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清州城に登城!

帰りがけの駄賃もいよいよ終盤。信長が小牧山城へ移る前にいた清州城にやってきました。

大人気だった瞬間


裏の路地に縦列駐車で車を停めて城前にやってくると、墨俣城なみに人がたくさんΣ(゚Д゚)!
もう結構いい時間だけど、中に入っていく人も回りうろついている人も多いのに軽くびっくり。

プラモっぽかった瞬間


信長の頃は天守はなく、後年、天守が建てられた頃には城下町ごと名古屋に移築。
金のシャチホコ、朱色の欄干のついた模擬天守。お金をかけた感がすごい。
建てられたのはバブル期。当時の市長の趣味やセンスと聞いた気が‥汗

信長アピールの瞬間


入口の門の裏側には「信長塀」が作られていました。桶狭間出陣前、戦勝祈願をした熱田神宮へ
勝利のお礼に信長が奉納した塀と言われ、本物は熱田神宮の本殿近くにあります。
三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並ぶ日本三大塀といわれるそう。

違和感過ぎた瞬間


古清洲城跡に行こうと赤い橋を渡っていると、向こうから甲冑武者が歩いてきました。
よく見ると・・・ちょっとあなた外人じゃないの!! ワタクシは物怖じしない日本人。
「ピクチャープリーズ」と日本語英語で話しかけたら、ポーズを取ってくれましたww

信長を思う瞬間


橋を渡ったところで清洲古城跡の碑を見つけました。元の清州城があった場所です。

清洲城は家督は継いだ信長が尾張の拠点とした城で、永禄3年(1560)桶狭間へは
ここから出陣しました。合戦後、徳川家康との同盟が結ばれたのも、本能寺の変後、
織田家の跡目を決める清洲会議が行われたのもここ。感慨深い気がしちゃう。

永禄6年(1562)に信長が小牧山城に移った後は信長の三男信雄、豊臣秀次、
福島正則、松平忠吉と城主が変わり、忠吉の死後、徳川義直の入城すると
家康の命により城下町ごと名古屋に移され(清洲越し)ました。

色んな意味で残念だった瞬間


その後、田畑になっていた清洲城跡は戦後の開発でJRが通り、本丸跡は線路で分断され。
天守も元あった場所に建てたかったようですが、ギリギリまで線路が迫っているため断念。
五条川を渡った側に模擬天守が建てられた今、見どころが3パートに分かれた感じになってます。

清洲古城跡の奥に進んでいくと『右大臣織田信長公古城跡』と書かれた石碑が建っていました。
夕方めだったし、木がうっそうとしていて薄暗いので写真が全然わからないけど(*°∀°)=3

神様だった瞬間


石碑の隣には信長を祀るお社がありました。毎年、信長の命日である6月2日のにはこの社前で
「織田信長公顕彰祭」というのが行われているそう。祝詞奏上や敦盛の舞なんかやるらしい。

勝手にシンクロだった瞬間


線路をくぐって今度は信長の銅像を見るため清州公園の方へ。若かりし日の信長と濃姫です。
桶狭間出陣前が表現されているそうで、当時26歳の信長の視線は桶狭間の方に向いています。
ワタクシは信長様の足もとで同じ方に視線を向けておきました。濃姫は・・・スルーでw

素敵すぎた瞬間


西洋チックでダンディなミドルになる前の・・大鎧を付けた若い頃も凛々しくていいですねw
信長銅像の中でかなり好きなのに、ミラーレスの電池切れでコンデジしかないのがつらいとこ。

バブリーすぎた瞬間


この朱色の橋が何しろ・・・墨俣城の太閤出世橋の方がまだましか?どうなの?


帰り際、天守最上階の窓辺にさっきの甲冑ガイジンの姿を発見! 観光かΣ(゚Д゚)!
そのわりにすんなりポーズ決めたねw とちょっぴり気にしながら、この旅、最後の地へ。



沓掛城に登城!〜に続く



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2013.07.19 Friday 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(愛知県) | 

小牧山城に登城!

[城めぐり] ブログ村キーワード

足が引き続きもげそうに痛いけど加納城から小牧山城にやってきました。
自分が一度決めたことはやり遂げるのよ!! どうせ帰りがけなんだから「ついで登城」コンプリートするの。

念じれば通ずだった瞬間


ナビに従い到着したものの、城のある小牧山周辺は市民憩いの場になっているらしく、
午後2時も過ぎた頃おっとり訪ねたところ、有料駐車場は満車」で1台待ちΣ(゚ロ゚;)
周辺に駐車場らしき場所がなく、模擬天守のために駐車場待ちするのか、
今回ここを残したら多分このためにだけは絶対来ないからなぁ・・
と考えながら駐車場の前に戻ってくると待ちはいない上、ちょうど1台出るところ!!
やっぱワタクシ持ってる!! ほくそえみながら登城する運びとなりましたw

あ、小牧山城は小牧城とも言われるようだけど、ワタクシは小牧山城と呼んでおこうと思います。

信長じゃなかった瞬間


入り口に土塁断面が展示されています。現在残る土塁は徳川家康が小牧・長久手の戦いの時に築いたもので
幅10m、高さ3m程の規模。 土塁の外側の堀底から測ると土塁の高さは5mにもなるんだそうです。

小牧山城は永禄6年(1500)、信長が美濃攻略の拠点として濃尾平野が一望できる小牧山に築いたお城。
信長は清州からここに移り、本格的な城下町を作ろうとしていたと言われていますが、美濃攻略後、
岐阜城が出来ると小牧山城は4年で廃城。そして本能寺の変後、小牧・長久手の戦いで徳川の拠点になりました。

さまよっていた瞬間


パンフレットとかないし、ワタクシも今回はプランBで登城したため何も準備がなく、
登城口はどこだと小山を眺めながら痛い足を引きづり、やみくもに歩くしかありません。
拠点ごとに設置された案内板だけが頼りΣ(゚Д゚)! このあたりは帯曲輪だったよう。
右の方に見えるのは信長時代の井戸が復元されたもの。当時、武家屋敷があった場所なんだとか。

謎だった瞬間


トボトボ歩いていると復元された虎口を経て「織田信長公居館跡、曲輪402」というところに出ました。
曲輪402は75m四方で一番面積が広いから(!)信長の居館跡では?と推定されているらしいです。
でも発掘調査では堀跡しか見つかっておらず、どんな建物が建っていたとかは分からないんだって。
一番奥に見える土塁は小牧・長久手の戦の際に築かれたもの、左側は信長の頃の土塁と堀です。

ある意味迷子だった瞬間


信長の頃の土塁と堀に近づいてみました・・よく分からないけど多分これは復元ですよね?
小牧山城はこういう小規模の土塁と堀で曲輪間が区切られていたということみたい。
ちなみに土塁と堀の左側は「曲輪403」になります・・・自分で言ってて分かりづらいわ。
そんなことより・・どうでもいいから早く登城口よ現れてくれーーー!!どっから登るんじゃ!

地獄で仏だった瞬間


挫折しそうになりながら山麓を半周歩いた感じのところで、ようやくそれっぽい所に出てきました。
多分そうとう無駄に大回りをしてます。ボーイスカウトの子がバンバン走って来たので道を聞きます。
彼らイベントでスタンプラリーみたいのやってるらしく、行くからついてきて!と言ってくれるので、
今どきの子供も親切じゃないか、さすがボーイスカウトだわ!!と思ってついていくと・・・

仏どころじゃなかった瞬間


ボーイスカウトども、急斜面に設置された階段をすっさまじい勢いで駆け上って行っちゃったΣ(゚Д゚)!
・・・登り口が分かったから大丈夫よ・・この先ひたすら階段。足が本当に上がらない。つらすぎる!!
ワタクシ完全に間違えた。人がいないからもっと楽な道があったはずだと野生の勘が告げています。

己に勝った瞬間


悪魔に打ち勝って決死の思いで山頂までたどり着きました(普通の人には多分なんてことない)。
足が痛いけどうろうろしてベストアングルを探しますが・・小牧山城はそういう場所ないの。
後ろに下がりきれず木も邪魔で撮りづらかった岡崎城と同じく、どこに立ってもアングル微妙。
模擬天守とはいえ、どうせ建てるならその辺のことも計算してくれるとありがたいよね。
この模擬天守、昭和42年に名古屋の実業家が私財を投じて建て小牧市に寄付したものなんだって。

信長を思う瞬間


悪魔の囁きに負けず登ってよかったと思ったのは、主郭に残っている石垣が見れたことかな。
つい最近まで発掘調査をしてたみたい。主郭の周囲だけ石垣で囲まれていたそうです。

さすがすぎた瞬間


今は大部分埋め戻されて何ごともなかったように草が生えていますが、案内板見ると大きな石垣の奥に
裏込石がびっしり詰まっている様子などがあり、岐阜城を建てるより前の小牧山城にしてすでに信長は
石垣の城を作っていたんだな〜としみじみ思って、きつい道を登ってきた自分を励ましましたw

ずさんに思えた瞬間


発掘の際、取り出したらしき裏込石がそこら辺に数か所ばかり山積みになって置かれていました。
必要な調査を行い、整備工事で石垣の背後に戻します・・と書かれた説明紙がロープに揺られてます。
平成22年からもう3年経つけど、この管理で大丈夫なんでしょうか? ちょっと心配になります。

城風で決まりだった瞬間


模擬天守にも色々あるけど、小牧山城のはあまり城っぽい感じじゃないです。寺とか古い旅館ぽい?
と言いつつベストアングル探してるわけじゃなく、ワタクシ反対側にも発掘跡を見に来ていますw

かしこすぎた瞬間


主郭の斜面になるこの場所は当時、上下2段(一部は3段)の石垣が70度の勾配で築かれていたそうです。
木の根っこと手前の大きな石の間は、今は埋め戻されて分かりづらいけれど段差のついた岩盤になってて、
そういう場所は石垣を組まないで、岩盤を削平して垂直面を石垣のかわりに利用していたんだって。

ぬけがらだった瞬間


歴史館となっている模擬天守には登らなかった、いや、登る気力さえなかったワタクシ。
小牧山で最後に撮ったらしきこの写真・・どこ? 長久手方面を眺めた気はするんだけど記憶なし・・。

よくよく考えたら古戦場めぐりで、そのうち長久手にも絶対に行きたいと思っていたから
小牧山城はその時でもよかったんだわ・・また近く行かなきゃとこのエントリーを書きながら思う次第w
小牧・長久手の合戦はワタクシ的には結局よく分かってない戦なので勉強してからそのうちね。

山頂からの帰りは人がぞろぞろ上がってくる方向・・(こっちがふつうの登城道)を逆走して、
今度は緩やかだけど長ーい距離の坂道を歩いて降りて、駐車場まで無事奇跡の生還w

足がもげるとか疲れたとか言いながらまだまだ陽が高いので、次は信長が小牧山城に移る前にいた清州城に、
模擬天守の派手派手な城ではなく「信長の銅像」を見に行ってみます!! 懲りないわ〜w





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2013.07.13 Saturday 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | 中部(愛知県) | 

長篠城に登城!

[城跡] ブログ村キーワード

日本100名城46番 長篠城に登城!

前々から登城したいと思いながら中途半端に遠くて後回しになっていたところ。
出現頻度が高い合戦だけに色んな切り口や見方の小説や資料を読んでいるけれど、
歴史的な意味はもちろん外せないエピソードの多さでとっても面白く興味深い。

やっとたどり着いた瞬間


三方ヶ原から距離はたいしたことなくてもお彼岸渋滞なのかナビがアホなのか
なかなかの時間をかけてようやく到着。駐車場には停められたけど人が多くてびっくり!
100名城他、色んなお城に行っているけど、城跡で人がこんなにいるのは初めてかも。

ちょびっと粘った瞬間


大混雑であきらめるほどじゃないけど、ちょろちょろ人が行きかうので、
資料館周辺は写真を撮るのに時間がかかりました。その甲斐あって平日みたいw
まずは資料館に行ってスタンプとパンフレットをもらうことにします。

モザイクはなかった瞬間パート1


資料館の入り口で早くもヒーロー鳥居強右衛門さんの姿を目にすることが出来ました。
今日は体力振り絞って長篠城周辺のフィールドワークもしちゃうつもりなので、
じっくり伝説の戦国烈士「スネちゃま」ワールドを堪能出来ると思います。

モザイクはなかった瞬間パート2


資料館の中でも鳥居強右衛門さんの姿が真っ先に目に着きました。

武田軍1万5千に攻められ落城寸前だった長篠城から援軍要請のため抜け出した鳥居強右衛門は
首尾よく岡崎城に到着。家康と信長の出陣を確かめ長篠城に戻る途中、武田軍に捕らえられてしまいます。

鳥居強右衛門は長篠城前でふんどし姿で磔にされ「援軍は来ない。早く降伏しろ」的なことを
伝えるよう武田勝頼に強要されるが「2,3日で援軍が来る。それまで持ちこたえよ!」と叫びました。
鳥居強右衛門は激怒した武田勝頼により槍で突かれて殺されてしまうが、それを見た長篠城兵500人は
「強右衛門の死を無駄にするな」と士気を奮い立たせ援軍が来るまで城を守りきりました。

鳥居強右衛門の命を賭した忠義は長篠の合戦に必ず出てくる有名なエピソードです。

ワタクシはこの関連の小説や資料などを読んでいると長篠の合戦と同じくらいかそれ以上、
長篠城攻防のくだりに食いついてしまう。若き城将、奥平貞正(後の信昌)が少ない城兵をよくまとめ
必死に城を守り、人質に出した弟や許嫁を犠牲にしてまで武田を裏切って徳川方についたため
降伏はありえないというバックグラウンドがあったりとか、この鳥居強右衛門の「漢」ぶりとか・・
今の時代の価値観で測れない漠然とした「何か」にすごく心惹かれる気がするのです。

強い男は素敵だった瞬間


ワタクシは熱心な武田信玄ファンではないけど家臣には好きな人が結構います。
馬場美濃守信春さんはその一人。信玄の父・信虎から信玄勝頼の三代に仕えた武将で、
40年間で70回以上の戦に出陣して1度も負傷していないというエピソードがあるあたり、
本多忠勝君と同じ匂いがぷんぷんw 信長も「馬場美濃守手前の働比類なし」と称賛したという。

馬場さんはこの合戦で討死します。織田軍の設置した馬防柵によって武田軍が総崩れになると
主君、勝頼が敗走するのを見届け「我こそは馬場美濃守という者なり」と・・・享年61歳。

滅びの美学 男の生き様だった瞬間


大通寺の水杯のワンシーンを再現した展示もありました。

鳥居強右衛門の死から数日後、武田側は織田・徳川3万の援軍到着を知ります。
すぐに軍議が開かれ、馬場美濃守は山中の隘路に連合軍を誘い込むことや、
長篠城を強引に落として城の天然の堀となっている豊川沿いに布陣することを提案しますが、
勝頼によって却下され、馬防柵が待ち受ける設楽が原で決戦に挑むことになってしまいます。

その夜、馬場信春、土屋昌次、内藤昌豊、山県昌景は大通寺に集まり、
この戦では勝利は難しい。勝頼公は一国を束ねる器ではない。明日は討死しよう」と語り、
今生の別れに水杯を交わしたと伝えられています。翌日の合戦で敗走する勝頼を守って
付き添わなかったのは、この戦で討死すると決めていたからなのですね・・壮絶です。

フィールドワークを思い出した瞬間


資料館でいちいち妄想しながら見ていたら思わぬ時間を食ってしまいましたw
ようやく外に出て城址を歩きます。城跡見てから城周辺のポイントを訪ね歩くのよ。

野趣あふれる城跡だった瞬間


資料館の目の前にある内堀。この向こう側は今は駐車場だけど当時帯郭だったところ。
内堀は向こう側までぐるーっと続いているようで規模は大きめ。彼岸花が怪しげですw

読むと見るとは違う印象だった瞬間


本丸跡の土塁上にある長篠城址碑。土塁や堀がくっきりばっちり残っています。
立地は天然の要害、縄張を見るといくつもの曲輪があり、実際に堀や土塁があるけれど、
ぐるっと周囲を見渡してぶっちゃけ500人で守るの厳しくない?と思ってしまいましたw

メモ帳を首からぶら下げておけ!だった瞬間


場所があやふやだけど写真の順番からして帯郭とか二の丸方面だと思います。
本丸土塁から内堀まではかなりの高さがあります。この先に郭が2つ続いて搦手門があったようです。

デリカシーがなかった瞬間


城跡には一部、線路が通っています。なんでここ通しちゃったんだろう?と思ってしまう。
迂回するとかなんかねぇ・・川に挟まれたり崖になってたりだから仕方ないんでしょうけど。

広っ!だった瞬間


まだまだしぶとく土塁の上に居座っておりますよw
本丸の一番奥側から入り口の方を見た感じ・・やっぱりすごく広いんです。
建物の痕跡などは全く残っていないようだけど500人で守った城の本丸はどうだったのか、
奥平君がこの辺うろうろしていたのかな、などと考えるとちょっと楽しいです。

距離感大切だった瞬間


このフェンスの向こうの崖下を流れる寒差川の対岸で鳥居強右衛門は磔にされました。
こっちも向こうも木が生い茂っていて思うほど対岸の様子は見えませんが、
当時は城内に強右衛門の姿を見せつけるため向こう側では切り倒していたでしょうね。
長篠城兵はこの辺りに立って悔しい思いで涙目を凝らしていたのかもしれない。

知識が増えた瞬間


ワタクシは今日ここに来るまで「援軍が来る」と叫んだのは磔にされた時だと思ってましたが、
どうやら実際に鳥居強右衛門が叫んだ場所はもっと大手門よりの場所だったみたいですね。
この後のフィールドワークで叫んだ場所と川向うの磔にされた場所、磔死の碑を見に行きます。

涙が出そうになる瞬間


フェンスに乗り出し寒差川を撮ってみました。崖を下って行くのも大変そうだけど、
そこそこ流れもありそうなこの川を鳥居強右衛門は4キロも泳いだって・・
水練が得意な人だったらしいけど、それにしたって5月の水は泳ぐには冷たいよ。
名のある武将とかじゃなかったのに「わが君のために」。切なくて涙が出ちゃうよ。
ワタクシが鳥居君の立場だったらどうだろう・・城を守って必死に戦った結果、
討死してたってのはありかもだけど、殺すぞと槍を突き付けられた時に忠義はどうか?


む〜ん・・・・・・・無理じゃない? 鳥居強右衛門君に献杯!


いちいち妄想してるときりがないのでさっさと長篠城周辺フィールドワークに行ってきますw




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2011.12.17 Saturday 15:22 | - | - | 中部(愛知県) | 

吉田城に登城!

2011年夏弾丸ツアーもいよいよファイナル!・・・遅っΣ(゚Д゚)!

西尾城を後にして夕暮れ迫る中、ギリ行けそうだったので思いつきで吉田城に立ち寄り登城。

怪我の功名だった瞬間


ナビあるくせに曲がるところを間違え、うっかり豊川の川べり1本道へ・・
市内に行く道に戻らねばとUターン場所を探して進むと思いがけず吉田城の隅櫓が。
間違えなかったら絶対に来てなかった、というかビューポイントに気づかなんだ。
川の対岸から見るお城の佇まいって何とも言えない情緒や風情があります。

地味跡はスルーするしかなかった瞬間


三の丸無料駐車場(だったと思う)に車を停めて日が暮れないうちにと本丸へ急ぐ。
入ってすぐに見える美術博物館付近から評定櫓跡だの地方役所跡だのが出てくるけど横目でスルー。
ずかずか進んで二の丸御殿跡を通過し、もったいないわ〜と思いながらもずんずん進む。

ちょっぴり足をとめた瞬間


三の丸駐車場から歩いてくるまでにかなり土塁が見られるんだけど本丸近くでちょっと観察。

1505年(永正2年)牧野古白によって築かれた当時、今橋城と呼ばれた城は1590年(天正18年)
池田輝政が入封し、吉田城と改められた。15万石にふさわしい拡張と城下町の整備が行われたものの、
輝政は10年で播州姫路に移封となり、大拡張された城地は未完成のまま明治に至った。

現在、豊橋公園になっている吉田城跡は輝政時代の遺構が残り土塁と石垣両方が見られるのだ。

ちょっと感動した瞬間


本丸に入りたいで先には進まなかったけどあまりに見事だったので見とれてしまいました。
市内ど真ん中の立地にありながらこの規模でよく残っているな〜とちょっぴり感動。

本丸にたどり着いた瞬間


木橋を超え裏御門跡にたどり着きました。もう日が暮れかけているため木立の中にある木橋や
その下の深い見事な空堀は写真がうまく撮れず残念。がめつく立ち寄りで登城しちゃったけど、
縄張図持ってちゃんと遺構を見て歩いた方がいい城だったんじゃないかと少し残念に思い始める。

あきらめないことが肝心だった瞬間


何度もフラッシュたいて撮りまくっておいたら何とかマシに映っているのがありました。
史跡指定されていないと聞いたことがあるけど、こんなの遺構があるのに本当だったらちょっと驚き!

お得な気分だった瞬間


辰巳櫓跡の石垣。規模の大きな土塁・空堀に続き石垣も見られるのはお得!!
登城したいレベルが高いお城じゃなかったから調べたり勉強したりする機会も少なく、
復興された鉄櫓だけちらっと見れば・・くらいで登城したことを本当に後悔です。

品が感じられた瞬間


本丸の風景。左隅が裏御門、辰巳櫓跡を挟んで右側が本丸南御多門。
吉田城には「千貫櫓」「鉄(くろがね)櫓」「入道櫓」「辰巳櫓」川手櫓」「雷(いかづち)櫓」
「着到櫓」「評定櫓」「太鼓櫓」の9つの櫓があったそうだ。徳川の城っぽい雰囲気があります。

縁がなかった瞬間


月曜日だから休みだったのかもしれないし、開館時間が短いと聞いているので終わっているのか・・
閉まっているのがモロ分かったので入り口前にはいかなかったけど中に入れずとても残念。
昭和29年に復興された隅櫓は当時、鉄櫓と呼ばれ有事の際は天守代用となる櫓だったそうだ。
去年だったか塗り替えだか葺き替えだかの修復工事やっていたはずで綺麗すぎましたw

見るとこはそこじゃなかった瞬間


櫓の横に廻り、始めに川岸から見た側も見てみました。復興なのになぜに見てるのかw
本当は櫓じゃなくて対岸から見える側にある池田時代の石垣見るべきだったのに。

なぜに降りなかった瞬間


隅櫓の横には北御多門跡の枡形石垣が。横着して上から撮って終わりにしたものの、
帰ってから気になって縄張図を見てみたら行くべきはこの下だったことが発覚Σ(゚Д゚)!
武具所跡とか川手櫓跡とか船着き場とかの他、池田時代の石垣もここにあったらしい。

吉田城の縄張は河川を背にして戦う背水の陣となり、渡河され本丸を直接攻撃されやすい。
そのため本丸背後に腰曲輪を備え、石垣もより高く強固にして弱点を補っているそうなので、
川に面した側こそ見ておかなきゃならなかったポイントだったようだ。ワタクシ残念な人。
城によるけど思いつき登城はよろしくないね。公園の一部だけと思ったのが間違いだった。

心は次の城だった瞬間


櫓台から夕暮れの豊川を眺める・・・2011年夏弾丸ツアーもこれで本当に終了。
11月に入ってブログ上、やっとワタクシの夏は終わりましたΣ(゚Д゚)!

9月以降、年内に攻略しておきたいと企んでいるお城がいくつかあるので
ボチボチ実際に登城するための下調べを始めようと思いながらの秋の夜長でしたw

タイムラグが長くなりすぎてること反省・・次の浜松城登城を早めにエントリーしたいと思います。




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2011.11.03 Thursday 16:17 | - | - | 中部(愛知県) | 

西尾城に登城!

さぁ2011年夏弾丸ツアーもようやく残すところあと2城。
だいぶ日暮れも迫ってきましたが埼玉に戻りがてらしぶとく登城ですw

西尾城登城の瞬間!


まずは鍮石門(ちゅうしゃくもん)。御殿に至る高貴な門と言う意味があるそうだ。
二之丸御殿の玄関の前にあった門で、古くは「中柵門」、「玄関前門」と呼ばれていたという。
楼門式、東西二間二尺(4.2m)、南北四間半(8.2m)、高さ二丈二尺五寸(6.2m)だったんだって。
西尾城は珍しく二の丸に天守(三層四階)があったお城。天守跡には体育館が建っています。

萎え萎えモードだった瞬間


本当は岡崎城に登城した時に寄っておくべきだった西尾城。忘れてたんだからしょうがないw
わざわざ来るのはアガラナイので、この際ついでにと三重からぶっとばして来たものの、
松阪城に続き、なんとなんと西尾城も月曜休館Σ(゚Д゚)! 本丸丑寅櫓と資料館に入れない。
岡崎城と同じく写真を撮るスポットに恵まれない丑寅櫓・・萎えるけど、ま、行ってみよっか。

激ショートカットだった瞬間


案内図で右下の赤い点から鍮石門をくぐってスタートすると庭園や旧近衛邸があるのですが、
どうせ中に入れやしないのでこの際割愛。こうなったら最後の1城に確実にたどり着きたい=3
ので左方向にぐいーっと回って、いきなり本丸の丑寅櫓付近を目指します。
鍮石門をくぐれば丑寅櫓はすぐそこなんだけど小高い上木が茂って全然見えないのよ!

とりあえず本丸だった瞬間


当時、土塁で囲まれ四隅には櫓が建っていたという本丸。四つの櫓の中で最も大きい櫓
丑寅櫓が現在、復元されているのだ。神社もあるけど近寄らなかったので詳細は不明w

西尾城は承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した
西条城が始まりと伝えられ、戦国時代末には牧野成定、酒井正親、田中吉政が城主となった。
1601年(慶長6年)に本多康俊が西尾2万石の藩主として入るが、以降、頻繁に城主が変わり、
1764年(明和元年)山形から大給松平氏が6万石で入って5代続いた後、廃藩を迎えた。

こじんまりした石垣だった瞬間


本丸表門跡。本丸表門は姫丸から本丸に至る位置に築かれた二階建ての楼門式の門で、
東西二間二尺(4.2m)、南北四間二尺(7.9m)、高さ二丈四尺五寸(7.4m)だったという。
丑寅櫓から伸びる土塁を断ち切る面に詰まれた野面積みの石垣はよく残っています。

未練たらしかった瞬間


丑寅櫓やってないと分かっていながら階段登って前まで行ってしまいましたw

丑寅櫓丑寅櫓といいながら全然、写真がないじゃないか!と思うかもしれませんが、
入り口ですら木ボーボーでまともに櫓の姿が拝めないこの状態Σ(゚Д゚)!
園内を通って本丸に来るとルート上から姿がちゃんと撮れる場所がないんですって!!

さらに未練たらしかった瞬間


丑寅櫓が撮れそうな場所を探して休館が分かっている資料館にやってきました。
小高い位置にあって木に囲まれているので頭のてっぺんしか見えない丑寅櫓。
堀に面しているのでここなら何とかましな姿が撮れそうなのでずんずん進んでみます。

ここに違いなかった瞬間


ちょっと肩を借りますよ・・やっぱり丑寅櫓がまともに見えるのはここだわ。
杉浦喜之助さんって書いてあるね・・誰? 資料館休館だから詳細不明ですいません。
だけどやっぱり見え方いまいちね。でもこの柵のところで行き止まりで先は堀。
せっかく休館で人もいないことだし、柵越えて堀沿い行っちゃいますか!

思い切って越えてみた瞬間


杉浦さんの後ろから柵を越えて少しだけ横に移動してみた。堀も入れてみたがいまいち。
少し離れると木や建物の遮蔽物で撮れないし、近いと高すぎて撮りづらいしヽ(`Д´)ノ

さらに横移動した瞬間


もうちっとずれたらどうなの?どうなの〜と滑りそうな堀っぺたを横移動。
頑張ってかなり移動したので土塀も入りました。でもなんかしっくりこないね。
この先に進むのはちと厳しい・・もう無理だわ。やるだけやったらあきらめも肝心よ。
丑寅櫓を撮ることばっかり考えてたら水堀撮るのをうっかり忘れちゃったけどw

もしや新手の展示?だった瞬間


資料館の壁つたいに放置された瓦と板戸。瓦中心部には葵の紋、先端は菊のような紋。
レプリカなんだろうけど通りっぱたに放置って資料館の有り方としてどうなのかと思うw

まるでロマンがなかった瞬間


資料館の入り口の反対側は姫丸門址の標柱が建てられています。
姫丸は堀に囲まれた小さな場所で本丸の馬出しの役目を担っていたのだとか。
平成の世になってお城建築風お手洗いが建てられるとは夢にも思わなかったでしょうねw


そんなこんなでさくっと西尾城登城は終了。時刻は16時前。
急げ急げ!!次はダッシュでいよいよ最後の城 吉田城に向かいます!!



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2011.10.21 Friday 22:03 | - | - | 中部(愛知県) | 
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