<< February 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES

浜松城に登城!その2

資料館入場の瞬間


資料館になっている復興天守内部に入ります。入場料150円。

「徳川300年の歴史を刻む出世城。展望台からは浜松市街を一望、城内には家康と
城下町浜松にまつわる歴史的資料、武具などを展示しています」と説明されています。

撮影は難しかった瞬間


まずは1階の展示から。1階は家康にまつわる資料や展示品が置かれています。
館内は写真撮影OKだけどガラスが反射して上手く撮れないのが残念です。

まずは有名な「しかみ像」の絵。三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗し浜松城に逃げ帰った家康は、
恐怖のあまり馬上で脱糞してしまったという。城に戻った家康はその惨めな自分の姿を描かせ、
自分への戒めにしたという。飾りも味も素っ気もなく家康だけが描かれているのがリアル。

ちなみにワタクシ、自分的に許せない自分の写真はすぐ削除します。人間小さいですw

隣は徳川十六神将の絵。本多忠勝ら四天王の他、服部君とか内藤君とか・・・
全員は言えませんけど。活躍を存じ上げない人もいますけど徳川シックスティーンですw

好みの問題だった瞬間


家康が19歳のときに着用したといわれる金陀美具足と関ヶ原で着用し徳川家に代々伝えられた
歯朶具足が展示されています。駿府城の東御門内にもあったけど金陀美具足、ワタクシは好みじゃありません。
家康って若い頃は派手好みだったのか、目立ちたがりさんだったのか・・・

黒くて重厚感たっぷりの渋すぎる羊歯具足はかっこいい。家康が夢に出てきた鎧を作らせたと言われ、
御夢想形(ごむそうなり)と呼ばれることもあるんだとか。代々の将軍がレプリカを作らせていて、
全部で19?くらいあるらしい。本物は家康の死後、久能山に納められているそうです。

好みがうるさかった瞬間


家康の具足の他、2具足展示されていました。徳川家伝来の鎧を忠実に復元した当世具足
という説明があるだけで、誰が使ったとかいつの頃のとか詳しいことは分かりません。
左は金小札沢潟二枚胴具足、右は紺糸威黒鎧二枚胴具足。当世具足とは室町末期に登場した
軽くて動きやすく鉄砲対策された鎧のこと。それ以前の大鎧より見ただけで動きやすそう。
あもはこの時代のものは吹き返しが大きく目立つ兜はあまり好みではありません。

気になって仕方なかった瞬間


詳しい解説は何もなかったですが、軍扇などもいくつか展示されていました。
レプリカにしては古くさい感じ出てるし、本物なら撮影OKは不思議だし・・
でもそれよりも白い布で覆われた品の方が見せてほしくて仕方ありませんw

2階には天保年間の浜松城と城下町を縮尺600分の1で再現したジオラマがありました。
城下町や宿場町の説明書きなどをさらっと読んで3階の展望台へ上がります。

激じゃまだった瞬間


展望台は落下防止だと思いますがフェンスが張り巡らされていて見通しはいまいちです。
そんなことしてない城もあるんだからもう少し工夫してくれよと思ったり。
こっちは本丸方面。正面手前が本丸で奥が二の丸。左奥は最初に見てきた曳馬城跡。
浜松城の本丸は天守を囲むのではなく天守の下に作られています。

リアルな距離感だった瞬間


これから行く三方ヶ原古戦場跡と犀が崖方面。家康はこの距離を脱糞しながら逃げ帰ってきたのねw

風呂かと思った瞬間


帰りがけに地下1階の井戸にやってきました。階段を降りると薄暗い小部屋があって、
天守を復興する際に残した天守台にあった井戸を見ることが出来ます。

浅すぎだった瞬間


照明がランプだけでめっちゃ薄暗いのでフラッシュ焚かずに撮るのは苦労しました。
中は結局よく映っていないけど、穴のまわりを石を積んで崩れないようにした石組井戸です。
直径1.3m、深さは現在1mほどで今は水はありません。浅くても井戸は大事です。

高低差を体感する瞬間


資料館を出て展望台の上から見た本丸に向かいます。天守門跡をくぐって階段を下り、
途中で天守を見上げてみました。本丸が天守の下にあることがよく分かります。

謎だった瞬間


本丸正面に鉄門、北には富士見櫓、南東に二層の菱櫓があったらしいけれど、
本丸にあった建物などについては詳しいことは分かっていないみたい。

荒々しさが素敵だった瞬間


本丸側から見る石垣。始めに見た埋門側のもの同様、400年前のもの。
埋門側よりこっちの方が大きな石が使われています。がっしり固い感じね。

ちょっぴり貧相だった瞬間


本丸跡には家康公の像がありました。が、オジンになった頃の割に細すぎてなんか変w
駿府城公園で見た鷹を手にした家康公像の方がそれなりに雰囲気があったと思うわ。
銅像ってどうやって作られるのか知らないけど、モノによって色々あるから見るのは楽しいですw


浜松城はこれでおしまい。次は浜松城に来たからには絶対セットで見なきゃならない
三方ヶ原犀が崖古戦場に向かいます! 地図はあるけどナビで出なくて不安だわ・・



****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング

2011.11.26 Saturday 14:49 | - | - | 中部(静岡県) | 

浜松城に登城!その1

はて、いつ登城したんだっけ? あ、9月23日だった!と撮影日を確認して思い出すワタクシだめだめ。
登城の記憶や感動が薄れぬうちのエントリーは基本だよ・・年内更新を目指して頑張ります!

案外、遠かった瞬間


埼玉在住のあもにとっては東名は少し出づらく浜松あたりになってくると地味遠いエリア。
近畿以西目指す時は中間地点くらいになることが多いので気合いで通過しているけれど、
目的地にする場合、歩き回る体力も考慮すると心身ともにコンディションを整える必要が・・。
しかしそんなことを言っていると静岡攻略もままならないので今回、満を持しての登城w
若干、朝早めでまだ資料館やってないので、先に「家康の散歩道」の一部を廻ることにします。

予習は大切だった瞬間


今回は満を持しての登城だけに見どころやコースの下調べはそこそこバッチリ!
家康の散歩道という家康関係所縁の地を巡るガイドに従ってお城の近くだけ廻ります。
まずは浜松城公園の通りを挟んだ向かいにある東照宮、曳馬城跡にやってきました。

曳馬城(引間城)は駿河守護の今川氏親が大永年間(1521〜27)に築いたといわれるお城。
桶狭間の合戦で今川義元が敗れたことをきっかけに今川氏から独立した家康が攻め落とすと、
敷地を拡張して浜松城が築かれた。当時、曳馬城跡には蔵などが置かれていたという。
この東照宮は明治維新後、浜松藩士によって家康を祀るため創建されたものだそうだ。

哀愁漂う瞬間


住宅街の中で調べて行くつもりじゃなかったら通りかかりもしないような場所にある曳馬城跡。
少しだけ小高い感じの場所にひっそり佇む敷地の鳥居の横に建てられた小さな石碑を見つけて、
初めて「そういわれれば城跡っぽいのかも」と思う感じ。吸収された城の哀愁が漂います。

油断大敵だった瞬間


資料館開館の時間が近くなったので東照宮から浜松城公園に戻ってきました。
ランニングする人や犬の散歩をする人が多く、城とは別に市民憩いの場になっている様子。
ちょろちょろ人が来るのでこんなところを撮るのに思いがけずちびっと時間を食いましたw

雰囲気が大切だった瞬間


せっかくだから家康の散歩道のコースにあった家康公鎧掛けの松も見ておきます。
元亀3年(1572)三方原の合戦から城に戻った家康は大きな松の木の下で休み、
その枝に鎧を脱いでかけたことから鎧掛松と呼ばれる松で、これは昭和56年に
植えられた三代目の木。初代の松の木は浜松城内の堀のそばにあったのだそうだ。

見たことないけど確か浜松には「家康公鞍掛けの松」とかいうのもあったような・・

本当かどうかはさておき、この手のやつは残る逸話を伝えていくのだという
地元の人の郷土愛や気概を感じを楽しむもの。ベースがあればこそ出来るのだ。

ちょっぴり興奮の瞬間


家康の散歩道はこのくらいにしておき、いよいよ石垣と復興天守を見ることにします。
ルートを間違えてわざわざ裏の埋門から入ることになってしまったのはご愛嬌Σ(゚Д゚)!

荒々しくワイルドな野面積みの石垣がごっつ残っています。見かけと違い超堅固!
夕方はどうかわからないけど木が茂った薄暗い400年ものの石垣は雰囲気があります。

目に出来ることに感謝の瞬間


長い長い時を経て無くなるかもしれない出来事を乗り越え今見ることが出来る石垣。
お城めぐりをしていると石垣に登ろうとしてる人を時々見かけると怪我の心配とは別に
「やめろよ〜」と思うけど、野面積みなどの古い石垣ほど許せぬ度はアップするw
引っこ抜くなんてもってのほか。そんなの見つけたら木陰に隠れてこっそり通報だわ。

何となく目にとまった瞬間


石垣を進んで天守曲輪の中に入りました。入ってすぐのところ(天守裏)にある
天守台の北西にあたる八幡平と呼ばれる場所。5段の石垣で天守台より高く、
12坪しかないけど城内で一番高い場所なんだそうだ。城を守る神社(八幡菩薩)を
お祀りしていたところだと言われているらしい。とりあえず撮って見ましたw

井戸はやっぱり大事だった瞬間


銀明水と呼ばれていたという井戸。浜松城には天守台に1つ天守曲輪に1つ、本丸に1つ、
二の丸に3つ、作佐曲輪に4つ、計10の井戸があったのだそうだ。この井戸、今は水なし。
天守台の井戸は復興天守を作る際に残され、地下室で見られるので後で見ます。

裏から入った登城の瞬間


裏から入ったのでまずは横から眺めて。目が行くのはやっぱりワイルドな石垣。
当時の天守がどんなだったか分からないけど家康がこの浜松城で試練の17年を過ごして、
姉川、長篠、高天神城、小牧・長久手の戦いにもここから出陣したと思うと、
詠んだ小説や見たドラマや知ってるエピソードがまた少しリアルに感じられます。

もはやお約束だった瞬間


家康いたとこお手植え蜜柑あり! 田中城でも駿府城でも見たお手植え蜜柑。
隠居して駿府に移ってから自ら移植したっていうやつですね。
後ろに神社がありますが、元からあったものなのかさっぱりわかりません。

間違えても仁王立ちはやってた瞬間


やっと天守正面。本当は天守門のあったこっちから登城するルートを選ぶべきでしたw
登城ポーズも完了したところで、次は天守内部の資料館や本丸方面を見に行きます。


浜松城に登城! その2に続く


*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング



2011.11.17 Thursday 19:48 | - | - | 中部(静岡県) | 

山中城に登城!〜その2

山中城本丸跡から岱崎出丸側にやってきました。まずは御馬場曲輪から。


青葉の季節に来ると芝生の緑がきれいで華やかだけど、
冬枯れの季節に来るとやっぱり地味地味しい感じね・・
岱崎出丸最大の曲輪で出丸防衛上の拠点なのだとか。

吸い寄せられた瞬間


御馬場曲輪と岱崎出丸の間の空堀「出丸御馬場堀」もダイナミック!
高さは8〜9mくらいかな。滑って登りにくい土質なんだって。
堀底は西の丸堀と同じく畝掘だったと考えられているそうです。

見晴らし最高ー!だった瞬間


・・まぁ山しかないけどw 岱崎出丸の標高は550m。
秀吉の小田原攻めに備えて造られ、完成する前に攻防の舞台となった。

さっきお墓を見てきた一柳直末と中村一氏隊がこの岱崎出丸に攻めかかり、
城側の激しい射撃を縫って突撃するが一柳直末が銃弾に倒れここで討死。
中村隊の先鋒を務めていた渡辺勘兵衛が従者の半分を失いながら大手に迫り、
岱崎出丸を占領した。本丸側の工事中で障子堀が見られなかった西櫓側は
本多忠勝や鳥居元忠ら徳川の精鋭が攻め入り、山中城は1日で落城となった。

ひっそりと佇みすぎていた瞬間


岱崎出丸に建つ山中城址碑。木に埋もれるように建てなくてもいいのに。

何となく雰囲気は分かった瞬間


御馬場曲輪のダイナミックな堀と直交していたと考えられている御馬場北堀。
まだ調査途中で堀の位置だけ示していて、復元は検討中なんだとか。
出丸の尾根を分断する目的で造られたと考えられているらしい。

血みどろの戦いを妄想した瞬間


岱崎出丸を守っていたのは間宮豊前守康俊。
ここに兵を集めて侵入しようとする敵をバンバン射撃させ、
突撃された後も討死するまで壮絶な戦いをしたのよね。
今は誰もいない整備された静かできれいな出丸だけど
そこここに死体が横たわり、血に染まっていたかと思うと・・Σ(゚Д゚||;)

海まで丸見えだった瞬間


土塁の一角を広げて土塁と兼用させたすり鉢曲輪見張台跡。
この向こうは一の堀になっていて堀底からの高さは8メートル。
しかも傾斜角が強くて武具をつけた敵がよじ登るのは不可能。

素晴らしすぎた瞬間


旧東海道から攻めてくる敵に備えて造られた一の堀。
小田原攻めに備えて急ごしらえで造ったようには見えない圧倒的土木量!
畝は17あって、曲輪までの傾斜角は70度、傾斜距離18〜20メートルもあるんだって!

しかし・・一柳隊や中村隊、鉄砲玉やら石やら飛んでくる中、
よくこんなとこ攻めたわね・・数を持っての力押し恐るべし。

障子堀軍団が見られなかったから感動ひとしおだわ〜

やばすぎる瞬間


岱崎出丸の最先端を防備する重要な位置にあるすり鉢曲輪。
真ん中をくぼませて緩く傾斜をつけながら土塁まで立ち上がり、
途中から傾斜を強めて土塁の頂部に達するという他とは違う造り。

やっとの思いで曲輪まで乗り込めたとしても、
こんなとこでもたもたしてたらたまったもんじゃないね。

やっぱり未練たらしかった瞬間


見事な一の堀を帰る前に未練たらしくもう1度・・
関東ローム層でこの堀も間違いなく滑りやすいそうですよ。
今度は見れなかった障子堀を含めて新緑の季節に見てみたいなぁ。

今回は「戦国の堅城」で攻防をじっくり読んで登城したから
岱崎出丸側を見るのは色んなことが想像できて特に面白かったw

とても無理だと思った瞬間


箱根旧街道・・昔の人は箱根を越えたらここを通って三島へ抜けたのね。
時間があったので石畳の旧街道を少し歩いてみたけれど、ウォーキング専用の
そこそこお高いハイテクスニーカーを履いてても歩きづらくてすぐ足が疲れる。
当時の人は草鞋脚絆でよくもまぁ、こんなところを歩いたものだと感心。
それ以上に滑りやすい道に延々と石畳を敷いた労力にもびっくりだけどw

ちなんだだけだった瞬間


箱根旧街道から駐車場に渡る橋の名は北条橋。
ちょっとこじゃれて風情もある橋だけど現代に造られたものらしい。
雨上がりで滑りそうなのと何気に高いのが怖いので渡らなかったけどw


山中城ちょっと行きにくいのが難だけど冬枯れじゃない時期に、
そして障子堀が見られる時に再登城したいと思う。
戦の攻防を知ってると建物なんてなくても断然面白い!
と戦国城郭の魅力をあらためて感じた登城でしたw

日も落ちてきたけど次は箱根を抜けて石垣山一夜城に向かいます。


*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.12.18 Saturday 16:44 | - | - | 中部(静岡県) | 

山中城に登城!〜その1

駿府城から東海道を通り山中城までやってきました。

日本100名城40番 山中城に登城!


敷地内に国道1号線が通る山中城。東海道を取り込んだ縄張だったから
ある意味リアル。国道通す時、ばりばり破壊されないでよかったよ。
岱崎出丸入口の売店に車を停めて100名城スタンプとパンフレットをもらい、
まずは国道を渡って最大の見どころ、障子堀のある本丸側からスタート。

期待が高まる瞬間


売店側から国道を渡ると三の丸跡広場。そこから三の丸掘沿いに登って行く。
三の丸の西側にある堀の長さは180m。最大幅30m。山中城に石垣は一切なく、
土塁と空堀の圧倒的土木量と北条プロデュースの縄張をがっつり見ることが出来る。

飲めそうにはなかった瞬間


田尻の池。盛り土によって区切られた池で雨水や湧水を貯めて
飲料用にしていたそうだ。山城では水の確報は超大事!

今朝は登城寸前まで豪雨だったから土だらけの山中城はどろどろ。
池もそうとう濁っているけど普段はもう少し綺麗なのかしら?

念入りだった瞬間


田尻の池のすぐ上には箱井戸もある。箱井戸からあふれた水は田尻の池へ。
田尻の池からあふれた水は三の丸堀へ流れる排水の仕組みが出来ている。
箱井戸の向こう正面を登っていくと二の丸だけど、まずは西の丸へ。

重要だったと思われる瞬間


元西櫓下の堀。丸く刈り込まれた木のおかげで分かりづらいけど、
ここは堀底に近く、400年前の当時はもっと急斜面だったそうだ。

ドロドロツルツルだった瞬間


土だらけの城だから雨上がりはどろどろつるつる・・・
スニーカーのまま来たけどトレッキングシューズに履き替えた方が楽だったかも。
濡れた落ち葉も微妙に滑るので足に変な力が入って疲れます。
でもこの先に見事な障子堀が待っているのでガツガツ進みますw

かわいそうすぎた瞬間


売店でもらったパンフレットの地図をたよりに障子堀や畝堀が満載の西の丸へ。
と、そこで目に入った「改修工事中」の立て看板・・山中城もだなんて!!
しかも一番肝心な西の丸周辺だけ。障子堀が見えるコース付近だけ立ち入り禁止。

駿府城の坤櫓の石垣が修復中で見れないのとは残念の度合が違う。

誰もいなかったら一時モラリスト撤回して侵入しようかと思ったけれど、
工事のおっさん達が数人、打ち合わせでたむろっているため敢行ならず・・orz

・・・・うわーんうわーん。

障子堀見られない。畝堀しか生で見られないよぅ。

執念深かった瞬間


泣きながら模擬冠木門をくぐり出丸である西の丸へ入ります。
西の丸の周りは全部、畝堀と障子堀だから上からなら見れるかも。

広大だった瞬間


西の丸は広さ3400屬旅大な曲輪で山中城の西方防御の拠点。
左の盛り土が積まれた見張り台から続く土塁で囲まれている。
その土塁の上に登って堀がばっちり見えるところを探してみるけど
木が邪魔したり、角度的に厳しかったり・・がっちり見えるのはどこだ?

上からは難しかった瞬間


こんなところが限界だった・・やっぱり障子堀をばっちり見るには
堀の周りをうろうろした方がいいらしい。立ち入り禁止ほんと残念。

ただ土を積んだだけじゃなかった瞬間


見張り台に登っても高さや斜面の具合で思うようには見えない感じ。
見張り台は発掘の結果、基底部と肩部を堅固にするためロームブロックと
黒色土を交互に積んで補強してあることが分かったそうだ。
・・ロームブロックって何? よくわからないけど念入りな造りなんだねw

執念を感じる瞬間


谷を盛り土で仕切り人工土手を作って深い堀にした溜池。
この溜池に本丸や北の丸の堀水や、西の丸や西櫓の排水が流入する仕組みで
発掘の際、4m以上掘っても池底に達しなかったそうだ。
水は山城の生命線。水の確保を頑張ったことがよくわかります。

予定では障子堀や畝堀のあたりで小一時間はうっとりする予定だったのに、
工事中の立ち入り禁止で台無しになったためあっさり西の丸を後に。

並んでいた瞬間


箱井戸のところに戻り、二の丸へ行く前に宋閑寺へ寄ります。
ここには北条方と豊臣方の武将の墓が並んで建っています。
真ん中にあるのが岱崎出丸から三の丸を攻めた豊臣方の一柳直末の墓。
左奥が北条方の城将の墓。敵味方だった武将の墓が並んでひっそりと。

あまりにもひっそりとしていた瞬間


山中城は永禄年間に後北条氏が築城し、天正17年秀吉と不仲になった際、
小田原攻めに備え急遽、堀や岱崎出丸の整備、増築が行われた。
しかし増築が未完の天正18年3月、豊臣軍4万の総攻撃を受け、
北条軍4千の必死の防戦むなしく半日で落城したと伝えられている。

その当時の城主松田康長、副将で岱崎出丸を守っていた間宮康俊の墓。
山中城攻防は小説やCG復元みたいな雑誌も何冊か読んだけど、
増築が完了してて北条方の兵力がもう少し多いとどうだったのかしら?
かなり堅固な造りだから兵力はたとえそのままでももっと粘れたかも。

力攻めした豊臣方も被害が多かったみたいだから半日とはいえ、
想像以上にものすごい壮絶な戦いがあったのだろうなと思う。
壮絶な討死を遂げたに違いない山中城将。何となく合掌です。

完璧だった瞬間


箱井戸のところに戻り、今度は二の丸へ。まずは二の丸虎口から。
三の丸から長い道を登って大土塁に突き当たった右手が最大の曲輪二の丸。
土だけだけど横矢もかかってばっちり防御。北条スタイルだから抜かりはありませんw

元西櫓側から二ノ丸虎口を見た瞬間


二の丸虎口の左には元西櫓と区切る堀があり、そこに架け橋が復原されている。
遺構を保護するため盛土して本来の位置より高くかけられているそうだ。

厳重だった瞬間


元西櫓の先にある西の丸が落ちたらここで食い止める感じなのね。
橋の下には畝のある深い堀が。当時はもっと深かったんでしょう。

最大だった瞬間


二の丸は尾根を切って構築された山中城で最大の広さを持つ曲輪。
斜面のまんまで普段の生活も戦闘時も微妙に動きづらそうな・・。

本丸付近さらに防御重視だった瞬間


二の丸と本丸の間の堀にかかる本丸西橋。半分は土橋で、
いざという時には木橋部分を堀に落とし本丸への侵入を防ぐそうだ。

敵は日照だった瞬間


その橋の下にある本丸堀は深い畝堀。・・・これだけでもすごいけど
見ると西の丸の障子堀だらけが見られないこと改めて残念に思われる。
3時近く日が傾き始めているのでいい写真も撮れないしヽ(`Д´)ノキー!

狭すぎた瞬間


本丸狭ーーっ!! 土塁や堀に囲まれて防御はばっちりだけど、
生活するそれなりの建物とかあったらぎゅうぎゅうなんじゃない?
藤棚のところに本丸広間があったらしいけど・・でも狭い!!

天守櫓跡も狭かった瞬間


狭いし何もない天守櫓跡。天守なんかもちろんなかっただろうけど、
ちょっとした櫓を建てたらいっぱいいっぱいの狭さ。櫓というより
街道に近いから見張り台みたいな感じの建物があったのかも。

北条スタイルここにもだった瞬間


北の丸との間にある堀。畝はないけど深く幅があり急な空堀。
日暮れの時間が心配で何もない北の丸には行かなかったけれど・・。

どちらにしろ広くはなかった瞬間


本丸の一段下には兵糧庫があったと言われ、発掘された柱跡の礎石が見れる。
兵糧庫の周りも土塁があって、縄張図を見るとここも本丸の一部のようだけど
土塁で区切られ3段になっているので結果、どちらにしろ狭いみたいなw

本丸には暗い&高すぎるアングルで写真には撮れなかった矢立の杉や
駒形諏訪神社などもあります。この後は岱崎出丸方面を見るんだけど、
上り下りの多い城内来た道を戻って岱崎出丸に行くのはつらすぎるので、
あもはここで国道1号線に出て通り沿いを歩き、岱崎出丸に向かいます。

山中城に登城!〜その2に続く



*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.12.11 Saturday 17:59 | - | - | 中部(静岡県) | 

駿府城に登城!〜家康公像とお手植えミカン編

駿府城東御門と巽櫓の後はその他もろもろの遺構他を拝見。

リサイクルだった瞬間


平成21年に起きた地震で崩落した堀石垣を復旧する際、
破損で使えなかった石材を使って造られた石垣モデル。
切り込み接ぎと打ち込み接ぎの2種類が展示されています。

なれっこだった瞬間


駿府城には巽(たつみ)櫓と坤(ひつじさる)櫓があり、
復元されていない坤櫓の跡では石垣を見ることが出来るのだが・・

奥さん、また修復工事中ですってよ!!

何台もの重機が入り、せっせと石垣を積みなおしているようです。
なんでもこの一角の石垣をざっくり取りさって1から積み直しらしく、
ここまでも相当な期間がかかっている様子。もう少しなのかしらね?
ごっつい石垣に積みなおしたら、坤櫓も復原されるのかもしれないね。

日当たりが悪そうだった瞬間


清水御門の石垣。年季の入った色と危うい感じが何ともいえないw
清水御門は二の丸へ入る西側の出入り口で、二階建ての多門櫓があったという。

落葉もしなかった瞬間


清水御門の土橋から坤櫓の方を眺めたところ。中堀でこの広さ。
残念ながらこっち側は元気な木がかぶさっていて堀石垣はあまりよく見えません。

一線を画していた瞬間


清水御門を入ると堀沿いに二の丸をぐるりと土塁が囲んでいます。
がっつり公園になっている本丸跡よりへりを歩く方が城っぽさを感じられます。

大御所の貫禄を見せつけた瞬間


今川氏の人質としてこの駿府に19歳までの12年間、駿府に暮らしていた家康。
天下を取って大御所、そして神君となった貫禄たっぷりな銅像です。
岡崎城の銅像何となく年寄くさいから、こっちの方がよろしいなw

鷹狩り大好き!だった瞬間


今川の人質だった子供の頃から鷹狩りを始めたという家康。
肥えた印象があるけど健康オタクだったから実は筋肉質なんでしょうかw
浜松城の家康像はもう少しスマートらしいから今度必ず見てこよう。

たわわだった瞬間


田中城とは大違いw

紀州より献上された鉢植えのみかんを植えたものと言われているそうだ。
このみかんは「ホンミカン」と言われ香りが強く、種がある品種らしい。
かんきつ類あんま好きじゃないけどお手植えみかん、どんな味がするのかな? 
手を伸ばせば届きそうだったけどあもはモラリスト。取って食べたりしませんしw
ネット近くにこれだけ実がある=盗る人がいないのがすごいなとも思ったり。

含蓄があった瞬間


加藤家家訓・・じゃなくて神君の御遺訓

人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し急ぐへからす
不自由を常とおもへは不足なし心に望みおこらは困窮したる時を思ひ出すへし
堪忍は無事長久の基怒は敵とおもへ、勝事ばかり知りて負くる事をしらざれは
害其身に至る己を責て人をせむるな及さるは過たるよりまされり

あたしは「及ばざるは過ぎたるより勝れり」のところが好き。

なんにもなかった瞬間


寂しすぎる天守跡。天守台すら残ってないって逆にすごいわ。
今はグラウンドとして大型バス駐車場として普通に使われいるとこを見ると、
噂の天守復元は予算的にも物理的にもおそらく厳しいのだろうなと思う。

けっこう深さがあった瞬間


二の丸水路は本丸と二の丸をつなぐ水路で、底にも石が敷いてある
珍しい構造の水路なのだそう。本丸堀の水位を保つ役割もあったのだとか。
幅4.5m、長さ95mもあったらしいです。4回も折れ曲がった造りなの。
石垣の下の方は家康築城当時のものと考えられる貴重な遺構。

古さが残っていた瞬間


城内から見た北御門跡。駿府城は専用駐車場がないので、
北御門前の市中央体育館の地下有料駐車場を利用。
当時は搦め手、不明門だった北御門。裏側か・・なんて思ったけど
北御門のところはあまりいじられていないため古い石垣が残ってる。
予習していったわけではないけど雁木とかじっくり見られてよかったわw

丸見えだった瞬間


三の丸と二の丸をつなぐ北御門跡。当時はここに高麗門があり、
石垣に囲まれた桝形風の空間を通って二の丸へ入ったそうだ。
今は枡形どころか公園の中までずーっと丸見えなのだけれど、
当時はさらに内堀もあったのだから全然違う雰囲気だったのね。

現場ならばっちり見える瞬間


門のところに折れがあるんだけど写真では見えなかったか・・。
折れとか鬼門除けの欠けとかも見られます。

雨上がりで濁っていた瞬間


中堀だけど広ーっ!! 
登城寸前まで豪雨だったため堀が濁り過ぎ&水多過ぎw
普段は鯉なんぞが泳いでいたりするんでしょうか?

大手門跡くらい行こうかな・・と迷ったけど北御門からは正反対側Σ(゚Д゚)!
体力と時間と相談した結果、大手門跡は坤櫓が復元でもされたら来ることにw

次はひそかに憧れの山中城に向かいますw

*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.12.07 Tuesday 21:59 | - | - | 中部(静岡県) | 

駿府城に登城!〜東御門・巽櫓編

日本100名城41番 駿府城に登城!

自分の強運を改めて確信した瞬間


張り切って夜中に起きたら大雨ですた・・Σ(゚Д゚)!
午前4時に家を出たものの豪雨のため海老名SAで2時間ふて寝。
8時に起きてとりあえず行くだけ行ってみようと向かったところ
途中でみるみる空が明るくなり、到着した時には超ピーカン!!
あたしって本当に強運。登城中がっつり降られることがないのw

敷地はやたら広いけど大場所は意外と少ない駿府城。
まずは「ザ・駿府城」の復元された巽櫓と東御門から。

お金がかかっていた瞬間


堀にかかる東御門橋を渡ってすぐの二の門は高麗門。
この一角からは気張って復元した感じがビリビリ伝わってきますw

堂々たる門構えだった瞬間


枡形に立ちふさがる入母屋造りの櫓門と多門櫓からなる東御門は
石落としや鉄砲狭間や矢狭間を持つ堅固な守りの実践的な門で、
普段は重臣たちの出入り口として利用されていたのだとか。

発掘で登場だった瞬間


東御門をくぐると本丸堀が目に入る。本丸堀は駿府城のいちばん内側の堀。
明治29年に埋められてしまったものが発掘調査で見つかり、一部が見られる。
駿府城はこの内堀や駿府城公園をぐるりと囲む中堀の他、市街化された三の丸を
囲む外堀もほとんどの部分が今もお堀として残っている珍しいお城。
天下普請で築城された家康の隠居城。城郭の規模がとってもイメージしやすい。

貸切だった瞬間


入場券売り場で100名城スタンプを押したらカレンダーをもらえたw
さっそく誰もいない東御門と巽櫓の中を貸切状態で見学します。

やせすぎだった瞬間


入り口では神君家康公の人形がお出迎え。でもなんかイメージと違う。
はて、こんな老人どっかで見たような・・としばらく考えていたら、
七段飾りおひな様の左大臣。弓を持ったおじいちゃんじゃないかとw

こだわりの建築だった瞬間


寛永年間再建時の姿を目指し、伝統的な木造工法で復元された東御門。
柱や梁はもちろん、天井板も床板もかなりいい木を使っている様子。
いい仕事してますね〜やっぱ気合いがびしびし伝わってくる感じw

珍しい造りだった瞬間


駿府城天守閣復元模型。駿府城には五層七階のメガ天守があったそうな。
天守台の上に直接建てたのではなく、天守台の中央に独立して建てた
天守丸構造だったらしい。天守復元の噂があるけどどうなんだろ?

瓦と違って頑丈だった瞬間


家康が城を築いた当時、二の丸東御門の大棟に載っていたと言われる青銅製の鯱。
寛永時の火災で堀の中に焼け落ち、昭和44年の二の丸堀整備工事で掘り出された。
復元された東御門の屋根に乗っているのは、これを忠実に再現した鯱なんだとか。

やっぱりどうも好みじゃなかった瞬間


東御門内の展示の最期には家康の鎧のレプリカが飾られている。
家康が若い頃に着用していた金色の甲冑。金陀美具足。
岡崎でも見た気がするけどあたしこの鎧あんまり好きじゃない。
家康の鎧は関ヶ原の時に着用したという黒い羊歯具足がかっこいい!

ビルはあっても・・だった瞬間


巽櫓入り口から県庁前の通りを見てお堀のある風景を堪能。
最近、空堀ばっか見て規模に感動することが多い気がするけど、
近世城郭の鯉が泳ぐ水堀は優雅でまた違った魅力があると思う。

部屋だけだった瞬間


巽櫓は三層二重の隅櫓。巽(辰巳)の方角に位置することから巽櫓と呼ばれる。
駿府城にはもう一つ西南の角に坤(未申)櫓があり、これは今、調査中の様子。
巽櫓の1階は畳敷きの広い部屋が2つ、ただ、展示品などは何もない。

水戸黄門を思い出した瞬間


巽櫓の2階はお茶壺道中の駕籠やお茶を入れた壺がどーんと展示w
お茶壺のくせに漆塗りの駕籠に乗せて運ばれ家康に献上されたんだって。
お茶壺道中といえば運ぶ役人が権威をかさに着て悪だくみをするイメージ。
たかがお茶じゃん。なんでお茶だけ特別なんだろう? 不思議だわ。

2階の展示には原寸大復元された「竹千代手習いの間」もある。
復元なのになぜここだけ撮影禁止か不明だけどモラリストあもは約束を守るw

家康(幼名・竹千代)は天文18年(1549年)から12年間(8〜19歳)、
今川義元の人質として駿府(静岡市)で過ごし、臨済寺(静岡市)の住職だった
雪斎和尚から学問を学んだと言われている。臨在寺にはその部屋が今も残っていて、
巽櫓にはそれを元に「竹千代手習いの間」が原寸大で復元されている。

四畳半だけど団地サイズの小さな畳が並べられた四角い部屋で、
障子のはまった窓際に小さな文机が置かれ、他に調度品は何もない。

前に忍城に登城した時、郷土博物館の特別展示で家康が幼少期に書いたという
「家康手習いの書」を見たことがある。人質として暮らす子供の頃の家康は
こんな部屋で一生懸命、手習いを書いていたのだと思うと少し切なくなる。

反射神経を試された瞬間


本丸堀側から東御門と巽櫓を眺め、他の遺構もろもろを見に行きます。
建物も遺構も見ている人は全然いないけど公園の中は憩い中の市民がたくさん!

中でも本丸周回レースをやっている小学生たちが切れ目なく次から次へと
必死の形相で走ってくるので、彼らのペースを乱さないようタイミングを図って
素早く横切りスタート&よけて渡るのが案外、難しいこの日の駿府城公園ですw

駿府城に登城!〜家康公像とお手植えミカン編へ続く


*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.12.04 Saturday 15:02 | - | - | 中部(静岡県) | 

田中城に登城!

小山城の後は同心円状の縄張で有名な田中城に登城!

田中城下屋敷が正式名だった瞬間


ナビで田中城と探しても出てこず、仕方ないから調べておいた住所を入れたら
なんて融通が利かない!! 「下屋敷」としてポイントが出てきたΣ(゚Д゚)!
田中城の遺構は移築現存する本丸櫓のある「下屋敷」の他にも案内図を見ると
周辺のあちこちに三日月堀やら本丸、二の丸跡などが残っているらしい。

田中城登城の瞬間


何はともあれまずは「ザ・田中城」なポイントに向かい登城宣言w
移築現存の本丸櫓と図面に基づいて復元された冠木門。
本丸櫓は民間に払い下げられ住宅として使われていたそうだ。
時を経たものだけが持つ風格や渋さが重厚感を醸し出しています。

よく見たら住宅チックだった瞬間


田中城は徳之一色城という今川方の城を永禄13年(1570)信玄が攻め落とし、
馬場美濃守に改修させて名を改め、駿河支配の拠点としたのが始まり。
駿河・遠江の支配をめぐって武田VS徳川の攻防が繰り返されますが、
天正10年(1582)江尻城の穴山梅雪の寝返りにより孤立し、開城。
関ヶ原の翌年、酒井氏により総郭が拡張され、駿府城の出城としての役割を果たしました。
以降、徳川の城となり、12氏21名の城主が在城し明治維新を迎えました。

田中城は戦国の頃からあるけど現存する本丸櫓は古いけど近世風。
石垣チックな土台の上に建ってなかったらストンとしたシルエットが割と今風w

お宅拝見!の瞬間


本丸櫓の中には入ることが出来ますが・・なんてレトロチック!
住宅として使われていたせいなのか、飾り付けのせいなのか
ちょっとした民芸風民宿のようにも見えなくもないかわいさです。

火盗改にまで話が及んだ瞬間


晩年の家康がこの城で鯛のてんぷらを食べたことで体調を崩し・・の話はさておき。
中に入ると田中城でもボランティアガイドのおじさんが丁寧な解説をしてくれます。

徳之一色城の頃、今川の家臣、長谷川正長ら300人が守っていたが、
武田勢の猛攻を防ぎきれず城を捨て、徳川家康の家臣となった。
その後、正長は三方ヶ原の戦いで家康を守って壮絶な討死を遂げるものの、
家康はその恩を忘れず子を旗本とし、長谷川家は江戸時代まで続いた。
鬼平犯科帳の鬼平こと長谷川平蔵はその長谷川正長の子孫なのだという。

へぇぇぇぇ!! 

池波正太郎も鬼平も好きで本はずいぶん読んだけどそれは知らなかった。
やっぱりボランティアガイドのおじさんの話は時間があれば聞いた方がいいのよw
たとえ話が長くても・・いつまでたっても終わらなそうでも・・(笑)

年季は入っていた瞬間


雨ざらしの外観は相当修復されているのだろうけれど、
中の梁や柱はそれなりの古さを感じる味が出てました。

貴重だった瞬間


幕末の安政6年に建てられた中間部屋も移築されたものだそうです。
市の指定有形文化財になっているのだとか。

残っているという存在が大事だった瞬間


狭さの度合と昔の家の造りを見ておしまいにはなりますけどw

まじびっくりの瞬間


中間部屋の隣にある厩には馬の人形が置かれているんだけど、
薄暗いところで大きさも姿かたちも地味にリアルだから一瞬びっくり!

現存する貴重な郷蔵だった瞬間


年貢米や今でいう備蓄米を保管しておくための蔵・・郷蔵というらしい。
当時は各村にあったそうで、この建物は長楽寺村にあったものが払い下げられ、
柱には天保14年に建て替えた記録と庄屋の名前が残っているのだそうだ。

芸が細かかった瞬間


建物は移築や復元しても中はあっさりしてるところも多いのに、
どっから集めてきたのやら古い農耕具の見本市のような展示だw

風流だった瞬間


数寄屋造りの茶室。家老の茶室ではないかと言われているそうだ。
こじんまりとして女性的な雰囲気だけど武士が使ってたのよねw

褪せた畳が味を出してた瞬間


四畳半の茶室とその奥は六畳の待合になっているようです。
いつの時代の建物かは分からないけど畳も古いままなのか?

風流だった瞬間パート2


下屋敷はお庭も風流。田中城藩主の庭園であった下屋敷は築山や泉水があって
当時は四季の草花の名所として知られていたそうな。立派な復元です。
池に小さい魚や蛙がいっぱいいて橋を歩くとサッと蠢き逃げるのが気持ち悪い・・。

捜索してほしかった瞬間


下屋敷の庭には亀石と鶴石があったらしいけど鶴石は行方不明。
30年前、偶然掘り出された亀石は庭の片隅にひっそり置かれています。
言われてみると亀に見えるので、鶴はどんなもんなのか気になるところ。

あまり感動がなかった瞬間


地味に土塁の跡なんかは残っていたり・・微妙だけどw

やっぱり小さかった瞬間


浜松城だか駿府城にも確か「家康お手植えの蜜柑」あったような。
まだ未登城なので写真で見た感じは大きくなかったと思うけど、
ここもやっぱりかわいいサイズね! 田中城のお手植え蜜柑の木は
家康が駿府に隠居した後、植えられたもののようです。

桜の季節を妄想した瞬間


下屋敷の裏はスプリングクリークの藻が生えたきれいな川が流れ、
どでかい鯉が何匹も優雅に泳ぐ姿が見られる。川岸には桜並木。
左奥にちらっと見えるのは本丸櫓の屋根。素晴らしいロケーション!

名残りの瞬間


川沿いから本丸櫓を眺め、多分もう来ることはない田中城に別れを告げます。
この後、通り道だからと駿府城のついで登城を目論むも、到着するとすごい人!
駿府ってこんな人気なの?といつかの上田城のようなトラウマになりかけつつ、
再び高速に乗って帰途へ・・わざわざ下りて高速代もったいなかったわΣ(゚Д゚)!

寒くなってきたけど次はどこへ行こうかな。


*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.11.30 Tuesday 21:15 | - | - | 中部(静岡県) | 

小山城に登城!

掛川城の後は予定変更で小山城に登城!


駐車場に車を停めて模擬天守のある曲輪まで歩いていきます。
ぼちぼち車が停まっていてそこそこ人がいそうな予感。

能満寺ワイルドだった瞬間


元は小山城の曲輪のひとつだったという城址南側の能満寺。
整然と手入れされた感じは少なく野趣あふれる雰囲気w
曲輪を思わせる遺構は何もないけれど大蘇鉄(そてつ)は見ておくことに。

やりたい放題だった瞬間


日本三大蘇鉄のひとつ『能満寺の大蘇鉄』。三大蘇鉄って一体なに?(笑)

安部晴明が支那から持ち帰って植えたものと言われているそうだ。
徳川家康がこの蘇鉄に惹かれて駿府城内に植え変えたところ、
寺へ帰りたいと毎晩泣くので寺に返したという伝説が残っているのだとか。
高さ6m、主幹の根回り4.5m、枝数約90本余りで、樹齢約1000年Σ(゚Д゚)!

最短ルートを選んだ瞬間


模擬天守のある場所へは急な階段か、傾斜の緩い隣の女坂を登る。
距離を歩くのがめんどくさいのでここは一気に直行することに。
しかし急な上、階段の幅が地味に狭くて歩きづらいったら・・・。

やたら立派だった瞬間


本丸じゃなく二の曲輪にある模擬天守に到着Σ(゚Д゚)!

永禄11年(1568)、武田信玄が遠江を押さえるための築いた砦が始まりで、
元亀2年(1571)、馬場美濃守によって本格的な築城が行われ小山城の名がついた。
徳川家康との戦いが何度も繰り返されるが、天正9年(1581)3月 高天神城が攻略されると
武田方の城兵は城に火をかけ甲府に撤退。小山城は徳川の城となった。

馬場プロデュースで造られたのは土塁メインの戦国城郭。もちろん天守なんてない。
それにしちゃずいぶん思い切った立派な模擬天守。鉄筋コンクリート5階建て。

模擬だろうが何だろうがやっぱり『天守閣』があると観光さんが来るのね。
城ホポジ的には地味なのに、親子連れやらカップルたら観光さんが何気に多いw
人のいない隙を狙って写真を撮るのに思ったよりも時間がかかったわ。

まずは縄張確認の瞬間


人がぞろぞろ入ったばかりの模擬天守は後にしてまずは堀を拝見。
模擬天守の目の前には主郭との境になる橋のかかった大きな堀が。
・・・てか、どうしてお城公園の橋って高確率で赤なの? 

何にもなかった瞬間


この橋の向こうが主郭。広いけど今は何もないの。
橋のところに虎口(土橋)の案内板が立っていて
『本丸の入り口で狭く作られているのはいざという時、敵を防ぐのに有効です』
と書かれていた。だったら赤い橋じゃなくすればよかったのにw

武田スタイル全開だった瞬間


武田氏お得意の三ヶ月堀と丸馬出は史料を元に復元したもの。
緑のネットが微妙だけどこの規模で復元されてるのは分かりやすくていい。

いざ城内への瞬間


模擬天守の1,2階は史料展示室になっていて鎧や兜、刀に銃の他、
馬具や掛け軸、勝頼や馬場美濃守の書状等、武田氏ゆかりの品が展示されている。
最後は徳川の城だったのに武田のものばっかりってのがいいねw

すぐわかった瞬間


いきなり「ザ・武田信玄」な甲冑に遭遇!
信玄父さんがこれを着てドーンと座ってたら迫力よね。

はっきりしてほしかった瞬間


後ろにかかった「丸に立ち葵」の家紋は何なのか?
武田菱の前立てがついた鎧兜と年季の入った風な兜のオンパレード。
兜も色々あるだろうに、ヘルメット風なのばかり並んでいるのがかわいいw

かぶりつきだった瞬間


誰着用とか書いてないけど前立てからするとこれも武田の鎧かな。
武田の甲冑はかっこいいのが多い。ワタクシ鎧大好き。絶対一度甲冑体験したいw

縄張丸見えな展望の瞬間


模擬天守らしく最上階は階段のみで展望台への単なる入り口。
模擬天守の入場料は200円。甲冑や勝頼の書状ですでに元取り確定。
展望台に出れば元取った上、おつりもらったような気分になるわよw

ある意味珍百景だった瞬間


三日月堀の右手が主郭と搦め手、左が大手になる。
天守があったなら実際は主郭に建てられるはずだから、
見える風景も違うのだろうな〜なんて思ったりもしながら
小山城の真なる見どころ三重堀方面へ廻り縁をソロソロ移動・・(((( ;゚Д゚)))ガクガク

ターゲットロックオンの瞬間


奥のこんもり木に覆われた部分に遺構である三重堀があるのよ!
展望台には観光さんがごっそりいるのに、遺構のあたりは誰もいないのw

本物の持つ風格はなかった瞬間


小山城天守は犬山城をモデルに造られたのだそうだ。
破風より上は模しただけあって似てるけど・・・なんか微妙w

目の前は茶畑グリーンだった瞬間


復元された冠木門形式の大手門。この右手に三重堀が続く。
城内から門外を見ると茶畑が広がってて不思議な風景なのよw

意味がわからなかった瞬間


勘助の声がかかっている井戸ってどういう意味だろ?
しかも勘助は小山城が築かれる前の永禄四年(1561年)の
第4次川中島合戦で戦死してるから時期も合わず余計謎だw

案内板を入れて撮ったら肝心な井戸が木の陰になったΣ(゚ロ゚;)
まぁ井戸といっても言われなきゃ気づかないただの穴だけど。

言いすぎじゃないかと思った瞬間


堅固にするため三日月堀を3つ並べた三重堀は
当時のままの姿で保存された小山城最大の見どころ。
落城後、この堀に身を投げた武田方婦女子の化身した
赤い唇のヒルが住むようになったという伝説があるそうだ。

でも当時は堀がもう少し深かったとしてもここは日陰のぬかるみ。
とても自害まではできそうにないんだけど・・Σ(゚Д゚)!

縄張中の馬場さんを妄想の瞬間


実際その場にいるとどこから見ても三重になった堀や土塁の様子が
よくわかるけど写真に撮ると案の定、なかなか凹凸がうまく出ない。
場所を選んで何枚も撮って何とか三重をはっきり出すことが出来ました。

高天神城攻略するつもりを急遽変更しての登城だったこともあり、
下調べなく期待も薄いまま来たけれど思ったよりよかったわw
マイナー感があるのに観光さんが意外と多いのには本当にびっくり!

次は帰りがけの駄賃その2で田中城に登城します。



*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.11.28 Sunday 20:21 | - | - | 中部(静岡県) | 

掛川古城に登城!

竹の丸から1本道に住宅街を歩くこと3分。掛川古城に到着!

手作り感満載だった瞬間


住宅街の並びに丘があり、その入り口に手書き看板を見つける。
天守から位置を確認していても看板なかったら見逃しそうなこじんまりさ。

っていうか、あたし天守に登った時、うっかり富士山の位置ばっかり
ガイドのおじさんに説明されていて、他の方角は全部風景を撮ったのに、
富士山が見える方角と同じ方から見える掛川古城を撮り忘れたわΣ(゚Д゚)!
こんもりした子角山(ねずみやま)と、そこからちらっと龍華院大猷院霊屋
の屋根が見えたからおじさんに確認までしていたのに!!

テンションはそんなに高くなかった瞬間


せっかくだから古城の方も見ておくか的な感じで登城しているw

掛川古城は文明年間(1473年頃)駿河守護今川義忠が重臣の朝比奈奈泰熈に命じて
造らせたのが始まり。朝比奈氏は3代続くが途中、現在の掛川城に城を築いて移り、
掛川古城は出城として残されていた。永禄3年(1560年)、桶狭間の合戦により
今川義元が討ち取られると、武田・徳川から攻められた駿河の今川氏真は城を捨て
掛川城に逃げ込み籠城。城は落城せず最終的に氏真の助命を条件に開城された。
掛川古城はこの時、徳川家康が本陣として使用したという。別名、天王山城。

ごますり効果も台無しだった瞬間


小山を登ると龍華院大猷院霊屋(りゅうげいんたいゆういんおたまや)がドーン!
これは掛川藩主北条氏重が三代将軍家光を祀るため幕府に願い出て建てたもの。
一説によると女子ばかりで後継ぎのいない氏重が、お家断絶を免れるため、
幕府へごますりで建てたものだと言われているらしい。お金をかけて立派な
霊廟を造ったもののごますり効果は一切なく、氏重の死後、家は断絶となった。

その後、この霊廟は火事で焼失し、1818年当時の城主であった
太田氏によって再建されたものなのだそうだ。

漢字が読めなかった瞬間


アルファベットの表記がなければ、説明文の振り仮名がなければ
子角山と書いて「ねずみやま」だとは読めなかったと思うわw
霊廟のある場所が本曲輪で朝比奈時代の土塁や堀切は残っています。

空堀は見えた瞬間


霊廟の東側に土塁と空堀がよく残っていました。
掛川古城の空堀もちろん当時はもっと深かったんだと思うけど、
古城のアピール少ない割に整備は微妙にしてあるみたいw

説明書きはなかった瞬間


霊廟の裏手にはお墓やら供養塔やらがずらりと並ぶ。
本曲輪内は子角山と霊廟の説明板がそれぞれあるだけ。
せっかく掛川城とセットであるのに古城は最低限って感じが残念ね。

お肌ボロボロだった瞬間


紫外線きっついわ〜肌めっちゃ乾燥するわ〜ボロボロだわ〜

という心の声が聞こえてきそうな大仏様も鎮座しています。
いつからあるのか、なぜ大仏なのか・・謎に包まれた大仏様ですw

さらば掛川城の瞬間


掛川城と古城をセットで堪能し、なんだかんだ3時間近く費やしてしまったw
本当はせっかく掛川に来たのだから次は高天神・横須賀城攻略のつもりが、
この日、何だか知らないけど異様に暖かく、完全に装備を間違えたΣ(゚Д゚)!

風邪気味の鼻ったれ登城なのでむやみに汗をかいて悪化したら大変。
高天神・横須賀城は次回持越し、小山城田中城を攻略することにします。


*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング
2010.11.26 Friday 23:10 | - | - | 中部(静岡県) | 

掛川城に登城〜竹の丸編

掛川城の最後に城の北側にある竹の丸を見ていきます。

竹の丸到着の瞬間


とかもったいつけるほどのこともなく、御殿→美術館と歩けば
路地を横切った先に普通の民家と並ぶように竹の丸がある。

竹の丸は山内一豊が城を築いた際、城の北面を守る施設として造営された。
本来、北の丸となるべきところ城の守りを兼ねる竹の大藪があったことから
竹の丸と呼ばれるようになり、城代家老の屋敷がおかれていたそうだ。

正門の塀重門と隣にあるのは番屋。100円払って入場します。

豪商の豪邸だった瞬間


現在、竹の丸で見られる建物や庭園は家老屋敷のものではなく、
明治36年に葛布を商う豪商、松本家の本宅として建てられたもの。
昭和に入って掛川市に寄贈されたものが修築され一般公開されている。

建物探訪!の瞬間


まずは式台のついた立派な玄関から旧松本邸のお宅訪問開始!
入場時もらえるパンフレットには屋敷の間取り図がついているんだけど、
ざっと見たところ1階だけでも「ゆとりの10DK!サービスルーム多数!」て感じw

うちより広そうだった瞬間


いや・・広そうではなく間違いなく広いであろう旧松本家の台所Σ(゚Д゚)!
奥が内玄関、そして今は事務所のようになっている台所の土間部分。
日本建築の北側の土間なんて見るからに寒々しいから冬の炊事はつらそうね。

見るからに贅沢だった瞬間


土間の台所以外に大きな部屋はないけれど畳廊下の部分が多い贅沢な造り。
離れ座敷のついた奥座敷もこのしつらえ。きらびやかな派手派手しさはないけど、
上段の間があって、写真には入ってないけど掛け軸の隣に火灯窓があって、
お金かかってるのが一目でわかるゴージャスさ! 松本さんは品があったのね。

庭園もハイソサエティだった瞬間


離れ座敷から見える庭園は中庭にあたる部分。
飛石が配置され、もみじが植えられ、さりげないけどお品のある庭。

離れ2階は和洋折衷だった瞬間


ゴリゴリの和室に混ざってレトロな洋室があるあたり、ハイカラな感じがよくわかる。
離れ2階には写真の洋間「貴賓室」と控えの間、水屋のついた座敷がある。
貴賓室の壁には松本氏の商いものである葛布が壁紙として張られていて、
出れないけど外にはバルコニーがあり、ガラス窓があって欄間には花鳥のステンドグラス。
国会議事堂や鳩山御殿のステンドグラス作った名人(?)の手によるものなのだとか。
かなり気張って「西洋風」にしたんだろうなと思うと何だかかわいいw
窓からさりげなく天守が見えている風景もいかにも1等地ぽくてパーフェクト!

枯山水に期待の瞬間


玄関の横にある中門をくぐると枯山水の書院前庭園。
天守で説明をしてくれたガイドのおじさんパワープッシュの枯山水。
枯山水といえば、あもは京都の禅系のお寺の庭を思い浮かべる。
龍安寺の庭なんて最高よね〜勝手にあのクラスを想像していざ門内へ。

ちょっと違った瞬間


水を使わないで石だけで水面を表現した枯山水には違いないけど、
あもが思ってるあもが好みの枯山水とはちょっと違ったw
川を表す敷き詰められた玉石、築山、石灯籠、立石、石橋・・
でも書院から見える庭園の風景としては品があって素敵だけれど。

ハイカラの全貌が見えた瞬間


書院前庭園を進むと、さっき奥座敷から見た中庭に到着。
離れの建物外観がよく見え、2階には貴賓室の鉄製バルコニーが見えます。
純日本建築の建物にバルコニーって外から見てみるとすごい違和感なのねw

庭園華道


この日は生け花と日本庭園のコラボ展示みたいのをやっていて、
至るところに秋の草花を使った生け花が配置されていました。
生け花のことはよくわからないけど感想は「斬新!」Σ(゚Д゚)!
素人目にはいかにも「あたしにもできそう」と思わせるスタイリングながら、
実は計算されつくしているに違いないのはピカソの絵同様、やっぱ芸術なのだw

武家屋敷とかではないけれど、ちょっと面白かった竹の丸を見終え、
せっかくだから掛川古城にも寄って次の城へ向かうことにします。



*****ランキング参加中〜ポチッとお願いします !いつも応援ありがとう♪*****

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へにほんブログ村


歴史ブログランキング

2010.11.23 Tuesday 00:02 | - | - | 中部(静岡県) | 
<< | 2 / 3 PAGES | >>