城研究会の団体さんがゾロゾロ
上がってくるのに出くわし、桜馬場や馬洗池のあたりは結構な人でした。早く来てホントよかったわw

計略にはまった瞬間


小谷城を降りた後、小谷城戦国歴史資料館に立ち寄りました。ここで100名城スタンプをもらいます。
スタンプは入館しなくてももらえるのですが、スタンプ押そうとしたら受付のオッサンに愛想よく
挨拶されてしまい、ワタクシもうっかり愛想よく答えてしまったので流れで入館することに。
300円払って入りましたが、展示物が多いわけでも、ワタクシ的にあまり興味のあるものもなく、
入らなくてもよかったわ〜とひそかに思いました。そう考えると300円は高い気がします。

派手な手帳だった瞬間


100名城スタンプと一緒に置いてあった浅井長政の花押のスタンプもついでに押してきました。
かっこいい花押ですね! なぜノートがゼブラ柄なのかってことはそっとしておいてくださいw


小谷城に大満足した後は賤ヶ岳古戦場へ! 「八本槍」を目論んでウキウキ車を走らせますw



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2013.06.09 Sunday 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

小谷城へ登城!〜番所跡から桜馬場

[城跡] ブログ村キーワード [日本百名城] ブログ村キーワード

戦国バスに乗ったらあっという間に番所跡手前まで上がれました。徒歩登りはきつそうだったわ。

ツアー開始の瞬間


バスを降りて少し歩くと案内看板の立つ番所跡前。ここから本丸まで案内してもらうそうです。

念入りだった瞬間


ワタクシ、登城したり史跡を見たりする時は、ボランティアガイドさんや係りの人を見かけると
ちょいちょい話しかけて色々聞いたりするのですが、こういうツアーに参加するのは初めて。
まずはボランティアガイドさんが案内板でこれから見て回る場所の概要と流れを説明してくれます。
写真はちょうど今回はコース外だけど、山麓には家臣の屋敷があったことなんかの説明ですね。

残念だった瞬間


番所跡の手前には金吾丸という郭があります。浅井亮政の頃に六角と対峙している時、
越前から朝倉左衛門尉教景が援護に来て、この郭に陣を敷いたそうです。左衛門尉の唐名は「金吾」。
そこからで金吾丸と呼ばれるようになったとのこと。ツアーでは金吾丸には登れなかったので
上がどうなっているかは見られず広さなどは分かりませんが、何気に急斜面でなかなかっぽいです。
ツアーだとこういうのが残念ですね。戻りのバスの都合があるので往復の時間が決まってるんだって。

目論み通りだった瞬間


家族連れや熟年夫婦がガイドさんと話ながら張り切って先行しているので自動的に最後尾確定w
ポイントに着くたび耳をダンボにして説明を聞くことにして、道中のよもやま話はあきらめます。
迷子にならない程度に何がなんでも最後尾で行くわよ!!これも人の映りこまない写真のため。

セキュリティ大事だった瞬間


まずは番所跡から。城内への出入りを厳重に見張っていた場所だそうです。結構広い!
番所跡を過ぎると、ここから先は尾根伝いにほぼ一列の形で郭が続いて行きます。

立場変われば思いも変わる瞬間


番所跡から少し坂を登ると、急に見晴らしの良い場所に出ました。さっき登った虎御前山が目の前に、
そしてその奥にはかすんでいますが琵琶湖が見えます。この場所は小谷城を少し登ったところだけど、
本来、下の山麓には家臣の屋敷があったので、なるほど・・虎御前山から人の動きも見えたはずだ。
逆に虎御前山だって木々なんかなかったろうから、信長軍の存在がそりゃ丸見えだったってこと。
首根っこつかまれてる感じうっとうしいというか・・ものすごいプレッシャーですよね(´Д`)

名前とは裏腹だった瞬間


御茶屋敷〜お茶屋敷前でございま〜す・・・名前は上品ですが軍事施設だったそうです。
建物があった跡もあるそうですが、茶屋があったかどうかは分かっていないのだとか。
御茶屋敷の前は番所、すぐ後ろが御馬屋敷だから、お茶屋敷は違うんだろうなと思いました。

アブニモ負ケズ・・の瞬間


御馬屋敷の前には伊吹山の見える絶景が広がっていました。真ん中に飛び出てるのが伊吹山。
関ヶ原で敗走した石田三成が捕らえられた山・・小説で何度も読んでるけど実際見るのは初めて。
伊吹山って山頂に雪があるイメージでしたが、4月末で雪はなくなってしまったんだそうです。
この辺り、巨大アブがブンブン飛んでいて怖かったけど、首をふりふり景色を堪能します。

アドレナリン全開だった瞬間


姉川の合戦の際、信長が陣を置いたとされる竜ヶ鼻も丸見え!! 横にびよーんと伸びてる小山が
竜のようだということで、その先端が竜ヶ鼻と呼ばれていたのだそうです。後で行くわよ待っとれw
そのずっと奥の方には関ヶ原があるということで、歴史の舞台を俯瞰している気分は最高!!

足元注意!の瞬間


小谷城はメインの通路の地面、だいたいこんな感じです。時々、落ち葉たんまり積もった道。
ワタクシは虎御前山で落ち葉だらけの道をスニーカーで登って歩きづらかったのでバス乗るのにどうよ?
と一瞬思ったけど、登山靴に履き替えて来て大正解! グリップがきいて足首固定できるのは楽です。
登城する際は間違ってもサンダル履きとかク○ックスとかで行くのはやめた方がいいと思いますよ!

マイペースだった瞬間


ワタクシが歴史舞台の俯瞰でいい気になっている頃、みなさんはすでに後ろの御馬屋敷にいましたw
ということでロクに説明を聞いていませんでした・・ハイ。ここでは馬が飼われていたようです。
砥石城では武田軍に水がたっぷりあることを見せるため、白米で馬を洗ったという話もあったけど、
山の中で馬を飼うってリアルに考えるとすっごい大変よね。第一わざわざエサ運ぶのもコトだし、
山城は水の確保だって場合によっちゃ大変なのに馬が飲む、洗う水までねぇ・・つうか、
出陣の都度、馬の出し入れも何気にストレスでは? 負け戦だった日にゃ登る気力もありゃしない!!

・・・何の話だ。面倒くさいこと嫌いな自分ベースの発想をしてしまいました。

やっぱり水は貴重だった瞬間


御馬屋敷のすぐ横には馬洗池と名付けられた小さな池がありました。やっぱ山城において水は貴重。
馬を洗ったというよりは城の飲料水確保の溜井だったという説が有力なんだそうです。
周りは石で囲いをして、底の方も水が無駄に吸い込んで行かないような工夫がしてあるみたい。
城内に井戸は3ヶ所と言ったかな?(↑余計なことを考えているので肝心なところを聞いていない)

効果はいかに?な瞬間


馬洗池から少し登ると首据石がありました。罪人の首を晒すための石で、天文2年(1533)、
六角氏に内通した今井左衛門尉秀信の首が晒されたと言われているそうです。
石の形からすると、ちょん切った首が安定感を持って乗っかりそうにないですけどねw
奥の方を御一行さんが先行しています。結局、ちらっと写真に映りこんでる時点でどうかと
薄々思ってはいますが、ワタクシ未だ最後尾キープ中。後できっと甲斐を感じる時が来ますよw

クライマックス目前だった瞬間


首据石を過ぎると、すぐ分岐が出てきます。まっすぐ行くと黒金門を経て本丸方面へ。
右へ行くと赤尾屋敷跡になります。赤尾屋敷跡は小谷城で絶対に見逃してはならない場所!
そう、浅井長政が無念のうちに自刃したと言われているのが、この赤尾屋敷だからです。

長政の気持ちになってみる瞬間


元亀2年(1572)8月27日、小谷攻めをしていた秀吉によって京極丸が落とされ、本丸にいた浅井長政は
父、久政のいた小丸と分断されてしまいます。その後、小丸を攻められた久政は自刃。
父を助けることも出来ないまま翌28日、信長から本丸に攻めこまれた長政は赤尾屋敷に逃れ自刃しました。

もはやこれまで・・死を覚悟した長政は無念と失意を抱えて、この細い道を歩いたんでしょう。

先の見えない細い道・・行き止まりの赤尾屋敷・・死に場所を探して歩く長政の耳に、
背後の本丸に迫った信長軍の声は聞こえていたのかな? むしろ静寂を感じていたのだろうか?
信長を裏切った時からこうなることは分かっていたのかしら? どのくらい覚悟してたのかな?
秀吉に託して落としたとはいえ、お市さんと三人の娘もきっときっと最後まで心配だっただろう。
名を残す、朝倉への義理を果たす、父の考えを尊重する・・この日まで自問自答どれくらいしただろう。

ワタクシ、いい感じに長政の気持ちになったつもりで歩いていました。

すると先行しているはずの御一行様の中のおっとり歩いていたおばちゃんにうっかり追いついてしまい、

いいわよね〜小谷城。わたし遠藤周作の本を読んで来てみたいと思っていたの!


と話しかけられてしまいました!! 遠藤周作はいいんですけど、わたしゃ今、長政なんですよヽ(`Д´)ノ

この細い道、落ち葉が積もっていて歩きづらい上、片側が急斜面になっていまして、
おばちゃんはどうも足が悪いらしく足元が怪しいので、もし転がり落ちたら困るわ〜と思い、
ワタクシは引き続き、長政になって後の話は上の空で聞きながらも、すぐ後ろをついて歩いときました。
夫婦で来ているのに旦那はさっさとガイドさんと先に行って・・夫婦仲睦まじかったという
長政ゆかりの地に来ているのに「オイ旦那、どうなってんだ!」とマジ本気で思いましたし。

さらにマイペース過ぎた瞬間


赤尾屋敷にたどり着きました。奥の方にガイドさんが何か説明しているのが見えますね。
ワタクシそれくらい本気で長政になったつもりでゆっくり歩いて来たってことですw
だから肝心な所の話を聞けよ!って話ですけど、追いついて耳をダンボにしてみたら、
ラッキーなことにまだ赤尾屋敷と急斜面の郭の作りについての話なんかしてたみたいで。

何気にお得だった瞬間


で、追いついたところで、長政がこの地で自刃したと言われていますという説明のくだりが始まり。
ワタクシ、御一行さんに追いついちゃったから、肝心なところで写真撮るの相当待つかな?と思ったのですが、
よくよく考えてみると、この御一行がたまたまそうなのか分かりませんが、案外みんな写真撮ってないの。
一眼持ってる人が2人ほどいるだけで、あとはスマフォで琵琶湖が見えた景色とか伊吹山の風景とか
そういうところは撮ってたのを見たのに、これまで見て来た遺構とかこの自刃の場所とかほとんど。

なわけで説明の後、ガイドさんが「じゃあ戻ります」と言ったらさっさとみんな行ってしまい、
ワタクシまたまた自動的に最後尾キープ。自刃の地でしばし長政の最期を思って佇みました。
その時、長政は何を思っていたんだろう〜本当に悔いはなかったのかな〜とかね。

それでも例のおばちゃんにはまた追いついてしまい、ちょいちょい話しかけられたのですがw

それはどうでもよかった瞬間


赤尾屋敷から先ほどの分岐に戻ってくると桜の馬場に出ます。本丸直前の郭です。
高さの違う郭が3つ連なっているところで、大河ドラマのロケ地になったところなんだとか。
ガイドさんから「ここでお市さんが小谷に嫁いでくるシーンが撮られました」と説明されると、
御一行様は一番食いついていました。「ここにスタッフが機材持って来たの?」とか質問出てたりw

絶景ポイントだった瞬間


桜馬場の先端からの眺望は素晴らしいです。何がどう見えるか分かりやすいので、
ワタクシの下手な風景写真ではなく親切丁寧な解説入りの案内でご覧いただきますよw
この場所は本丸のすぐ下。きっとお市さんもリアルにこの景色を見ただろうと思いました。

ズレズレだった瞬間


桜馬場には浅井氏及家臣の供養塔もあります。長政が自刃する時まで城と主を守ろうとした
多くの浅井家臣が命を落としたんですよね。戦国のならいとはいえ切ないことです。

奥の石碑は明らかに城跡が整備されてから建てられたものですが、あんなでかい石を足場の悪い山道
わざわざ運んできたのはご苦労ね。車は無理だからどうやって運んだのか地味に気になりましたw


この後は黒鉄門跡から大広間に入り、本丸〜大堀切を見て回ることになります。
思った以上に長くなっちゃったので次のエントリーで小谷城完結にしようと思いますww


小谷城へ登城!〜黒金門から本丸編 へ続く。


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2013.06.03 Monday 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

小谷城に登城!〜小谷寺編

[武将] ブログ村キーワード

虎御前山を降りてコンビニで朝のおやつを食べてから小谷城にやってきました。

やりすぎだった瞬間


小谷城へ登城するためにはまず麓にある戦国ガイドステーションに大半寄ることになると思います。
パンフレットをもらったり、バスで登る人はチケット買ったり、ガイドを頼んだりする観光案内みたいな。
その駐車場にはワタクシ大河ドラマ見ないのでよく知りませんが、浅井三姉妹の放映記念で建てられた
すっさまじいセンスのモニュメントがドーンと鎮座してます。三姉妹になれる顔出しパネルと合わせてw

ワタクシは今回、登山ルックでフィールドワークやる気満々での参戦ですが、
麓からの登山は時間も体力もなく到底無理なので、番所跡まで一気に車で登る予定でした。
が、ステーションのおじさんに「どっから登るの?」と聞くと連休中は一般車通行不可とのこと。

ガーーーンΣ(゚Д゚||;)! まさかのマジ登山? ワタクシの足じゃ2時間以上ロスだ・・

と思いきや、チケットを買えば番所跡まで小谷城バスが送迎してくれるというではありませんか!
しかもお得なボランティアガイドさん付。団体でぞろぞろがちょっとイヤだけど、この際ま、いいかw

結局、買っちゃった瞬間


出発時間を聞くと次は1時間近くも後だという。いつもなら「マジか!」と途方に暮れるとこだけど、
今回は気合いが入っているので「準備3割、勢い7割」ないつものワタクシとは違います。
ふふふ・・すぐ近くに浅井の祈願寺「小谷寺」があることリサーチ済みよ。全然困らないわw
定員になりましたとか言われたらたまらないからさっさとチケットを買って先にお寺参りします。

好立地だった瞬間


小谷寺の入り口から小谷城方面を振り返ってみました。左奥に見えるのが戦国ガイドステーション。
小谷城ホントにすぐ近く。無駄な体力使わないで済むのは助かるわ〜周りは田んぼだらけで長閑です。
話が前後しますがゴールデンウィークの中日、ワタクシが下山する時、車がここ並んでいました・・。

ひっそりとしていた瞬間


戦国ガイドステーションには人が結構いたのに小谷寺に訪れる人は誰もいません。
浅井の祈願寺ですよ、浅井の祈願寺・・大事なことなので2度言いましたwww
田んぼの中を進んでいくと山門とかは特になく何となく寺に着いたという感じになります。
浅井の祈願時で小谷のすぐ麓。立地・話題ともに十分なのに観光向けの派手さもなくひっそり。

渋すぎた瞬間


入り口風な感じになったすぐ右手に小谷神社がありました。もとは山王権現といい、
小谷城の最高所である山王丸に祀られ、小谷城の守護神とされていたんだそうですが、
落城とともにあちこちに移動され、昭和49年にこの場所に落ち着いたとのこと。
鳥居が赤じゃなく、石造りというわけでもないところに雰囲気はある気がします。

何気に貴重だった瞬間


入り口には梵鐘もあります。江戸時代初期の貴重な名鐘で鋳上がりがよく音がいいんだとか。
戦争の時に金属供出で持ってかれなくてよかったね。今も鳴らすのかしら? 音は聞いてみたい気が。

寺にも歴史ありだった瞬間


小さな観音堂にやってきました。小谷寺は神亀5年(728)に開山された真言宗豊山派の名刹で、
当時は常勝寺と呼ばれていました。その後、大永4年(1524)頃、浅井亮政が小谷城を築き、
小谷寺と改称、浅井の祈願寺と定めたそうです。天正元年(1573)小谷落城の際、本尊以外は焼失。
天正4年(1576)長浜城主になっていた秀吉によって今の場所に再建され、寺領を保護されました。

というのがお寺でもらったパンフレットの要約なんですが、天正4年に秀吉が再建したところには、
「寺伝では文禄2年(1593)再建」みたいなカッコ書きもあるんです。天正だったらお市さんを
慮ってのことかなと思うし、文禄だったら淀君のプレッシャー炸裂って気がしますよねw


お宝満載だった瞬間


歴史あるお寺で今は住職さんもいないようですが、何気に多くの宝物をお持ちだそうで・・。
本尊は焼失を免れた丈22cmの金銅仏如意輪観音、国・県の重文になっている鎌倉期の孔雀文馨、
他にも曼荼羅やら涅槃図やら仏像彫刻やら秀吉の下地状やらの古文書など貴重なものがあるみたい。

やたら親切だった瞬間


上の観音堂の写真、何やらいっぱい貼りついているものがあるのわかりますかしら?
本尊の金銅仏如意輪観音様や曼荼羅の写真やら、この秀吉の朱印状の写しとか展示されてるんですw
ちゃんとした三つ折りカラーパンフレットもここに置かれていて、無人の割にサービス満点です。

お市さんも訪れたんでしょうか? パンフレットにはそんな風にも書かれていましたが、
だとしたら本丸のあるあの山の上から着物に草履で降りてくるって大変だっただろうな・・・
など余計な世話を焼きながら小谷寺を後にしましたw うろうろしてると時間経つの早いわ〜

いざ登城!の瞬間


戦国バスに一番乗りで乗り込みましたw 20人前後一組という感じのツアーになるみたいね。
ワタクシはグループ最後尾をキープで無人写真を狙う作戦を立てほくそ笑んでいる最中ですwww



小谷城へ登城! 番所跡から赤尾屋敷〜北近江攻略ツアーその4に続く



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2013.05.29 Wednesday 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

河毛駅と虎御前山〜その2

[織田信長] ブログ村キーワード

休憩をして呼吸も整ったので、いよいよモロ陣城エリアに突入します!!

織田軍らしくなってきた瞬間


鉄塔からすぐのところは滝川一益の陣跡。さっき見た丹羽長秀くらいから織田軍オールスターみたいな
陣立てになってくるのですが、残念なことにモロ陣城エリアの中では陣跡の碑があるだけで、
武将についての説明板がないんです。ここから滝川、堀、信長、そして勝家、秀吉と続くのですが。
あればあったで大したこと書いてないとか思ったくせに文句言うな!という感じなんですけどねw

貴重さは感じられなかった瞬間


虎御前山は古墳〜奈良時代の古墳や前方後円墳の遺構が数多く残っているということで古墳群の案内がw
銅鏡、短甲、剣などの副葬品が出土したらしいです。奥の方のこんもりしているところがどれも古墳かと。
・・・て超ビッグネームのメガ古墳でも興味の湧かないワタクシにはどうでもいいかΣ(゚Д゚)!

セキュリティ重視だった瞬間


滝川一益の陣から次の堀秀政の陣あたりには堀切や竪堀が多く残っています。他の城跡でもよく見る
防御の常とう手段だけど「信長の戦」「織田軍の土木」と思うだけでアドレナリン4割増ですねw

想像力たくましすぎた瞬間


右も左も竪堀。誰が奉行だったか分からないけど先発隊が来てせっせと掘ったんだろうね。
で、この先の頂上にある陣に行くために通りながら信長もきっと見たに違いないと・・ふふふ。

勝手にスポットをあてた瞬間


ここを過ぎれば信長の陣跡なんだけど、じらしプレイの意味を込めて少し堀さんを思ってみますw

信長側近の一人だった堀秀政の陣跡。丹羽さんより滝川さんより上、そして信長のすぐ後ろの配置。
何でも卒なくこなすことから「名人久太郎」と呼ばれ、小説やゲームでメインの扱いは少ないけど、
堀さんは信頼できる手堅いイメージがあります。子供の頃から信長に仕えて若くして側近になって・・
ワタクシは本能寺前後の出番が一番印象強いですけど、最終的に18万石まで出世した人ですよ。
小田原攻略中に亡くなりましたが、生きていたらその後、結構面白かったかも〜なんて思います。

うっとりしていた瞬間


信長の陣跡はもうすぐそこ。お酒でいったら昼飲みしてイイ感じ〜のほろ酔いぐらいまで来てますw
大曲輪と書かれた場所、これまで見て来た戦国の復元山城なんかを考えると、今ある木々はもちろん
差っ引いて考えるとして、ここだって柵とかで囲って区切られた空間が広がっていたでしょうね。

ときめいてきた瞬間


長枡形虎口と書かれた場所にやってきました・・・あ!信長の陣跡が見えちゃってるーー!!
虎御前山で一番高い場所にある信長の陣跡。ヨロヨロぜえぜえしながら登ってきた苦労が報われる!!
(といっても普通に電車通勤してるくらいの人には、どうってことないほどしか登ってない)

瞳孔が開いた瞬間


うふふふ・・・ついに信長が陣を張った場所へ到着しました!! 好きな武将とかが確実に身を置いた
場所に来るとアドレナリンだけじゃなく、感動やらロマンやら色んなものが込み上げてきますねw
信長がどっちから登ったかは分からないけど、ここに来たのは間違いなく、陣を張って小谷をガン見・・
別に匂いなんかしないんだけど、少しでも雰囲気を感じたいと目を閉じて深呼吸しちゃいましたしw

興奮は続く瞬間


信長が歩いたかもしれない同じ場所を高確率で歩ける喜びにワタクシそこら中をうろうろ・・
寝ずに朝7時から気張って登ってきてよかったわ〜他の登山客がいたら軽くアブナイ人Σ(゚Д゚)!
でもロマン堪能中のこの気持ち、歴史ファンの人ならきっとわかってくれると思うケドwwww

まだまだ興奮中だった瞬間


陣跡の碑の向かい側には「伝 織田信長砦跡」の標も立っています。またまた木々を差っ引いて妄想。
さっきの虎口から入ると柵で囲って区切られた空間があって、陣幕の中に床几に座った信長がいるとか、
陣旗とか軍旗なんかがニョキニョキ立っていて、小谷に向けて信長ここにありの超絶プレッシャー!!

ではいよいよワタクシも攻略せねばならない小谷城を信長アイで眺めてやろうじゃないか!!

と改めて周りを見回すと木々だらけΣ(゚Д゚||;) 確かあっちが小谷のはずなんだけど・・・

今回は壮大な戦場フィールドワークですから事前に見る方向まで含めて念入りにシミュレーションし、
今後も何かと役立つはずと登山用方位磁石まで買って万全の態勢で臨んでいるワタクシ。
勘違いで違う方向を見ているのかとおもむろに磁石を取り出し地図と照らし合わせてみると・・

がっかりすぎた瞬間


オイ、そこの樹木。非常に邪魔じゃ!! 方向は合っていました。でも木々が遮っていました・・。
いや、遮るどころかむしろ完全にブロック状態・・・木々を差っ引いて考えないとダメよね、やっぱ。
信長と同じ場所から信長と同じ視点で小谷城ガン見する計画はみごと夢と消えうせました。

この小谷の方に山を下っていくと柴田勝家の陣跡があり、さらにその下に木下秀吉の陣跡があります。
ワタクシは車を停めた場所に戻る都合やこの後の時間もあり、この先は行かなかったのですが、
秀吉の陣跡は本当に小谷の目と鼻の先で、肉眼で人の動きが見えたほどだったそうです。

小谷攻めに際し、色んな根回しをした秀吉が勝家よりも最前線に陣を張って小谷と対峙していて、
後にお市さんを娶る柴田のオッサン・・勝家がそのすぐ後ろというのは何だか面白い気がしました。

執念深かった瞬間


目論見が外れてショッキングでしたが、それでも興奮さめやらぬまま来た道を引き返します。
丹羽さんの陣跡があったキャンプ場まで戻ってくると、管理人らしきオジサンを発見!!
おはようございます〜と声をかけると、びっくりしていましたが聞かれるまま「埼玉から来た」
「お城めぐりしてるんです」と話すと、「へぇ〜そりゃ若い女の人が朝からご苦労様です」と
わざわざ管理棟に入って、ニコニコしながら虎御前山やら何やら資料一式持って来てくれました。
「小谷城が見れなくて残念」と言うと、「少しだけどこっちから見えるところがありますよ」
と宿泊棟裏に案内してくれたオジサンいい人。神様が寄越してくれた天使のように思えますw

気が済んだ瞬間


「ほら、あれが小谷城ですよ。手前の山の向こう側に見えるやつね。あれがそうよ」

なんか思っていたのと違うけど、さっきは小谷城の「お」の字すら見えなかったこと考えると、
角度や見え方は違っても虎御前山から「おだ」くらいでも見えたのは天使オジサンに感謝だわw

これから攻略してやるわよ〜とひそかに鼻息荒く小谷を眺めて写真を撮り終えると、
オジサンが「ぜひ琵琶湖も見て行ってください」と今度は湖の見える側に案内してくれました。

早起きは三文の得としか思えなかった瞬間


オーマイガーッ!! 行きはひたすら登ること、帰りはひたすら車へと思っていたから
天使オジサンが教えてくれなかったら危うくこの絶景、スルーになるところだったわ!!
しかも懇切丁寧なガイド付き。「あれが竹生島でしょ、そして右の山が山本山ね」なんて。
管理人のオジサンが朝の掃除に来ているこのタイミングで、ワタクシ本当にラッキーでした。

フィールドワーク大事!だった瞬間


虎御前山を降りて小谷城へ向かう前に、どうしても2つの位置全景をリアルに見たいと思い、
地図を見ながらうろうろと車を走らせ、安心して車を停めて写真が撮れる場所を探しちゃったりw
左が虎御前山。右が小谷城。本当に目と鼻の先。この距離感! この写真では見切れているけど、
現場では本丸などのある右方向に向けどんどん高くなっていく小谷城の大きさもリアルに見れ、
2つの距離だけでなく高さや規模の違いを実際に目の当たりにすると、以前読んだ色んな小説の
シーンが頭に浮かんできます。こうしたフィールドワークをしてからまた改めて本を読むと、
作家さんの表現力とか想像力とか描写の違いが分かって、違う楽しみ方も出来そうな気がしました。


|д゚) ・・・・・ジーーーッ   浅井勢はどんな気持ちで山を見ていたんだろう。


いい感じに浅井を考え始めた流れでいよいよ小谷城へ。さて、長政の気持ちになれるかしらん?


小谷城へ登城!〜小谷寺編に続く。



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2013.05.25 Saturday 17:02 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

河毛駅と虎御前山〜その1

今年のゴールデンウィークは北近江攻略! 「戦国ド真ん中」な舞台を駆け巡ってきました。

信長の気分で「虎御前山」 浅井の気持ちで「小谷城」 七本槍体験で「賤ヶ岳
信長の視線で「姉川古戦場」 そして時代は飛んで、唐突に三成を想う「長浜・石田町

というわけで、まずは朝イチで小谷城の最寄り駅となっている「河毛駅」からスタート。

背を向けていた瞬間


朝7時前。駅におりますが、もちろんワタクシは埼玉から車で夜通し走っての到着です。
小谷城の最寄り駅である河毛駅には浅井長政とお市の銅像があるというので寄った次第。
朝イチだと正面からは逆光になるようです。おまけに小谷城も二人の背後という立ち位置!
小谷城を眺めるというんではなく、小谷に電車で来る人を歓迎する感じになってますw

腰が座っていた瞬間


逆光なので仕方なく背後に回りました。長政さんもお市さんもどっしりした後ろ姿ですw
後ほど小谷城にお邪魔しますからね〜ということで河毛駅を後にして虎御前山に向かいます。

スイッチオンの瞬間


来たぁぁぁー!って感じがします!! これ見て戦国妄想モードに脳内が完全に切り替わりましたw
寝てないけれどアドレナリンやら何やら色んなものが出ちゃって、それはもう超〜興奮状態です。

瞳孔が開いていた瞬間


虎御前山が見えてきました。虎御前山は小谷城攻めの時に織田軍が砦を築いて陣を張った山です。
標高224メートル。信長はもちろん、織田軍の武将の陣跡が見て回れるので気合いで登山します。
信長の陣跡に行って、小谷城を超〜睨みつけていただろう信長と同じ風景を眺めちゃうのよ〜!!

さっそうと到着の瞬間


今回の北近江攻略は気合いが入っているので、時間がなかった割に下調べはバッチリ!
ナビの力も借りてますけど何なく虎御前山城跡登り口の矢合神社の駐車場に到着しました。
虎御前山登山という意味では他にも登り口はあるようですが、ワタクシはここからスタートよ。

チキンだった瞬間


陣跡の配置図は印刷して持ってきているのですが、一応、案内板で念入りに確認しておきます。
が、実際の山を前にでかい案内板で見たら、思うより距離がある気がして心配になってきました。
ワタクシは体力も脚力も肺活量もない女。あるのは根性のみ・・・討ち死にする気でがんばりますw

息が上がりかけていた瞬間


登り口には矢合神社があります。少し坂を上って息切れしてますがヨロヨロはまだしてません。
配置図によると、上ったところにまず1つ目の陣跡「伝 多賀貞能陣所」があるようです。

ピンと来てなかった瞬間


「伝 多賀貞能陣所」です・・・って誰だっけ? 信長の野望に出てくる人らしいけどw

〜元亀3年の江北出陣に際し、信長に従軍。虎御前山に陣を構え戦功をあげた。
天正10年山崎の合戦において明智光秀に応じたため所領没収され東福寺に蟄居の身にとなった〜

と案内板には書いてありました・・・ふ〜ん。もとは浅井の家臣でしょ。何なのかしら。

縁はなかった瞬間


御祭神は水の神様だけど矢にまつわる神事が伝わっているため弓道の神社になっているようです。
弓道に縁もなければ時間も体力もないので、ここはスルーして先へ進ませてもらうことにしますw

ここからが本番だった瞬間


神社の横を抜けるとほどなく「虎御前山教育キャンプ場」の入口が見えてきました。
虎御前山の中腹の開けたところにはけっこうな設備が整ったキャンプ場があるんです。
信長と織田軍メジャー武将の陣跡はここから先にあるので気合いが入りますねw

古墳跡だった瞬間


入口を入るとすぐ「伝 蜂谷頼隆の陣跡」がありました。隣には武将の説明が書いてあるのですが、
この陣で具体的にどう戦ったとかではなく、多賀貞能の案内版の説明と同じく、ここに陣を張って
小谷の町を攻めたことと、後年どうした的なことが書いてあります。蜂谷さん地味ですねw
この山は古墳や前方後円墳の遺構が多くあるそうで、蜂谷さんの陣跡も古墳跡になるそうです。

ショートカット可能だった瞬間


まだ先は長いのですが、とりあえずキャンプ場の管理棟まで到着しました。
でも着いた瞬間、実はここまで車で上がって来れたことに気づき、軽く萎えました。
下調べバッチリって一体・・・いや、きっと神社の駐車場に停められる情報で安心したせいです。

左奥に映っているのが管理棟で、その横(写真中央)にあるのが「伝 丹羽長秀の陣跡」です。

さりげなさすぎた瞬間


キャンプ場の敷地内だから・・なんてうっかりしてると危うく見逃しそうになる丹羽さんの陣跡。
案内板は信長に仕えた時期から小谷の町を破ったこと。信長指揮の戦いにほとんど従軍して、
優秀だったこと。本能寺以降と賤ヶ岳の合戦後北の庄城主になったことなんかが書いてあります。

いざ元亀3年へ!の瞬間


キャンプ場を抜けると本格的に登山道というか、標高低いなりに山の中に入る感じになります。
登山口には門があって資料の入った箱も置かれています。もう少し手前でほしい感じですがw
この先にNTTの電波塔があるので、そこまでは舗装路が続いています。が、坂道きついっす!

膝がほほ笑みだした瞬間


電波塔に到着しました。普段歩かないワタクシにはアスファルトの長い上りもきついわ〜
息切れもだけど靴履き替えずスニーカーで来ちゃったし、すでに膝が軽く微笑し始めましたw
どうすんの〜まだ上まで行ってないし、この後は小谷、賤ヶ岳とダブル登りも控えてるのに!!

思いをはせる瞬間


ヨロヨロしてきたので信長の陣跡へ行く前に風景を味わいながらちょっと休憩します。
小谷方面はまだ虎御前山の向こうで見えないのですが山に囲まれ田畑が広がる北近江の風景は
群雄割拠の戦国の頃、歴史の舞台になったとは思えないほど今はのどか。
当時とそんなに変わらないんだろう雰囲気の景色に朝っぱらから幸せな戦国酔い気分ですw


休憩したら元気に(?)虎御前山山頂の信長の陣後を目指します!

河毛駅と虎御前山〜その2に続く



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2013.05.22 Wednesday 20:37 | comments(0) | trackbacks(0) | 近畿(滋賀県) | 

膳所城に登城!

自分で運転してないとナビも地図も見ないので知らない土地だと尚更、
どこをどう走っているのか分からないね。キョロキョロしてるうち到着しましたw

膳所城に登城!の瞬間


ずいぶん離れたところにある湖際の駐車場から歩いてわざわざ模擬正門から登城。
現在は膳所城跡公園になっていて遺構はほとんど残っていないと聞いている。
敷地も広く琵琶湖のほとりにあるだけに市民憩いの場になっていて人がたくさんいます。

体裁は整えていた瞬間


遺構でもなんでもないんですが正門の左右は一応水城っぽくしときました風になっていますw
近くにある膳所神社というところで移築された城門は見られるそうですが今回は無理。
ということでさっそく何もないのは承知の上で一応、公園内に入って見ることにします。

見落としそうになった瞬間


超〜わかりづらいけど「膳所城址」って彫ってあるの。うっかりスルーしそうになったわ。

関ヶ原翌年の1601年、徳川家康は大津城を廃止し、交通の要所である瀬田の唐橋を守るため
膳所城を築城した。縄張は築城の名手、藤堂高虎。初めて天下普請で建てられた城。
湖水を利用した水城で四層四階の白亜の天守や石垣、白壁の塀や櫓が湖水に映る様が
とても美しかったと伝わっている。現在は明治以降の埋め立てで陸続きになってしまったが、
本丸や二の丸は当時、完全に湖の中に島状態で浮かんでいたそうだ。

琵琶湖浮城四城のひとつ(坂本・長浜・膳所・大津)に数えられているらしいけど、
まともに遺構が残っているところがないのは残念。ちなみに膳所城は松江城、高島城と並び
日本三大湖城にも数えられているとのこと。諏訪の高島城は登城したことがあるけれど、
こちらも浮城の面影は一切なし。復元でいいからリアル浮城がひとつくらいあればいいのに。

いまいちピンとこなかった瞬間


公園の奥、湖にむかってズンズン歩いていくと天守跡の碑がありました。
明治3年に廃城になった時、天守などの建物は取り壊されてしまったそうです。
普通に歩いてきちゃったけど当時はこの場所が島になっていたのね。
城跡公園とかって気の利いたところは当時の縄張図とかが載った案内板とかあるけど、
膳所城はそんなの一切ありゃしないので、なかなかイメージがわきづらいのが残念。

物足りなかった瞬間


二の丸跡に建つ模擬櫓な公共施設。二の丸付近は今は浄水場になっているんだとか。
本丸の南に位置する二の丸は水に浮かんでいた当時、橋でつながっていたのだという。
全然関係ないけど今も一応、橋がかかっています。脳内復元も妄想も難しいけれどw

この風景が一番気に入った瞬間


なんだかな〜と思いながら駐車場の方へと琵琶湖のほとりをトボトボ歩いて戻ります。
同じ遺構が無いにしても思いを馳せて妄想できる坂本城に比べると残念な感じです。
でもお客さんがコースに入れてくれなきゃ来ることもなかったと思えばありがたいもの。
振り返ると陸続きになったとはいえ湖に突き出た本丸と大津大橋が見えました。
テンションの浮き沈み、自分的なあたりはずれがあるもまた城めぐりの醍醐味じゃないかw

「○○さん 次は瀬田の唐橋ですよ!! さ、さ、早く早く!」

瀬田の唐橋と聞いて俄然、モチベーションが上がってきましたw

瞳孔ガチ開きだった瞬間!


日本書紀にも登場する瀬田の唐橋は「唐橋を制するものは天下を制す」と言われた軍事・交通の要衝。
ワタクシは古代史とか得意じゃないのでよくは知らないけど、瀬田の唐橋といえば壬申の乱から
戦国まで何度も戦乱や攻防の舞台になった超メジャースポット。一度は見てみかったのでラッキー!
賤ヶ岳や小牧長久手などの出陣で多くの武将が通ったり、本能寺の変後、安土に向かおうとした光秀が
橋を焼かれて足止めされたり、武田信玄が「瀬田の唐橋に我が風林火山の旗を立てよ」と言ったとか。
瀬田の唐橋は戦国武将じゃなくても歴史好きなら一度は見ておきたいと思う憧れの橋よw

魂離脱の瞬間


戦略解説の本なんかで目にする当時の地理や位置関係を見るとそういうものなんだと思う。
今の地図とか交通網の感覚を忘れて考えたり眺めたりするとなるほどなと思う。
橋を焼かれて足止めされていなかったら光秀はどうなっていたんだろうとか、
ここがもし西軍が押さえきれていたら違う展開になっていたかもしれないとか・・
もしも話はともかく、長い歴史の中で重要だった場所にいると思うだけで楽しいですね。

橋を眺めてボーっとしている(ように見える)ワタクシにお客さんは手持無沙汰そう。
まだ次があるというので、違う世界に行くのはこの辺にしておいてやるかw

夕暮れまでは間があった瞬間


最後に橋のたもとにある小高い丘の上に登って橋を見下ろしてみました。
何度も何度も架け替えられてきた瀬田の唐橋。現在のように大橋・小橋になったのは
織田信長によって整備されてからと言われているそうだ。信長は突貫工事を行って
長さ百八十間(約350m)、幅四間(約7m)を3ヶ月でまるっと架け替えたという。

近江八景「瀬田の夕照」のような夕暮れの橋も見たいじゃな〜いと思ったけど、
お客さんが早く早く時間がないと言い出したのでしぶしぶ車に乗り込みますw

ナイスガイドだった瞬間


で最後に連れてきてもらったのが 西国三十三所観音霊場第十三番札所「石山寺」。
平安時代からある真言宗のお寺で、かの紫式部も参詣した由緒正しい有名なお寺です。
ワタクシは足利義昭が陣を構えて信長と戦ったということで記憶してましたが、
ノーマークだったのでお客さんナイスガイド! たまにはおまかせもいいですねw

石山寺の東大門は源頼朝が寄進したものなんだとか。信長と戦って焼かれたり、
壊れた建物が多くあったそうですが、慶長7年、淀君が寄進を行って大幅に修復され、
現在の石山寺の姿はこの時に出来上がったものが礎になっていると言われています。
この東大門もその時に修復され今こうして立派な姿でドーンと建っているのです。

すごいだけことは分かった瞬間


東大門の阿吽の仁王像。写真は左側の・・金剛力士というのでしたかね?
ワタクシこの手のものは詳しく存じませんが、さすが鎌倉時代作。年季が入って風格ありますw

異空間のようだった瞬間


東大門をくぐって参道を進んで境内に入ると珪灰石の奇岩と毘沙門堂が見えてきました。
毘沙門堂は安永2年(1773)に建てられたもので内部には国指定重要文化財に指定されている
兜跋毘沙門像(ばっこびしゃもんぞう)、吉祥天、善膩師童子像が祀られているんだとか。

岩に囲まれたようになっている境内。お堂、珪灰石、岩の上の本堂・・異空間のようです。
パワースポットと言われているのが少し分かる気がしました。鈍感のワタクシには分からないけどw

テレビで見た!だった瞬間


紅葉の季節だかにライトアップされた珪灰石の奇岩前ってテレビ中継されてますね。
ライトアップされた幻想的な風景のイメージが強いので惜しい!って感じですが、
実際に自分の目で見ると変わったこの岩、テレビで見るのとはまた違う迫力があります。

目が悪くなりそうだった瞬間


本堂は内部の撮影は禁止。外観は岩の上に建っているということと木が多くて
あまりいいのが撮れず、外観と内部をなるほどな〜と見て終わりになってしまいましたw 

石山寺には紫式部が参籠した源氏の間が残っています。平安時代には石山寺、清水寺、長谷寺を
参詣する石山詣が流行り、紫式部は7日間、石山寺に籠って十五夜の名月を眺めた時、
源氏物語の構想を思い起こしたとされているそうです。「今宵は十五夜なりけり」でしたっけ?

御朱印をもらっている人がいました。ちらっと見えた御朱印、けっこう格好良かった。
ワタクシも有名なお寺に行った時は御朱印をもらうようにしようかなと思ったり。

日本三大多宝塔のひとつだった瞬間


・・ガーンΣ(゚Д゚)! 修復にぶちあたるのは城だけかと思いきや寺でもかい!!
1194年源頼朝が寄進したという多宝塔・・残念ながら修復工事中。
写真を見るととても美しくって品がある建物。国宝、重文クラスのお城なら修復中でも次回、
必ずリベンジするだろうが、石山寺に再び来るのは難しかろ。見られないのはとても残念。

癒しの空間だった瞬間


多宝塔の少し先にある月見亭。後白河天皇始め歴代の天皇がここから月見をされたそうだ。
見晴らしがよくってさっき見てきた瀬田の唐橋や琵琶湖もよく見えます。
紫式部や代々の天皇が見た当時の石山寺から見る月は今よりずっときれいだったのだと思う。
パワースポットで見るパワーがもらえそうな月の光・・見たら長生きできそうな感じがしますw

どちらにしても古かった瞬間


東大門、多宝塔と合わせ源頼朝が寄進したと言われる鐘楼。
細部の様式から鎌倉後期の建築ではないかと考えられているそうだ。
じゃあどっから頼朝出てきたの?と思ったり、ロマンがないねと思ったりw

中には重要文化財になっている鎌倉初期の梵鐘があって除夜の鐘つきが出来るみたい。
石山寺も初詣とかものすごい人なんでしょうね。人ごみ嫌いのワタクシに縁はありませんがw

というわけで結婚式参加前日ちゃっかり前乗りおまかせツアーはこれで終了。
お客さんなのに入場料から駐車場代からジュースから何から何までお世話になってもうた。
おまけにお客さん本当はこの日、普通に仕事の日。自分じゃきっと行かないところも
たくさん連れて行ってもらって感謝感謝だわ。また儲けさせてあげなきゃねw

馬子にも衣装だった瞬間


さて・・結婚式の当日。お高いレンタル訪問着を張り込んだので記念にちゃっかりアップw
トイレ行けない、腹がきつくて飲み食いできない、立ったり座ったりも一苦労・・
慣れない小股で歩くので変な筋肉使い、結った頭皮も超絶痛すぎて死にそうΣ(゚Д゚)!
思いがけず昔の女性の苦労を知って・・・・妄想だけじゃなく体験するのもとっても大事w


まだあとひとつ八王子城登城のエントリーが残っている・・もたもたしすぎ。


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2012.02.18 Saturday 12:20 | - | - | 近畿(滋賀県) | 

坂本城に登城!

引き続き2011年登城分のエントリーです(´Д`)

10月の終わりにとても親しくさせていただいているお客様の結婚式があり、
ご招待されたので訪問着レンタルを奮発手配して滋賀までいくことになったわけです。
そこで行きがけの駄賃とばかりに前乗り。すると果報は寝て待て・・なんでしょうかねぇ。
一緒に招待されたこれまた親しい京都在住のお客様が1日おつきあいくださるということで
どっちが客かわからないアゴ足付の「おまかせツアー」をさせていただくことになったのですw

思いがけず登城できた瞬間


たいした遺構もないことから自力ツアーでは当分先送りになるはずだった坂本城。
迎えに来ていただいた京都駅から直行で連れてきてもらっちゃいましたw

親しいお客様とは長いおつきあいの間に私的な話をする機会も多いので、
趣味と聞かれれば城好きを公言しているワタクシ。何でも言っておくものですw

案内してくださったお客様はワタクシのために食いつきそうなコースを練りまくり、
廻る場所すべての資料まで印刷して持参。ああ・・ワタクシ絶対に今後もあなたに損はさせませんw

まじまじと見た瞬間


城址公園となっている坂本城跡。園内に入るとほどなく明智光秀像が見えました。
お客様、ワタクシのカメラを分捕り、何もかも了解したようにお約束ポーズの写真をパチリw

ブログは知らないはずなのに、なんでポイント押さえてんのかしら?

でも今気になるのはそんなことではなく、明智光秀の像の方・・・ちんちくりんじゃね?

近づいてみた瞬間


少し近づいてみました・・・やっぱりちんちくりん系ですΣ(゚Д゚)!
遠目に見ても日本人ぽい顔してないような。気になるのでさらに近づいてガン見してみます。

イケてなさすぎだった瞬間


ちんちくりんつうか、4頭身すぎじゃない? バランス悪すぎよ!
たいした遺構がないんだから銅像くらいもう少しイケてるやつにしてあげて。
よく見る肖像とも違いすぎる銅像・・何を見たらこんな風に?と謎は深まるばかり。

光秀像に長いことかぶりついているワタクシにお客様は不思議顔ですw

想像力を掻き立てられる瞬間


比叡山を焼き討ちした織田信長により京都・比叡山の押さえとして坂本城を築城した明智光秀。
大小の天守を備えた水際に建つ坂本城は安土城築城の際、構想の参考にされたとも言われ、
宣教師ルイスフロイスが「日本史」の中で安土城の次に美しい城だと記録したほどの城だった。

当時の本丸は琵琶湖の底にあるとされ、当時の遺構はほとんど何もないけれど、
公園として光秀がいた「坂本城」のあった辺りの場所が残っているだけずいぶんマシ。

タイミングが大事だった瞬間


公園から見る琵琶湖岸。当時の本丸は水面下にあるという。湖なのになぜなのか分からないけど、
水が引いた時とか渇水時は石垣に使われていたとみられる石が見えることもあるそうな。

廃れていく美学・・でも廃れすぎだった瞬間


どう考えても当時のものとは思えませんが公園内で唯一、それらしき感じに見える石垣。
坂本城ありし日の姿を想像するのは難しいけど、光秀がこの地で初めて城を持ち、
織田の重臣としてのしあがった末、ここから本能寺の変が始まって行ったのだと
城跡ひとつから壮大な歴史ロマンを繰り広げた妄想をすればワタクシそれで満足w

足を運ぶのはやはり大事だった瞬間


公園から背後の比叡山方面を眺めてみました。地の利や距離感がリアルにつかめてきます。
あの山が丸ごと炎に包まれるほど、信長は苛烈に比叡山焼き討ちを行ったんですね。
城持ちになれてよかったと喜んだのか、または任務や責任の重さへの苦悩があったのか・・・
焼き討ちの後、この地を任された光秀の心中を考えずにはいられませんね。

何もないところでちょいちょい佇むワタクシをせかすことなく待ってくれるお客様に感謝w

いきなり秀吉方面だった瞬間


比叡山方面にもご案内しますと言われていたので、西教寺は絶対にはずせない!
いや入っていないはずがないと信じて疑わずウキウキしながら車に乗り込んだワタクシですが、
光秀や愛妻煕子や一族の墓があるから西教寺が大事!なんて認識の優先度は一般的に低く・・

道すがら西教寺の看板を見つけて涎をたらしながら到着したのは日吉大社Σ(゚Д゚)!

「○○さんがお好きそうな歴史上の大事なところ出来るだけご案内したいので大急ぎで行きます」

とにっこり笑顔で言われちゃコースにないとこ寄り道してくれというわがままは言えませんw
はは〜ん・・いきなり秀吉になっちゃったよと思いながら、案外ルンルンで車を降りました。

キュート&ラブリーすぎた瞬間


日吉大社は2100年も前に創祀され、全国に3800ある日吉神社・日枝・山王神社の総本宮。
京都の表鬼門にあたる位置にあることから方除け、災難除けなどの祈願社とされたそうだ。

嘘か本当か分かりませんが、秀吉は幼名を日吉大社から取った日吉丸と呼ばれていたとか、
猿に似ていたと言われるため、猿を神の使いとしている日吉大社は秀吉関連の小説には
必ずと言っていいほど何かしらの表現で出てきますね。歴史を旅してる感じ満載です。

西本宮の楼門の上に祭られたお使い猿がも〜かわいいったらありゃしないw

真剣だった瞬間


土曜日だったのに人は案外少なく、でも拝殿にお参りする人はパラパラ後を絶たない感じで。
ワタクシなんてどこに行ってもあまりかっこよくキリッとお参り出来ていないと思うのですが、
真剣にお参りする人の姿って何か違いますよね。やっぱり真剣に何かお願いしてるんでしょうか。
手を合わせて「来ましたよ、よろしくね」程度にしか思ってないからダメなのかもしれぬ。

屋根で認識した瞬間


国宝で重要文化財の西本宮の本殿。1586年の造営なんだって!!
何がそうなのか寺院建築はよく分からないけど日枝造りと呼ばれる独特な形なんだとか。
ワタクシが着目したのは屋根ばかり。お金と維持費かかるのよ。この屋根・・発想貧しい(´Д`)

京都に着いた瞬間からおまかせで案内されて何の予備知識もなく来ているものだから
この時点では西本宮のみしか見ていないことは全く知らず、日吉大社は終了w

「○○さん、次は湖水渡りですよ。こ す い わ た り !」

どこをどう走っているのかも分からないくせに明智左馬助(秀満)に反応しますw

先に渡りきっちゃってた瞬間


駒止めの松に連れられてきました。琵琶湖のどこにいるのかさっぱりわかりませんw

安土城に入って周辺の掌握に務めていた明智左馬助は山崎の戦いの敗報に接し坂本城に退却する際、
堀秀政の軍と遭遇。馬に乗ったまま打出浜から琵琶湖に乗り入れ、柳ヶ崎まで泳ぎ渡ったという
伝説が残っており、琵琶湖を泳ぎ渡った左馬助が愛馬をつないだのが「駒止の松」なのだそうだ。

気になって仕方なかった瞬間


家に帰って後から地図で確認したら坂本城まではまだ結構あったみたい。
琵琶湖を泳ぎ切った愛馬をつないだ左馬助はその後どうしたんだろう。
今になってそんなことに思いが及びます。負けるって本当に悲しいね。

ちょっと待て!だった瞬間


石碑には「明智左馬之介光俊駒止松」と書いてある・・光俊って誰やねん?
現代に建てたものなんだから一般に広く知られた名前にしてほしいと地味に思ったしw

ロマンに浸る瞬間


これから行く打出浜方面を眺めてみました。左馬助はこの間2キロを愛馬とともに泳いだそうです。
サラブレッドみたいな馬じゃなく小さい日本の馬。左馬助がどの程度の武具をつけていたのか・・
本当の話なら名馬というランクがあったことに納得。作り事でもロマンがあるからいいですしw

順逆・・だった瞬間


逆順で左馬助が琵琶湖に入ったとされる打出浜に連れられてきました。

左馬助の湖水渡りの話が出てくるのは江戸初期に書かれた川角太閤記。その後講談で人気に。
明智秀満の名前で呼ばれることも多い左馬助は小説などにはよく登場するけれど、
光秀のいとことも娘婿とも言われ明智軍記など限られた書物でのみ登場する人物なのだとか。

左馬助は安土城を撤退する際も城を焼くことなく明け渡し、捕らえられることを潔しとせず
琵琶湖を渡って坂本城に戻ると光秀の妻子を手にかけ、一族郎党とともに自害したという。

湖水渡りが本当かどうかはともかく、礼儀正しく知性があったと伝わる明智光秀の
さすが親族・家臣だなという雰囲気が伝わってきます。江戸の初期に書かれたという
川角太閤記はそういうところを表現したかったのかもしれないと思いました。

戦国の世に思いを馳せていたら「○○さん、次は膳所城ですよ。ささ早く早く」
とせかすお客さんの声が聞こえました。たまにはこんな登城の旅もまた乙粋なもの。

では西日になるといい写真が撮れないので特急でお願いします!!

お客さんが買っておいてくれた冷たいお茶を飲みながら後部座席にどっかり座り、
どこをどう走っているのか分からないけどワタクシ自動的に膳所城に行けるようですw




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2012.02.03 Friday 21:04 | - | - | 近畿(滋賀県) | 

水口城に登城!

二条城の後は膳所城に寄るつもりだったけど予想以上の渋滞でやむを得ず割愛することに。
2日目の今日は三重県まで行かねばならぬため、大幅な時間のロスは出来ないのだ。

水口城に登城!の瞬間


日本100名城ではないけれど、水口資料館として櫓が復元され、見ておいて損はない水口城。
1634年(寛永11年)徳川三代将軍家光が上洛に先立ち、新たに築かせた専用の宿館で水口御茶屋とも、
湧水を利用して満面と水を湛えた美しい外堀があったことから碧水城とも呼ばれていた。

何とかしてもらいたかった瞬間


復元された二階櫓(正確には矢倉ですが)、堀越しの風景がビューポイントだと思うのですが、
桜の木がボーボーでどこに半身つっこんでも手を伸ばしても大量の枝が写りこんでしまいます。
堀越しだとどこのポジションに立っても同じ。木の向こうはすぐ斜面なので入れずこの始末。
せっかく整備してるんだから剪定もしてくれると嬉しいのに。冬枯れ時期が最適そうです。

出丸部分だけだった瞬間


水口城は平城で、当時は堀と石垣で囲まれ出丸を持った本丸と管理施設の二の丸から構成され、
四隅に櫓があったという。御茶屋といっても防御面などはバッチリ城の体裁だったってことね。
現在、整備されているのは本丸の出丸部分のみで、モロ本丸跡は水口高校の敷地になっています。
ちょっと傷みの目立つ木製の橋を渡って水口城資料館となっている矢倉を見に行きます。

何気に厳重だった瞬間


当時の本丸平面図を見ると橋を渡って出丸に入るこの場所に一の門として高麗門があり、
門をくぐった正面に番所があって、右に進むと大手門という枡形のような造りになっていた。

遠州イズム満載だっただろう瞬間


高麗門をくぐって右を見ると当時の平面図どおりの位置に模擬大手門が建っています。
この門の向こうが本丸で二条城を小型にしたような華麗な本丸御殿があったのだという。
水口城は幕府直営で普請された城で作事奉行は小堀遠州・・二条城風になるはずだw
残念ながらこの先は水口高校のグランドになっているため今は立ち入ることはできません。

郷土のシンボルだった瞬間


で、高麗門をくぐった正面・・当時番所があったところに乾矢倉を模した資料館が建っています。
昭和47年に滋賀県の史跡に指定され、この資料館は平成3年に資料展観施設として開館したそうだ。

プライスレスだった瞬間


入場料100円でパンフレットと冷たいゆうがお茶がつきます・・というか係りのおばちゃんが
とってもいい人で「暑かったでしょ」と中に入るとお盆に載せてお茶を持って来てくれるの。
100名城じゃないけどスタンプ類が充実してるので、記念にお帳面にごりごり押しておきますw

思った以上に丁寧だった瞬間


資料館だというし外観からしても全然そんな風に見えないんだけど中に入ると意外!
木造で丁寧に作られた匠の技が光る造りでしたw 総工費4億7千万円だとかΣ(゚Д゚)!

下世話過ぎた瞬間


水口城の当時の姿の模型。右手にある出丸部分が今いる敷地。それ以外は高校の敷地・・。
この1/100の模型も結構なお値段だったとそうな・・郷土愛はお金もかかりますね。

水口城今昔だった瞬間


水口城は家光上洛の後、幕府の任命した城番が管理する番城となるが1682年(天和2年)、
賤ヶ嶽七本槍で聞こえた加藤嘉明の孫、明友が石見国から入封し2万5千石水口藩となった。
資料館の展示物は葵の紋がついた鬼瓦もあれば、水口藩時代の文献や資料なども多く、
幕末の60石の中級藩士のものだという蜷川右内所有具足や靫なども見られました。

何気に迫力だった瞬間


矢倉は2階建になっていて階段を上がると天井の見事な木組みが目に入ってきます。
規模が小さい城址で資料館としての矢倉にここまで手をかけているのは珍しいのでは?

勉強とかもしちゃうらしかった瞬間


二階は大部分が和室になっていて研修室として利用されることもあるのだとか。
説明書きなどはなかったけれど長持ち?年季の入った箱がどーんと置かれていましたw

歴史は史実と別にロマンも大切だった瞬間


二階に登ると水口岡山城のあった山が見えるから、関ヶ原で落城したお城の跡だから!
受付のお茶をくれたおばちゃんが強力プッシュしてくれたので漏れなくガン見しておきましたw

水口岡山城は標高282m、豊臣時代に軍事的要地を押さえる目的で中村一氏が築城。
以降、増田長盛、長束正家ら豊臣政権の中枢を担う武将が城主を務めるものの1600年(慶長5年)
関ヶ原の戦いで西軍が敗れ落城。長束正家が改易され水口岡山城は廃城となった。

関ヶ原以前の水口城と言えば、石田三成が初めて一国一城の主になった城で、その時、
4万石の半分、2万石の棒禄で島左近を召し抱えたという有名なエピソードがあるけど、
実際は石田三成が水口岡山城の城主だったという記録はないんだとか・・つまんないね。

色んなエピソードは史実じゃないことも多いんだろうけど、その人の人となりとか
その時々の雰囲気を感じるって意味でワタクシはロマンと思って受け入れちゃう派よ。
学者じゃないから「絶対になかった」って根拠探して否定してもつまんないもん。

珍百景かと目を疑った瞬間


水口城を後にして三重県伊勢方面へ向かう途中、ふと目をやった車窓に思わず二度見Σ(゚Д゚)!
ガンダムを思い起こさせるカラーリング・・なんでこんなところに安土城が建ってるの!? 
後でわかったことだけど、ここには伊勢安土桃山文化村という観光施設があるんだそうだ。
ワタクシ知らなかったので仰天しながらスルーしてしまいましたがホームページを見たら
それはそれで何やらちょっぴり面白そうだったり・・知ってたら行きがけの駄賃で寄ったかもw

リアスの一角だった瞬間


2日目の宿泊は伊勢のThe Earth。こんなところに旅館があるのか?と思うような道を通り、
山を越え海に突き出たリアス式の突端に建物が突如出現した時はちょっと感動しました。

The Earth


周りは見渡す限り海と山しかない上、他に建物や施設も一切ないので国立公園っていったかな?
辺りをのんびり散策したり、温泉にゆっくりつかって図書やDVDを借りて過ごす感じです。

決してタイタニックではなかった瞬間


せっかくなんで西日ガンガンの猛暑の最中ですが、汗だくになって散策してきました。
汗で髪のカールも取れてくったくたです。嫌じゃない感じの潮風は気持ちよかったけどw

待ちに待った瞬間


温泉といっても烏の行水のあも。長湯できないから旅館に泊まる楽しみは食べること!
The Earthは部屋食じゃなく、こじゃれた感じのお食事どころで海を見ながらいただきます。
海は真っ暗なんだけど、月が出ると月明かりに照らされたところが浮かび上がって幻想的!

お上品でもお酒はガブガブだった瞬間


前に泊まった旅館は伊勢エビや鯛の舟盛やアワビの踊り焼きが出る海の幸尽くしだったけれど、
ここでは伊勢エビは刺身の2切れだけw 肉ありアワビあり鱧ありΣ(゚Д゚)!創作和食って感じの
お上品なお料理でした。食後はお夜食まで持たせてくれて・・こういうところはいい旅館ですw

目覚めはいつも空腹の瞬間


旅館は朝ご飯も楽しみのひとつ。ワタクシは寝起きすぐでもカレーが食べられる派なので、
いつも起きたらお腹空いてます。 朝からガンガン食べて全部いただきましたw

腹ごしらえも済んだところで最終日の今日は帰りがてら行ける城は出来るだけ登城する作戦。
まずは石垣のビューティフォーな松阪城へ。牛も食べるから歩いてお腹すかせなければ・・。


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2011.09.25 Sunday 10:28 | - | - | 近畿(滋賀県) | 
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